2ページ目 菫さんの宿泊研修 前編


 窓の外では太陽が少しばかり顔を出してはいるが、全体的にまだ薄暗い。そんな日の出の時刻だというのに、りんご柄のカバーのついたスマホのアラームが爆音で鳴り響く。

 もうこんな時間か…。そう思いながら菫は眠い目を擦ってその音を止めた。


 時刻は5時30分。菫は鏡の前にいる。顔を洗って歯を磨き、制服を着て髪を整え薄化粧をしているのは一昨日や昨日と同じだ。ただいつもと違って、使ったばかりの洗顔フォームや歯ブラシなどを旅行用の大きなカバンに入れている。


「お姉ちゃんおはよー」


 眠たそうにあくびをしながら、葵が洗面所に入ってきた。鏡に映る葵の姿は姉より20センチ近くも背が高いうえ、黒髪のロングヘアも相まって菫にはない凛とした大人っぽい雰囲気を纏っている。


「おはよ〜。早いじゃない。葵、今日は夜勤じゃないの?」

「誰かさんのアラームの音で目が覚めちゃった」

「ごめん」

「いいよまた二度寝するから。そんなことより…今日と明日は楽しんできてね」


 返事をすると、葵は鏡越しにニヤリと笑みを浮かべた。


「いいな〜、宿泊研修なんか私の高校なかったよ」

「え、なかったっけ?」

「遠足だったわ。でも遠足は日帰りだしあっという間に終わっちゃうじゃん」

「……私は遠足の方がよかったんだけど」


 忘れ物がないか最終チェックをしながら、菫はため息をついた。


「なんでー?」

「見てよコレ!」

「何なのこの訳わかんない絵は」

「そっちじゃなくて、ほらコレ!」


 きょとんとする葵に、菫が差し出したのは常人には理解出来ない前衛的な絵の描かれた冊子。これは宿泊研修のしおりで、美術教師がこの絵を描いたという。 

 そのあるページを開き、菫はトントンと指を指して訴える。


「このスケジュールよ!」

「それがどうしたの?」

「ハード過ぎじゃない!?」


 一泊二日しかない宿泊研修のスケジュールは盛りだくさんだ。3組の場合、本日1日目はバスで山の麓にある青年の家なる施設へ移動後、入所式の後に早速山登りがある。昼過ぎからはクラス対抗戦、夜にはキャンプファイヤーがある。翌日も朝から川でラフティング、その後は飯盒炊爨でカレーを作り、最後に施設の近くの博物館に寄ってから学校に帰る、というものだ。

 愚痴る菫だが、それとは裏腹に葵は「いいな〜」と言いながら、懐かしそうな眼差しでしおりを眺めている。


「面白そうじゃない。特にクラス対抗戦とかキャンプファイヤー。いかにも青春って感じ!」

「……まぁ確かにそうなんだけど。でも私は…」

「27歳にはキツいって?甘っちょろい甘っちょろい。一日中悪い奴追っかけ回してる方がずっとハードなんだから」

「………」


 そう言われてしまってはぐうの音も出ない。葵からしおりを返してもらってカバンにしまう。

 やがて出発する時間になり、玄関へ向かい「行ってきまーす」と言おうとしたところで葵は何か思い出したように言った。


「あっ!ちょっと待って!」


 葵は一旦リビングに向かうと、すぐに玄関に戻ってきた。菓子パンなどがいくつか入っているビニール袋を持って。


「はいコレ。電車の中か駅のホームで食べなよ」

「ありがとう!美味しそうねどれも。あっ、りんごジュースもあるじゃん!」

「また帰ったら色々話聞かせてね〜」

「行ってきまーす!」



 集合場所は公ヶ谷高ではなく最寄り駅前で、各クラスのバスが並んで停車している。3組のバスのドアの前には副担任の栗山が立っており、急いで向かう菫に手を振る。


「宮西さんおはよう」

「おはようございます。すみません!遅くなって」


 開いたバスのドアからは、楽しそうにワイワイと騒いだり話をしている声が聞こえてくる。出発の時間が迫っていてあと数分、もうクラスの大半は乗車しているらしい。


「珍しいじゃないか。宮西さん昨日まで早めに来てたのに」

「バス間違えたんです」


 そう、菫は予定通りの時間に到着し余裕を持ってバスに乗り込んでいたのだが…そのバスは5組のバスだった。まだ早い時間だったためか、その時栗山はバスの前に立っておらず、すぐには気付けなかった。

