2話:やります!ファム・ファタ〜ル

昨日あったことは全て夢だったんだ。

いつも通りの時間に起きて、チャットで挨拶を済ませて速やかに業務に入る、18時になったらまた挨拶を済ませて、PCを畳む。

今日は華金、ブラックフライデー。でもお金が無いと金曜日は楽しくない。

今日と明日はアラーム無しで起きれる、それだけが幸運。

「随分と小さな幸運だ」

「うわぁ!」

リビングに突然昨日の悪魔・シェムとアンが現れた。

「天使ですよ〜、では早速、4人に会いにいきましょう!」

「ちょ待って!急すぎ!メイクもしてないのに」

私はクローゼットをプリンセスの如く開けた。

「…ごめん、あと5日くらい待ってもらっていい?」

「なぜだ」

「男ウケする服とかメイクとか、分かんないし一旦調べ」

「アン、転送だ」

「はい!」

「あ〜!嫌だ〜!!」

私の視界はまっくらになった!


「うわオレ2留の事書かれてんじゃん、不利だわ」

「君、2回も留年したのか。留学でも行ってたの?俺も大学生の時カナダに1年間」

「いや、パチンコにハマってェ、海物語打ってたら単位が逃げてたンすよ」

「…あぁ、そう」

「港区男子ってなんすか?魚群となんか関係あるんすか?」

「おーい」

「う…」

ぼやける視界の向こうに、オダギリジョ○のようなシルエットが見える。

その横にセンター分けの男も見える、2人とも、首に首輪のような物が…はっ、まさか。

「えっ!?」

私は勢いよく上半身を起こした、どうやら今はベッドの上にいるようだ。

「…なにこれ」

私の部屋に、昨日写真で見た4人の男達がいる。

「ど、どういうこと?」

「コイツらの部屋、汚くて使えなかったんだ。だから1番マシなお前の部屋を集合場所にした。」

「なんてことしてくれてんだ!悪魔!」

「天使だ。物が少なくて良かったな、栞」

体の力が抜けてしまい、私はベッドに倒れ込んだ。

私の今のファッションは入院の定番みたいなパジャマ。男ウケとは程遠い。あぁ、もうなんとでもなれ。

「栞、起きろ。ルールを詳しく説明する」

「栞さ〜ん、諦めないで」

「お前は真矢み○か」

ふよふよと私の周りを飛ぶアンにデコピンをしたら、あだっと言って床へ落ちた。

テーブルの上からヘアクリップを取り、簡単に髪をまとめた、なけなしの金でストパーをかけててよかった。


「自己紹介を始めましょう!」

4人の男達は各々好きな場所で座ったり、立ち話したり、すみっ〇ぐらししてたり…なんだかとてつもなく帰りたい。家にいるのに。

でも物や家電を最小限に抑えてて良かった、掃除してなくても、心做しか綺麗に見える。

「じゃあ俺から…いい?」

オダギリジョ○を水で薄めて、縦に伸ばしたような男が手を挙げた、なんて度胸だ。

「どうぞどうぞ!」

アンがぺちぺちと拍手をした、音鳴るんだ、その質感で。

「…」

オダギリジョ○は押し黙ってしまった、どうして何も言わないの?

「あれ?ヤズ瑛さん?」

アンが声をかけた、

「え?」

「自己紹介…」

「あっ、俺からか」

嘘でしょ?

「えっと、遠橋ヤズ瑛です、バーテンダーやってます。宜しく!」

こいつだ、記憶力がないバーテンダーは。

天井に頭がつきそうな程身長が高い、全体的に緩くパーマがかかった男性にしては長めの頭髪、それを片方だけ耳にかけている。私はこの髪型の事をクリエイターズヘアと呼んでいる。クリエイティブな男に多い髪型だからだ。

「はい、拍手〜!」

アンがから元気で盛り上げる、そういや中学生の時、こういう新任の先生いたな、と思いながら私もまばらに拍手をした。

「じゃあそのまま順番に行きましょっか」

「河野汐留。なんか、たまたま巻き込まれちゃったんだけど、やるからにはマジでやるから。ヨロシクね。」

こいつ、目ェバッキバキじゃん。絶対港区男子。

整ってはいるが軽薄そうな顔と、ガッチガチのセンター分けが印象的だ。あと青スーツに異様にとんがった靴、こんなの営業マンしか履かない。

「須藤海太です、栞チャンと同い年の24歳!大学2年生!ヨロシクね」

こいつかー、ろくでなしのご子息は。

Tシャツにスウェットのダル着ファッションなのに、底から滲み出る育ちの良さが隠せてない。

頭髪もプリンじゃなくて綺麗な金髪、無性に腹が立つ。

「藤原…です…」

「え?」

声が小さくて思わず聞き返してしまったが、苗字だけは聞き取れた。

これが在宅ワーカーの引きこもりか。性質的には私と大差ない。

猫背で、纏っているオーラからして暗い。

顔を隠すような髪型と、細めの体躯に黒縁メガネ。こんなゲームに参加するようなタイプには見えないが、借金でもあるのだろうか。

「栞さんもドンと!ドンとどうぞ!」

「…栞あまのです、何も無い部屋ですみませんが、ゆっくりしてってください」

「素敵な部屋だよねぇ…いつでも夜逃げできそう!」

夜逃げしても奨学金からは逃げられないから無意味だ。

「おいヤズ、初対面でそれはないだろ」

どうやら港区男子とオダギリジョ○は顔馴染みのようだ、肩をコンと小突く姿が妙に馴れ馴れしい。

「ゴメンな。こいつ、ちょっとヤバいんだよ」

「あ、はい…」

言われなくても何となく分かる。

「ではここから、ゲームのルール説明に入る。」

シェ厶が指パッチンをすると、ホワイトボードが現れた。

「お前達の首にある全自動ラブ・ジャッジメントちゃんバージョン0.4通称全人類対応チョーカー型計測器は」

長くない?

