君は私の恋人だと言った〜崩れた日常、造られた記憶〜

@Esente

第1話 記憶

(はじめに)本作品は地震により被災生活や記憶喪失の人物を描写しており、実際の被災生活や記憶喪失で苦しむ方々を不快にさせる表現がないよう心がけて作成しております。もし配慮が足りない表現がありましたらご指摘いただけると幸いです。


(導入)

 男性「……ここは、どこだ?」

 砂埃と血の匂いが混じった空気の中、男性はゆっくりと目を開けた。頭の奥が割れるように痛い。


 女性「目が覚めた? 大丈夫……痛いところ、ない?」

 すぐ傍で泣きそうな顔をしている女性がいた。黒髪は土埃つちぼこりで乱れ、疲れた目でじっと見つめている。その瞳を見ていると、胸の奥にかすかな既視感きしかんがよぎった。けれど、名前も思い出も何一つ浮かんでこない。


 男性「……君は、誰?」


 絵名「……私が分からないの?冗談、だよね?」

 声が震えている。


 祐司「ごめん。本当に……分からない。僕は誰…?」


 女性は驚きで喉が締め付けられた。


 絵名「……あなたの名前は、森山祐司もりやまゆうじ。私は、あなたと付き合っている恋人だよ」絵名はしばらく経って恐る恐る彼の名前を告げた。


 祐司「モリヤマ……ユウジ……」

(響きは確かに何か引っかかる気がする。しかし、それ以上の記憶は霧の向こうだった。)


(避難所ひなんじょの日々)

「見て見て、今日は配給で電動歯ブラシもらっちゃった」山下絵名やましたえな(22歳)は自慢げに電動歯ブラシを祐司に向けた。ピンク色でちょっと女性向けデザインの歯ブラシだった。


 絵名「ゆうくんの分ももらってきたから安心して。水も貴重だし洗面場は混み合うから、こういったものはすごいありがたいね。」


 祐司「確かにあそこにいると後ろから早く変われーってオーラを感じるから、素早く磨けてありがたいね。」


 過去の記憶がない男性、森山祐司(24歳)は絵名に共感した。

 八丘町はちおかちょうの小学校に避難して約一ヶ月が経ち、皆小さいなことでもストレスを貯めていた。


 絵名「今ね仮設住宅の建設がかなり進んでいて、もう少しで入れるかもって話だよ。」


 祐司「もうちょっとでテント生活もおしまいにできるのか! 短いようで長かったな。」


 絵名「色々あった一ヶ月だったね...。」絵名はあの日、祐司が記憶を失った瞬間を思い出す。心の奥に重く沈む秘密を、彼女はひとり抱えていた。


(震災の日から数日後)

 絵名「はい!これが今日のゆうくんの朝ごはんだよ!ウェットティッシュとかももらってきた。」絵名は明るく祐司におにぎりやお茶等を渡した。


 祐司「いつもありがとうね。絵名が色々頑張ってくれて本当に助かってるよ。」祐司は記憶喪失で不安な日々の中で絵名の優しさに助けられている。


 絵名「復興状況、支援物資…」絵名がスマホを片手にぶつぶつ喋りながら調べものをしている。


 祐司「それってスマートフォンだよね?僕のも見つかれば自分の過去のこと思い出せるのにな。」記憶喪失が戻らない祐司は藁をもすがる思いで日々記憶の手がかりを探している。


 絵名「住んでいた緑山町みどりやまちょうは少し離れているし、歩いて行くにも瓦礫もたくさんあって危ないよ。探し出すのは無理だよ…。」一瞬、絵名の表情が固まった。だがすぐに柔らかく笑みを作り直す。「過去のことで分からない事があれば、私に聞いてよ!だいたい教えられるよ。」


 祐司「もちろんそうなんだけど、やっぱりただ話を聞くだけより、スマートフォンにある情報を目で見たりしたほうが脳に刺激になるかな。前に絵名のスマホのツーショットの写真を見せてもらったときも、何か引っかかる感覚あったんだよ」


 絵名「焦る気持ちは分かるけど、情報を与えすぎると脳が疲れちゃうかもしれないし、ゆっくり記憶を取り戻していこうよ。」絵名は祐司を優しく諭した。


 「私は、ゆうくんが側にいてくれれば、記憶があっても無くても幸せだよ。」

 絵名のスマートフォンを握る手には力が入っていた。

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