第9話 敵と味方

 ◆


「最後、店主になんて言ったのでしょうか?」


 リリアナが訊ねると、ダウリは答えた。


「このナイフはとっても良い物に見えるでしょ。でもそれが二シルバーなんて安さ、有り得ない。どうして安いのかって、それは効果を発揮するのに時間がかかるからだね。魔力の性質を吸収して、その力を発揮するまでに何年かかることやら。その間に、ナイフを失くしてしまうかもしれないし、ずっと魔力を込め続けなきゃいけないなんて、どう考えても高い値段はつけられない」


「そういうことですのね。勉強になりますわ」


 魔道具に求められるのは即効性である。魔術の隙間を埋めるための、補助器具であり、使い捨てになることも多い。

 ダウリが買ったルナのナイフは、今は何の変哲もない物である。このナイフが魔法のナイフとなるまでに、何年かかるかわからないが、ナイフとしては使える。


「私のお金、受け取ってください。全然足りませんけど……」


「ルナぁ? それは野暮ってものでしょ。じゃあ、あれ買ってよ。全員分ね」


 ダウリがルナの金を受け取ろうとせず、通りの向こうの露店を指差した。そこでは肉の串焼きが焼かれており、離れているのに良い匂いがここまで漂ってくる。

 ルナは肩を落とし、諦めて通りの向こうに向かう。背後でオルシアたちがクスクスと笑うの聞いた。


「ルナってなんだか不思議だね。年齢の割には大人びてるし、それなりの教育も受けてのに、子どもみたいに何も知らないというか。オルシアは何か知ってる?」


「ルナちゃんは……、昔の話はあまりしないことにしてるみたいで……」


「そっか。いつか、話してくれるでしょ」


 ダウリが言うと、リリアナが扇子で口を隠して微笑んだ。


「生まれ持った気品は隠すことはできませんわ。無知なところがあるのは、箱入り娘だったのでしょう」


 イルヴァが鼻で笑う。


「あなたの口から箱入り娘・・・・とはね」


「まぁ、イルヴァさん。わたくしのこともそうだとおっしゃりたいのですか? わたくしは寮に入るまでは、屋敷で厳しい作法を叩きこまれ、魔術を教え込まれましたわ」


「それを箱入りって言うんじゃない……」


 イルヴァが言うと、ダウリが噴き出した。ダウリが笑うので、リリアナは反論する気も起きず、肩を竦めた。

 オルシアもその話を楽しく聞いていたが、人混みの中に知った顔を見つけ、リリアナの手を取った。


「オルシア?」


「リリアナちゃん、あれ……」


 オルシアが目線を向けた先をリリアナも見た。そこにはロバルトが立っていた。


 ◆


 指輪を手に入れ、それを指にめたときから、全能感がロバルトの中に溢れ、気分が高揚する。

 全身を巡る魔力が、能力を向上させるのがわかる。それは魔術的能力だけじゃなく、肉体的にも力強くなっている。足取りが軽くなり、全身に雷が満ちたようになっていた。


(この力を試したい。今すぐに……)


 メインスと訪れた店を出て、路地を抜ける。彼には公開試験まで力は隠して置けと言われた。隠し、力の使い方を学べばと言われた。

 そんなつもりはない。


(魔導師どもに力を見せつけてやる)


 そう思うと、激しい頭痛に襲われる。壁に手を付き、今度はよろめく足取りで、道を行く。痛みによって全能感が怒りに変わり、歯を食いしばる。

 表通りに出たとき、楽し気に話すオルシアとリリアナを見て、感情が爆発した。


(殺す……。全て、ぶち壊す……)


 頭痛が激しくなり、自分が何をしているのかもわからなくなった。指輪が熱くなり、黒い光が瞳の中に溢れる。


「死ね」


 もっとも純粋で、凶悪な呪文。

 死の呪文。

 非効率的で、時代遅れの魔術。だが、ロバルトはそれが今の自分に相応しく感じた。

 ロバルトは全身が焼け、砕けるのを感じた。だが、指輪がそれを許さない。再び、ロバルトは形を取り戻すと、目を開ける。

 頭の痛みが取れ、意識がハッキリとする。そして、自分がしたことに驚愕し、歓喜し、恐怖した。


 ◆


「誰? 知り合い?」


 ダウリが訊ねると、オルシアが答える。


「三学位のロバルトです……。でも……」


 二人が見つめる先に、少年が立っていた。人混みの中、なぜかその少年の姿だけ、やけにハッキリと視認できる。その手に短杖が握られているのが見えた。

 背筋に寒いものが走り、ダウリは叫んだ。


「二人とも下がって!」


 ダウリがマントをヒルガエし、腕に巻いて掲げた。そこに強烈な稲妻が飛び込んでくる。稲妻がマントのその特殊な布に弾かれれ、後ろの建物の壁を破壊する。

 周囲は騒然となり、街行く人は逃げ惑う。


「いきなり攻撃とはね。捕まえて、何のつもりか問い質す!」


 ダウリの服から枝分かれした布が、マントの形となって、彼女を守るように周りに浮かぶ。

 複数の雷撃がマントに当たり、周囲を焼け焦がす。一枚のマントが限界に達し、燃え尽きて地面に落ちた。


「なんて攻撃力。でも……」


 ダウリの複数のマントが、ロバルトを背後から急襲し、その体を包む。

 包んでしまえば終わりだ。身動きを取れなくさせ、気絶させることも窒息させることできる。

 ダウリは眩しさに目を薄める。ロバルトが巨大な雷球と化し、イカズチをばら撒いた。遠巻きに見ていた野次馬たちにそれが向かう。ダウリのマントが広がって、それをばら撒かれた雷を受け止めると、野次馬たちはようやく状況を理解して逃げ始めた。


