悪役令息(Ω)に転生したので、破滅を避けてスローライフを目指します。だけどなぜか最強騎士団長(α)の運命の番に認定され、溺愛ルートに突入しました。
藤宮かすみ
第1話「悪役令息、破滅フラグを回避したい」
「リヒト、お前も次の王家主催の夜会に出席しろ」
父であるアシュフィールド男爵の言葉に、俺は手にしたカトラリーを取り落としそうになった。
目の前の皿に乗っているのは、俺が裏庭の小さな畑で育てた芋の煮っ転がしと、硬い黒パンだけ。
没落寸前の貧乏男爵家らしい、質素な夕食の風景だ。
俺、リヒト・アシュフィールドには秘密がある。
この世界の人間でありながら、かつて「日本」という国で生きていた記憶を持っている、いわゆる転生者だということ。
そして、さらに厄介なことに、ここは俺が前世でハマっていた乙女ゲーム『青薔薇の君に忠誠を』の世界であり、俺自身はそのゲームの「悪役令息」だという事実だ。
ゲームの中のリヒトは、主人公のヒロインをいじめ抜き、攻略対象である王子や騎士団長に媚びを売る、典型的な嫌われ者。
そして最終的には、数々の悪事が露見して断罪され、国外追放される運命にあった。
「……ですが父上、俺のような者が夜会に出ても、家の恥になるだけでは」
俯き、か細い声で反論する。
ゲームの知識があるからこそ、夜会への出席が何を意味するのか痛いほどわかっていた。
そこは、俺の破滅フラグが本格的にスタートする、始まりの場所なのだから。
「口答えをするな!いいか、これは決定事項だ。お前ももう十七だろう。少しは家の役に立つことを考えろ。どこぞの貴族の目にでも留まれば、したくもない結婚をしなくて済むかもしれんのだぞ」
父の言う「したくもない結婚」とは、俺が男でありながら子を成せる「Ω(オメガ)」という性がゆえの、政略結婚のことだ。
この世界にはα(アルファ)、β(ベータ)、Ωという三つの性があり、希少なΩは家のための道具として扱われることが少なくない。
俺は運悪くΩとして生まれてしまった。
それも、ゲームの悪役令息という最悪の役柄で。
「……わかりました」
結局、俺に拒否権などなかった。
兄たちは「ちょうどいい、せいぜい金持ちのαを捕まえてこい」と嘲笑い、母は何も言わずにため息をつくだけだった。
これが、アシュフィールド家における俺の立ち位置だった。
転生を自覚したのは十歳の頃。
高熱にうなされたのをきっかけに、前世の記憶が洪水のように流れ込んできた。
それからの七年間、俺はひたすら目立たず、大人しく生きることを信条としてきた。
ゲームのシナリオを回避するため、ヒロインにも攻略対象にも関わらない。
ただ、この貧しい領地で家族のために尽くしてきた。
前世の知識を活かして農業を改良したり、保存食を作ったりして。
だが、運命はそれを許してはくれないらしい。
夜会当日、俺は兄のお古であちこちが擦り切れた正装に身を包み、王城へと向かう馬車に揺られていた。
窓の外に流れる華やかな王都の景色が、まるで別世界のように感じられる。
王城の大広間は、きらびやかな衣装をまとった貴族たちで溢れかえっていた。
誰もがシャンパンを片手に談笑している。
俺はその光景に気圧され、誰にも気づかれないよう、壁の花に徹することにした。
とにかく、今日の目的はただ一つ。
誰の目にも留まらず、無事にこの夜会を乗り切ること。
しかし、神様はどこまでも意地悪だ。
「少し、よろしいか」
不意に、背後から低く、それでいてよく通る声がかけられた。
びくりとして振り返ると、そこに立っていたのは、この世の美をすべて集めて形にしたかのような、一人の男性だった。
輝くような銀髪。
夜の湖のように静かで、吸い込まれそうなほど深い蒼い瞳。
寸分の隙もなく着こなされた純白の騎士服は、彼がただ者ではないことを示している。
間違いない。
彼こそが、このゲームのメイン攻略対象の一人であり、アステル王国最強と謳われる騎士団長、カイ・ヴァレンシュタイン。
そして、ゲームのシナリオでは、俺、リヒト・アシュフィールドが最初に媚びを売り、そして最も無様に袖にされる相手だった。
「……な、何か御用でしょうか」
心臓が早鐘のように鳴り響く。
まずい、一番関わってはいけない人物に見つかってしまった。
冷や汗が背中を伝うのがわかる。
カイは俺の返事に答えず、ただじっと、その蒼い瞳で俺を見つめていた。
まるで値踏みするかのような鋭い視線に、俺は思わず身を縮こませる。
彼の周りだけ空気が違う。
冷たく、張り詰めたような緊張感が漂っていた。
「……いや。人違いだったようだ」
しばらくの沈黙の後、カイはそう短く告げると、俺に背を向けて雑踏の中へと消えていった。
残された俺は、その場でしばらく動けなかった。
今の出来事はいったい何だったのか。
カイの瞳に宿っていたのは、冷たさだけではなかった。
何かを探るような、そして、どこか焦がれるような、不思議な光が揺らめいていた気がする。
考えすぎだ。
きっと、俺がみすぼらしい格好をしていたから不審に思っただけだろう。
そう自分に言い聞かせ、俺は再び壁際に身を寄せた。
だが、その時の俺はまだ知らなかった。
この些細な出会いが、俺と彼の運命を大きく揺り動かす、ほんの始まりに過ぎなかったことを。
破滅フラグを回避するための俺の努力は、皮肉にも、新たな、そしてもっと抗いがたい運命の歯車を回し始めていたのだった。
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