第8話 お出掛け

 ◆


 公開試験に出ることが決まったが、それは二か月後のことである。その間にも授業はあり、ルナにはやることもあった。


「どう?」


 ダウリが衣装に身を包んでポーズを取って見せる。注文はとにかく派手にということだったので、白と黒を基調にしたゴスロリメイド服を作って見せたら、ダウリは喜んで着てくれた。

 女子寮で始まったファッションショーは、他の生徒たちも巻き込んでしまう。談話室には様々な素材や形の服が並び、生徒たちは気に入った服を自分サイズに調整してほしいとルナに言ってくるのだ。目まぐるしくて忙しい。

 本来であればそう言ったバカ騒ぎを止める立場の寮長ミニティも、ファッションに興味がないわけではない。卒業後の衣装を考えることもひとつの勉強だと言って、参加している。


「大丈夫なの、ルナちゃん……。そんなに魔術使って……」


「ありがと、オリィ。でもこれくらいなら何ともないよ」


 オルシアも様々な衣装のデザインを絵に描いては提供してくれる。隠れた才能だ。ルナは服のデザインの知識はそれなりだが、この時代の世界の物は知らないし、絵も描けない。こうやって言葉だけでなく表現してくれるのは、大変にありがたい。


「いいなぁ。私もこんな術使えたら、好きな服着放題だよ!」


「ルナちゃん、私にも教えてよ!」


 今まで話したこともないような女生徒たちも、ルナに話しかけてくる。オルシアに図案を依頼し、ダウリに賞賛を送っている。


「ちょっと、みんなー。制服まで全部変えちゃわないようにね」


 ミニティが制御しようとするが、このショーの興奮は収まる気配がない。それどころか談話室の扉が開くと、イルヴァが連れてきた別の寮の女生徒まで現れた。それぞれ、制服を持っている。


「ああ、ああ。もう散らかして! てか、ちゃんとお金は取ってるの? 無料じゃないんだよ! ほら、返して。ほれ、これも! 金払わないなら元に戻すからね!」


 イルヴァが同じ寮の生徒たちから服を取り戻す。


「いい? みんな、聞いて。服が欲しいなら、お金を払うのよ。仕立て直しは一着600クレス、新規作成は一着3000クレス! もちろん、要望によっては値段が上がるからそのつもりで!」


 談話室にイルヴァの声が響くと、生徒たちは少し静かになるが、慌てて自分の部屋の金庫を確かめに行った。目の前にニンジンをぶら下げられては、走らずにはいられない。それに600クレスならば、服の仕立て直しには安い方である。

 学園の制服は入学時に三着と、年に一回二着配られる。古びた制服は余ってしまうため、捨ててしまう者も多いが、仕立て直せばもう一度着られるはずである。


「私、ルナちゃんみたいなスカートにしてほしいな」


「これ、この模様を裾に付けてほしいんだけど」


 今度は細々とした注文が多くなり、ルナは急いで仕立て直しを始める。イルヴァが取り纏めていき、金を受け取り、順番を守らせる。その間にも、ダウリは服を色々と組み合わせて遊んでいる。いい気なものだ。


「ダウリ! あんたは遊んでないで、お金の管理をして!」


「別に遊んでるわけじゃ……。はい」


 イルヴァに睨まれて、ダウリは素直に金を受け取ると、箱に入れ始めた。

 結局、この仕立て屋の初めての夜は、仕立て直し二十一着、ダウリが試着していた服が一着売れ、約二万クレスの売り上げとなる。

 寮の部屋に引き上げた四人は、その硬貨を数えながら喜んだ。


「一晩で、二万! すごい……」


 イルヴァはウットリと硬貨を眺め、ダウリはオルシアの手を取って飛び跳ねて踊るので、ルナは落ち着かせる。


「まぁ、待って。今日はたまたま当たっただけだよ。これからのことも考えて、計画を立てないと」


「ルナ、もっと楽しもうよ……」


「イルヴァ。あのね、私やオリィは、これから試験に向けて勉強もしなきゃいけないの。毎日こんな風にできるわけじゃない。だから、ダウリさんの魔術も使っていなきゃいけないし、イルヴァにも手伝ってもらわないとダメ。お金持ちになりたいでしょう」


 イルヴァが黙ると、ダウリが頷いた。


「そうだね。仕立て直しする服には限界があるし、学生相手の商売じゃ四人で分け合うと、金額は目減りする。というわけで、私の取り分はこれだけで……」


 ダウリが半分以上の硬貨を取って行くので、イルヴァが首を絞めて止める。


「どうすりゃ、そうなるんだよ。遊んでいたやつが!」


 ダウリが声が出せずに床に転がり、何とか逃れようともがく。それを脇目にルナは新しいノートを取り出すと、それを帳簿とすることにした。


「私たちの取り分はこれの四分の一。これは経費ね。ダウリさんの分にはこれだけ追加して……」


「ええ、何で? 遊んでただけなのに……」


 イルヴァが不満を宣べる。


「材料費の分があるからね。それにダウリさんが派手に宣伝してくれたから、これだけ稼げたんだよ。それにダウリさんのアイディアでやっているんだしね」


 ダウリは立ち上がる。


「その通り! そして、私たちのこれからの稼ぎ頭はこれです!」


 突然、ダウリが服を脱ぎ、下着姿になるので、三人は呆れた。靴下は膝上まであるハイソックスだ。


「羞恥心とかないんですか」


 ルナが言うと、ダウリは少しだけ顔を赤らめて微笑んだ。


「そんなものは死んだ」


「そう……」


 この世界の女性用の下着は、胸はサラシのような乳袋と呼ばれる物で、下はふんどしに近い布切れである。貴族であるオルシアはドロワーズや緩やかなビスチェを使っているが、体型を補正する効果は薄い。

