第4話「初めての小児科」

 ミオと名付けてから、一週間が経った。

 つまり、俺――アスタロトがあの雨の夜にミオを拾ってから、約二週間が経過したことになる。


 二週間。

 たった二週間で、俺の生活は完全に変わってしまった。


 在宅ワークの合間にミルクを作り、オムツを替え、抱っこして寝かしつける。四大精霊たちとのシフト制も軌道に乗り、誰かが必ずミオのそばにいる体制が整った。異世界貿易コンサルタントの仕事は相変わらず退屈だが、ミルクの時間が近づくと仕事を中断する自分がいる。


 千年以上生きてきて、こんなに時間に追われる日々は初めてだ。


 だが、今日は――特別な日だ。


 「予防接種……」

 俺はスマートフォンの画面を見つめた。育児アプリが通知を出している。

 『生後2ヶ月になったら、予防接種を受けましょう』


 テラの見立てでは、ミオは「生後2ヶ月前後」だという。つまり、予防接種を受ける時期だ。拾った時点で、既に生後1ヶ月半くらいだったのだろう。


 「病院か……」

 俺は深いため息をついた。


 病院。

 人間社会の施設。

 元魔王の俺が、赤ん坊を連れて行く場所。


 我が魔王軍一万の配下を率いて敵国に侵攻した時でさえ、こんなに緊張したことはなかった。



 「病院!?」

 イグニスが目を丸くした。

 朝、全員が集まって相談した時のことだ。


 「ああ。予防接種が必要らしい」

 「でも、アスタロトさん」

 アクアが心配そうに言った。すでに涙目だ。

 「ミオちゃん、魔力を持ってますよね。普通の病院で大丈夫なんでしょうか……注射で何か異常が……」

 「落ち着け、アクア。まだ何も起きていない」


 その懸念は、俺も考えていた。

 ミオは全属性の魔力を持つ特別な存在だ。医療機器で検査したら、異常が見つかるかもしれない。あるいは、痛みで魔力が暴走する可能性も。


 「異種族対応の病院がいいんじゃない?」

 シルフが提案した。

 「この辺りにも、魔族や精霊向けのクリニックがあるはずだよ」


 「それだ」

 テラが頷いた。

 「駅前に『ひまわり小児科』っていう、異種族対応のクリニックがあるんだ。院長先生は妖精族で、理解がある。保育園の子供たちも通ってる」


 「じゃあ、そこに行こう」

 俺は決めた。

 「今日、予約できるか?」


 テラがスマートフォンで検索した。

 「今日の午後、空きがあるみたいだ。予約してみるよ」

 「頼む」


 「私も行く!」

 イグニスが手を挙げた。

 「私も行きます!」

 アクアも続いた。

 「僕も」

 シルフまで。


 「……全員で行くのか?」

 俺は呆れた。

 「当然でしょ!」

 イグニスが胸を張った。

 「ミオちゃんの初めての病院だよ! 家族全員で応援しなきゃ!」


 家族。

 その言葉が、もう自然に出てくる。


 「わかった。全員で行く」

 俺は観念した。


 こうして、ミオの初めての病院デビューが決まった。



 【午後一時――出発】


 駅に向かう道すがら、既にトラブルが発生していた。


 「ミオちゃん、暑くない?」

 アクアが心配そうにミオの額に手を当てる。

 「大丈夫だよ、今日は涼しいから」

 シルフが言った。

 「でも、汗かいてるかも……」

 「それより」

 イグニスが歩きながら言った。

 「ミルク、持った? オムツは? 着替えは? おしりふきは? ガーゼは? タオルは?」

 「全部持ってる」

 俺はマザーズバッグ――アクアが買ってきた、動物柄の大きなバッグ――を示した。


 我が魔王軍一万の配下を率いていた頃は、兵站管理は部下に任せていた。だが今、俺は自分でミルクとオムツを管理している。隔世の感がある。


 「アスタロト、ちゃんと母子手帳持った?」

 テラが尋ねた。

 「母子手帳……?」

 「え、持ってないの!?」

 アクアが驚愕の表情を浮かべた。

 「そんなものがあるのか?」


 全員が固まった。


 「アスタロトさん……」

 アクアが呆れた顔をしている。

 「母子手帳がないと、予防接種受けられませんよ……」

 「……マジか」


 「大丈夫」

 テラが落ち着いて言った。

 「前に話した、異種族コミュニティの互助システム。仮の証明書を発行してもらってある。これで対応できる」