 

 なので菫はスマホを見ながらのんびりと過ごしており 、間違いに気付いたのはほんの少し前。乗ってきた琴葉に「菫ちゃん何やってんの」と耳元で囁かれ、5組の面々が笑う中逃げるように3組のバスへ向かった。恥ずかしいやら焦るやらで身体は熱く、まだ4月だというのにシャツに汗が滲んでくる。


「ハハハ、仕方ないよ。同じバスなんだか…」

「すみませ〜ん!」


 菫と栗山が話している中、続いて女子がもう二人急いで走ってくる。一人はミルクティー色の姫カットの女子、もう一人はゆるふわな髪をお下げに結えていて菫同様謝りながら走っている。


「おっ、田宮たみやさんに今川いまがわさんも。これで全員揃ったなぁ」


 2人ともよっぽど全速力で走ったのか菫よりもハァハァと息を弾ませている。菫はぶっちゃけ自分が一番遅いと思っており、まだクラス全員揃っていなかったことに少し驚いた。お下げ髪の方の田宮たみや来美くるみはまだ息が整わないまま言い訳を始める。


「はぁ、はぁ、4組のバス乗ってたんです〜」

「えっ!同じじゃない!」

「えっ、宮西さんも?」

「そう、私は5組の方」

「宮西さんも間違えたんだ〜」


 どうやら来美は菫がバスを間違えるとは思わなかったようで、意外そうに目を丸くした。菫は私だけじゃなくてよかったと安堵する。それだけでなく来美が同じ間違いをしたことに親近感が湧き、菫はつい笑顔になってしまう。


「ハハハ、間違いは誰にでもあるからね。今川さんは昨日も遅くまでゲームしてたんだろう?」

「バレたか。さっすが栗山センセ」


 もう一人のミルクティー色の髪の女子、今川いまがわもえは栗山の指摘通りだったようでギクっとし、苦笑いしながらそう言った。そういえばこの間の自己紹介で、萌はゲーム配信をやっていると言っていた。そのせいで寝坊・遅刻・居眠りの常習犯らしい。


「おーい、もう出発だぞ!早く乗りなさい。栗山先生も早く乗ってください」


 ここでようやく杉谷がバスから顔を出し、腕時計を指差しながら早く乗車するように促す。

 菫達が乗り込むと、最初に乗ったバスと違って見覚えのある顔触れが座っており、「おっそいぞ〜」「やっと来たー」とより一層騒がしくなる。

 

 一番後ろの席を独占しているのはめぐる達のグループで、そこからめぐるが手を振ってくれたので菫も反射的に手を振った。反対に真面目そうな生徒や大人しそうな生徒は前の方に座っている。事前にバスの席を決めていた訳でもないのに、自然な流れでこの席と決まったようだ。

 

 ほとんどは仲の良い友人と隣同士で座っているが、凜のように1人で2席を独占している者もいる。菫もそうしようと思い、まだ隣に誰もいない席に座る。続く来美は先に着いていた友達の横に座った。そして萌は…


「ここいい?」

「あっ、どうぞ…」


 えっ、私の隣?と軽く動揺するが、別に嫌な訳でもないので菫は快諾した。よくよく考えると萌と仲の良い友達は別の席で隣同士に座っている。萌とは今まで全く話をしたことがなく、緊張で菫の心臓が早鐘を打つが、萌は特に気にしていないようだ。萌は座るや否や大きなあくびをする。

 

 そして出発後程なくして、菫の隣からは寝息が聞こえてくるのだった。


(凄いな〜。いくら夜更かししてたからってほぼ初対面の人の横でよく寝れるわね)


 一周回って感心しながら、菫は持ってきた棒付きキャンディの封を開け、口に咥えた。そして琴葉からは早速LIMEが届いていた。「さっきのは傑作だったよ」と。



 菫は子供の頃から運動音痴である。体育祭の徒競走やマラソン大会ではほぼ万年ビリだったし、逆上がりだって小学校卒業までに1回も出来なかった。体育の授業はもちろん、体育祭など体育系のイベントも大の苦手で、その日が近づいてくると気が重くなるほど。もちろん体力テストの点数も唯一得意な反復横跳び以外は酷いものだった。