「常に心拍数や脈拍、発汗や瞳孔の開きを計測し続けている、これで運動によるものなのか、トキメキによるものなのか総合的に判断しているという訳だ。」

「つまり栞ちゃんを100mガンダさせても無駄ってことか」

オダギリジョ〇が閃いたような顔で言った、そんなことさせないでほしい。

「心拍数が規定の数を超えた秒数、これに伴って金額が増える。例えば心拍数が3秒間規定の数を超えれば1秒100万円なので、この時点で300万円稼いだ事になる」

「たっ、たった1秒で100万!?パチンコより稼げんじゃん」

ろくでなしの目がキラキラと輝いている。

「だが、忘れてはいけないのは、300万稼いだ者がいたら、反対に300万失った者がいるという事だ。その300万はときめかせた相手から貰う金だからな」

私達の間に確かに緊張が走った。

よく分からないけど楽しみましょうや、みたいな雰囲気は一気に無くなってしまったが、この緊張感こそが天使の本来の狙いなのだ。

「イベントは週末に行われる。時間は返ってくるから安心しろ。そして、報奨金の額は月末に確認する事は出来るが、それ以外の時に知る事はできない。」

対策を練るにも不便なルールだ、勝てる気が全くしない。

「お前らの間を多くの人間が一生かけても稼ぎきれない大金が行き来するんだぞ、それも一晩で。あぁ、面白いな…」

悪魔だ悪魔、こいつのどこが天使なんだ。

「皆さんはあまり番組の都合等気にせず楽しんでください!」

アンのフォローも手応え無しだ。

狭い6畳の部屋に闘志が渦巻いている、人間って汚いな。

「ところで、報奨金の額がもしマイナスになったら…どうなんの?」

オダギリジョ〇が聞いた、確かにそれは私も思った。

「例えばゲーム終了時点で-300万だったとしたら、現実世界で300万の借金を背負う事になる。」

「…は?聞いてないんだけど」

私はその言葉を聞いて頭が真っ白になった。

「言ってないからな。」

「…棄権って」

目先の欲に駆られてゲームに参加した事を心の底から後悔した。

借金に借金を背負う結果になったらどうするんだ、私。一生猫背のまんま、今異常に苦しい生活をする事になってしまう。

「できないぞ。」

「栞さん、借金を背負ったプレイヤーは今まで1人もいませんから。安心してください!」

私が記念すべき1人目になるという可能性も十分にある。

何処からかカタカタ…と聞こえるなと思ったら、音の出処は引きこもりの藤原さんだった。

「ヤベー!顔真っ青すよ!」

ろくでなしが藤原さんの肩を叩いた。

「ぼ、僕棄権、棄権したいです…」

泣き出しそうな声で藤原さんが言った、今私が断られたばっかりなのに。

自分よりキツそうな人を見ると、案外冷静になれるもんだな。

「色々あったから、今回から棄権は無しになった。とりあえずやってみれば分かる。」

「あー、なんか俺も怖くなってきたわ」

「ヤズ、お前も年取ったな」

とは言いつつも、余裕そうな2人だ。私の最大の敵になるかもしれない。

「次のイベントは明日だ。また会おう」

シェ厶は指パッチンをした。すると、対戦相手の4人が部屋から消えてしまった。何この能力。



現在土曜日の14時、嫌でも時は進む。そういうもん。

勝手にスマホに入れられていたアプリを確認すると、今日の予定が記載されていた。居酒屋で親睦を深めようって、新歓かよ。

在宅でもちゃんと疲れる体は、休息を欲している。私はスマホを放り投げた。

考えたって仕方のないことはある。

一眠りする為、毛布を頭まで被った。

はずだった。

「栞。合コンのさしすせそを知っているか」

悪魔がいつの間にか枕元に立っていた。インターホンくらい押して欲しい。

「天使だって言ってるだろ」

「天使なわけないじゃん、そんな全身真っ黒な服着てさぁ」

オシャレな喪服みたい、とは敢えて言わなかった。

全て正直に答えるのは、栞ちゃんの良い所であり、それを消してしまう程の悪い所でもあるよって、リエちゃんに言われたことあるから。

「喪服じゃない。俺は天界では歩くパリコレと言われている」

「…アンタ、この前から私にメンタリズムみたいなことしてない?」

「それはユニク〇の新作か?まぁいい。料理にさしすせそがあるように、合コンにも男をときめかせる"さしすせそ"がある。」

そういえば聞いたことあるな、リエちゃんから5年前くらいに教わった気がする。

ホワイトボードが狭い部屋に現れ、カラコロと音をたてた。

「まず、さは?」

シェ厶はペンを握り、真っ暗な双眼で私を見据えた。

「へっ、さ?…財布を持っていかない」

「さしすせそは行動ではない、セリフだ。さから始まる男をときめかせるキラーワードを言ってみろ。」

「斎藤〇に似てるわ〜…」

「てんでダメだな。さ、はさすが〜!だ。」

シェムは、しは知らなかった、すはすご〜い、せはセンスいい、そはそうなんだ〜と方程式をつらつらとホワイトボードに書いていった。

「いいか、この5つをさりげなく会話の最中に使うんだ。」

「えっ…む、無理だよ。思ってなくても言えってことでしょ?」

「モチのロン」

「私さ、思ってるけど言わないことはできても、思ってもないことは言えないんだよね…」

「大人だろ。お世辞の1つくらい言え。これまでどうやって生きてきたんだ」

「お世辞の1つも言えない損な性質だけど、こうやって立派に社会人やって、奨学金返してるんだよ」

「…じゃあ次は仕草だ、仕草。お前、髪が少し長いが、耳にかける時はどうやってる?」

「ふつーに、正面から」

ストパーをかけたのにまだ自我が残っている髪の毛を、耳にかけてみた。

「ダメだ。左手を使って、右耳にかけてみろ」

「え、私右利きだよ」

「クロスの法則と言ってだな」

言われた通りに髪の毛を耳にかけようと試みたが、上手くいかない。

「なんか手が絡まるんだけど」

「両手でやってどうする、こうだこう」

シェムがホワイトボードの前で一生懸命身振り手振りで教えてくれるが、一体何がどうなっているのかがよく分からない。

「親指どっちに向いてる?」

「…次だ。お前、いつもメイクはどうやっている?」

「下地塗ってー、眉毛描いてー、リップ塗って終わり。在宅だから普段はあんましないけどね」