 ダウリは学生相手では、新しい服はそう売れないし、仕立て直しも数が限られていると考えていた。学生相手に何度も買ってもらえる商品を考えたとき、靴下や下着は継続的な販売が可能だと考えたのだ。

 ルナはその考えに従って、ルナの世界にあったブラジャーやショーツを渡すと、それに感銘を受けたようで、目玉商品として扱うつもりのようである。もちろん、この世界にも似たような物はあるが、高価で普及はしていない。激しい動きをする戦士向けの装備らしい。


「ちょっと、はしたない気がしますけど……」


 オルシアは抵抗があるようで、顔を赤らめてダウリを見ないようにしている。


「オルシア、考えてみて? スカートが短くなったら、下着を見られる機会が増えるんだよ。そのとき、みっともない下着を履いてるのは、はしたなくない?」


「増えません!」


 ダウリの不明な理論と、オルシアの羞恥心が戦う。イルヴァは感心したように言う。


「なるほど。継続的な売り上げは期待できるし、下着なら布面積が小さいからコストも低く抑えられる。それにスカートが短いなると足が冷えるから、長い靴下を売る……。悪くないかもね」


「でしょ!」


 イルヴァの言葉に、ダウリが頷いた。

 ルナがおもむろにダウリの胸を触るので、オルシアが驚いて飛び上がる。


「ルナちゃん⁉」


 ルナが手を離すと、ブラの下部分から薄い布が伸び、ビスチェかネグリジェに近い形になる。


「こういう形ならどう、オリィ。抵抗なく着れるんじゃない?」


「そ、そうだね。確かにその形ならいいかも。というか、かわいい……かも」


 オルシアがそう言うと、イルヴァも同意する。


「確かに可愛い。でも、コストが高くなるかなぁ。お嬢さま向けの高級品として売るとかになるかな」


 ブラの生地を伸ばして下につけたため、ブラ自体の生地は薄くなってしまい形が崩れている。ルナの魔術ではこれが限界だ。


「着てみる?」


 ダウリに言われたオルシアは返事も待たずに服を脱がされ、下着を交換させる。そこからはダウリの着せ替え人形にされた。

 イルヴァとルナは、それを尻目にこれからのことを話し合う。


「私、この国の流行りとかわからないんですよね。やっぱり街に行って、人を見て、商品を見てみないと……」


「じゃあ、今度の休校日、みんなで街に行こうか。丁度、お金も入ったし、みんなで買い物でもしようよ」


 イルヴァの提案は魅力的なものであったが、既に休校日の予定は入っている。


「休校日は、午前中はアル先生の訓練で、午後からは第三学位の友人と勉強会を……」


「せっかくの休みに? ホントに?」


「ええ。試験まであと二か月しかありませんから」


「でも、筆記も実技も、やることはわかってるんだよね。そこまで急いで勉強することなんてあるの?」


 イルヴァの言うこともモットもでもある。たったの二か月では、新しい魔術を学んでも使い熟せるかは怪しい。

 ダウリは着飾られたオルシアを前に出して、ルナに言う。


「それよりもさ。街に出て、魔導書とか、魔道具とか見てみようよ。その友人も呼んで、みんなで着飾って出かけてさ。街を見て回るのも、ひとつの勉強だと思わない?」


 ダウリの魂胆はわかる。作り出した服を見せびらかしたいのだろう。


「オリィはどう思う? 街に行きたい?」


 オルシアは良くわからない服の塊になっているが、顔を上げるとルナに言う。


「試験は大事だけど、それ言ってたら、遊びに行く機会なんてなくなるし……。リリアナちゃんも誘ったら、喜ぶと思うよ。私も……、あんまり街を歩いたことないから、行ってみたいな」


 オルシアがそう言うのであれば、ルナも無碍ムゲにもできない。

 夜も更けてきた。四人は興奮冷めやらない中、明日に備えて休むことにした。


 ◆


 放課後の訓練に訪れた演習室の前には、既にリリアナが待機していた。


「遅くてよ! どれだけ待たせるのですか」


「ごめんごめん。授業が長引いちゃって……。中に入ろう」


 ルナとオルシアは、リリアナと合流し、翼の生えた獅子の模様が描かれた扉を開ける。

 演習室前の廊下には幾つもの扉が並んでおり、その全てが演習室へと繋がっているが、演習室自体が変形し、部屋の大きさも変わるため、どの扉が使っても良い部屋なのかは、借り受けた本人しかわからない。


「う……、暑……」


 扉を開けると、そこは砂漠が広がっていた。その熱気に、オルシアもリリアナも閉口する。

 オルシアが浮遊杖を使って風の障壁を作り出し、熱波を緩和する。


「ありがとうございます、オルシア。ルナ、本当にここで訓練を? 制服が汚れてしまいますわ」


「汚れるだけで済めばいいけどね」


 ルナが進むと、オルシアとリリアナもついていく。砂丘を越えると、そこにはさらに室内とは思えない光景が広がっていた。

 オアシスだ。空の色を映した泉、というには大きすぎる湖があり、ヤシの木が生えた砂浜に、静かな波が押し寄せている。

 その砂浜にパラソルがあり、その影にサマーベッドに寝転ぶアルフォンスがいた。さすがに水着ではなかったが、上着を脱いで軍服を着崩している。


「何してるんですか、アル先生」


 ルナが近付いてそう言うと、アルフォンスはサングラスずらして見上げた。


「ようやく来ましたか。待ちくたびれましたよ」


 アルフォンスが軽やかに立ち上がると、オルシアとリリアナを見る。


「これはごきげんよう、オルシア嬢、リリアナ嬢。ルナ君、僕に勝てないと悟って、仲間を連れてきたわけですか。賢明ですね」


 ルナは額に血管を浮かべる。


「言っておきますが、別に勝とうとかそういうつもりはありませんから。二人も公開試験を受けるので、今日から一緒に訓練しようと思ったんです。アル先生なら、三人相手でも問題ないでしょ」