「……っつ。見境なしかよ!」


 ダウリが舌打ちする。

 そのとき、時間が緩やかに流れた気がした。雷球の中から現れたロバルトが、杖をこちらに向けているのが見える。その指にある指輪に填められた、黒い宝石が見えた。

 ダウリは咄嗟に、オルシアとリリアナを庇うように前に出た。


「オレの邪魔するなら……、死ね!」


 ロバルトが口にした呪文が、ダウリの耳に届く。彼女は全身の力が抜けるのを感じ、膝をついた。


「ダウリさん!」


 オルシアとリリアナの声が聞こえた。


 ◆


 ルナが串焼きを買っているとき、背後で悲鳴が上がった。

オルシアたちがいる方向から、逃げる人がおり、何が起こったのかと振り返る人もいる。

ルナの位置からは何が起こったのか見えなかった。だが、閃光が走り、近くの屋根が弾け飛ぶのが見える。何か良くないことが起こったことだけは確かだ。


「どいて!」


 人混みを掻き分け、皆の元に戻ろうとする。さらに凄まじい光が爆発し、ルナは反射的に防御魔術を展開して身を守った。逃げ惑っていた人々が、電撃に打たれ一斉に倒れる。ルナの周りにいた人だけは、防御魔術によって倒れずに済んだ。


「みんな、逃げて! 早く!」


 ルナの叫びを聞いて、呆然としていた人々も逃げ出す。

 人々が倒れたことで、視界が晴れ、ダウリたちの姿が見えるようになる。

 ロバルトが何かを叫び、ダウリが膝をついた。リリアナがダウリを支え、オルシアが前に出てロバルトと向き合う。

 ルナの嫌な予感はこれだと理解する。

 ロバルトの魔力は尋常ではない。戦ってはいけない。


「ダメ!」


 ルナは叫ぶが、オルシアには聞こえていない。オルシアの杖が風を巻き起こし、刃と化してロバルトを攻撃しようとした。その風はロバルトがカザした手によって弾かれ、後ろの建物を破壊する。


「ラディクス・スクトゥム!」


 ルナが呪文を唱えると、木の根が地面を走り、ロバルトを取り巻いて、その身体を包み込む。


「なんだ⁉」


 ロバルトは雷で全身を包み込み、その木の根を焼き尽くそうとするが、次から次と生えてくる根は、完全にロバルトを包み込んでしまった。

 ルナは駆け出し、ダウリを支えるリリアナに問う。イルヴァの姿を探すが、見当たらなかった。


「何があったの?」


「わかりませんわ……。ロバルトが突然、攻撃をしてきて、ダウリさんがわたくしたちを守るために魔術を……」


 ルナは話を聞きながら、倒れたダウリの額に手を置いた。彼女は目を見開いてはいるが、何も見えておらず、意識はない。体は小刻みに痙攣しているが、力を失っている。

 全身に魔力を広げ、その原因を探ろうとした。しかし、傷はない。血を失ってもいない。


(なんなの? 生命力だけが失われてる…)


 穴の開いたボトルから水が零れ落ちるように、ダウリの体は冷たくなっていく。普通ならば傷口から漏れ出す血液がその代わりだが、今のダウリの体からは、力が散乱し、抜けていくようになっていた。

 とにかく、この漏出を止めなければ、ダウリは死んでしまう。ルナは自分の魔力をダウリの生命力に転化させ、時間を稼ぐ。焼石に水でしかない。

 雷鳴が轟き、近くに落雷が落ちた。オルシアの防御がなければ、ルナたちも感電していただろう。ロバルトがルナの拘束を突破したのだ。


「はははは。居たか、ヴェルデ! まとめて殺してやるぞ‼」


 ロバルトの紫の瞳は血走り、その表情は正気とは思えない。


「打ち震えよ、空気。万象を砕け」


 ロバルトが魔術を杖に集中する。その力にルナは戦慄する。


「そんな……。あんな力……」


 魔力は溜め込むことはできない。作り出せば、消費しなければ、肉体が持たない。特に雷の魔術のように破壊力のある術は、常に放出しなければ全身が崩壊する。

 あり得ない魔力量に、ロバルトの肉体が発光する。ルナは何もできず、呆然とその力が放たれるのを見ているしかなかった。

 閃光に包まれ、何も見えなくなる。自分ひとりならばともかく、放たれたイカヅチから四人の仲間を守る術をルナは持たない。その一瞬の判断の遅れが、ルナを硬直させ、何もできなかった。ただ、ダウリを庇って身を伏せた。