「ナチュラルなのは悪い訳じゃない。だが、メイクの魅力と言うのはどんな自分にもなれるという点にあると思うんだ。例えば、瞼にラメを塗ってみるだとか」

「あ、私不器用すぎて眉毛で限界なんだよね。」

「…チークを」

「やー無理無理、どんだけ塗ればいいか分かんないし」

「俺は…俺は間違えたのか…この俺が…?」

シェ厶がホワイトボードに手をついて、下を向いた、体調でも悪いのかな。

ボンッと音が鳴ったので振り向くと、アンが不満そうな顔をしてパタパタと浮いていた。

「シェム!魚にどれだけ歩き方を教えても無駄ですよ」

「よくわかんないけど、それ悪口だよね」

「そうだな…こいつに理詰めはダメだ。とにかく今夜はお前のままでぶつかって、粉砕してこい!」

「なんで粉々になんなきゃいけないの」

「物は試しだ。やってみなければ、どんなもんか分からないだろう。お前なりの攻略法も見えてくるかもしれない。」

私はイヤイヤ返事をして、ベットに倒れ込んだ。

そんな私の真正面にシェムの整った顔面が、ドーンと効果音を付けて現れた。

「いいか、お前がときめいてしまえば、100万だぞ、100万が相手の懐に入って、お前の元から100万がなくなるんだ。100万で済めばまだいい方だ。」

「…シェム」

「なんだ」

「私が勝てばアンタに賞金の3分の1を上げる」

「だから?」

「テコ入れして私を勝たせて!」

「アホか」

デコピンされたせいで、おでこに熱さと衝撃が走った。

「いったぁあ!」

「言っておくが、天使は金では揺るがない。金は人間の為だけにある」

「クッソ〜…なんでも買ってあげるからァ」

「お前がキャストとしてイベントを盛り上げてくれる方が助かる」

シェムが私の視界からじんわりと消え、声はどんどん遠くなっていく。帰るみたいだ。

「最後のアドバイスだ、テーブルの下で相手の足をバレないようにツンツンしてみろ」

「それ、めっちゃ古いよ」

「え?」

シェムは一旦濃くなったあと、何も言わずにまたじんわりと消えていった。

最後に残していったテクニックもリエちゃんが5年前に教えてくれたやつだ。

シェ厶の野郎め、二度と来るな。ついでに夜も来るな!


嫌でも時は進む、そんなもん。

メイクとヘアセットを終えた私はクローゼットの前で唸っていた。

「なんだこのクローゼット」

気づけば横にシェ厶がいた、なんだとはなんだ。

「なんか文句でも?」

「部屋着しかないじゃないか」

「外行かないもん…あ、このカーディガンなら」

「栞、このマークはなんだ、ブランドものか?」

「これ校章」

「栞、あのな、なんて言ったらいいんだ…あぁ、えっとな…そう、えっと…なん、なんだお前、なんなんだ」

「な、なに急に」

「大事な勝負の場に毛玉だらけのカーディガンで行こうしてるのか?それも制服、学生時代の。気心の知れた仲ならまだしも…常識知らずにも程がある、天使でも分かるぞ。」

シェ厶は無表情で私を追い詰めてきた、不気味な奴だな。

「だってこれ以外に無いんだもん」

「どうする…俺はどうするべきだ…」

「どうしたの?汗すごいよ」

「お前はもっと焦ってくれ」

シェ厶はクローゼットの中にある服をフローリングの上に並べはじめた。

「まず、グレーのスウェットパンツ、馬鹿げたTシャツ、古びたデニム、制服のカーディガン…これだけで今までどうやって生活してきたんだ…」

「うちの会社、飲みとかもないからねー。」

「この馬鹿げたTシャツ…前と後ろ逆に着ればオシャレになるんじゃないか?」

私はシェ厶の提案通りデニムを履いて、Tシャツを逆に着てみた。

「じゃーん、どう?」

「案外いいかもしれない」

褒められていい気になった私はくるりと回ってみた。

「いや、ダメだな。逆に着ても馬鹿げてる、誰が見てもダサい、お前どんなセンスしてるんだ」

「猿がピースしてて可愛いじゃん」

「腹が立つだけだ。次!」

クローゼット内の服を使ったファッションショーはすぐに終わった。

あまりにも少なすぎる選択肢にシェ厶が唸りながら、今日のイベントは捨てるしかないか…とボヤいた。

「やだよ!奨学金が〜…」

「じゃあせめてまともな服を1着でもいいから買ってくれ」

「ねぇ、このカーディガンさ校章って言わなければブランドのロゴマークに見えない?」

「そんなわけ…いや、試してみる価値はある。」

「でしょ?」

「よし、インナーはさっきのTシャツを逆向きに着ろ。あとは、スウェットパンツだ。なにかアクセサリーはあるか?」

「1個あるよ、ネックレス。」

私はリエちゃんがくれたネックレスの存在を思い出した。

「腕の袖をめくって、手首に髪ゴムを付けてみろ」

「なんかこなれた感じが出てそう!」

「確かヘアクリップを持っていたな、あれは居酒屋で付けろ、それでスタイルチェンジだ」

時間はあと30分、私はカーディガンを脱ぎ毛繕いのように毛玉を取り始めた。

「俺もやる」

2人でテーブルの上にカーディガンを広げて、ひたすら毛玉を取る、シェ厶の瞳は真剣そのものだった。


 

「いいじゃん…!」

全身鏡なんてないので、浴室の入り口の段差に乗り、洗面台の鏡に全身が入るように背伸びして頑張って見た。想像以上のでき前だ。

「いいか、絶対にカーディガンを脱ぐなよ」

「うん!」



シェムに言われた通り、駐車場で待つことはや5分。彼は車を持ってくると言って消えてしまった。

天使って車校通えるんだ。そう思ったのもつかの間、

「栞ちゃ~ん」

1番最初に来たのは港区野郎だった。青のサマーニットに白いズボン。

適度に焼けた肌と白い歯のコントラストが凄い凄い。やっぱり靴はとんがっていて、いつも通りのセンター分け。腕時計は多分高いやつ、ゴツゴツしてるから。

「待った?」

「いえ、今来たばっかです」

前、リエちゃんと遊んだ時に「待った?」って聞かれたから「10分くらい」ってバカ正直に答えたら「そこは嘘でも今来たばっかって言うんだよ」と教えて貰ったことがある。

「うっそだ~、2時間くらい待ってたんじゃない?」

このパターンは初めてだ。

「いやあ、あはは…」

愛想笑いで誤魔化すしかない。

「愛想笑いしてんじゃん!」

もう帰りたいかも。

「河野~、栞チャン困らせんなよ」

「ヤズ、遅せぇよ」

バーテンがやってきた、ナイスタイミング!

