第25話 誰があんたたちなんかに……!

「うぅ、まだフラフラする……」


 翌日の昼。市場へ向かう石畳の道を、僕はふらつきながら歩いていた。

 体の奥にまだ力が戻らず、足は鉛みたいに重い。


「ごめん……」


 隣を歩くエクレールが、小さな声で謝る。

 スミレ色の猫耳も、元気なくしおれていた。


 あの後、気絶してしまった僕をエクレールはなおも搾り取ろうとしたらしいが、ミルフィさんが止めてくれて、どうにか命だけは助かった。


(ホントに死ぬかと思った……)


 回数だけならミルフィさんと初めてのときのほうが多かった。

 でも、あんな休みなしで一気に攻められたことなんてなかった。そりゃ気を失うのも当然だ。


「ホント、ごめん……アタシ、どうかしてた……」


 猫尻尾をしょんぼり垂らしながら、力なく歩くエクレール。

 普段の強気な姿はどこにもない。

 なんだか、かわいそうになってきた。


「えっと……そんなに落ち込まないで。僕は気にしてないから」

「え……」

「君のほうがつらいはずだよ。自分の意思じゃないのに、あんなことをしてしまって……。でも、それは呪いのせいで、君が悪いんじゃないから」

「あ……」


 エクレールは驚いたように僕を見上げ、すぐに視線をそらす。

 頬がほんのり赤くなった気がした。


「あ……ありがと、エロザル……」

「お礼を言うなら、エロザルはやめてくれないかな?」


 微妙な気分になってしまった……。


 やがて僕たちは、市場入り口の前にやってきた。

 目的はもちろん買い物だ。

 この前は男の匂いで発情することを恐れて近づけなかったけど、今度は再チャレンジというところ。


「買い物くらい、僕が代わりに行くのに」

「そういうわけにはいかないわよ。いつまでも人に頼ってられないし」


 最初は一人で行くと行って聞かなかったエクレールだが、さすがにそれは危ない。どうにか僕が付き添うことで決着した。


 僕の体調を心配して、ミルフィさんが代わりに付き添おうかと言ってくれたけど、タイミング悪く、街の近くの森からケルベロスの大群が出現したとかで、ギルドから呼び出されてしまった。


 「ごめん! ササッと片付けて戻るから!」と言い残して行ってしまったけど、そんな簡単に片付くものなのか……?


「う……」


 市場から流れてくる人の匂いに、エクレールが少し顔をしかめる。


「大丈夫?」

「うん……前よりはひどくない」


 昨日の効果があったのか、発情しづらくなっているみたいだ。


「どうしてもダメそうだったら言ってね。僕がかわりに行くから」

「う、うん……ありがと」


 市場に足を踏み入れようとしたそのとき、背後から声がした。


「おい、こいつじゃないか?」

「青黒い髪の、猫の獣人……間違いないですね」


 振り向くと、二人の男が立っていた。

 一人は眼鏡をかけた細身の男。

 もう一人は大柄で、にやけた笑みを浮かべている。


 細身の男が一歩前に出て、芝居じみた口調で言った。


「失礼。エクレールさんですよね?」


 エクレールは、耳をぴんと立てて、あからさまに警戒心をにじませる。


「……なに、あんたたち?」


 隣の大男が下卑た笑い声をあげた。


「ひょえ〜っ! めちゃくちゃ可愛いじゃねェか、この女。アタリだな、おい!」


 大声で下品に笑いながら、大男が肘で隣の細身の男を小突く。


 ……なんだ、この人たち?


 細身の男は軽く咳払いをし、わざとらしく丁寧に頭を下げた。


「自己紹介が遅れました。私はヨハン。教会で下働きをしている者です。覚えておられないかもしれませんが、先日、エクレールさんが教会にいらしたときに、お目にかかりました」