 爆音に包まれる。しかし、衝撃はない。

 顔を上げると、鎧を着た兵士たちが、ルナたちを囲んで盾を構えていた。


「ルナちゃん、いつも厄介事に巻き込まれてないか」


「良く耐えた、ルナ。後はオレたちに任せろ」


 衛兵のイデルとキノが、ルナに言った。


「街の中でこんな規模の魔術を使うなんてね、糞野郎が」


「取り囲め。生け捕りにする!」


 何人もの衛兵が、ロバルト取り囲んでいる。盾から結界が放たれ、罪人を拘束するための牢と化す。


「抵抗するな。命を落としたくなければな」


 包囲を縮め、牢が縮む。ロバルトはその圧力に身動きができなくなる。

 いつの間にか隣に来ていた軍服の女が、ダウリに手を置いた。


ノロい……。怪我ではない。人の生命をモテアソぶ禁術……」


 女は魔術の牢に捕らわれたロバルトを睨む。


「治癒魔術……。どうしてこんなに早く……」


 ルナが女を見た。アルフォンスのような軍服を着ているが、兵士のように首は太くない。


「イルヴァと言う名の少女が、詰所まで来た。彼女は無事。さぁ、集中して。強力だけど、不完全。あなたの力を貸して」


 女の魔力がダウリを包み、生命力の漏出を止める。外部と遮断する結界だ。ルナはそれを真似、女の魔術に魔力を託して、結界を形成する。


「いい。おそらく、相手の生命力を強制的に魔力に変える魔術。その繋がりを絶ち、漏出する魔力を反転させる」


 結界内に溜まった魔力を操り、ダウリの中に押し戻していく。既に拡散した魔力は戻らないが、命を保つには充分な生命力がダウリに戻った。

 ルナはひと息つくが、女は険しい表情のままだ。


「留めよ、留めよ」


 女がツブヤくと、結界はダウリの体に密着するように小さくなる。


「応急処置はした。とにかく、ここから……」


 そう言いかけたとき、衝撃がルナたちを襲った。衛兵たちが吹き飛ばされ、建物にぶつかって止まる。


「まだ動けるのか」


 女が立ち上がり、ロバルトに向かい合った。だが、土煙から現れたのは、巨大な縦穴である。地面は崩壊し、彼は地下へと姿を消していた。

 深く空いた穴の中の暗闇は、真実を覆い隠し、誰もその中に飛び込んで追うことはできなかった。


 ◆


 死傷者多数。道の一部が崩壊した事件は、マタタく間に街を駆け巡る。

 街は封鎖され、誰ひとり出ることも入ることもできなくなる。兵士たちは見回りを強化し、地下街の捜索隊が組まれ、大規模な追跡が始まった。

 ルナたちは容疑者ではなかったが、衛兵詰所に軟禁されることになる。それはただ単に事情を聴くためだけではない。

 ダウリは治療、イルヴァとリリアナは寮へと帰された。ルナとオルシアだけは、詰所のホールのベンチに、座らされていた。


「私たちに死ねば良かったと言うんですか」


「ルナちゃん、そんなことは言っていないだろう……。ただ、君たちには街中で魔術を使うことは許されていないと言っているんだ。特に攻撃魔術を使ったのはまずかった」


「私たちは攻撃されたんですよ⁉ もし逃げていれば、もっと被害は大きかったはずです」


「勘弁してくれよ、ルナちゃん……。尋問もその態度で通すつもりか?」


「どうしろと言うんですか」


「反省するんだよ。魔術を使って申し訳ありませんでした。そう言うんだ。君がもし魔術を使えなかったら、あの少年に立ち向かったか? あのイーブンソードの少女も、逃げたはずだ」


 理不尽な話だ。


「友達を置いて逃げるようなことはしません」


「ハァ……」


 尋問室からオルシアが出てきた。少し憔悴ショウスイしたような表情である。ルナは駆け寄り、バレないように治癒魔術をかけた。


「オリィ、大丈夫?」


「うん……。ありがとう、ルナちゃん」


(どうやら、反省していないようね)


 いきなり背後でササヤかれ、ルナは身動ぎすらできなくなった。肩に手を置かれるまで、気配にすら気が付けなかった。


「私が尋問する。あなたたちは出ていて」


「はい。ロートベット隊長」


 尋問していた女兵士二人が部屋の外に出た。空になった尋問室に、ロートベットと呼ばれた治癒魔術師は、手でルナを部屋に入るように示した。

 部屋に入る前にルナは訊ねた。


「ダウリさんの容体ヨウダイは」


「死にはしない。今言えるのはそれだけ」


「……」


 彼女はロバルトとの戦いのとき、ダウリを助けてくれた軍人である。アルフォンスも強い魔術士ではあるが、彼女はまた違った雰囲気のある人物である。

 ルナは大人しく席に着くと、ロートベットに向き合った。


「君は優秀だね。アルフォンスが言っていた以上だ。けれど、衛兵詰所で魔術を勝手に使うのはよした方がいいね。ここにいる全員が、君が魔術を使ったことに気付いている。それが衛兵の仕事だから」