「公開試験のためですか。まぁ、構いませんが……。しかし、そうなると、僕も少し残念なお知らせがあります。今まで毎日ここで訓練を行っていましたが、週三日に減らそうと思うのです」


「え、いいんですか⁉」


「いいんですか? あなたは嫌がるかと思っていましたが」


「ああ……、いえ、別に訓練が嫌とかいうわけではなく、近頃、私の基礎知識が足りていないと感じることがありまして……。しっかりと座学の時間も取りたいと思っていたんです。アル先生は、どうして日数を減らそうと?」


「軍の仕事に、教師の仕事、あなたの訓練で、自分の時間が全く取れなくなってきていまして。正直に言うと、面倒になってきました」


「えぇ……」


「だからと言って、手を抜くつもりはありませんから、安心してください。むしろ、これからはもっと厳しくすることになるでしょう」


「……」


 ルナは露骨に嫌そうな顔をするが、アルフォンスはそれを無視して、オルシアとリリアナに顔を向けた。


「さて、お嬢さま方は、ここでどんな訓練が行われるか知って来ているのでしょうか」


 オルシアとリリアナが小さく首を振って否定すると、アルフォンスは片眉を上げてルナを見る。


「そうですか。では、説明しておきましょう。生き延びてください。僕を殺すつもりで攻撃してもらっても構いません。どんな方法でも、魔術でなくても、僕に勝つことを目指してください。では、参ります」


 アルフォンスは二人が困惑するのも気にせず、指先から紐を伸ばすと、それを地面に埋める。地響きに砂丘が揺れ、アルフォンスの足元から巨岩でできた人型が現れる。


「ま、魔物⁉ ゴーレム⁉」


 リリアナが動揺して叫ぶ。

 実際にはゴーレムではなく、アルフォンスの紐で人型を模した糸操り人形みたいなものだ。

 ルナは二人に下がるように言う。


「二人とも防御ばかりじゃ押し込まれるだけ、常に攻撃を意識して! 足を止めないで!」


「え……、え? え?」


 リリアナはどうすれば良いのかわからず、右往左往する。そこに巨岩の腕が容赦なく振り下ろされた。衝撃で砂が舞い上がる。オルシアの風によって体を運ばれたリリアナは、何とか生き延びていた。


「あ、ありがとうございます」


「リリアナちゃん! 戦わなくちゃいけないみたい……!」


 リリアナはまだわけがわかっていない様子だったが、オルシアが力強く言うのを聞いて、気を引き締める。

 オルシアが浮遊杖を上空へと飛ばし、回転させる。巨大な無数の竜巻が砂を巻き起こし、ヤスリのようにゴーレムの腕を削っていく。

 リリアナが扇子を広げる。それが彼女のケインのようだ。


「リリアナ・リルケーの名に置いて命ずる! 乾きの巨人よ、我らを守る盾となり、敵を討つホコと成れ!」


 リリアナが呪文を唱えると、彼女の足元の砂地が盛り上がる。それは大きな盾と剣を持つ、鎧を纏った巨人と化し、ゴーレムと戦い始める。


「これで良いんですの⁉」


「すごいよ、リリアナ! そのまま押し留めて!」


 ルナが言うと、リリアナは張り切ってゴーレムと戦った。オルシアの竜巻が壁となっているのか、水辺に立っているアルフォンスは動いていない。


(やっぱり。防御に集中して、前に出てこない。手数の多さは正義……)


 この砂地ではルナの得意な土の魔術は効果が薄い。火は使えそうだが、ルナはそこまで強力な火の魔術は持ってない。リリアナのように支配の魔術は、燃費は良く属性を問わないが、彼女のように精巧に操るには、相当な習熟が必要だ。


(使えそうなのは、アル先生の後ろの水か……)


 この演習場は、自然の地形を魔術で無理矢理に再現している。それは目に見えない部分もである。オアシスがあるのであれば、その下には地下水脈もあるはずだ。ルナはオルシアの風に隠れ、アルフォンスの視界から逃れると、水脈を探す。


(あった! しかも、こっちが上流)


 ルナは静かに自分の魔術を水脈に乗せて泉に向かわせる。既に泉の水のほとんどはアルフォンスの支配下にある。不用意に近付けば、この水による攻撃に晒されることになっただろう。


「オリィ! そのまま竜巻をアル先生にぶつけて!」


「え⁉ でも、この風が当たったら……」


 オルシアはアルフォンスが怪我をすることを恐れているようだ。


「オルシア! それで勝てるなら、七魔剣なんて誰も名乗れないよ! それにあの人は治癒魔術師、少しくらい乱暴しても死にはしない!」


 ルナの言葉に、オルシアは頷いた。人に本気の魔術を向けるのは初めてのことである。だが、アルフォンスの実力は、第三学位に上がった試験で、嫌というほど理解していた。


「私の魔術でどれだけできるか……、試してみる!」


 アルフォンスに向けて竜巻が進行を開始した。


(よし。この風に気を取られている間に……)