彼はいつものデザイナーズヘアに白シャツにジーンズ。全体的にシンプルだけど、私には分かる。あの格好には死ぬ程金がかかってる。白いだけなのに異様に高いTシャツ特有のハリがある、ジーンズは恐らく友達の展示会で買ったやつ。ベルトもウン万するやつ。腕に着けてる髪ゴムだけがプチプラだと思う。

「栞ちゃん、今日はよろしくね。てかそのカーディガン可愛いね」

「ありがとうございます!」

良かった!騙せてる。なんて優秀な制服なんだ。

「ヤズには気をつけた方がいいよ。付き合ってはいけない3Bの内の1人だからね」

港区野郎が私の耳元で囁いた。

「あー俺よく言われるわ、なんだっけ、美容師、バンドマン、あと1個…あーやべ、忘れた」

こいつ、馬鹿だ。付き合ってはいけない4Bだ、美容師、バンドマン、バーテンダー、馬鹿。

「ヤズ、今度一緒に病院行こうぜ」

「うぇーい、栞ちゃんおひさ~」

出た!ろくでなし息子!

富裕層しかできないムラのない金髪と、ロゴTシャツにカーゴパンツ、岩肌のような靴にメリケンサックみたいな指輪。典型的クズのファッションだ。

ろくでなし息子の横には、肩を組まれたオタクがいた。カツアゲ真っ最中のような絵面だが、大丈夫なのだろうか?

「ほら、藤原さん。挨拶挨拶」

ろくでなしが促すと、オタクは震えながらぺこりと頭を下げた。

「藤原さん、今日はよろしくお願いします」

彼はアウターが青ジャージで、下はジーンズ、使い古したバックに少し長い髪の毛と黒縁のメガネ。別にいうことは無い、ただ中野に行けば大量にいるなって感じ。

「2人も元々友達なの?」

港区野郎が聞くと、ろくでなしはフルフルと首を横に振った。

「あのボロ階段の下で震えてたんで、拾ってきました」

「猫みたいでカワイイ~!」

バーテンの屈託のない笑顔が更にオタクを萎縮させたような気がする。

そんなこんなで、ポンっと音を立ててアンが現れた。

「さぁ、車が到着しますよ。今日はこれに乗って居酒屋まで行きます。詳しい説明は車内で行いますね。…あれ、シェム?どうしたんですか?」

哀愁を漂わせたシェムがいつの間にか駐車場に立っていた。

彼はアンを手招きしてボロ階段の下へ。

どうしても気になって、私もこっそり後をつけた。

2人のささやかな声が聞こえてくる。

「…すまない。予算の関係でアルファー〇はレンタル出来なかった」

「すまないで済めば地獄はいらないんですよ。どうするんですか?」

「体に少し負荷はかかるが、テレポートさせるしか」

「そもそも、車のレンタルはまず最初にやるべきです。それからお店を決めれば予算がオーバーすることは防げたはず」

「慣れない事をしているからか、いつもの流れを失念してしまった。」

「次からは…あ、皆さん!」

アンが振り向いてしまった。

「皆さんって、私しか…あ」

私の後ろにちゃっかり皆いて、聞き耳をたてていた。立派な野次馬根性だ。

なんだか、こいつらとならやっていけそうな気がする。

「…そろそろ時間だ。全員で円陣を組め。」

「え、円陣?」

「おいで栞ちゃん」

ヤズ瑛さんが私を引き寄せた。あれよあれよという間に円陣を組むと、私の背中にシェムが触れた。

「なにこの状況」

誰も違和感を感じないの?

オドオドしているオタクと目が合ったら、会釈された。

「栞、目を潰れ、飛び出るぞ」

「ひっ」

目をつぶった途端、激しい目眩に襲われた。

そういや、目眩ってなんでいっつも右回りなんだろう。




「よし、目を開けていいぞ。」

ガヤガヤ、と街の喧騒が耳をさす。

目を開くと、新宿の飲み屋街だった。土曜日ということもあって、人でごった返している。

「おっ、新宿じゃん!オレの庭!」

ろくでなしがなにやらはしゃいでいる、それを尻目にシェムがビルを指さした。

「予約はしてある。ビルの5階だ。」

諸々の説明を受け、ビルへ入ろうとしたら私だけシェムに呼び止められた。

「いいか栞、テクニックは無理して使うな。その代わり、愛嬌を振り撒け。いるだけで場が明るくなる太陽のような人間を演じろ」

「んな無茶な…」

「そうだろうな」

「そうだろうなって」

いつの間にか両肩を掴まれ、シェムの生気を感じさせない瞳が私を捉えた。

「蝋の翼を得て調子づいた人間が、太陽に近づこうとして墜落した、そんな話がある。お前は今夜、翼を溶かす太陽となれ」

「えっ、えぇ」

「男達を破滅へ導け」

私が太陽?破滅へ導く?

動揺していると、後ろから栞ちゃーんと、バーテンから呼ばれた。

行かなければ。

振り向くと、背中に大きな手の存在を感じた。

「ギラめいてこい、栞」

「うっ、うん!」


とにかく、明るくいけばいいんだな。

エレベーター内から飛ばしていこう。

「た、楽しみですね!唐揚げとかあるかな~」

私はとりあえず隣にいたオタクに声をかけてみた。

「あっ…あっ、あ、はい」

失敗!

気まずい空気を保ったまま、動く箱は5階へと私達を連れて行った。

とりあえず率先して動く事にする。

先頭にいた港区野郎を追い越して、店に入り、レジ近くにいた店員さんを捉えた。

「すみません、今日の17時から予約してる…」

そういえば誰の名前で予約したのか聞いてない!