「……」


 魔術士という資格がなければ、公然での魔術使用は犯罪である。それが身を守るためならばともかく、攻撃魔術や他人に影響のある魔術は重罪である。オルシアとルナは、魔術によってロバルトへと攻撃した。それが問題となっていた。

 以前にもルナはアルフォンスの前で魔術を使っていたが、そのときは学園への入学という条件で、見逃されている。それは『魔力の目覚め』という法によって定義された、若い魔術士の卵を救うための法だ。人は魔術を偶発的に使ってしまうときがある。それをいちいちトガめていては、魔術士は育たない。

 だが、今回は違う。魔術士見習いとして魔術を学び、恣意的に魔術を使っている。しかも、街に被害が出ている。


「逮捕ですか」


「そうしてほしいなら、そうする」


 ロートベットは掴みどころがない。これが尋問には思えない。


「……何か質問しないんですか」


 ロートベットは机の上の調書をパラパラとめくって、ルナを見る。


「考えている。リルケーの娘にも、イルヴァという娘にも、同じことを聞いた。君につまらない質問をしても、つまらないだけ」


 彼女はもう一度調書を読む。


「イルヴァの話によれば、ロバルトはあなたに攻撃しようとしたことがあると。本当のこと?」


「未遂です。実際には攻撃されていませんし、私も攻撃しようとしましたからお互いさまです。その後はお互いにあまり関りを持たないようになりましたから、関係ないと思います」


「そう。そのとき、ロバルトは死の呪文を唱えようとしたと思う?」


「死の……呪文?」


 本で読んだことのある魔術だ。使われるのを見たことがないし、本には時代遅れの魔術と書かれていて、ルナもあまり深くは考えなかった。


「ダウリには死の呪文が使われていた。状況的にロバルトが使ったと考えられる」


「すみません。死の呪文がどんなものなのか詳しく知らないのですが、どういった魔術なのでしょうか」


「知らない? そうか……。死の呪文は屍霊術の一種で、名の通り相手を殺す魔術。けれど、現代では名前負けしているね。だって、人を殺すだけなら攻撃魔術で充分だもの。

 死の呪文は、代償に自分の魔力を全て使うことになる。つまり、人が使えば死ぬことになる。人ひとりを殺すのに、自分の命を使う。しかも、防がれたり外したりしたら、自分が死ぬだけ。本当に時代遅れの魔術だよ」


「それをロバルトが使ったと? でも、ロバルトは……」


「そう。生きている」


「何か別の魔術の可能性はないのですか?」


「可能性はある。でも、私はあの子が敢えて、あの場で死の呪文を使ったように思える。その理由はわからないけど」


「……それが私に何か関係のある話なのですか?」


 ロートベットは目を上げて、首を横に振った。


「あの場に居た君なら、何かわかるかと思っただけ」


「……」


 ルナは話せなかった。ロートベットはどれだけことを知っているのかわからない。そのとき、尋問室の扉がノックされた。ロートベットは立ち上がって、扉を開ける。外にはアルフォンスが立っていた。


「ロティ」


「アル」


 二人は目を合わせ、お互いに軽い挨拶で済ます。


「ルナ君を解放してください。目撃者の聴取が終わりました。調書の内容と齟齬ソゴはありません」


「わかった」


 ロートベットが道を開ける。目でルナに外に出ろと言ってくる。ルナは立ち上がると、尋問室から逃げるように外に出た。既にオルシアは居らず、ホールは閑散としていた。


「寮までは私が送ります。護衛は必要ありません」


「そう? 助かる。人手が足らないからね」


 ロートベットに目礼し、アルフォンスが歩き出す。ルナには目もくれないが、仕方なく後ろに付いていく。


「あの、怒ってますか?」


 ルナが恐る恐る問うと、アルフォンスは振り返らずに言う。


「怒る? 何に怒ると言うのです? あなたは身を守っただけなのでしょう。弟子であるあなたが、街で無断で魔術を使って大変な騒ぎになったとしても、師である私が責任を負うのは当然のことですから、何を怒るようなことがあるというのですか」


(めちゃくちゃ怒ってる……)


 つい昨日、忙しくて目が回ると言っていたばかりである。それがこの事件で休みが潰されたのだ。理不尽ではあっても、アルフォンスは苛つかずにはいられなかった。

 外に出ると、既に辺りは真っ暗になっており、街灯で照らされた寂しい大通りは、閑散としている。

 街に凶悪な犯罪者がおり、衛兵たちが厳しく見回りをしているのである。外出禁止でなくとも、出歩きたくはない。


「ロートベットさんには何か話しましたか」


「いいえ。特には。死の呪文について教わっただけでした」


「そうですか。……今回は運が良かった。目撃者が」


 しばらく人通りの少ない大通りを、沈黙して歩く。アルフォンスの歩幅に合わせ、足早に歩くのに集中して、何もしゃべらない。アルフォンスも機嫌が悪いのか、何も言わなかった。