 だが、リリアナの砂のゴーレムが押され始めている。岩対砂では分が悪いようだ。ルナは自分の体から植物を生成し、それアルフォンスのゴーレムに向けた。足元から突然伸び始めた樹木に、岩のゴーレムは足を取られてバランスを崩す。


「リリアナ!」


「はい!」


 砂のゴーレムの剣が、岩のゴーレムに突き立てられる。貫くことはできないが、岩のゴーレムを押し返すことはできた。


「リリアナ、受け取って!」


 その隙に、生やした樹木の形を変え、木製の巨剣と盾を作り出す。リリアナの砂のゴーレムはそれを手に取ると、もう一度、岩のゴーレムに向かい合う。これで少しは時間が稼げるはずだ。

 オルシアの風がアルフォンスに迫っている。

 もし、アルフォンスが風から逃れようとするならば、水の支配は緩むはずである。しかし、アルフォンスは逃げようとはしなかった。

 岩のゴーレムを操っている右手はそのままに、左手を横に薙ぎ払う。それと同時に突風が巻き起こり、オルシアの竜巻の壁が消え去る。


「え……? 結界?」


 オルシアの風は、アルフォンスに前にある見えない壁にぶつかって、掻き消えたように見えた。アルフォンスはオルシアの魔術と同等の力を使い、風を打ち消したのだ。


「相殺したんだ……」


 ルナが言うと、リリアナが信じられないというような表情で応える。


「これだけの力を使いながら、複数の術を使えるんですの⁉ 本当に人間なのですか、あのお方……」


 ゴーレムを操り、オルシアの本気の風を打ち消し、大量の水を支配している。他にもどんな魔術を使っているかはわからないが、身を守るための術を発動しているだろう。

 ルナも舌を巻いていた。一対一の戦いでは、これほどの実力は見せていなかったのだ。かなり手加減されていたことを、今さら思い知る。


「でも、注意が逸れた」


 ルナは魔力を一気に水脈に乗せて、オアシスに送り込む。アルフォンスの支配は強烈で、ルナでは支配権を奪うことはできない。だが、地下からさらに溢れる水は押し留めることはできないはずだ。


(クラモーレム・ウァポーリス)


 心の中で唱える。

 水に火の魔術に混ぜ、温度を上げる魔術だ。それを暴走させれば、水蒸気に変えることもできる。水は液体の状態から、何倍もの体積に膨れ上がる。そして、その圧力を増していく。


「ほう」


 圧力は逃げ場を求める。地下には逃げる場所はない。

 それはより弱い場所を求めて、一気に爆発した。例え、水を支配していても、地面より硬くするのには、相当な魔力を必要とする。注意の逸れたアルフォンスは、水の支配に魔力は裂いていない。

 圧力が臨界に達し、オアシスの水を押し退ける。水蒸気爆発。アルフォンスが水を支配し、地下からの攻撃を防いでいたおかげで、逆に威力は増幅される。

 凄まじい爆発と噴煙が上がり、少女三人の体は吹き飛ばされた。


「な……なんなのです⁉」


 衝撃が収まり、雨粒が降り注ぎ始めて、リリアナは顔を上げた。


「ル……ルナちゃんがやったの?」


 オルシアが言うと、ルナは口に入った砂を吐き出しながら立ち上がる。


「まだ終わってないよ! 立って! 警戒して!」


 水滴と噴煙で、アルフォンスの姿は見えない。


「し、死んじゃったんじゃ……」


 オルシアが言う。確かに想像以上の爆発だったが、ルナはアルフォンスがこの程度では死なないとわかっている。

 雨が収まり、噴煙が消えると、オアシスのあった場所は巨大なクレーターとなっていた。そして、そのクレーターの真ん中に、アルフォンスは無傷で立っている。


「……」


「本当に人間ですか……、あのお方……」


 アルフォンスが片手を上げた。ルナが戦闘態勢を取るが、アルフォンスが先に声を上げた。


「今の攻撃はなかなかでした。気付くのが遅れていたら、僕でも危なかったかもしれません」


 涼しい顔をしてそう言われても、信用できない。


「二人とも早く戦闘態勢を……」


 ルナはそう言ったが、アルフォンスの方が早い。


「きゅああ!」


「なんなのですかー⁉」


 オルシアとリリアナはまだ衝撃から立ち直っていなかった。アルフォンスの紐が地面から飛び出し、その二人を拘束する。ルナの足にも紐が巻き付き、三人とも宙吊りにされてしまった。


「ま、参りました……」


 ルナがそう言うと、アルフォンスは紐を緩め、三人とも地面へと落とされる。彼は倒れ込んだ三人に近付き、声をかけた。


「即席の連携にしては、なかなかのものでした。三人とも既に第三学位のレベルではありませんね。公開試験も心配はいらないでしょう」


 アルフォンスの誉め言葉に、ルナは目を見開いた。今までそんなことを言われたことがない。


「ただ、色々と指摘する部分があります。まず、オルシア君の魔術。規模も数も素晴らしいですし、地形の砂を利用して攻撃力を増すのも良い発想です。

 しかし、冷静性を欠き、事象化が上手くいっていませんでした。事象化させれば、もっと小さく力を使い、それを加速させてさらに大きな竜巻を作ることも可能でしょう。少なくとも立てなくなるほど、魔力を使わなくても済んだはずです」


 ルナは気が付いていなかったが、オルシアは立ち上がらなかったのではなく、立ち上がれなかったのだ。


「リリアナ君は、少しお粗末な術でしたね。砂の巨人を作り出すのは良いですが、兜や鎧まで作る必要はないでしょう。それに武器を持たせるの良いですが、あなた自身が武器の扱いに慣れていないのでは、宝の持ち腐れです。剣術を学ぶか、もっと動きを想像しやすい形を作るべきでした」