「お名前お願いします」

もう一か八かでいくしかない、どうせアンかシェムだ。

主に段取りを手配しているのはシェムっぽいし、ここは…

「シェムです」

「すみません、そのようなお名前の方は…」

「あれ?」

「栞チャンの名前なんじゃね」

後ろからろくでなしが言った。

「えっーと、あ、栞様ですね!お待ちしておりました。」

私かよ。よりによって。

少し気恥しさを覚えながら案内された席へ向かった。

そこは掘りごたつの個室で、私は紅一点だからという謎の理由でお誕生日席に座ることになった。

男性陣は、オタクとろくでなし、バーテンと港区野郎に分かれて向かい合わせに座っている。

「この店、モバイルオーダーじゃん」

ろくでなしがバーコードが書かれた紙を持って言った。

「私やります!」

スマホを使って音速でバーコードを読み取った、これで私もできる女。

だけど、スマホの様子がおかしい、中々サイトにアクセスできない。

「あっ、そっか、月末…」

港区野郎がぼそっと言った。

私は自分が3Gしかない事を思い出して、白目を剥きそうになった。

「…ごめんなさい、私、3Gしかなくて」

諦めてスマホをテーブルに置くと、バーテンが俺の母さんと一緒じゃん!と笑ってきた。

「あっははは…おそろ、おそろっち!」

私は無理やり口角を上げた。

シェム、ごめんなさい。もうこれ以上ギラつけない。


代わりにろくでなしが注文をしてくれた。

オレ、無制限だから大丈夫!と言った時の屈託のない笑顔が腹立つ。口角に指を入れて最大限に広げてやりたい。でも助けてもらった癖に腹立ててる器の狭い自分が1番憎い。

「お待たせしました、唐揚げです」

戸が開かれて、ホクホクの唐揚げがテーブルに降臨した。それに続いて頼んだお酒達もやって来た。

「栞ちゃん、唐揚げ来たよ」

港区野郎はエレベーターでの私の一言をちゃんと覚えている、なるほど。これがコイツのテクニック、か。

「美味しそうですね!」

「レモンレモン」

ろくでなしが唐揚げの器の隅にあったレモンを手に取り、全体に絞ろうとしたその時、

「あっ!」

すんでの所で、バーテンが唐揚げの上に大きな手を広げた。

「…俺、レモンかけない派だから、先貰っていい?」

そう言うバーテンの手のひらには、レモン汁の琵琶湖ができていた。

「あっ、ヤズ、それ俺のレモンサワーに入れて」

「了解」

バーテンは手のひらを注ぎ口のようにして、レモン汁を港区野郎のグラスに注いだ。

無論、私はドン引きしていた。

「きったねぇ…」

ろくでなしもしっかりドン引きしていた、意外と衛生観念はあるのか。育ち良いしな。

「って思うじゃん?バーテンダーだからいつでも手綺麗なんだよ」

何故か港区野郎が自慢げに言った。

「河野の言う通り!」

絶対そんな事ないし。

 

乾杯を済ませたら、頼んだ商品が続々やって来た。焼き鳥や、ポテト、枝豆。居酒屋のthe・定番メニュー。

「ヤズ瑛さん、身長どんだけあるんすか、隣に来たら圧迫感が…」

「190はあると思うよ、最近は計ってないけど」

「何したらそんなに大きくなるんすか?」

「んー…、やっぱ決め手は、酒かな」

レモン汁の琵琶湖のせいで、遅れをとってしまった私はバーテンとろくでなしの会話を大人しく聞きながら次に打つ手を考えていた。

「酒飲むと、身長伸びるの」

そんなワケがない。

私は思わず吹き出してしまった、背中の猿もきっと笑ってる。

「あ、笑った!かわいー」

バーテンは少し潤んだ瞳で私を見て言った。

少し目尻が垂れてて、まつ毛がフサフサで、人懐っこい犬みたいな。

危ない!この瞳、1秒でも見てはいけない!

高鳴りそうな心臓を意地で止めて、急いで目を逸らした。いや、止めたら死ぬけど。

「パチンコで身長が伸びればいいのに…」

「男は身長よりも、自信だよ」

港区野郎が自慢のセンター分けを撫でながら言った。

「河野、お前自分に自信あんの?」

「ないとおかしいだろ、ねー!栞ちゃん」

「え?あはは…」

こういう時なんて言えばいいんだろう?さしすせそにも答えは無かったので愛想笑いするしかない。

何かきっかけを物にして、金を作らなければ。

私はずっと遠くを見ていたオタクをターゲットにした。

「グラス空ですよ、何か飲みますか?」

オタクは一言も喋らず拳を握りしめたままだ。

だがよく見ると、手は震えを帯びており、爪が真っ白になっていた。爪は体調を移す鏡とも言う、この白さは死人同然。

「た、体調悪いんですか?」

思わず心配になり声をかけた、

「いや…こういうの、初めてなんで…」

「飲み会が、ですか?」

私が聞くと、港区野郎が答えた。

「なわけないじゃん、女の子とこういう場所に来るのが初めてなんでしょ?ね、藤原君」

「はぁ…まぁ…」

「私もあんまこういう場所慣れてないんです、仲間ですね」

そう言うと、オタクの前髪に隠された目が少しきらんと輝いた気がした。

これはもしや、ときめいている?追い打ちをかけるべきか?引くべきか?

「おっ、早速100万えーん」

港区野郎が頬杖をついて呟いた、腹立つ奴だな。

オタクがオドオド焦り始めたので、これ以上の追撃はやめた。

港区野郎にはドキドキと言うか、イライラだ。

綺麗に分けてる前髪のバランスを崩してやりたい。

「ねぇ、俺の事は下の名前で呼んでいいよ」

「ありがとうございます、河野さん」

「恥ずかしがってんの?可愛いね」

「誰か…」

思わず助けを求めてしまった。

「がっついても良い事ねぇぞ。あ、俺の事も気軽に下の名前で呼んでくれていいからね。ヤズ瑛って」

「ありがとうございます、私も全然下の名前で呼んでもらって大丈夫です」

「…ごめんね、下の名前なんだっけ」

「あまのです…。」

場が一気に気まずくなってしまった。こんな時なんて言えばいいんだろう?