 沈黙が長くなり、気まずくなったルナは、何かしゃべらないといけないと焦って、質問する。


「ロートベットさんとは、昔、付き合っていたんですか」


 質問してから、自分で何を言っているのかと思う。アルフォンスもがっくりと肩を落として振り返る。


「どうしてそういう話になるのですか……」


「いえ、その……。なんだか二人の空間があった気がしたので……。それに同じ治癒魔術師で、軍人ですし……」


「……。ロティとは同期……、学園でも、軍でも同期で、同じ師に学びました。わば、姉弟キョウダイのようなものです」


「そう……なんですか」


「とういか、あなたもそう言った色恋沙汰に興味があるのですね」


「どういう意味ですか」


「別に。普通の女の子のようなことを言うのだなと思いまして」


 ルナは表情筋を全力で駆使して、嫌そうな顔をして見せる。アルフォンスは鼻で笑って、再び歩き出した。


 ◆


「これは学園の責任問題だ。この学園の教育方針はどうなっているのだ」


 オド学園長は、幼く見える顔の目の下にクマを作り、豪華な衣装に身を包んだ男と向き合っていた。広く豪華な会議室には、他にも難しい顔をした高い立場にある人物らが集まっている。ここは魔術都市ミルデヴァの中枢である城、統律城オルドラムの一室である。


「生徒同士が人のいる場所で魔術を使い、大勢に怪我をさせ、街を破壊した。しかも、我が子、ロバルトは行方不明。どう責任を取るつもりだ!」


 感情的に怒鳴りつける豪華な衣装に身を包んだ男は、ロバルトの父ラルバ・ソリアーダンである。早朝から顔を赤くして怒鳴り声を上げて、血管が切れないか心配なほどである。

 オドも徹夜でロバルト捜索を手伝って、ようやく帰ってきたところにこれであるから、言葉を選んでいる余裕はなかった。


「学外で起きた問題など、あたしが知るわけない。それと言っておくが、怪我をさせたのも街を破壊したのも、あんたの子のロバルトだ。そして行方不明ではなく、逃亡中。学園では正しい倫理観を持つよう教育しているが、親から教わったことまでは取り消せないからね!」


 青筋を額に浮かべたオドが、ラルバを睨みつける。二人の怒鳴り合いを聞いていた男が、静かに言った。


「今、責任の所在を口論している場合なのかな、ラルバよ。貴殿をこの場に参加させたのは、無駄な口論をさせるためではない」


「しかし、ベルキオン市長……」


「黙れと言っているのだ」


「……」


 口髭を蓄えた男がそう言うと、さすがのラルバも押し黙るしかない。

 ベルキオン市長と呼ばれた男は、この街ミルデヴァの行政の長、ドラウス・ベルキオン伯爵である。彼はその肩書とは裏腹に、ラルバよりも地味な服に身を包み、皆と同じ形の椅子に腰かけている。ただ、その表情からは隠せない威厳が溢れている。


「先日のイーブンソード邸襲撃事件に続き、この事件だ。この街の安全が脅かされている。そして、この事件の中心にいるのが、オルシア・イーブンソードであることは間違いない。魔王軍・・・が彼女を狙うのであれば、我々は全力で彼女を守らなければなるまい。その理由がどう言ったものであるかわからずともな」


「ドラウス、それは……」


 オドがドラウスの言葉を止めようする。この場には魔王軍の存在を知らない者もいる。

 大富豪とはいえ、一般人であるラルバとその秘書はもちろん、今回の事件を担当する衛兵隊長のロートベットとその副官。そして、ヴァヴェル学園と双璧をなすインフェルナ魔技学校の校長ディンセルも聞かされていなかった。

 知っていたのは、オド、ドラウスと、その片腕であるヒットリア副伯だけだ。


「魔王軍……。存在が確認されたのですか」


 ロートベットが訊ねると、ディンセルも自分に禿げ頭を撫でながらそれに同調する。


「初耳ですな。どうやら、オド学園長は知っておられたようですが」


「色々と訳ありでね」


「グリオン・パーシバルの竜騎兵が全滅したのは、その関係ですか。そのとき、グリオンは捕虜となり、魔王軍に操られており、イーブンソードの令嬢を襲撃した……。今回もその襲撃の続きだということですね」


 ラルバはその言葉を聞き、机を拳で叩いた。


「ふざけるな! そうだとしたらロバルトは巻き込まれただけではないか!」


「これ以上怒鳴るなら、その口を縫い合わせるよ、ラルバ。まだ、今回の襲撃が魔王軍と関わりのあるものか、オルシアを狙ったものかもわかってはいない」


「貴様こそ誰に向かって口を利いている! ワタシは貴様の学園に多額の寄付をしている理事だぞ!」


「誰が理事だ。ヴァヴェル学園は公営だよ! それともあの寄付は、息子を入学させるための賄賂だったとでも言いたいのかい」


「よさんか、大馬鹿者ども!」


 黙って座っていたヒットリア副伯が、その大きな体格に見合うだけの大声で、二人を黙らせる。


「ラルバ殿、息子を思う気持ちはわかる。だが、俺たちは街の治安を守る者として、ロバルトに対処しなければならない。それは彼の死を含めての意味だ」


「……っ」


 ラルバの顔が歪んだ。顔が赤くなったり、青くなったりと忙しい。やがて、力を抜くと、椅子にへたり込むように座り直した。ヒットリアが話を続ける。


「魔王軍に操られていようと、いまいと、ロバルトがやったことに変わりはない。そして、彼は危険な状況にあることは、タガえようのない事実だ。彼を迅速に見つけ、保護しなければならん。ラルバ、お前がそのように動揺していてはいかんぞ」