「あれは咄嗟に作った形で……」


「では、その咄嗟の判断ができるように、あらゆる状況を想定して、イメージを固めておくことです」


「はい……」


 次のダメだしはルナの番だと身構えるが、アルフォンスは何も言わずに手を叩くと、演習室の地形が変化し、殺風景な石タイルの部屋になる。これが本来の演習室の姿である。刺すような日光も収まり、ルナはひと息ついた。


「今日の訓練はここまでにしましょう」


「え?」


 アルフォンスの言葉にルナは驚いた。


「まだ、私はやれますが」


「後ろの二人を見てください」


 ルナは振り返ると、オルシアもリリアナも、地面にへたり込んだままだった。

 まさか、そこまで魔力を消費していたとは思わなかった。病弱な体質のオルシアは、生命力を魔力に変換するのが難しい。リリアナも初めての実戦形式の訓練に、疲弊している。


「僕に一撃を浴びせたので、今日はここまでです。明日明後日の訓練はなし。休み明けの平日から、隔日で訓練します。では、解散」


「ま、待ってください。どうやって、あの爆発を逃れたのですか。ただの防御魔術ではないのですよね」


 ルナの言葉にアルフォンスはサングラスを上げた。


「ああ。確かにそういうことも教えなくてはいけませんね。では、ルナ君。あなたならどうやってあの爆発を生き延びますか」


 ルナが考えて答えずにいると、アルフォンスは他の二人にも答えを求める。


「風の魔術で衝撃波を操るとか……」


 オルシアが答えると、アルフォンスが頷く。


「それができるのであればそうするべきでしょう。しかし、衝撃波はかなりの速度で迫ります。それを支配して力を逸らすのは、現実的ではない」


「やはり、防御魔術による受け止めなのでは。アルフォンスさまほどの術士であれば、防御魔術の強度も相当なものに……」


 リリアナが言う。

 ひと口に防御魔術と言っても、五属性によって性質は様々である。

 基本の防御魔術は、風属性と言われている。自身の体の周りに、球状の空気の壁を作り出し、全周囲からの攻撃に対応する。オルシアが演習室の熱波を防いだのも、この術だ。

 物理魔術である土であれば強度を高めた壁を作り、水であれば衝撃を吸収する壁を作る。現象系の雷や火は、磁気による目に見えない壁や、衝撃波による相殺を狙うのだが、効果は限定的だ。


「リリアナ君、確かに僕の防御魔術は、その辺りの魔術士よりも高い強度を誇りますが、それだけであの爆発をやり過ごすことはできません。では、どうするのか。僕のやったことはこれです」


 アルフォンスが手のひらを掲げると、透明な剣がその手に握られていた。


「武器? 魔力で武器を作り出した?」


「魔術を切り裂いたのです。僕が使ったのは風の防御魔術ですが、球状ではなく、刃の形にした防御です。斜めに衝撃波を受けることで力を受け流し、切り裂くことで衝撃波の中に隙間を作り出すのです」


 言うは易しの典型である。もし、風の防御魔術で作った刃が、衝撃波の方向ではない方に向いていたら、防御ごと圧し潰されて命はない。


「そ、そんなことができるとは思えませんわ。少しでも力の方向を間違えれば、大変なことに……」


 リリアナが言うと、アルフォンスが首を横に振る。


「意外と簡単にできますよ。要は発想です。この防御は風見鶏カザミドリを参考に考案されたものです。刃の方向は、ある程度合っていれば問題ない。自身を中心にして刃は回転し、力の最も受け流しやすい方向に自動的に向くようにするのです。広範囲を覆うような術に対して、特に効果的です」


 そういうとアルフォンスは、自身の体を分厚い葉っぱの形をした結界で覆う。まるで巨大な剣だ。それが回転し、刃の先の向く先を変化させる。


「練習しておくべきでしょうね。これができるできないで、戦場での生存率は圧倒的に変わります。オルシア君は軍に入るつもりなのでしょう。宮廷魔術師を目指すリリアナ君は、防御については一流にならなければなりません」


 リリアナは頷いた。宮廷魔術師になりたいとはリリアナは言っていないが、当然のようにそうなりたいのだろうと思っている。アルフォンスの傲慢にも思える考えだが、それくらいでなければ七魔剣など務まらないのだと、リリアナは感じた。


「わたくしはただの宮廷魔術師になるつもりはありませんわ。七魔剣を超え、この国最強の魔術士になるつもりです。アルフォンスさまから、これからも学ばせていただきますわ」


 リリアナが立ち上がって宣言すると、アルフォンスは微笑んで頷いた。


「オルシア君はどうしますか。訓練についていけそうですか」


 ふらつきながらも立ち上がったオルシアは、ルナを見た後、アルフォンスに顔を向けた。


「やります。やらせてください」


「良いでしょう。では、また後日」


 砂でボロボロになった制服をルナが直し、そこで訓練は終了した。


 ◆


 訓練が早めに終わり、大食堂に来たルナたちは、同様に早めの食事をすることにした。


「だ、ダメ。まだ、食事が喉を通りませんわ……」


 食事を前にしたリリアナが、口元を押さえながら言う。オルシアも同様である。ルナは彼女らの背中を撫でると、二人の顔色が良くなる。


「まあ! いったい何をしましたの?」


 リリアナが言う。


「治癒魔術……。ルナちゃんも疲れてるのに」


「ルナは治癒魔術を使えますの⁉ それは素晴らしい……。さすが、アルフォンスさまの弟子ですわ」


「これくらいは何でもないよ。全身の血流を良くしただけだから。疲労が取れたり、魔力が回復したりするわけじゃないから、気を付けてね」


 元気が湧いてくると三人は激しい空腹感に襲われ、結局、何回かビュッフェを往復して、エネルギーを補充した。混み始めたので、三人は大食堂を後にする。


「そうだ。言うの忘れてたんだけど。リリアナ、明日なんだけど……、アル先生の訓練がなくなったから、午前中は座学をして、午後から街に買い物に行こうと思うんだ。ルームメイトが二人来るんだけど、リリアナも一緒に行こ?」