さ、のさすが?いや、明らかな嫌味になってしまう…。

「栞あまのって、なんか日系アメリカ人みたいな名前でカッコイイね!」

ヤズ瑛さんのいらないフォローが場を更に気まずくさせた。

「ご注文のサラダです」

扉が開かれ、サラダが机の上に置かれたお陰で一旦場の雰囲気がリセットされた感覚があった。

この機を逃してはならない。

こういう時は、絶対に取り分けないといけないって、リエちゃんが言ってた気がする。

店員が去った後、私はトングと取り皿を握り気合を入れた。

「私、取り分けます…」

「いいよいいよ、座ってな?」

ヤズ瑛さんが、止めてきた、やめてくれ、私は取り分けないと、取り分けないといけないの。

「できます、やれますから、やらせてください」

「そこまで言うなら…」

 

「分配ミスったぐらいでそんなに落ち込むなよ!」

「ヤズ瑛さん、そんなに笑わないでくださいよ…」

そういえばリエちゃんは慣れてない事は、するもんじゃないとも言っていたな。

私が取り分けたサラダは、まるで目隠ししたまま掴み取りしたかのような悲惨な姿をしていた。

「あ、オレ少ないの貰います。サラダ苦手なんで。栞ちゃんは?」

「私も少ないのを、罰として…」

「サラダって…」

オタクが硬い口を開いた、

「サラダって…好き嫌い別れますから…、多い皿と少ない皿、両方あっていいと思いますよ…」

「ありがとうございます…!」

確かに彼の言う通りだ、私にしてはナイスなミスだったのかもしれない。これからはどんな集まりに行ってもそうしよう、ついでにお茶とかもそうしよう。

「あ、藤原さんの事は、なんてお呼びしたらいいですか?」

「そのまま…藤原で…」

「分かりました!」

「オレは?オレは?」

ろくでなしが身を乗り出して聞いてきた。

「えっーと…」

「つかさ、オレら同い年なんだから敬語やめよーぜ」

「え?同い年?」

「うん、栞チャン24ってシェ厶が言ってたよ、オレも24だもん。2回留年してるからややこしいんだよな、アハハ」

何も面白くない。

「あはは…じゃあ、海太君で」

「うん、栞チャゴホッゴホッウオェッ」

海太君は柔らかく微笑んだ後、突然えづいた。危うくときめくとこだったので危なかった。

「ど、どうしたの、大丈夫?」

「オレ、サラダ苦手だからオゥエッ!」

ついに彼は手で顔を覆ってしまった、そんなに嫌いなら無理して食べなくていいのに。

「栞チャンってさ、率直に聞くけど、どんな人がタイプなん?エオッ」

海太君が嫌そうな顔をして、サラダを食べながら言った。

「タイプとか…分からなくて」

「栞ちゃんもしかして、あんまそういう経験ない?」

ヤズ瑛さんが気を使ったように小声で言ってきた、嬉しいがあまり効果は無い。

「そんな感じ、ですね…」

「じゃあ俺のリードに任せてよ」

「黙れ河野。なのに急にこんなゲームに巻き込まれて、大変だね」

巻き込まれたというか、巻き込まれに行ったのですが。

「ははは、でも、楽しそうだったし、私も挑戦してみたいんです。」

「ゴホッ、恋って楽しいよ」

海太君の顔から、色がなくなっている。

「そうなの?」

「うん、パチンコの方が楽しいけど。ゴホッゴホッ」

「ちょ、無理して食べなくていいんじゃない?」

私は我慢できずに言った、さっきから食べる度にえづいているのがとても気になる。

「いや、食べるよ、栞チャンがせっかくよそってくれたからさ」

「え?」

ばくん!と、心臓が音を立てた。

やばい、-100万円だ。ときめくって、こういう事か。

命懸けだ。何度もときめいてしまったら、死んでしまうかもしれない。

心臓が凄く大きくなってしまったかのように感じる。

「おーい、栞ちゃん?」

ヤズ瑛さんの大きな手が私の前を行き来した。

「はっ、あ、あはは」

「あ、もしかしてときめいた?ちょろいぞ〜」

「あれ?これルールなんだっけ、俺もう忘れたわ、ヤベェ」

「ヤズ、お前負けるぞマジで」


 