 それに加え、他のクラスメイトより一回り年上というハンデがあるうえ、近年は運動自体ロクにしていない。

 

 最初のレクリエーションの山登りでは、頂上に辿り着いた時点で菫はヘトヘトになっていた。今日こそ誰かに話しかけると決めたものの……それどころですらない。




「はぁ…はぁ…」




 ようやく登頂し、体操着姿の生徒達が達成感を味わって喜んだり、山頂からの景色に感動したりはしゃいだりしている。中には「たりー」だの「疲れたねー」だのぼやいている者もいるが、それでもしっかり歩いている。

 その中で菫は息苦しそうにしながらその場に座り込んでいた。青年の家の裏山は傾斜が結構キツいうえ、岩場に砂利道にぬかるみと足場もかなり悪く、すっかり足がガクガクだ。


(…やっぱりハードでしょーが!やっぱりみんな若いなぁ。こんだけ険しい山に登ってもあんなに元気なんて)


 頭の中で愚痴っていると、琴葉が近付いて小声で話しかけてくる。


「菫ちゃん……そんなに下手ってたら…」

「バレちゃうって言うんでしょ?」


 菫が蚊の鳴くような声で言い返すと、琴葉は何も言わず頷いた。その懸念はあるけれど、いかんせん体がついていかない。


「……青春ってこんなに疲れるものなのね」

「いや……ここまで疲れてるの菫ちゃんだけよ」


 周りを何回見回しても…ここまでヘタっているのは菫だけ。そんな状況で青春を語る菫に琴葉はツッコミを入れる。

 とはいえ運動部員ではない琴葉も全く草臥れていないわけではなく、少なからず息を荒げてタオルで仰いでいる。


「……大丈夫?琴ちゃんも。」

「うん……」

「しかも終わってからクラス対抗戦なんて…足引っ張って怒られるやつでしょ絶対……」

「ウチのクラスは大丈夫かな〜。皆やる気ないし」

「いいなぁ〜!」


 この時ばかりは菫は5組に入りたいと思ってしまった。そんな菫に琴葉はニヤリと笑う。


「……まぁやる気ある方が青春って感じするんじゃない?菫ちゃんは3組でよかったわ、あっちの方が熱血してそうだし」

「………………」


 それだけ言うと、琴葉は5組の友達に呼ばれたので去って行った。

 確かに3組は5組よりも陽キャと運動部員が多く、昨日の始業式の時点で、もうクラスメイトの皆は馬鹿騒ぎしていたほどだ。今でも皆で頑張ろーと熱血しているのが目に浮かぶ。

 琴葉の言う通り、熱血している方が青春っぽいのは山々だが……菫はよからぬことを考えてしまう。


(流石に疲れたし仮病でも使って…)


「宮西さん大丈夫?」


 琴葉と入れ違いに、今度はめぐるが駆け寄ってきた。彼女及びそのグループの面々は弱音を一切吐いておらず、息切れすらしていない。そもそも大半が運動部員だからこんなのは朝飯前なのだろう。


「だ…大丈夫…ぅ…」

「宮西さん、こういう時は階段呼吸法がいいですよ」

「へぇッ!!?」


 菫は心臓が止まったかと思うぐらい驚き動揺し、思わず凄い勢いで声がした方にバッと振り向いた。そのうえ変な声まで出てしまった。いきなり話しかけられたからではない。敬語で話しかけられたからだ。


「もー、宮西さんビックリしてるだろ!ばったんがいきなり話しかけるから」


 そんなことを知る由もないめぐるがそう咎めても、「ばったん」こと上川畑かみかわばたなおは気にせずにニコニコしている。彼は黒髪の癖っ毛に丸眼鏡と文学青年のような外見で、実際に部活は文芸部と囲碁将棋部に入っていると自己紹介で言っていた。


「いや〜、あまりにもしんどそうにされてるんで。山﨑さんはまだまだイケそうですね」

「当たり前じゃん、バスケ部なめんなっての」


(あ…この子誰にでも敬語で話す人なのかしら)


 年齢バレた!?と一瞬冷や汗をかいたが、めぐるにも敬語で話しているのを見て菫はひとまずホッとした。それはいいとして、直の言った呼吸法が少し気になるので聞いてみることにする。