 彼は書類を取り出した。


 「助かる」

 俺は安堵した。

 「でも、ちゃんとした手続きも必要だね」

 シルフが言った。

 「妖怪コンビニの咲良さんに相談しよう」


 俺は頷いた。

 咲良さんには、既に何度か相談に乗ってもらっている。異種族社会の情報網は本当に頼りになる。


 駅に着いた。

 ホームで電車を待つ。


 「ミオちゃん、初めての電車だね」

 イグニスが嬉しそうに言った。

 ミオは俺の腕の中で、きょろきょろと周りを見ている。大きな瞳が、全てを吸収しようとしているかのようだ。


 電車が来た。

 乗り込む。


 座席に座った瞬間――。


 「あら、可愛い赤ちゃん」

 向かいに座っていた老婦人が声をかけてきた。優しい笑顔だ。

 「おいくつ?」

 「……二ヶ月くらいだ」

 「まあ。パパ、イケメンね」


 俺は何と答えればいいのかわからなかった。


 「この子のママは?」

 「……いない」

 「あら、そうなの。大変ね」


 老婦人は優しく微笑んだ。

 「でも、パパ、とっても大事そうに抱いてるわね。見ていてわかるわよ。いいパパよ」


 その言葉に、胸が温かくなった。


 「……ありがとうございます」


 「お友達みたいね、その方たち」

 老婦人がイグニスたちを見た。

 「……ああ、家族だ」

 「まあ、素敵。みんなで育ててるのね」

 「そうだ」


 老婦人は目を細めた。

 「昔はね、みんなで子供を育てるのが普通だったのよ。近所のおじさんもおばさんも、みんなが見守ってくれて」

 彼女は懐かしそうに言った。

 「今はそういうの、少なくなっちゃったけど。でも、あなたたちみたいな家族がいると、嬉しくなるわ」


 その言葉が、心に染みた。


 隣に座っていたイグニスが小声で言った。

 「良かったね、アスタロト」

 「……うるさい」


 だが、悪い気はしなかった。

 むしろ、誇らしかった。



 【午後二時――ひまわり小児科】


 駅前のビルの三階。

 『ひまわり小児科』と書かれた看板が見える。


 俺はミオを抱いて、深呼吸した。

 「……行くぞ」


 五人で赤ん坊一人を連れて病院。

 異様な光景だが、今更気にしても仕方ない。


 自動ドアが開く。

 待合室には、数組の親子がいた。


 猫耳の子供を連れた狐族の母親。毛並みの良い尻尾が、椅子にふんわりと乗っている。

 角の生えた幼児を抱いた鬼族の父親。大きな体で、優しく子供を抱いている。

 翼をたたんだ華奢な天使族の子供。絵本を読んでいる。背中の白い翼が時々ぴくぴくと動く。

 尻尾が三本ある、狐族の双子。二人で仲良くおもちゃで遊んでいる。


 ああ、ここは異種族対応の病院なんだな、と実感する。

 人間の病院では、こんな光景は見られない。

 ここでは、誰もが自分の姿のままでいられる。

 それが、どれだけ安心できることか。


 受付には、若い妖精族の女性がいた。繊細な翼が背中で輝いている。

 「いらっしゃいませ。ご予約のお名前は?」

 「アスタロトだ」

 「はい、お待ちしておりました。こちらに問診票を――」


 彼女が俺を見て、固まった。

 「……あ、あの、もしかして……」

 「何だ」

 「アスタロト様……元魔王の……?」


 待合室の全員が、一斉に俺を見た。


 気まずい沈黙。


 狐族の母親が、子供を抱いて少し離れた。

 鬼族の父親が、警戒した目で俺を見ている。

 天使族の子供が、怯えた顔をしている。


 「あ、あの!」

 イグニスが慌てて言った。

 「今は普通の市民です! 育児してます! ほら、赤ちゃん!」

 彼女はミオを指差した。


 ミオは、みんなに向かって「あー」と声を出した。

 そして――笑った。


 待合室の空気が、少しだけ和らいだ。


 「あら……可愛い」

 狐族の母親が、警戒を解いた。

 「元魔王様が、育児……」

 鬼族の父親が呆れた顔をしている。


 受付の女性が、恐る恐る言った。

 「あの、本当に……育児を……?」

 「ああ」

 俺は短く答えた。

 「そ、そうですか……」


 彼女は困惑した顔で問診票を渡してきた。


 俺は無言で記入を始めた。


 患者名:ミオ

 性別:女

 生年月日:不明(推定生後2ヶ月)