 ラルバは机に突っ伏して、顔を上げずに言う。


「はい……。申し訳ありません」


 ロートベットが話を進める。


「ソリアーダン殿。事件前、ご子息のロバルト君に何か変わった様子はございませんでしたか。ご子息は学園の寮には入っていないとのことでしたが……」


 ラルバは顔を上げ、ロートベットを見る。


「いや、特に変わったところは……。いや、事件の前日、ワタシに小遣いが欲しいといってきました。次の試験に向けて、新しい魔道具が欲しいと……」


「魔道具……」


 そのとき会議室の扉が叩かれ、コルブレル・イーブンソードが入室した。


「失礼します」


 コルブレルはドラウスに報告に来たのだが、一般人であるラルバを見て口を開くのを躊躇タメラった。


「朗報なら構わん。話せ」


 ドラウスが言うと、コルブレルは頷く。


「朗報と言えるかどうかはわかりませんが……、この街に魔物が侵入した形跡はありませんでした。我が邸宅に現れた、結界を通り抜ける特殊なシェイプシフターも全て駆除できたようです。ロバルト少年が魔物と化したわけではなさそうです。私の捜索魔術を逃れる術を持っていれば別ですが……」


「お主の魔術を逃れられる魔物など、例外中の例外だ。構うな」


「はい。ロバルト少年が魔物化していないのであれば、捜索は困難を極めます。ただ、やり方が前回の吸血鬼事件と違い、どこか場当たり的な行動に見えます。魔王軍とは関係ないかもしれません」


 その話を聞いたラルバは、全身から力が抜けた。もし、ロバルトが魔物になっていたのであれば、それは既に命がないものとして扱われることとなる。そして、敵対する軍に関わっていたのであれば、死よりも恐ろしい壮絶な拷問が待ち受けている。

 ロートベットが言う。


「目撃者の証言によれば、ロバルト君は正気を失ったような目をしていたとのことです。なんらかの魔術により、操られていると見るのが妥当でしょう。拘束したいところではありますが、街で見せたあの力では、衛兵たちだけでは対処できるかどうかわかりません。やはり、魔術士による全面協力をお願いしたい」


 ヒットリア副伯が話を繋ぐ。


「かなりの大規模になりますな。オド学園長にも、ディンセル校長、インフェルナ校にも協力をお願いすることになりますが、構いませんか」


 二人が頷くのを見て、ドラウスが決める。


「よろしい。では、今日中に人を集め、捜索を開始する。もし、今回の事件がイーブンソードではなく、ラルバあるいはロバルト自身を狙った事件である可能性もある。充分に注意せよ。決して独りになるな」


「はい」


 後の話は細かい調整や、報告がオモになる。その話の中にルナとオルシアの処分についても議題に上がった。


 ◆


 二週間の謹慎処分。

 たった一日の街でのお出掛け・・・・で、貴重な時間が失われていく。ルナとオルシアは寮から出ることを禁じられ、魔術を使うことも禁じられた。授業は受けることはできないし、食事も部屋で摂ることになり、図書室へ行くこともできない。


「公開試験までのこの時期に、こんな長い期間、無駄に過ごすことになるなんて……」


「ご、ごめんね。私が何も考えずに魔術を使ったせいで……」


「何言ってんの? オリィが悪いことなんて何もない。全部、ロバルトが悪いんだよ!」


 ルナは部屋の中を行ったり来たりしながら、今できることを必死に考えていた。

 基礎知識を付けるために本を読みたいが、図書室は使えない。誰かに借りてきてもらうことはできるが、自分で選べないのは痛い。それに魔術の使用を制限され、試すことができないのは、もっと痛い。


「謹慎明けで残り一か月……。どう考えても公開試験まで短すぎる……」


「ルナちゃん、こう考えるしかないよ。無資格で魔術を使ったのに、たった二週間の謹慎で済んだんだから……。牢屋に入れられなかっただけでも感謝しなきゃ」


「前向きだねぇ……」


 ルナは諦めて床に座り込むと、天井をしばらく眺めてから、ベッドの脚に足の指を引っ掛けて、腹筋を始めた。その様子をオルシアはベッドの上から不思議そうに眺める。


「な、何してるの?」


「腹筋」


「それは見ればわかるけど……」


「どうせ……、やることがないなら……、肉体改造に……、当てる!」


「……」


 放課後の鐘がなり、生徒たちが戻ってくる時間になる。

 街で事件があり、生徒が犠牲になっても、授業は何事も続けられる。ルナたちはイルヴァが帰ってくるのを首を長くして待っていたが、彼女は夕食時になるまで帰ってくることはなかった。その理由はわかっている。