「か、上川畑君…その、なんとか呼吸法って何なの?」

「まずは2回、短く息を吸ってください。それから大きく息を1回吐くんです。ゆっくりですよ」


 言われた通りにやってみると…確かに少しは息が整い楽になったような気がする。よく見ると直のすぐ横にいる四角く太いフレームの黒縁眼鏡をかけた男子生徒、細野ほその慶吾けいごも同じように息を吸っては吐いている。


「ありがとう、上川畑君」

「いえいえ」

「ばったんだってまだまだイケそうじゃん。運動部じゃないのに」

「時々おじい様と山登りして鍛えてるからですかね。ぽその君とバヤシ君にも教えてあげました。あれっ、バヤシ君はどこへ…?」


 普段から直と仲の良いその2人も菫程ではないもののヘタっていたようだ。「ぽその君」こと慶吾はクイズ研究会、「バヤシ君」こと菫と同じ班の佳之は美術部と2人とも文化部で、やはり運動部よりも体力はイマイチなのだろう。なお、2人にそのあだ名をつけたのもめぐるである。

 つい先程までは佳之も近くにいたらしく、直はキョロキョロと周りを見回す。


「あれ〜、さっきまでいたはずなんですが…」

「あっ!あっち!」


 めぐるが指差したところにいるのは2人。1人は目が隠れそうな長い前髪に長身だが細い体型の男子で、彼こそが佳之である。もう1人はまるでプロレスラーのような巨漢で、ロン毛を引っ詰めお団子に結えた髪型の男で、黒いジャージの上に白衣を着ている。男の方から佳之にじりじりと迫っているようで、その手には救急箱が握られている。


「いや、本当に、すぐ治るんで…」

「あら〜、遠慮することないじゃな〜い。大丈夫よ、このカオルンがお手当てしてあげるんだからぁ」

「いや結構でーす!」

「あっ、待って〜。走ったらまたコケて怪我しちゃうわよ〜」


 本当に大したことないのか、或いは別の理由があるからか、佳之は膝小僧に擦り傷があるというのに逃げ回っている。にも関わらず男の方はドスドス音と砂埃を上げながら追いかけ回していた。


「……えっ?……オネエなの?あの先生……」


 菫が思わず言うと、めぐると直は吹き出した。めぐるはツボにハマったようで腹を抱えている。


「オネェってwww」

「養護教諭の中村なかむらかおる先生ですよ」

「よっ、養護教諭!?ってことは保健の先生なの!?」

「そうです…そういえばバヤシ君さっきちょっと怪我してましたね。足踏み外しちゃって」


 まさかのオネェが養護教諭と知り、菫は驚愕する。


「ほ、保健室の先生って……色っぽい女の人のイメージが……」

「前の先生はそうだったな〜。仮病使って保健室でサボる男子が多かったけど」

「でもめっきり減ったんですよね〜。中村先生に変わってから」

「……それはよかったじゃない(仮病使ってサボるのも青春っぽいけどね〜)」


 そう思いながら、菫は佳之と中村の追いかけっこを眺めていた。



 下山した後、昼食を挟み束の間の休憩を経て、二つ目のレクリエーション、クラス対抗戦の時間はやってきた。菫がクタクタになっているのはもちろん、山登りの後なのでそれなりに疲れている生徒も流石に少なくないが…


「どの競技も絶対勝つさー!」

「3組優勝すっぞー!」


 3組の面々はついさっきまで登山をしていたと思えないほど張り切っている。沖縄出身の水泳部員、上原うえはら日向ひゅうがは始まる前から雄叫びを上げているし、3組一のマッチョマンの松本まつもと成一せいいちの声も響く。彼らと同じ運動部員とめぐる達中心グループが特に息巻き、皆を盛り上げる。


(まさに青春って感じね!!皆熱血してるし団結力高そう!)


 青春らしくなってきたのでワクワクしてきたが……運動系のイベントなので菫はイマイチ心が晴れない。なので少し離れたところからその様子を傍観している。


「3組皆で勝とう!!」

「このメンバーじゃ楽勝っしょ!」

「せっかくだし円陣組む?」

(円陣かぁ……ますます青春っぽくなってきたわね!)


