試行回数二回目

第1話 始まりの襲来

「たーらららーらー!!」


 とある小さな村の端っこ、自分の家の前の丁度いい高さの岩に座って弦楽器ウルールを弾く少年が自作の歌を披露していた。


 観客席はないが、そこにはいつも村中の人が集まって、少年の歌に耳を傾けていた。


 雑に見えて芯の通った歌声は人の心を揺らし、黙り込んでいた熱情を呼び覚ましてくれる。語られる英雄譚は、何度聴いても飽きない完成度だ。


 そんな吟遊詩人見習いである少年ミトは、今日も今日とて旅立つその日に向けて、歌の練習に励んでいた。


「どうです!僕の歌は!」


 弾き終わり、観客へ評価を求めると、返ってくるのはいつだって称賛。そこに村人達からの贔屓目など存在せず、ミトは正当なる評価で満点を獲得していたのだ。


「旅立つのは丁度来週だったか、寂しくなるなぁミト!」

「えぇまぁ!でも永遠の別れじゃありませんし、また帰ってきますから!」


 この村で育ち、吟遊詩人として各地を渡る母に憧れたミトは、母から受け継いだ自慢の喉を武器に、母と同じように世界を回って英雄譚を広める予定だ。


 前世、現代日本で生きていた頃の記憶を引き継ぎ、この異世界で転生したミトは同じ名前を授かった。


 幸運なことに、彼を産んだのは吟遊詩人を生業とする女性だった。母親の喉を受け継ぎ、そして生前の歌の技術を用いてメキメキと成長したミトは、今や村一番の歌自慢なのだ。


 歌声で人を幸せにしたい。その思い一筋で生きること早十六年。ようやく村を旅立つ時期がやってきた。


 この時のため、小さな頭を必死に回して世界のことを学んできた。きっと、一人で旅に出ても大丈夫なはずだ。


「ほれ、これ今日のチップね!」

「いい歌をありがとう!」

「頑張ってね、ミト」

「はぁい!皆様どうも、ありがとうございます!」


 ミトはピンク色のサイドテールを揺らし、この日稼いだ金を懐にしまって家へ帰った。


 父も母も世界を旅しているせいで家には独りだが、この村の人達はいい意味でミトを放っておいてくれない。村にいて退屈したことはなかった。


 毎日必死に生きている。朝は皆に挨拶して、昼は歌って金稼ぎ、夜はその日の疲れをとって明日に繋げるために頑張って眠る。


「死んだらしい時の記憶はないけれど……」


 思い出そうとしても思い出せないあの瞬間。しかしそれは今のミトには関係ない。むしろ歌に集中できて、今の生活はとても気に入っている。


「きっと、明日も楽しくなるはずだ……!」


 そう呟いて、ミトは笑顔のまま布団にくるまった。明日はどんなにいい日だろう。どんな歌を思いつくだろう。皆どんな顔で笑ってくれるだろう。


 ───そんな明日への期待は、簡単に裏切られた。


~~~


「ん……?」


 朝、あまりに静かな村の気配に背筋が凍ったミトは、言いようのない恐怖に身をすくめながら家の扉を開けた。


 村にはいつものような活気はなく、見渡しても誰一人として居なかった。


 どうしたのだろうか。そう思ってお隣さんを尋ねてみた。お隣と言っても、ミトの家は村の端っこ過ぎて村かどうかも怪しい程なので少し距離がある。


 なんとかたどり着き、どんどんと扉を叩いて、「あの~……?」と声を上げてみるも、返答はない。いつもならすぐに出てきてくれるのに。


 おかしいと思って扉を押すと、なんと鍵はかかっておらず、簡単に開いた。


「うぇ……!?」


 扉を開け放った瞬間、ミトの鼻を嫌な匂いが突き抜けた。


 ───それは、血の匂いだ。


「なんで、なんでなんでなんで……!?」


 あってはならない現実を認められず、自らの目で確かめるためにミトは家の中へ飛び込んだ。


 それが間違いだった。


「ぁ……」


 大きくない家の中、居間にぶちまけられていたのはここに住むお隣さん、だったはずの肉塊だった。


 無惨に潰された顔面、切断された手足、壁天井にまで飛び散った大量の血、そして、真ん中に広げられた臓腑と排泄物の匂いに、ミトは昨夜の夜ご飯を口から吐き出した。


「お、ぇぇ……」