 ルナたちはイルヴァが帰ってくるまで、筋トレと柔軟をしながら待った。イルヴァが部屋に入ってくると、不思議なポーズを取って、じんわりと汗をかいた二人を見て、顔を顰める。


「何してんの?」


「イルヴァさん! ダウリさんの様子は⁉」


 イルヴァの質問には答えずルナが訊ねると、イルヴァは暗い顔で自分の机についた。


「な、なんなんですか。悪い知らせですか」


 イルヴァは溜息をつくと、ルナとオルシアを見た。


「ダウリには会えなかったよ。けど、担当の治癒師から話は聞けた」


「はい」


「ダウリは、今は封印魔術で魔力の漏出を防いでいるけど、長くは持たないってことだよ」


「そんな……」


 オルシアが泣きそうな顔で口元を押さえる。ルナは落ち着いた声でイルヴァに訊く。


「死の呪文が解けないのですか。時代遅れの魔術で、対処法もあると聞いていますが」


「うん。でも、問題があるだよ。ロバルトが生きている・・・・・から、死の呪文が完成せず、魔術を解除しても、また毒みたいに死の呪文にかかってしまうんだって」


「……どういうことですか」


 ルナが言うとオルシアが答えた。


「半死半生……。死をモタラす魔術は、代償に使った人物の命をも奪う。でも、ロバルトは死ななかった。だから、魔術は完成せず、ロバルトが生きている限り、死ぬことはないけど、魔術の漏出は止まらない。でも、そんな状況が長く続けば、肉体が持たない……」


「そう。同じことを治癒師の人も言っていたよ。ロバルトがそれを狙ってやったとは思えないけど、結果的に治らない傷口みたいに、ダウリを傷付けたんだ。ロバルトを捕まえて、魔術的繋がりを絶たないと、ダウリはあと一週間持てば良い方だって……」


「一週間……」


 ルナたちの謹慎が解ける前にダウリは死ぬ。ルナはその言葉を聞いて、部屋を出ようとした。だが、オルシアに手を掴まれる。


「ルナちゃん、どこに行くの」


「……こんなところで油を売ってる暇はない。ダウリさんを助けに行く」


 イルヴァも部屋の出口を塞いで、ルナに向き合った。


「助けるって具体的には?」


「それは、私の治癒魔術でなんとかできるかもしれないし、ロバルトを捕まえれば……」


「あなたの治癒魔術をオトシめるつもりはないけど、経験も実力もある治癒師がサジを投げたんだよ。魔術士でもないあんたが行っても、何かできるとは思えない。今夜、兵士と魔術士、傭兵たちも召集されて、大規模な狩り・・が行われるらしいよ。私たちの出番はない」


 イルヴァに厳しく言われ、ルナは押し黙った。


「ルナちゃん、私たちは謹慎中だよ。今、寮を抜け出して、魔術をまた使ったら、今度は本当に捕まっちゃうよ」


「……」


 二人に止められて、ルナは何も言えなくなる。

 自分の実力は良くわかっている。何度、目の前で命が手のひらから零れ落ちようとしてきたかわからない。アルフォンスはルナの治癒魔術を自分以上だと評価してくれたが、ルナの術はいわば反則技のようなもので、前の世界の医療の技術の発想で底上げしているだけだ。現にアルフォンスは、ルナの技術を既に会得し、自らの治癒魔術に応用し始めている。


(私が『生命の魔女』などと呼ばれていたなんて、おこがましいにもほどがある)


 ルナは目を瞑り、体から力を抜くと、自分のベッドに戻った。


「ルナちゃん……」


 オルシアがその背中に呼びかける。


「……疲れたから、寝る」


「でも、ご飯は……」


「いらない」


 ルナはベッドに上がり寝転がる。オルシアはさらに声をかけようとするが、イルヴァに止められた。


「放って置こう。アタシもここでご飯食べるから、一緒に食べよう」


「はい……」


 不貞寝してしまったルナをよそに、イルヴァは寮母に食事をここで摂っても良いか許可を取りに行く。

 再び、二人きりになった部屋で、オルシアはルナのベッドに向けて言う。


「ソリアーダン君は、こんなことをする人じゃないよ。確かに、授業のときとか色々と言ってきて嫌な思いするときはあるけど……、いつも、自分の実力を認めさせるために努力してただけ……。何か酷いことに巻き込まれているんだと思う」


「……」


「ルナちゃん。この街には私たちよりもっと優秀な魔術士の人たちがいるよ。だから、信じよう。絶対にダウリさんを助けてくれるし、ソリアーダン君も助けてくれるよ……」


 オルシアがそう言うのを、ルナはベッドの中で身動ぎもせずに聞いていた。だが、何も応えず、諦めたオルシアは部屋を出て行った。


 ◆


 ラルバが自宅に戻ると、送迎の衛兵たちはそのまま護衛として待機するとのことであった。ありがたい話ではあるが、落ち着かないのも事実である。


「ラルバさま、お食事は」


「セリーナ、お前がそこまで心配することはない。とっくに退勤時刻は過ぎているだろう。もう帰って良いぞ」


 ラルバの秘書であるセリーナは、今回の事件について何かをする必要はない。彼女はあくまでも従業員であり、私生活まで世話を焼く必要はないのだ。個人秘書としないのは、ラルバ自身が自分のことは自分で済ましたいという信条であるからである。