 保護者:アスタロト


 保護者との続柄:……


 「父親でいいんじゃない?」

 シルフが覗き込んで言った。

 「実際、そうみたいなものでしょ」


 俺は少し迷った。


 父親。

 血の繋がりはない。

 だが――。


 「……そうだな」

 俺は「保護者(父)」と書いた。


 父親。

 その言葉が、妙に胸に響く。


 「あの」

 狐族の母親が声をかけてきた。少し勇気を出したような表情だ。

 「お子さん、とっても可愛いですね」

 「……ありがとう」

 「何ヶ月ですか?」

 「二ヶ月くらいだ」

 「まあ。うちの子と同じくらい」


 彼女は猫耳の子供を見せてくれた。

 「タマって言うんです」

 「……ミオだ」


 タマとミオが、お互いを見つめている。

 そして――タマが、ミオに手を伸ばした。


 「あ、タマ、ダメよ」

 「……構わない」


 俺はミオを近づけた。

 タマの華奢な手が、ミオの頬に触れた。

 ミオがきゃっと笑う。

 タマも笑う。


 「可愛い……」

 アクアが涙目で見ている。

 「初めてのお友達だね」

 イグニスが嬉しそうだ。


 狐族の母親が、俺を見た。

 「あの……正直に言うと、最初は怖かったんです」

 「……そうか」

 「でも」

 彼女は微笑んだ。

 「こんなに優しく赤ちゃんを抱いて、こんなに大切そうに見つめて。私、元魔王様って怖いと思ってました。でも……とっても素敵なお父さんですね」


 その言葉に、俺は何も言えなかった。


 「元魔王が変わった」

 鬼族の父親が呟いた。

 「いや、もしかしたら、最初からこういう人だったのかもな」



 「アスタロト様、ミオちゃん、どうぞ」

 看護師に呼ばれて、診察室へ向かう。


 全員がついてこようとする。

 「待て。全員は入れないだろう」

 「じゃあ、私が!」

 イグニスが手を挙げた。

 「いや、私が適任では」

 アクアも続く。

 「落ち着いて。僕が――」

 シルフも。

 「いや、経験から言って俺が――」

 テラまで。


 四人が睨み合っている。


 「…… 全員来い」

 俺は諦めた。

 「本当に!?」

 「ただし、静かにしろ」


 看護師が困惑した顔をしている。

 「あの、通常は保護者の方お一人なんですが……」

 「……すまない」


 だが、その時、診察室から声がした。

 「いいですよ、どうぞ」


 柔らかな声。


 看護師が驚いた顔をした。

 「院長先生……」

 「異種族対応病院ですから。ご家族みんなで支えるのは、素晴らしいことです。どうぞ、お入りください」


 こうして、五人と一人の赤ん坊が、診察室に入ることになった。



 診察室には、優しそうな初老の女性がいた。

 妖精族特有の、透き通るような翼が背中に見える。銀色の髪を後ろで結び、穏やかな笑顔を浮かべている。


 「こんにちは。院長の花園です」

 彼女は俺たちを見て、少し驚いた顔をした。

 「……あら、随分と大人数ですね」

 「……すまない」