意外とワイワイと飲み会は進んでいる、海太君と藤原さんも年齢が近いのか少し会話が弾んでいるようだ。

そして、ヤズ瑛さんと河野さんは何か言い争っている。私は置いてけぼりだ。

せっかく藤原さんがときめいてくれたかもしれないのに、このままじゃプラマイゼロで終わってしまう、そんなワケにはいかない。

やるぞ!と意気込んでいたら、扉が少し開かれた、そこからシェ厶が少し顔を覗かせて私を呼んだ。

「一旦来い」

久々にシェムの顔を見ると、何故か少し安心できる。私は小走りで彼の元へ急いだ。



「俺の想像を遥に下回る活躍だ。」

「ウソ、そんなにダメ?」

分かってはいたけど、いざ言われたらショックだ。

居酒屋の狭い廊下が更に狭く感じる。

「あぁ。今までのプレイヤーの中で1番酷いぞ。ただでさえマイナスからのスタートなのに…。それに、成増にはイベント事に試練があるんだ。」

「なにそれ、どうしたらいいの…あっすみません」

忙しなく行き来する店員を上手に避けながら、私はシェ厶に教えを乞う。

「ゲームを盛り上げる為に作られた新ルールだ。とにかく、無理はするな」

「わ、分かった…」

「いいか、栞。TENG○の包装を教えてやる」

シェ厶が私の両肩を掴んだ、後ろに出来たスペースを店員が通ったのでより身近にシェ厶を感じる羽目になった。

「伝家の宝刀でしょ。ドン○の店員じゃないんだから」

「まず必ず酒は頼め、度が低く甘いものだ」

そういえば、さっきから私はひよってジュースしか頼んでいない。

「それを飲んで、目をトロンと、まるで飴を溶かしたような瞳にするんだ。そしたら、男の膝に手を置いて、酔っちゃった〜と一言。」

「古い、古いよ…」

「これは合コンの伝統芸だ、効果があるから語り継がれているんだ」

「処女には難易度が高すぎるよ」

「プラマイゼロで終わってもいいのか?何も動かなければ、お前は猫背のままだ」

そうやって言われてしまったら、私は頷くしかなかった。

「嫌だ…頑張る…」

シェ厶は、よし行け!と飼い主みたいな掛け声を私にかけて、じんわり消えていった。


私は気合いを入れ直す為、深呼吸して戸を開けた。

「栞チャンおかえりー」

かなり出来上がってきた海太君が歓迎してくれたので、愛想良く返事を返して席に戻ると、また戸が開かれた。

そこにいたのはお盆に5つのグラスを乗っけた店員だった。

「…誰か頼んだ?」

河野さんが聞くと、皆首を横に振った。勿論私にも記憶が無い。

店員は5つのグラスをテーブルの真ん中で円になるようにして置き、私達一人一人に紙を渡してきた。

「俺300万って書いてるわ、皆は?」

ヤズ瑛さんが聞くと、河野さんが200万、海太君が400万、藤原さんが100万、そして私が

「-400万…?」

「これ、今の報奨金の額ってコトじゃね?栞ちゃんナイスゥー!」

「だとしたら私低すぎるよ…奨学金の額超えちゃった!」

海太君が400万、ヤズ瑛さんが300万、つまりそれは私が300万円分ときめいた、という事実の証明。

たったあれだけの時間で300万…。

目の前が真っ暗になりそうだ、たった一瞬にして私の年収に近い額が吹っ飛んでいる、100万円分ときめいてくれた藤原さんには感謝しないといけない。

だけどあの時追撃を仕掛けるべきだった…。

「5つのグラスの中には、飲むと現在の報奨金から500万円引かれてしまうハズレのお酒が、1つだけ紛れ込んでいます。」

店員の静かな声が個室に響いた。

「順番は皆さんで決めてください。ハズレを引いてしまえば、ブザーが鳴ります。では失礼いたします」

「つまり、お酒版ロシアンルーレットってコトね。オレこーゆーのスキよ」

そそくさと店員が去り、緊張感が溢れる中、海太君だけがニマニマとグラスを見つめていた。

「だ、誰が最初に行く」

そう言う河野さんのおでこには玉のような汗が滲んでいた、500万という額はあまりにもデカすぎる、もちろん私も脇から尋常じゃない汗が出ている。

皆の頭の中で数々の思惑が巡っているのだろう、誰もグラスを取ろうとしない。

「…んじゃ、オレもーらい」

海太君が勢いよくグラスの中のお酒を飲み込んだ。

皆が息を飲んでそれを見つめた、少し待ってもブザーの音とやらはしなかった。

「セーフ!ラッキー!オレ1抜け!」

「よし、ここはジャンケンで順番を決めるってのはどう?」

河野さんの提案にヤズ瑛さんが同意しようとしたが、藤原さんがそれを止めた。

「…待ってください。それでは、ジャンケンの順番で勝敗が決まってしまいます。」

「え?どういうこと?」

ヤズ瑛さんが聞くと、藤原さんはメガネをクイッと上げて答えた。

「…グラスは5つ、ハズレは1つ。最初に飲めば確率は5/1、2人目の確率は4/1、3人目は…どんどんハズレを引く確率は上がっていくんです。海太君が最初に飲んだのは彼が無鉄砲なチャレンジャーだからではありません、最初からこの仕組みを分かっていたからです…、よってジャンケンで順番を決めてしまえば、それがそのまま結果に影響します」

「ふーん、バレたか」

「藤原さん、喋る時めっちゃ喋るんだね!じゃ次俺貰うわ」

ヤズ瑛さんの長い手がグラスに伸びた、しかし、それを河野さんが食い止めた。

「待て、待て。…ここは平等に報奨金の額が高い順はどう?」

「河野、それだと…栞ちゃんが1番不利だろ」

私は一瞬で自分が500万の借金を背負う姿を想像して、吐き気に襲われた。

「…栞さん、大丈夫ですか…」

俯く私に藤原さんが声をかけてくれた。やめてくれ、優しくされたら…。

…いや、試合に負けて勝負に勝つ、と言う言葉もある。

「大丈夫です、私は、大丈夫なんで、報奨金の額が高い順にお酒飲みましょ。河野さんの言う通りそれが1番平等ですよ」

私は顔を上げて無理くり笑顔を作った。

「そっか…じゃあ、ヤズ、飲んでいいぞ」

「んー、俺あとでいいわ。河野飲めば?」

「なんか企んでんのか…」

「俺にそんな頭があるかね」

「それもそうだな…よし。皆、緊張するから後ろ向いててくれ」

私達は河野さんの言う通り、後ろを向いた。

「じゃ飲むぞ…」

少しして、ブザーの音はしなかったが勢いよく戸が開かれた。

「不正行為が確認されました。初めからやり直しです」

グラスは店員により全て回収され、新しいグラスがまた円形に置かれた。

「河野、お前何したんだよ」

「…自分のグラスに酒移し替えた」

「ワザとっすか?絶対ワザとっすね、オレせっかく1抜けしたのに…」

「マジのズルだな、コイツそういうとこあるから」

河野さんの不正行為のおかげで全ては振り出しに戻った、当の本人は肩身が狭そうにしている。

しかし、このルーレットの仕組みに気づいてしまった私達は尚更踏み出す事が出来ずにいた。

「…やっぱり、報奨金の順番でいきましょ!それが平等で揉めなくて済みますよ。」

「でもそれだと栞ちゃんが…」

私はヤズ瑛さんの目は見つめないように気をつけながら、媚びを売ることにした。

「私はいいんです、こんな事で揉める方が悲しいですよ…せっかくの楽しい場なのに」

結構健気に映ってるんじゃないのか?