「買い物、街に、皆さんで?」


 リリアナが片言になりながら言う。


「もちろん、よろしくてよ! わたくしの財力をもってすれば……」


「リリアナ。あなたに奢ってもらうようなことはしないからね。いい? 私たちはあくまで対等な立場で遊びに出かけるの。友人に金をタカろうなんてしてないからね」


「は、はい」


 ルナが念を押して言うので、リリアナは困惑半分で頷いた。

 リリアナの寮は別のため、途中の廊下で別れることになる。そこでリリアナはルナたちに礼を言った。


「ありがとうございます。ルナ、オルシア。わたくしを仲間に入れてくださって」


 改まって言うのでルナは首を掻いた。オルシアはリリアナの手を取ると、その顔を覗き込む。


「リリアナちゃん、お互い頑張ろうね! 私……、私、リリアナちゃんのこと、勘違いしてた。ただ、貴族だからって偉そうにしてるって……。でも、そうじゃなかった。七魔剣を超えるなんて、すごい目標があるなんて。私も、ルナちゃんやリリアナちゃんに負けないように頑張るよ」


「ええ。頑張りましょう!」


 リリアナは二人と別れると、自分の寮に帰っていく。

 オルシアは寮に帰る途中、ルナに何気なく言ってくる。


「ありがとうね、ルナちゃん」


 オルシアまで改まって言うので、ルナはまた首を掻く。


「どうしたの、二人とも……。疲れすぎでしょ」


 ここまで疲れるほど魔力を使ったのも初めてなのだ。それで感情がタカブっているのだとルナは思った。


「フォルスター魔導師に、直接魔術を教われるとは思ってなかったの。それに実戦に近い訓練なんて、普通は受けられない。軍に入る私たちのことを思って、二人だけの訓練に入れてくれるなんて、お礼を言うだけじゃ終われないよ」


 ルナは苦笑いして髪の毛を指で巻く。


「別にそこまで考えていたわけじゃないんだけど……」


 オルシアの純真さがルナには痛い。すっかり自分は心の汚れた大人になってしまった。アルフォンスとの戦いに、囮に使おうとしていたなんて言えない。

 部屋に戻ると、ダウリがいびきを掻いて寝ていた。オルシアがダウリのベッドを覗き込むので、ルナは注意する。


「あんまり人の寝顔をジロジロ見ない方がいいよ」


「そ、そうだよね。ごめん……」


 何度かそういう姿を見ている。ルナも寝ているうちに覗かれていたかもしれない。


「寮に入ってから初めて知ったんだけど……、寝顔って可愛いと思って」


 ルナは何とも言えない顔をして、オルシアを見つめる。


「ご、ごめん……。変だよね」


「まぁ、わからないこともないよ。あんまりジロジロ見に行かない方がいいとは思うけど」


「そうする」


 そうこうと話していると、ダウリが目を覚ました。


「……お腹空いた」


「食堂、もうご飯準備されてましたよ」


「もう食べたの?」


「はい」


「そっか、じゃあ、食ってこよ」


 ダウリは寝ぼけ眼で食堂に向かった。オルシアがその背中を見送ってから言う。


「ダウリさんって意外と普通の女の子だったね。初めて会ったときは、なんていうか……、すごく落ち着いた感じだったけど、この間もはしゃぎ方もとっても楽しそうだったし」


「そうだね。人はそういうものだよ。人目があるときは猫を被るし、初めて会う人には良く見られたいと思う。気を許せば素顔を見せる。人ってそんなものでしょ」


「ルナちゃんもそうなの?」


「そうだよ」


 オルシアは少し言い辛そうに、ルナに言う。


「卒業したら、ダウリさんの店で働くの?」


 ダウリはルナを『ダウリの縫製店』に誘っていた。既に店の場所は確保し、あとは卒業するだけだという。今度の卒業試験……、ルナたちの公開試験の一週間後にある試験で、彼女はこの学園を去る。

 そして、ルナが卒業したら、ダウリの開いた店で働かないかと言ってきた。

 ルナの植物系魔術があれば、服飾を作り放題だ。ダウリ自身の縫製魔術は植物以外の生地も扱えるが、ルナほどの速度は出せない。庶民向けの安い服を提供するのであれば、原価低減・大量生産をする必要がある。

 ダウリは自分ひとりでもやれるほどの魔術を開発していたが、それでも人手があることに越したことはないと考えているようだ。


「オリィ、その話は断ったの聞いてたでしょ? 私は特待生だから、自由はない」


 力のある魔術士見習いイニシエイトは、特待生として無料で入学できる。学費は国が学園に払うのだ。それはつまり、国が才能ある魔術士に、唾を付けておくということ。

 ルナに自由はない。


「それは……、暗黙の了解みたいなもので……」


「私が有力者の娘だったそうかもね。私はただのみなしごだよ。それに七魔剣の弟子でもある。軍に入るか、宮廷魔術師になるか、魔導師になるか。私の道はそれくらいしかない」