 「いえいえ、いいんですよ。家族みんなで赤ちゃんを見守るのは、素敵なことです」


 花園医師はミオを見つめた。

 「初めての予防接種ですね。お父さん、緊張してます?」


 「……ああ」

 「大丈夫ですよ。赤ちゃんは泣きますけど、すぐ終わりますから」


 彼女はミオを診察台に寝かせた。

 ミオは不思議そうに周りを見ている。きょろきょろと、好奇心いっぱいの目で。


 「まず、健康チェックをしますね」


 聴診器を当てる。

 「心音、問題なし。呼吸も正常」


 体温を測る。

 「36.8度。平熱ですね」


 体重を測る。

 「5.2キロ。順調に育ってますよ」


 身長も測る。

 「58センチ。標準的です」


 花園医師がミオの体を優しく触診する。

 「筋肉の張りも良好。栄養状態も問題ありません」


 彼女は俺を見た。

 「とても良く育ててますね、お父さん」

 「……一人じゃない。みんなで育てている」


 イグニスたちが嬉しそうに頷いた。


 そして――。


 花園医師の手が、ミオの額に触れた瞬間。

 彼女の目が見開いた。


 「これは……」

 「何か問題が?」

 「いえ……ただ、この子、とても強い魔力を持ってますね」


 俺は覚悟を決めた。

 「……気づいたか」

 「ええ。全属性……それも、とても珍しい調和を保っている」


 花園医師は俺を見た。

 「アスタロト様。この子は、あなたの実子ではないですね」

 「……ああ。二週間前、雨の夜に、家の前で拾った」

 「そうですか」


 彼女は優しく微笑んだ。

 「大丈夫です。ここは異種族対応の病院。どんな子でも診ます。守秘義務もあります。それに――」

 彼女はミオを見つめた。

 「この子の魔力は、攻撃的ではない。とても温かい。人を繋ぐような、優しい力です」


 「……そうか」

 「ええ。もしかしたら――」

 花園医師は少し考えた。

 「伝説にある『世界の調停者』かもしれませんね」


 「やはり」

 テラが呟いた。

 「俺もそう思っていた」


 「世界の調停者……」

 花園医師は遠い目をした。

 「千年前の大戦争を終わらせたと言われる、全属性を持つ子供。まさか、また現れるとは」


 「この子は、危険なのか」

 俺は尋ねた。

 「いいえ」

 花園医師は首を振った。

 「むしろ、守られるべき存在です。その力を狙う者もいるでしょうから」


 「……俺たちが守る」

 「ええ。そうしてください」


 花園医師はミオに微笑みかけた。

 ミオも、笑顔を返した。


 「それでは、予防接種を始めますね」



 注射器が準備される。

 俺は緊張した。


 ミオが痛がる。

 それが――耐えられるだろうか。


 「お父さん、ミオちゃんをしっかり抱いててください」

 「……ああ」


 俺はミオを抱きしめた。

 華奢な体が、俺の腕の中で温かい。


 「じゃあ、いきますよ」

 花園医師が注射針を近づけた。


 プスッ。


 「――ぎゃああああああ!!!」


 ミオが泣き叫んだ。

 その瞬間――。


 バリバリバリッ!