 初めて見た惨状。人の死に様。まだ暖かいそれに腰が抜けて、ミトは声が出せなかった。


 そんなミトはこの日、人生で一番ついてなかった。


「ッ」


 小さな足音。明らかに人間のものではないそれに振り返ると、ミトが開け放った扉の前に、それはいた。


「ま、魔獣……!?」


 口に大量の涎を纏わせ、人に似た手を六本生やして這って移動する、目がない異形の生き物。かつて『魔王』が生み出したとされる、魔獣という人類の敵であった。


 その魔獣はしばらく家の中を観察したあと、何かスイッチが入ったかのように不気味に走り出した。


「ひ、ぃぃいやぁぁああ!!!」

 

 あまりの恐怖に絶叫しながらミトは駆け出した。お隣さんの家には何度もお邪魔したことがあったから、裏口の位置は知っている。魔獣へ家具を押し倒して、ミトは外へ飛び出した。


「だ、誰か、誰かぁ……!!」


 ウルールを背負ったまま、細身を必死に動かして村の真ん中へ駆ける駆ける駆ける。


 助けを求めて、いつもの暖かな日常を切望して、皆の笑い声を聞きたくて。


 でも、もうそれ全部、ここにはなかった。


「……ぇぁ……」


 村の真ん中に来て絶望した。そこには先程見た魔獣がうようよと徘徊し、そこら中に人だった肉塊が転がっていた。


 大人も子供も関係なく蹂躙され、命を弄ぶかのように残虐に殺されていた。死体は全てぐちゃぐちゃに潰され、魔獣が群がって一心不乱に食事を始めていた。


 地獄、地獄だ。見たことの無いほどの、最悪な───


「……あ」


 衝撃で動けなかったミトと、目のない魔獣は目が合ったような気がした。その嫌な予感は的中し、魔獣が一斉にミト目掛けて走り出した。


「い、いやぁ!!来ないで!!」


 ドタドタと人じゃない足音を背中に感じながら、ミトは死に物狂いで逃げた。逃げて逃げて逃げて、でも、ミトは体が細くて弱いから、魔獣から逃げられない。


 死にたくない死にたくないと脳内で唱えながら足を動かすが、魔獣との距離は縮まっていく。


「嫌、嫌、嫌だよ嫌だよぉ……!!」


 魔獣に食われて死んだ英雄もいた。そんな英雄譚は何度も歌ってきた。そんな最期も味があるなんて烏滸がましいことを考えたこともあった。


 味がある?美しい終わり方?そんなわけがあるか。死なんて怖くて辛くて痛くて悲しくて酷い酷い酷い酷い酷い酷い酷い酷い酷い酷い酷い酷い酷い酷い酷い酷い────


「うわぶ!」


 不意に足を捕まれ、倒れたミトに乱暴に飛び乗る魔獣。体の下側に付いている大口を開き、その中の二枚の舌を不規則に動かしながら、ミトの最後の景色を自らの口内にしようとした。


「い、いやぁああああ!!!」


 絶叫。死に際の田舎の歌姫の甲高い声は、誰もいなくなった悲しき地獄の最後を彩って──


「なるほど、あいつか」


 閉幕の合図に、また別の声が介入した。


 その瞬間、ミトに乗っていた魔獣が、正面からの強力な打撃により吹き飛び、他の魔獣を巻き込んで転がって行った。


「──は、ぇ……?」

「ふむ」


 魔獣を吹き飛ばしたのは、ミカの眼前に伸ばされた長い脚だった。黒いブーツを履いたその脚は、耳に心地よい声と共に視界から姿を消した。


 急いで振り返ると、そこには女性が立っていた。


 黒髪黒瞳。それはこの世界で忌み嫌われる、魔人という種族の特徴だ。ミトよりも断然背の高いその人は、手に特殊な小手をはめていた。


 ミトは目を見張った。それは、あの豪快な蹴りをしたのが女性だったからでも、女性が魔人だったからでもない。


 その人は、この世のものとは思えないほど、美しかった。


 血の匂いを孕んだ風に揺られる黒髪も、魔獣を軽蔑する黒瞳も、どんな宝石よりも輝かしく、儚く見えた。


 そんな女性は、ミトへ手を差し伸ばして、


「大丈夫か?お嬢さん」


 そう、心に響く音色を奏でられ、


「……あ、男ですぅ……」

「えっ」


 次の瞬間、ミトは自分の言葉でその美しい微笑みを汚したのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る