「しかし、独りにはなるなと……」


「衛兵がいるし、腹が減ったら自分で準備する。心配するな」


「はい……」


 セリーナは少し気落ちしたように肩を落として、部屋を出ようとする。扉を閉める前に、彼女は振り返ってラルバに言う。


「ラルバさま。若さまは必ず無事でおられます。その……、我々、商会の者も微力ながら捜索に当たるつもりです。ですから、ラルバさま、お気を確かに」


「……ああ、ああ。わかっている。……少し休ませてくれ」


 セリーナが出て行く。ラルバはデキャンタからグラスに酒を注ぎ、一口に飲み干す。冷たいが熱く感じる液体が、空の胃袋に注がれて、ラルバは溜息をついた。

 妻亡き後、ロバルトを男手ひとつで育ててきた。仕事が忙しくても、必ず夕食は一緒に摂るようにし、なるべく会話もするようにしていた。

 故に、ロバルトの様子が、近頃は変わってきたことは知っていた。

 学園でのことはあまり話さなくなり、帰ってきても自室に籠って勉強に打ち込んでいるようである。どこか焦り過ぎな気もするが、やる気を出したことは良いことだと、見守ることにしていたのだ。独り立ちのときが来たのだと、寂しく思いながらも。

 小遣いをせびられたとき、思わず嬉しくなってしまって、気前良く金を渡した。それがこの結果である。後悔が募る。


「ロバルト、どこにいる……。帰ってこい……」


 ひとりになると焦るばかりで、何も考えられなかった。酒を飲んで寝てしまいたかったが、逆に目は醒め、ただただ時間が過ぎていく。


「随分と焦燥されてますな、ラルバどの」


 最初は酔って幻覚でも見ているのかと思った。だが、意識がハッキリしてくると、部屋にひとりの老人が立っているのだと認識できた。

 ラルバは立ち上がり、机に隠してある短剣を取り出して、老人に向ける。


「侵入者だ! 誰か、助けてくれ!」


 ラルバの体格であれば、小さな老人など圧し潰してしまえそうだが、体格に見合わずラルバは身の程をワキマえている。助けを呼ぶことは恥ではない。だが、その声は空しく響き、扉の外から誰も駆けつけてはこない。


「誰も来んよ。しかし、旧知の友が訪ねてきたというのに、いきなり助けを呼ぶとはなぁ」


 ラルバはその言葉に、この老人が魔術士であると悟る。白髪頭にしわがれた声、痩せこけた老人。このような知り合いはいないはずである。だが、どこか見覚えがある気がした。


「まさか……、メディコニアンか……?」


 ラルバは慎重に問うと、老人はにやりと笑う。その嫌らしい笑い方で、確信した。


「お前、死んだと思っていたぞ。今までどこにいた。その姿、何があった」


 ラルバとメディコニアンは同年代だった。それなのにこの老けようにラルバは驚愕する。


「密輸業の男が、今では立派な大店オオダナの主か……。出世したじゃないか」


「今更、その話か。それでオレを強請ユスリに来たのか。昔、オレがしていたことなど、周知の事実だぞ」


 メディコニアンが喉を鳴らして笑う。


「そうか。それは残念だ。だが、今回は別の件で来た。お前の息子のことだ」


 メディコニアンがそう言うと、ラルバは短剣をその喉元に突きつける。あっさりと懐に入られた老人は、ラルバを見た。


「せっかちだの」


「息子はどこだ。言え!」


 メディコニアンは嫌らしい笑みを崩さない。


「そんな態度で良いのか? お前の息子の生殺セイサツを握っているのはわしだ」


「ぐっ……」


 ラルバは一瞬躊躇したが、短剣を降ろした。


「何が……、望みだ。金なら幾らでも……」


「金? そんなものに用はない。必要なのはお前の密輸ルートだよ」


「何? 馬鹿なことを……。もう十五年以上前の話だぞ。そんなものとっくに……」


「いいや。あるだろう。お前は昔から、必ず最後の一個を残していた。今でもそれを使っているだのではないか?」


「……」


 メディコニアンは昔、この街に蔓延ハビコっていた密輸団の元締めであった。大規模な掃討作戦によって、組織は瓦解。ラルバはその掃討作戦に協力したことで、無罪放免となっていた。


「それを知ってどうするというのだ。今更、密輸を再開しようとでも言うのか」


「お前が知る必要はない。今回の件が終われば、ロバルトは無事に返してやる」


 選択肢はない。


「……なぜだ、メディコニアン。息子は関係ないはずだ。復讐ならば、オレを直接、サラえば良い話だろう。息子は返してくれ」


「無駄な問答だな。……お前とはこれからも良い関係を築いていきたいという、わしの真心だよ。さぁ、どうする。息子の命ともども死にさらばえるか。選べ」


 ラルバはこれ以上の時間稼ぎはできないと悟り、選択を余儀なくされた。

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