「じゃあ、一緒に軍に入ろうよ」


 オルシアは躊躇タメラいもなく言った。人生の決断を、そう簡単に決められるものではない。

 ただ、ルナとしても軍に入ることは決定事項のようなものである。もし、魔王軍と戦うのであれば、そうなるだろう。


「考えとく」


 そのことはオルシアには伝えなかった。


 ◆


 ダウリは後輩の面倒を見るのが好きなようで、イルヴァだけでなく、オルシアとルナにも衣装を考えてくれた。座学の勉強に来たリリアナという素材・・にも、惜しみなくその才能を発揮して、着せ替え人形に変えてしまった。


「あ、あの勉強会は……」


「そんなの後! 午後からのお出かけ前に、しっかり仕上げなくちゃ」


 初対面の相手に、ここまでもみくちゃにされるのは、リリアナは初めてのことであるが、様々な色とりどりの衣装を着られるのは、まんざらでもない様子である。


「ダウリ。街を出歩いても恥ずかしくない格好に納めてよ」


 イルヴァがタシナめると、ダウリは不承ながらも奇抜なデザインではなく、街歩きできる程度の色彩に戻す。


「素晴らしいものですわ。わたくしの卒業後の初めての社交界では、ダウリに衣装を頼みましょう」


「まあ、ありがとう! 必ず良い物を作って見せるから」


 結局、午前中の時間は勉強などしている暇はなく、おしゃれをしたルナたち五人は、大食堂で昼食を摂り、街に出掛けることになった。


「つまり……、ここにはイーブンソード家に、ヴェルデ家に、リルケー家までいるってこと? ヴァヴェル学園の三英傑って感じね」


「私は発音が似ているだけですけどね……」


 ダウリが言うと、ルナが否定する。


「でも、フォルスター魔導師の直接の弟子なんでしょ? ヴェルデ家だからじゃないの?」


 確かにアルフォンスはヴェルデの名を聞いて弟子にした。そういう意味では、その名に感謝しなければならないが、同時にこのような不毛なやり取りも増える。


「フフフ。ルナ、そんな風に否定しても、あなたからは名家らしい気風を感じますわ。持っているものは隠しきれませんことよ」


「ね~」


 リリアナとダウリは会ったばかりなのに、息を合わせている。


「まるで生き別れの姉妹のように、仲が良くなりましたね」


 ルナが皮肉交じりに言うと、リリアナが照れる。ダウリはその肩を抱いて、ルナを見た。


「まさか学園の最後の学期に入って、あなたたちみたいな後輩ができるなんてね。もう少し、早く学園に帰るべきだった」


「わたくしも、もっと早くダウリお姉さまと出会いたかったですわ」


 ダウリがリリアナを抱きしめる。リリアナはルナたちには見せない笑顔で、それに応えた。年上に対しては素直なようである。


「リリアナは、兄弟がいるの?」


「ええ。兄が三人、姉が二人いますわ」


 街に出ると、ルナたちは注目を集めた。今は制服ではなく、街行きの格好ではあるが、その作り、縫製のひとつひとつまで、完璧な仕上がりだ。そんな服を着た若い娘が五人もいれば、道行く人は振り返らざるを得ない。ただ美しいだけではない。五人も少女が集まれば、ヤカマしくてしょうがない。


「まずはやっぱり魔道具店ね。次に魔導書店。他に行きたいところは?」


 イルヴァが言うと、ダウリが言う。


「服も見たい」


「服屋ね。他には?」


「小物を見てみたいです。街の小物店を見たことがなくて……、寮の子が変わったクシを持っていました」


「わたくしも寄ってみたいですわ」


 オルシアの意見に、リリアナが同意する。


「小物店ね。ルナはどこかない?」


「どういう店があるのか知らないので」


「そうね。じゃ、見て回ってから、寄りたい店を言ってよ」


 街には商店街がいくつもあるが、表通りにある店は、一般人向けのものが多い。商店街の横丁に当たる路地に、魔術士向けの小さな店が乱立しており、学生たちはそこを訪れては、掘り出し物を探して回っている。中には無知な学生を狙った、詐欺紛いの店もあるので注意が必要だ。

 狭い路地なのに、人でごった返している。別の学園の制服を着ている学生もいる。

 ショーウィンドウの中には、摩訶不思議マカフシギな動きをする道具や、色鮮やかな液体の入った小瓶、豪華な装丁ソウテイを施した書物など、様々な目をく物品が並んでいた。


「魔道具って、どういう物が一般的なんですか」


 ルナが訊ねると、ダウリが答えた。


「一般的な物かぁ。この街ではやっぱりあれだね。ポンプ」


「ポンプ? ポンプって水を汲む、アレですか」


「ダウリ、どうしてそこでポンプなんて出てくるの。もっとあるでしょ」


「えぇ? でも、ポンプすごくない? 私たちが清潔に暮らせるのは、ポンプのおかげだし、街をここまで大きくしたのは、ポンプのおかげでしょう」


「いや、それはそうかも知れないけど……」


 ダウリが言う意味はルナにはわかる。これだけ大規模な層構造を持つ街を作るには、住人のライフライン、特に水、衛生面は必要不可欠だ。

 とはいえ、ルナが欲しい情報ではないことは確かだ。もっと魔術の役に立つような物。黒い炎に近付ける魔道具が欲しい。


「この魔道具店を覗きましょうか。ここではケインを主に扱っている」


 杖とマントを着た竜が看板に描かれている。ダウリが入っていくので、ルナたちも付き従った。

 店内の壁には、色々な形の杖が飾ってある。

 短杖ワンド中杖ロッド長杖スタッフなどの普遍フヘン的な形の物から、オルシアの持つ浮遊杖ドローンワンドに似た物や、金属製の棍棒にしか見えない物、キラびやかな宝石を幾つも填め込んだ豪華な杖もある。