 菫は人知れずニヤリと笑った。この円陣を提案したのは男子のリーダー格である清宮きよみや寛斗ひろとだ。めぐると同じグループの彼はアメフト部のキャプテンでもあり、こうして皆を纏めるのは得意なようだ。


「それいいね!」

「いいじゃん気合い入れようぜ!」


 他のクラスメイト達ももちろん賛成し、めぐるや運動部員達を中心に、皆が寄って円の形になる。菫もおずおずと参加し、円の外側にいる。


「じゃ、声出しはきよみーね!」

「えっ、俺!?」

「言い出しっぺじゃん」

「えー、こういう時はさっきーだろ」


 「きよみー」こと寛斗はめぐるに声出しを頼まれるも断って、「さっきー」こと同じくめぐるのグループの野村のむら沙希さきを指名する。


「なんでよ?」

「いつもバレー部の声出しやってんの誰だよ」

「しゃーないな〜。この声出し歴5年目の私がやって進ぜよう」


 女子の中では最も長身でバレー部の沙希は部活でもこういう役らしく、満更でもなさそうだ。男子達が「お〜い」と野次を飛ばしたり、他のクラスメイト達も爆笑したりでボルテージはますます上がる。

 

 クラスメイト達が一人一人中心に向かって手を伸ばして重ね合わせる。ただ34人もいるクラスなので、輪の外側にいるとどうしても手が中心まで届かない。菫も腕が短いこともあり、必死に伸ばしている。


「あっ、宮西さん!もっとこっち来なよ」

「えっ!?」

「ほら、どいてあげて」

「あ…ありがとう」


 見兼ねためぐるが手招きしたうえ、菫の前にいた生徒達も指示通りに道を譲った。まさか中心に行かせて貰えるとは思わず嬉しく思いながら、菫は急いで中心まで進む。手を伸ばすとすぐに何人かの手と重なった。


「じゃー行くよ!


正義はー?」


「「「勝ーーーつ!!!」」」


「このクラス対抗戦はー??」


「「「3組が勝つ!!!」」」


「さぁ行こう!!!」


「「「オーーー!!!」」」


 こうしてぶっつけ本番で円陣を組み、沙希の主導によって掛け声を上げた。まるで事前に練習でもしたかのように息がぴったりで、しかも終わった後も「イェーイ!」「頑張ろー!」と声が飛び交い、拍手が暫く鳴り止まない。

 この熱血ぶりに、菫は葵が話してくれた体育祭のことを思い出した。葵のクラスでも同じように円陣を組んでいたという。


(これぞ……青春ね!やっぱり3組でよかったかも!こうして真ん中にも入れてもらえたから……。私も頑張んなきゃ!皆ここまで熱血してるんだしそれに応えないと!)


 図らずも中心に呼ばれた菫だったが…いつの間にか午前中の山登りの疲れが吹き飛んでいた。何ならやる気がみなぎってくるような気分までする。

 菫は両手で小さくガッツポーズを作り、自分を鼓舞した。




(初っ端から一致団結してるじゃねぇか…。よかったぁ〜、俺のクラスは仲良さそうで…)

「いや〜青春してるねぇ、杉谷君」

「ぅわっ!く、栗山せんせ…」


 少し離れたところから自分のクラスの輪を満足気に眺めていた杉谷の横に、いつの間にか栗山がいた。栗山は更にジリジリと杉谷に近付き、耳元で囁く。


「一応言っとくけど、皆が今団結してるからって慢心しちゃいかんよ。まだまだこれからだからね。これから先、喧嘩も揉め事もきっとあるはずだ」

「わ、わかってますよぉ…もちろん…」

「むしろそういう時こそ君の腕の見せ所なんだから」

「は…はい…」


 肩をポンと叩かれ、杉谷はひきつった笑顔で頷く他なかった。



 クラス対抗戦の競技は全5種。トーナメント制の綱引き、女子のみ参加の大縄跳び、公ヶ谷高○×クイズ、男子のみ参加の騎馬戦、クラス選抜リレーの順だ。このうち綱引きと○×クイズが全員参加である。

 

 綱引きでは健闘するも決勝戦で1組に破れ2位、大縄跳びでもめぐると沙希の指揮の下頑張って跳んだが…3位であった。菫が恐れていた通り、数回縄に引っかかり足を引っ張ってしまった。「誰かが引っかからなけりゃ…」とどこからか聞こえてきたが、菫は聞こえないフリをした。尤も、指揮官の2人は誰も責めず、次こそ勝つぞと切り替えて意気込んでいたが。

