第2話 運命の歯車


Side A:レイナルト=フォン=グランシュタイン


 両替商と呼ばれる大魔導師の館に足を踏み入れると、そこは大理石の荘厳なる待合の間であった。

 整然と並ぶ椅子、光を放つ魔導灯、そして――壁に立てかけられた奇妙な冊子。


「……これは……経典か?」


 表紙には堂々たる文字が記されていた。

 

 『殿方自身』


「ふむ……男性が己を省みるための教典か。

 実に重厚な響きだ。」


 ページをめくると、次々に男のたしなみが書かれていた。


 『妻の機嫌を損ねたときに使う、たった5つの言葉。』

 『いまさら聞けないIT用語――Wi-Fi6ってなんだ?』


 ……なるほど、異界の叡智。

 さらにめくると、半裸の筋骨隆々の男が炎に向かっている絵があった。


「戦場の野営か……? だが人がいない。」


 ページの見出しには「ボッチキャンプ」とある。

 孤高の勇者たちが山に籠り、火を起こし、肉を焼く姿が描かれていた。


「……孤高の修行者たち……!

 これは深き教え。己を鍛え、孤独に耐える精神の修養……!」


 我は胸を震わせ、無意識に手を合わせていた。


 やがて両替商が現れ、我の持つ古代王の金貨を鑑定する。

 光を透かし、魔導具を操り、厳かに告げた。


「……これは歴史的価値がございます。

 二千万円にて、買い取らせていただきます。」


「二千……万? 単位は不明だが、かなりの大金であることは確かだな。」


 我は大いに頷いた。

 さらに両替商は、漆黒の板を差し出す。


「こちらがキャッシュレスカードでございます。

 これがあれば、通貨がなくともお買い物が可能です。」


「おお……神々の黒き石板!

 貨幣を持たずに取引を成すとは――禁断の秘術ではないか!」


 文明の叡智を手にした我は、次に衣服を整えることにした。

 いつまでもバスローブでは、この世界における威厳が保てぬ。


 案内されたのは、庶民の衣が並ぶ店。

 店の看板には『紳士服のヨコヤマ』と書かれていた。


「いらっしゃいませ。」


 そこに並ぶ衣は質素そのもの。王侯貴族にふさわしい華やかさはない。


 我は懐から取り出した聖典『殿方自身』を開き、ある記事に目を留めた。


 『ハロウィン! コスプレ特集――女子にAgeAge!!』


「……おお、貴族の装束、堂々の殿堂入りではないか!」


「店主よ、これを頼む!」


「あの……お客様? そういった衣装は当店では取り扱っておりません。」


「なに? ではどこで求めればよいのだ。」


「あちらの……コスプレショップ《ドン・ぺ・リーダー》であれば。」


「コスプレ……古代語で『王侯の正装』という意味か!」


 我はまだバスローブ姿のまま、案内された店へと向かった。


 そこにあったのは、まばゆく光を放つ衣装。


「……これは……シルクのきらめき……!

 触れれば滑らか、まるで妖精の織物。

 この札には『ポリエステル100%』と記されているが――いや、間違いない。

 これは上等な絹糸(シルク)だ!」


 我は深く感動した。

 装束を手に取り、鏡の前に立つ。


「……ふむ、やはり我にはこうした装いが似合う。

 異界の民に威厳を示すためにも、これで良い。」


「あの……お客様。それ、ハロウィン用ですが?」


「そうか、この盛装はハロウィンと呼ぶのだな。」


 こうして我は――再び『貴族』の姿を取り戻したのであった。



Side B:池田祥子


 異世界に来て、数日が経った。


 外に出れば、焼け焦げた建物、荒れ果てた畑、痩せた土地。

 そして、やせ細った子どもたちが路地に座り込んでいる。


「うわ……これ無理、見てらんない。

 完全に戦後レベル。食料事情ヤバすぎじゃん。」


 焦げた畑の匂いが鼻を突く。

 やせた土地に、やせた子どもたち。

 ……もう泣きそうだった。


「戦が終わったばかりなのですよ、お嬢様。」


 戦? って、魔法で? それもう破壊兵器じゃん。

 やば、ゲームどころじゃないわ。


 パンは石みたいに固いし、スープは味がしない。

 朝食に出されたお芋だけが、ほのかに甘かった。

 こっちの人は「ヤマノイモ」と呼んでいるけど、どう見てもサツマイモだ。


 ああ、コンビニのおにぎり食べたい。梅でいい。

 でも――ここはリケジョ魂の見せどころ!


「畑があるなら、ヤマノイモを植えればいいの!

 つるを挿すだけで、ドカンと育つから!」


 村人たちがきょとんとした顔をする。


「ヤマノイモ……?」


「そうそう! あとね、NPK!

 窒素・リン酸・カリウム! 理科で習ったでしょ!?

 中学の教科書レベル!」


 ……沈黙。

 村人たちはぽかん。

 メイドさんまで「はぁ……?」って顔をしている。


「さらに! 豆を育てて、鳥を放し飼いにするの!

 フンが肥料になって、豆が土を元気にして、循環システム完成!」


 ホームセンターがあれば即解決なのに。

 あーもう、肥料コーナー欲しい!


「それから、暖炉の灰も使うの。

 魚の骨とか卵の殻とか貝殻を粉にして撒けば、カルシウムも補給できる!

 ね? JA呼ばなくても自給自足できるんだから!」


「か、神々の秘術……!」


「ちがうって、科学だから! カ・ガ・ク!」


 ……まあ、通じないよね。


 最初は「お嬢様のお遊び」って誰も相手にしてくれなかった。

 でも、古代王の金貨を両替して農夫を雇ったら、一気に人が集まった。

 金の力は偉大。リアルすぎて泣ける。


 ――そして一か月後。


「……え、もう収穫? 芋掘りしたの?」


 畑には、ゴロゴロと実ったヤマノイモ。

 子どもたちが目を輝かせてかじりつく。


「か、神々の秘術……!」


「だから科学だってば! 理科だってば!」


 けれど村人たちは感涙しながら、私にひれ伏した。


「お嬢様こそ、新しき農耕の女神……!

 いや――芋嬢さま!」


「……芋嬢さま!? なんで!?

 今、『女神』って言ってたじゃん!?」


「芋嬢さま! 芋嬢さま!」


「やめろぉぉぉ! 芋って言うなぁぁぁ!

 せめて『アグリ女子』とかにしてぇぇぇ!」


 でも――みんなの笑顔を見たら、ちょっと誇らしい。

 古代王の金貨より、この知識の方が、よっぽど価値があるのかもしれない。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る