 教会……ということは、彼女が呪いを解く方法を相談しに行ったときのことだろう。


「本当? エクレール」

「あんまり覚えてないけど……たしか、ミル姉と一緒に行ったときに、お茶を出してくれた人……だと思う」

「おお、覚えていただけて光栄です!」


 ヨハンとかいう男は、大げさに両手を広げて喜んでみせる。


「あの折、あなたが例の呪いにかかっていると聞きましてね。差し出がましいとは思いましたが、ぜひ解呪のお手伝いをしたいと考えて、こうして探していたのです」

「解呪を手伝う? あなたが?」

「ええ。まあ、正確にはこちらの彼――私の友人のゲオルグが、ですが」


 ヨハンが横に立つ男を手で示す。

 呼ばれたゲオルグは、ニヤリと口角をゆがめた。


「俺も解呪スキルを持っててな。困ってんだろ、嬢ちゃん? 俺が助けてやるよ、へっへっ」


 下卑た笑い声がいかにもチンピラっぽい。

 ヨハンも愛想笑いを浮かべているが、その目はちっとも笑っていない。

 ……嫌な感じだ。この二人。


「せっかくですけど、彼女は僕が解呪しているところなんです。協力は必要ありません」


 エクレールさんの前に立ってそう告げる。

 するとヨハンは眼鏡を指先で押し上げながら、小さくほくそ笑んだ。


「なるほど。いい思いをするのは自分だけにしたい――そういうことですか?」

「……どういう意味ですか?」

「どういう意味か? フフフ、それをこの場で言ってしまってもいいのですか?」


 ぞくり、と背筋が粟立つ。

 解呪の方法は誰にも話していない。

 それなのに――。


「君のことは知っていますよ、テオ君。狐耳族のミルフィさんの家にも入り浸っていましたよね?」

「……!」

「彼女も発情の呪いを受けて、しばらくギルドに顔を出していませんでした。ところが、君が家に出入りするようになってから、すぐに復帰した。

 そして今度は、同じ呪いを受けたエクレールさんが、君と一緒に行動している。これは一体どういうことでしょうね?」

「ただの解呪なら、寝泊まりする必要はねェよなァ? くくっ……家の中で二人きりで、何してんだァ?」

「ぐっ……!」


 どうやら、直接聞いたわけではなく、尾行していたらしい。

 

(なんて下衆な真似を――)


 けど、悔しいことに核心は突かれていた。


「そういう解呪なら、こんな木の枝みてぇなガキより、俺のほうが満足させてやれるぜ。へっへっ」


 ゲオルグがいやらしく笑いながら、腕を伸ばしてエクレールの細い手首を乱暴につかんだ。


「ふざけないでよ! 放して!」

「おっと、暴れんなって」


 彼女が必死に抵抗しても、男の腕はびくともしない。


 頭がカッと熱くなった。

 何が協力だ、何が解呪だ。

 最初から――彼女の体が目当てじゃないか。


「放せ! 彼女に触るな!」


 僕はとっさに男の腕をつかみ、全力で引き剥がそうとした。

 しかし、その瞬間――。


「すっこんでろ、クソガキがぁっ!」


 怒号とともに拳が飛んできた。

 頬に重い衝撃が走り、視界がぐらりと傾く。


「ぐっ……!」


 地面に叩きつけられ、石畳の冷たさが背中に伝わる。


「テオ!」


 エクレールが叫んだ。

 だが、次の瞬間、首をつかまれて宙に持ち上げられる。


「くはっ……!」

「エ、エクレール!」

「手荒な真似はしたくないんですよ。ですから、大人しく言うことを聞いてもらえますか?」


 ヨハンの声は穏やかで、まるで人を諭すようだった。

 だからこそ、ぞっとするほど冷たく感じられた。


「こ、このっ……! とっくに手荒じゃないっ!」


 エクレールは爪を立てて反撃しようとする。

 けれど、そこで体がびくんと震えた。


「うっ……?」


 腕の力が抜け、爪先がふらりと落ちる。

 荒い息が漏れ、頬がみるみるうちに赤く染まっていった。


「おーおー、なんだぁ? こいつ、急にエロい顔になってきやがったぜ?」

「発情ですね。私たちの匂いにあてられたのでしょう」


 ヨハンが、まるで観察でもしているかのように淡々とつぶやく。


「くっくっ……そうかそうかぁ。カラダが強いオスの匂いを嗅ぎ分けたってわけだ」

「だ、誰がっ……! あんたたちなんかに……!」


 息を荒げながらも、エクレールは必死に言葉を絞り出した。

 だが、その瞳からは力が抜け、足も腕も思うように動かない。

 体は熱に支配され、ただ苦しそうに身をよじるばかりだった。


(このままじゃ……!)


 僕は歯を食いしばった。頭の中が真っ白になる。

 どうすればいい? どうしたら――彼女を助けられる?












――――――――――――――




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