 

 ◯×クイズは編入したばかりの菫には流石に難しく早々と脱落したが、クイズ研究会会長の慶吾が本領発揮しぶっちぎりの優勝を果たした。

 ここまでは滞りなく進行し、次の騎馬戦も初戦で4組の騎馬を次々と倒して勝利、残すは2組との決勝戦のみとなった。


「やったねー!」

「あーと1勝!」

「次も勝とう!」


 女子達に初戦を労われ、決勝戦を控えた男子達も「おう!」「頑張る!」と更に奮い立つ。

 この騎馬戦では4人1組の全4チームで戦うことになっている。3組の男子は17人であるため一人余ってしまい、先の山登りで怪我をした佳之が欠場となり女子に混じって応援することに。

 決勝戦も初戦と同じチームで戦うらしく、男子達は軽く作戦会議をしているが…


(ん?)


 菫はあるチームがふと気になった。同じ班の和馬、優男風バスケ部員の福谷ふくたに貴大たかひろ、長い下睫毛とピアスが特徴でよく鏡を見るダンス部員の金村かねむら龍星りゅうせい、自己紹介で今年こそ彼女を作ると豪語したほり知輝ともきの男子四人組。

 彼らは普段から行動を共にし、騎馬戦のチームも一緒だ。例によって作戦会議中のようだが…


(なんかえらい固まってコソコソしてない?)


 敵である2組の生徒達に聞こえないようにするのは当然として…それでも他の組と比べるとかなり密着し、声もだいぶ小さくヒソヒソと話している。その隣にいる自軍のチームにも聞こえていないようだ。


「はい、ではこれより男子騎馬戦の決勝を始めまーす!」


 ここで作戦会議は時間切れとなった。男子達は会議をやめて騎馬を組み、位置に着く。


「よーい!」


 スターターピストルが鳴ると同時に、両クラスの騎馬達が一斉に飛び出した。


「皆頑張ってー!」

「おっせーおせおせ!」

「行け行け3組!」


 女子達が大声で応援する中、騎手達が相手の青い鉢巻を取るべく手を伸ばしたり、相手の騎馬を追いかけ回したりと熱戦が繰り広げられている。もちろん、菫も応援し青春らしさを思いっきり味わっていた。数十秒後に早くも試合が動き…


「あ゛〜〜〜!」

「何やってんのよー!」


 直の赤い鉢巻が相手の騎手に取られてしまった。このチームには唯一運動部員がおらず、3組の中では最弱と言ってもいいだろう。一部の女子から罵声が飛ぶも、杉谷がその空気を変える。


「まだこれからだぞー!諦めちゃダメだ!」


 その鶴の一声で罵声は止み、再び女子一丸となって残っている騎馬達を応援する。


(杉谷君、いいとこ見せにきたわね…。まぁ残りはほとんど運動部だしそう簡単には負けないでしょ)


 菫がそう睨んだ通り…その後は3組の独壇場だった。

その直後、別の騎手が相手の青い鉢巻を奪って仇を取り、他のチームも次々と2つ青鉢巻を奪う。これで2組はあと1チームのみとなった。

 最後の2組の騎馬は必死に逃げようとするも挟み討ちにされたうえ、3組の他のチームも援護射撃に向かう。遂に2組は囲まれ、必死に抵抗するも多勢に無勢のようだ。


(……ん?)


 囲まれて逃げようとした際にバランスを崩してしまったのか…2組最後の騎馬が崩れ落ちた。


「やったーーー!!」

「勝ったーーー!!」

「3組サイコーー!!」


 3組の応援席から大歓声と大きな拍手が上がり、飛び上がって喜んだり友達と抱き合ったり、ハイタッチをしたりとそれぞれ喜び合う。出場していた男子達や教師陣も然り。

 

 だが……菫はそうでなく何も言わずにその様子を眺めている。3組の面々のほとんどは勝利の喜びに浸っており気付いていないようだ。3組に崩された最後のチームの3人が鬼の形相でこちらを睨んでおり、後の1人が痛そうに足をさすっていることに。