ヤズ瑛さんは少し置いて、そうだね!と答えた。

「んじゃ、オレから…」

海太君はフーっと息を吐いてお酒を飲み干した、ブザーは鳴らない。次は待ってましたとばかりに河野さんが飲んだ、それでもブザーは鳴らない。

「次、ヤズだな」

「藤原さん、先飲んでいいよ」

「…何か、考えていますか…」

「ううん、俺そんな頭無いし。ただ栞ちゃんがハズレ引く確率少しでも下げたいだけ。」

ときめくなよ、私!絶対に今ヤズ瑛さんの方を見てはいけない。

藤原さんが勢い良く飲んで、グラスを置いた。…ブザーは鳴らなかった。

次で勝敗は決まってしまう、私の心臓が口元まで来ている。

「俺、飲むね。」

ヤズ瑛さんがグラスを持って飲んだ。

私はギュッと目をつぶって衝撃に備えた。

「ブザーの音は…無い、な。つまり、栞ちゃんが…」

「み、みなまで言わないでください」

私は無神経な河野さんに怒った。どうする、タダでさえ-なのに、ここから挽回なんて出来る気がしない。

目先の欲に従ってしまった何日か前の自分をシバキ回したい、そう思いながらグラスを手に取った、その時、

「ヤズ瑛さん…?!」

大きな手が私の手を包み、そのままヤズ瑛さんの口元へと運ばれて行った。

「な、何してんだよヤズ!また最初っからじゃねーか!」

「少しは栞ちゃんの負担考えろよ…俺がハズレ引くまでやめねぇから」

か、カッコイイ…。

デザイナーズヘアが凛々しいライオンのたてがみのように見えてきた…。

「素晴らしい。」

ボン!と音を立てて、シェムが現れた。横にはアンもいて、2人して拍手をしている。

「ヤズ瑛さんの栞さんを想う優しい気持ち…!我々に届きましたよ!」

「ペナルティの500万は、2人で分割だ。」

「やっ…いや、意味ないじゃん、結局250万引かれるんでしょ!?」

「あらら、まあ500万引かれるよかマシなんじゃない?」

ヤズ瑛さんが私の顔を覗き込んで言った、グッ、カッコイイ…。

「あ、ありがとうございました…」

「はは、どーいたしまして。」


試練は終わったが、まだイベントは終わっていない。ヤズ瑛さんに奪われた分を取り戻さなくてはいけないが、私は1つ気づいた事がある。

私と彼らは4vs1。

つまり、ヤズ瑛さんから奪われた金は、他の男から回収できる。

男性陣はこれが出来ないから、ある意味不利だ。

私は藤原さんに狙いを定めた、少し度が強いカルーアを一気に飲み、伝統芸「酔っちゃった〜」を繰り出そうと思ったが…。

「藤原さん、潰れてンね〜、水飲む?」

藤原さんはあろう事かさっきのお酒で潰れてしまい、海太君に介抱されていた。

「栞ちゃん」

肩を落としていると、河野さんから声をかけられた、こいつから奪うのは至難の業だ。港区で女慣れしているだろうし。

「はい?」

「ヤズはやめときな。」

「俺かよ」

隣にいたヤズ瑛さんが突っ込んだ。

「ヤズはな、バーテンだけど記憶力悪いから時々勘で酒作ってんだよ…」

「おっちょ、おまっ」

ヤズ瑛さんが分かりやすく動揺し始めた。

「俺が昔スゲェ落ち込んでた時に作ってくれた酒、美味かったからもう1回作ってくれって頼んだら覚えてねえって…」

「やめろやめろ!」

「それも結局、勘で作ったやつだったんだよね」

「栞ちゃん、マジで違うから、勘で作る時、まあ、あるけど、そん時は度低くしてるから」

「あるんかい」

なんか、一気に萎えた。




イベント終了後、また謎の円陣を組んで私達は駐車場へと戻った。

「今日のはお試しみたいなもんだ。額は一旦リセットされる。これで塩梅が分かっただろう」

「じゃ、250万もなし!?」

「あぁ」

「マジ!?良かった…」

安心したら、なんだか暑くなってきた。カーディガンのボタンを開け、肩まで落とした。その時

「おい」

シェ厶が私の肩を抑えて、耳元で囁いた。

「猿を忘れたのか」

そういえばそうだった!危ない!

「河野、その頭はどうした」

シェ厶が言うと、一気に皆の視線が河野さんに集まった、命拾いした私は急いでボタンを閉め、馬鹿げた猿を封印した。

「あれ、河野さん、なんか白いモン食いました?頭につくほど変な食い方したんすか?」

「え?…あ」

海太君が河野さんに神妙な面持ちで言った、私も気になって見てみた。

河野さんの頭に白い点々がポツポツと、顔にも。

「うわー!!!鳥のフンじゃん!汚ねぇー!」

「…」

海太君は叫んだ後手を叩いて爆笑、それにつられてヤズ瑛さんも笑っている、藤原さんも小刻みに肩を震わせていて、この場で悲しい顔をしているのは河野さんだけになった。アンもクスクスと笑っている。勿論私も大爆笑。

「ここら辺の鳥って節操ないっすからね、マジで!」

「これは恥ずいぞ河野、どうすんだよ」

「河野さん、やばい、これめっちゃ面白い!」

私が言うと、河野さんは

「栞ちゃんが笑顔なら、いいや」

と無理やりはにかんでいた、その顔が面白かったのと、緊張感が解けたこともあり、私は暫く笑い続けた。

 

ほとぼりも冷め、アンの一言で解散し、ボロ階段を昇っていると後ろから

「栞ちゃん」

と下にいた河野さんから声をかけられた。

「はい?」

「俺、週末だけここに住むから」

「え?…糞だらけになったのに?」

言われてみれば、港区男子がこんなボロ屋に住むわけが無い。

「い、いいんだよそれは。糞も滴る良い男ってね。んじゃ、またね。」

「糞も滴る良い男ってなんですか!?」

私が笑うと

「そうやって自然にしてる方が可愛いよ」

と言った、ときめきそうになったので適当に会話を終わらせて部屋へ飛び込んだ。

「危なかった…」

「全くその通りだ。絶対に脱ぐなと言ったのに。お前の頭は鳥頭だ」

振り向くと、シェムが壁に背を預けて立っていた。

「それはどっちかと言うと河野さんでしょ。でもお陰で助かったわ」

「あぁ。奴には犠牲になってもらった。」

河野さん…ごめんなさい…。

私は手を合わせながらリビングへ向かい、6畳に相応しくないホワイトボードを凝視していた。

「シェムは私に太陽になれって言ったけど、それは無理だよ。」

「なぜだ」

「太陽はお金なの。私達プレイヤーが、蝋の翼を持ったお調子者。このままじゃ金に溶かされるわ」

「上手いことを言う。だが、今回は大敗だな。」

「そうでもないでしょ」

「傍から見たら文明の利器を扱う大軍に、木の棒1本で勝負を挑んだ愚か者だ。」

「何そのわかり辛い例え…ん?」

ホワイトボードに何回も書き直した跡が見える、腕を組むシェムの手をチラッと見ると、側面が黒く汚れていた。

「どうしたの、その汚れ」

私が言うと、シェムは両手を背中の後ろに隠した。

「番組の為とはいえ、半ば強制的にお前を参加させたという負い目が俺にはある。勝ってもらわないと…困る」

「そう…」

このなんとも健気な天使と奨学金返済の為、泥を啜ってでも勝たないといけない。

「じゃあ、勝つよ。」

私が勝利を誓うと、シェ厶は目を伏せて頷いた。

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