「いらっしゃい」


 やる気のなさそうな年配の店主が、店の奥でルナたちを一瞥イチベツし、また、手元の作業に戻った。


「そう言えば、ルナは杖を持ってないね」


「私の魔術は、決まった形式がないんです。そのときの状況によって形が変わるので、持たないようにしているんです」


 正確に言えば、杖に代わる物はある。祖母の形見の鍵。いつも首にかけているそれは、既に役目を終えているが、ルナにとっては道を歩くための杖代わりだ。

 イルヴァが問う。


「じゃあ、近付かれたときはどうするの? まさか、素手で殴る?」


 ルナはその問いに口を曲げた。


「杖って……、人を殴るためのものなんですか?」


「もちろん。そういうときのために長物ナガモノを持つんだよ」


 その話を聞いていた店主が顔を上げた。


「あんたら、新入生かね?」


「この子は新入生だよ」


「そうかい。じゃあ、説明しとくかね」


 店主は立ち上がると、ルナに一本の短杖を渡した。それは木製のシンプルな物で、例えるなら指揮棒か、小枝でしかない。


「持ってみてどう思うかな」


「どうって……、ただの木の棒?」


「そうだな。だが、振ってみたいとは思わなかったかね。このワンドに宿る魔力を感じなかったか? 力強い重みを感じないか?」


 確かにただの木の棒にしては、ずっしりと重く、硬い手触りを感じる。武器として使うには弱いが、持っていると心強く感じるのも事実だ。

 ルナが頷くと、店主は気を良くして、さらに長い中杖を手に取った。


「こうやって道具を持つとな、人は本能的に力強く感じるものだ。もしかしたら、神さまがわしらを創るときに、そういうようにしたのかもな。人は道具を作り、使う。そうやって、家を作り、街を作り、国を作り、魔術を作った。道具は人に自信を与えるんだ」


 店主がルナにその中杖を渡す。


「自信は魔術を使うときの想像を補強してくれる。もちろん、いざというとき、ぶん殴るのにも使えるしな。ふむ。だが、お前さんは、既に強いのを一本持っているようだな」


 首にかけた鍵のことを感じ取ったのだろうか。店主は普通の男に見える。


「おじさんも魔術士なんですか?」


「いやいや。わしは学園を卒業できんかった。落ちこぼれさ。だが、こうして魔術士見習いに手助けするくらいの魔術は使えるよ」


 魔術士とは、ただの称号でしかない。称号でしかないが、重い意味を持つ。

 魔術士は魔術協会に所属し、その規範に従う。規範はひとつ。人々を助け、守ることだ。

 協会に研究成果を納め、その規範に従う限り、魔術を自由に使う権利を得て、魔術に関する最新の情報を得ることができる。しかし、それには実力と、安定した生活が必要だ。

 この街にある魔術学園も、簡単には卒業できない。第四学位までの生徒は多い。だが、第五学位に上がれる者は少なく、そこから人数はかなり減ってしまう。諦める。挫折する。金が尽きる。そうやって、やめていく。

 第五学位昇格試験が、一般人と魔術士を別つ、ひとつの分水嶺ブンスイレイなのだ。


「そうだな。こんな杖では満足できんだろう……。そういうお嬢さんにはこいつだな」


 店主はディスプレイケースから、ひと振りのナイフを取り出した。それをルナに掲げて見せる。ルナが触ろうとすると、店主は手を引っ込めて、注意した。


「ああ。不用意に触れるな。こいつに魔力を流し込んだら、買い取ってもらわないかん」


 ルナが不思議そうな顔で店主を見た。店主は鞘から少しだけ刃を見せた。刃は光を反射して、青白く輝く。


「一度、魔力を込めると、その魔力の性質を再現する。最初の力は弱いが、同じ魔力を込め続けると、どんどん成長していく。だから、込める魔力は慎重に、持ち主も慎重に選ばなきゃな」


 店主はルナの目を見る。


「2シルバーだ。入学祝いに特別に安くしておくよ」


 2シルバークレスは、二万クレスである。つまり、先晩の売り上げとほぼ同額だ。四人で分けたので、ルナが持っている金額では全く足りない。

 ダウリが店主に近付き、そのエプロンに手を置いた。豊満な身体を押し付けると、耳元でササヤく。


「おふ……」


「ねぇ、おじさま。私、今度、この街で縫製店を開くの。店に来てくれたら、たっぷりサービスするよ……。それにこの子は七魔剣の弟子。ここでお得意さまになっておくことは、悪い話じゃないはず……」


 ダウリが手を離すと、エプロンにはこの店の看板と同じ模様が描かれている。


「おお、これは……。いいな」


 ダウリが最後に耳元で店主に囁くと、店主は顔をシカめ、諦めたように肩を落とす。


「わかった。第六学位のお嬢さんとはな……。けど、まけれても1シルバーだ」


 ダウリが胸の間からコインを一枚取り出し、店主の手に渡した。そして、ナイフを受け取る。それをルナに押し付ける。


「これは、受け取れません!」


 ルナが触らないようにするが、ダウリはその手を取って、ナイフを握らせた。


「プレゼント。あなたのおかげで、私のお店は繁盛しそうな予感がする。そのお礼」


 ダウリが未来への希望で満たされた表情をルナに見せた。ナイフを受け取ると、その重みが心強く感じた。

 しかし、なぜか何か嫌なものがルナの心にヨギった。

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