「…おい!お前らズルしたろ!!」




 最後の騎手役の2組の男子が居ても立っても居られない様子で口火を切る。彼は指を差しているが、その先にいるのは…和馬達のチーム。

 あれだけ祝福ムードだったのが一転、その場は一気に静まり返った。


「…は?」

「え?」 

「どゆこと?」


 その場にいる人物の大半は理解が追いつかず、どよめき出す。仕切っていた教師が「田中、何があったんだ?」とその男子に訊き、2組の担任の清水しみず聖子せいこも駆け寄る。


「コイツが足踏まれたって」

「いってぇ〜。思いっきり踏まれたんすよ」

「たぶんアイツだよ、あの時前にいたもん」

「わざと踏んだんじゃねぇの!?」


 他のチームの面々も口々に訴える。足を踏まれたという生徒は一番前の騎馬役で確かにあの時、知輝達が彼らのすぐ前にいた。別の生徒は一番前にいた貴大を指差し、反則ではないかと指摘する。


「いっ、いやいや違うよ…」

「俺らだって真面目にやったわ!」

「偶然踏んだだけだろ」

「おいおい負けたからって言いがかりはやめろよ〜。お前らみっともねぇぞ」


 貴大が目を泳がせながらやんわりと否認したところに、龍星と和馬もキッパリ言う。知輝に至ってはヘラヘラ笑いながら言い返した。もちろん、他のクラスメイトも黙ってはいない。


「そんなことするわけないじゃん!」

「お前らボロ負けして悔しいだけじゃねーの?」


 2人ともめぐるグループに属する、クラス一小柄だが声の大きいサッカー部員の池田いけだ悠太ゆうたと、お調子者のムードメーカーの奈良間ならま真二しんじが加勢する。それを皮切りに、3組対他クラスとの激しい言い争いが始まった。


「杉谷先生、どういうことなの!?ウチの生徒が痛がってるじゃない!」

「えええ!?…僕は知りませんよ」

「あなたのクラスでしょ!」


 生徒達に紛れて清水も怒って杉谷に詰め寄る。あの団結ムードから一転、一触即発状態に対応出来ずオロオロする杉谷を菫は冷静に見ていた。


(ったく…教師のくせに情けないなぁ。


でもこれは……言った方がいいわね)


 菫は迷っていた。ここで言ってしまうと、自分のせいで更にクラスの雰囲気が悪化しかねない。

 でもあの円陣で、皆で「正義は勝つ」と叫んで団結していたはずだ。それなのにこんな戦い方をするなんて……何が正義だと思わざるを得ない。ここまで黙って青春を楽しんでいた菫も黙っているわけには行かない。

 

 挙手しようとしたところ、菫はある人物がふと目に入った。彼は菫同様、言い合いに一切参加せずに黙っており、呆れたような遠い目で眺めながら溜め息をついていた。

 菫は彼にそっと近付き、肩のあたりを突っつく。振り向いたと同時に他の人に聞こえないように囁く。




「……生田目君も見たの?」







「静かにしなさい!」


 暫くしてから栗山が手を叩いて生徒達を落ち着かせ、それに応えて周りがシーンと静まり返る。

 今だ!そう思った菫は凜とアイコンタクトを取り、2人で同時に挙手をした。その場にいる生徒達の視線が一斉に2人へと刺さる。


「…おや、どうしたのかな?生田目君に宮西さん」


 栗山が落ち着いた様子で訊く。めぐるも「ナバちゃん、宮西さん…どうしたの?」と心配そうだ。他の生徒達も「えっ?」「何?」と怪訝そうな顔で二人を見ている。

 5組なので全く関係ないはずの琴葉ですら、「菫ちゃんどうしたの……」と言っているかのように心配そうな顔だ。


「おっ、お前らガツンと言ってくれるのか〜?わざわざ手ぇ挙げてまで」


 当事者の1人である知輝はこんな空気の中でも意に介さずせせら笑っている。どうやら難癖つけられたことを注意してくれると思っているのだろう。チラリと凜の顔を一瞥すると、彼はやれやれとでも言いたげな表情で菫も全く同じ気持ちであった。


(…こんな大人数の前で喋るのって何年振りだろう。あぁ緊張する。でもちゃんと言わないと…!)


 菫は一旦深呼吸をして自分を落ち着かせてから、重い重い口を開いた。




「すみません。福谷君……確かに足踏んでました」

「俺も見ました」




 

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