 診察室の照明が激しく明滅した。

 窓ガラスがビリビリと振動する。

 床が揺れた。

 診察台の金属部分が、青白い光を放ち始めた。

 壁の時計が、逆回転を始めた。

 医療機器のアラームが鳴り響く。

 デスクの上のコップの水が、波打っている。


 空気中に火花が散る。イグニスの属性に反応している。

 水道の蛇口から水が吹き出す。アクアの属性だ。

 窓の外で風が渦を巻く。シルフの属性。

 診察台の下から土埃が舞い上がる。テラの属性。

 そして――部屋全体が暗い影に包まれる。闇の属性。


 五つの属性が、同時に暴走している。


 「な、何だ!?」

 俺は驚いた。

 「落ち着いて!」

 花園医師が叫んだ。

 「この子の魔力が暴走してるんです! お父さん、落ち着かせて!」


 俺は慌ててミオを抱きしめた。

 「大丈夫だ、ミオ。もう終わった。痛いのは終わったぞ」


 だが、ミオは泣き続ける。

 照明の明滅も止まらない。

 壁に貼ってあったポスターが、風もないのにバタバタと揺れる。


 どうする。

 どうすれば――。


 その時、イグニスたちが動いた。


 「ミオちゃん!」


 シルフが即座に風を起こした。

 優しい風が、ミオを包む。


 さらさら、と木の葉の音。

 ちろちろ、と川の音。

 ぴいぴいと、鳥のさえずり。


 風の子守唄だ。


 ミオの泣き声が少し弱くなった。

 だが、まだ泣いている。


 「よしよし……」

 アクアがミオの頭を撫でた。

 「痛かったね。でも、もう大丈夫だよ。お姉ちゃんたちがいるから」


 イグニスが絆創膏を取り出した。

 「見てて! 私、可愛い絆創膏持ってきた!」

 彼女はミオの腕に、可愛い動物柄の絆創膏を貼った。

 「ほら、可愛いでしょ? ウサギさんだよ」


 テラが穏やかに言った。

 「よく頑張ったね、ミオちゃん。とっても勇敢だったよ」


 ミオは、五人の顔を順番に見て――。

 泣き声が弱くなった。

 そして――。


 笑った。


 涙を流しながら、笑った。


 照明の明滅が止まった。

 床の揺れも収まった。

 時計も正常に戻った。


 花園医師が安堵の息を吐いた。

 「良かった……」

 「……すまない。迷惑をかけた」

 「いいえ」

 彼女は微笑んだ。

 「素晴らしいご家族ですね」



 診察室を出る時、花園医師が言った。

 「珍しいご家族ですね」

 「……そうか?」

 「ええ。元魔王と四大精霊が、一緒に子育てをしているなんて」


 俺は驚いた。

 「……四大精霊だと、どうしてわかる?」

 「妖精族ですから。精霊の気配はわかります」


 花園医師は五人を見た。

 「火の精霊イグニス。水の精霊アクア。風の精霊シルフ。土の精霊テラ。そして元魔王アスタロト」

 彼女は微笑んだ。

 「千年前、互いに戦った者たちが、今は一緒に子育て。世界は変わりましたね」


 「……ああ」

 「でも、とても温かい」


 彼女はミオを見つめた。

 「この子は幸せですよ。こんなに大勢に愛されて」


 俺は何も言えなかった。


 「私、長く生きてきましたが」

 花園医師が続けた。

 「こんなに素敵な家族は、初めて見ましたよ。血の繋がりも、種族も、何もかも違う。でも、この子を愛する気持ちは本物」

 彼女の目が優しく細められた。

 「きっと、この子は素敵な大人になります。こんなに愛されて育つんですから」


 その言葉が、俺の心に深く響いた。


 「次回は一ヶ月後です。また予約してくださいね」

 「……ああ」


 「それから」

 花園医師が付け加えた。

 「ミオちゃんの魔力暴走、心配なら対策を教えますよ。感情が高ぶった時に起きるので、落ち着かせる訓練が必要です」

 「頼む」


 こうして、初めての予防接種が終わった。



 【帰り道――公園で】


 病院を出て、五人でミオを囲んで歩く。


 「疲れた……」

 イグニスがぐったりしている。

 「私も……」

 アクアも。


 「でも、無事に終わった」

 シルフが笑った。


 「ミオちゃん、よく頑張ったね」

 テラがミオの頭を撫でた。


 ミオは、絆創膏を貼った腕を見つめている。

 そして、俺を見上げて笑った。


 「……よくやった」

 俺は静かに言った。


 「ねえ、アスタロト」

 イグニスが言った。

 「ミオちゃん、頑張ったから、何かご褒美あげない?」

 「ご褒美?」

 「うん。まだミルクしか飲めないけど……何か記念になるものとか」


 「そうだね」

 アクアが賛成した。

 「初めての病院、記念すべき日だもの」


 俺は考えた。

 「……じゃあ、写真を撮るか」

 「写真!」

 イグニスが目を輝かせた。

 「いいね! 家族写真!」


 近くの公園に入った。

 緑が豊かで、ベンチもある。噴水が中央にあり、周りには色とりどりの花が咲いている。


 「誰かに撮ってもらおうか」

 テラが周りを見渡した。


 ちょうど散歩していた老夫婦がいた。

 「すみません、写真を撮っていただけませんか?」

 「ああ、いいですよ」


 老婦人が微笑んだ。

 「まあ、可愛い赤ちゃん。みなさん、仲良しなんですね」

 「……ああ、家族だ」

 俺は答えた。


 五人とミオが集まる。


 「みんな真ん中に!」

 イグニスが仕切っている。

 「あ、でもミオちゃんが一番前で……」

 アクアが心配そうに。

 「自然に笑って」

 シルフが軽く言った。

 「これが俺たちの家族だ」

 テラが穏やかに言った。


 俺はミオを抱いて、真ん中に立った。

 イグニスが右側、アクアが左側。

 シルフとテラが後ろから覗き込むように。


 みんながミオを見つめている。

 ミオもみんなを見上げている。

 そして――笑った。


 「はい、撮りますよ」

 老夫婦がスマートフォンを構えた。

 「一、二、三――」


 カシャッ。


 撮れた写真を見る。


 元魔王と四大精霊と、一人の赤ん坊。

 奇妙な家族だが――みんな、笑っていた。


 「いい写真だね」

 シルフが笑った。

 「みんな、いい顔してる」


 本当に、みんな笑っていた。

 ミオも、俺も、四人も。


 俺は千年以上生きてきて、こんなに幸せそうな自分の顔を見たことがなかった。

 写真の中の俺は――本当に、父親の顔をしていた。


 「これ、飾ろうよ」

 アクアが言った。

 「リビングに」

 「そうだな」


 俺は写真を見つめた。

 これが、俺たちの家族だ。


 「ありがとうございました」

 老夫婦に礼を言うと、彼らは微笑んで言った。

 「素敵なご家族ですね」



 【夜――リビング】


 全員が帰った後、俺は一人、ミオを抱いていた。


 「ミオ」

 名前を呼ぶ。


 ミオは腕の絆創膏を見つめている。

 頑張った証だ。


 「今日は、よく頑張ったな」

 俺は静かに言った。

 「痛かっただろう。怖かっただろう」


 ミオは俺を見上げた。


 「でも、お前は泣き止んだ。俺たちがいたから」


 そう言って、俺は気づいた。


 ミオは、俺たちを信頼している。

 俺たちがいれば、大丈夫だと思っている。


 その信頼に、応えなければならない。


 「これから、何度も痛いことがあるだろう」

 俺は続けた。

 「注射も、怪我も、病気も。お前はまだ小さいから、わからないことばかりだ」


 ミオは黙って聞いている。まるで俺の言葉を理解しているかのように、じっと見つめている。


 「でも、俺たちがいる。お前を守る。どんな時も」


 俺はふと思い出す。

 今日、病院でのこと。

 ミオが泣いた時、五人全員が即座に動いた。

 シルフの風の子守唄。

 アクアの優しい言葉。

 イグニスの可愛い絆創膏。

 テラの穏やかな励まし。

 そして俺の抱擁。


 五人がいれば、ミオは大丈夫だ。

 どんな痛みも、どんな怖さも、乗り越えられる。


 ミオが――笑った。

 まるで、俺の言葉を理解したかのように。


 「よろしく頼む、ミオ」

 俺は静かに呟いた。


 窓の外では、月が優しく照らしている。

 今日も、一日が終わる。


 初めての病院。

 初めての注射。

 初めての魔力暴走。

 初めての家族写真。


 全てが初めてだった。

 だが――乗り越えた。


 一人じゃない。

 家族がいる。


 その事実が、俺を支えてくれる。


 リビングの壁には、今日撮った写真が飾られている。

 元魔王と四大精霊と、一人の赤ん坊。

 不思議な家族の、最初の記念写真。


 写真の中のミオは、本当に幸せそうに笑っている。

 五人に囲まれて、守られて、愛されて。

 その笑顔を見ていると、俺も自然と笑顔になる。


 これから何枚も写真が増えていくだろう。

 ミオの成長と共に。

 俺たちの家族の歴史と共に。


 初めての寝返り。

 初めてのハイハイ。

 初めての一歩。

 初めての言葉。


 全てが、これから始まる。

 そして俺たちは、その全てを見守るだろう。

 五人で、一緒に。


 ミオは俺の腕の中で、安らかに眠っている。

 今日は疲れただろう。

 初めての病院、初めての注射、初めての魔力暴走。

 でも、乗り越えた。

 俺たちと一緒に。


 これからも、そうだ。

 どんな困難も、五人で乗り越える。

 それが、俺たちの家族だ。

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