壮良とパパ


「じゃあ、気をつけてな。」

「うん、……あとはよろしく。」


 夕月が玄関を閉めて、その姿が見えなくなった途端に壮良が大きな声で泣き出した。


「うわっ、お前、俺がいるだろうが……!」


 抱き上げた翔吾の顔を小さな手で押しのけ、世界の終わりの様に悲壮な泣き方をする息子を揺する。

 今までも夕月1人で出掛ける事はよくあったのに、今日は一段と泣き方が激しい。

 壮良なりにこれからの事を感じ取っているのかもしれない。


「寂しいよなぁ。ずっと一緒にいたんだもんな。」


 


「壮良くん、はじめまして〜!」


 初めて保育園に登園した壮良は、保育士に抱かれてきょとんとしていた。


「じゃあ、よろしくお願いします。」


 あらかじめ通知されていた通りに荷物を並べて保育士に軽く頭を下げる。

 翔吾の車にベビーシートが付いていたので、そのまま送り迎えをする事になっていた。


「はーい。パパ行ってらっしゃーい」


 壮良の小さな手を取って、保育士が手を振らせる。

 されるがままにぷらぷら手を振られている壮良を見て、意外に泣かないもんなんだな、と安心する。

 その一方で、夕月の時は号泣したのに……、と一抹の寂しさを覚えながら、翔吾も手を振りかえした。

 

 


 仕事を終えて壮良を迎えに行くと、保育室の窓から座り込んで遊んでいる背中が見える。


「あ、お帰りなさーい。」


 ぱたぱたと廊下に出てきた朗らかな保育士の笑顔に怯みそうになった。

 翔吾自身も職場で同じ様に保護者に声をかけるが、いざ自分が「おかえりなさい」なんて言われると、どう返すべきかわからない。

 家でもないのにただいまなんて返すのも変だろう。曖昧に笑っておいた。


「あ、どうも……。どうでした?」

「とってもお利口でしたよー。初めてなのに、頑張ってました。」

「そうですか。おーい、壮良、迎えに来たぞ。」


 保育室の扉を開けて声をかけると、壮良がぱっと振り向いた。翔吾を見て丸い瞳が見開かれ、ぎゅうっと顔がしかめられた。

 えへっえへっと引き攣ったように息を吸い込む。


 ──あ、来る。


「ぅうえ〜ぇぇん……!!」


 壮良が今まで持っていた玩具を放り投げて大きな声で泣き出した。

 ふらふらと立ち上がり、下手くそに歩み寄ってきた小さな体を抱き上げると、べたついた手が必死な様子でしがみついてくる。


「壮良、1日良く頑張ったなぁ……!」


 慣れない場所で初対面の大人と子どもに囲まれて、大人だって緊張するだろう。

 頬に触れる小さな指の熱さが、翔吾の胸を震わせた。

 涙と鼻水でTシャツの肩はびしょびしょだが、息子の頑張りに比べたら些細な事だ。

 うっかりもらい泣きしそうになって、慌てて顔を引き締める。


「よしっ、じゃあ帰るぞ。」

「お気をつけて。壮良くん、また明日ね。」


 感動に浸っていた翔吾は、保育士のその言葉で初めて思い至った。

 また明日もあるのだ。

 いや、これからずっと、1歳の我が子はたった1人外の世界で頑張らないといけない。

 ベビーシートに壮良を固定しながら、翔吾はその涙の跡を拭った。


「壮良、お前も大変だよな。……でも、俺も頑張るからさ。」




 帰宅すると既に夕月が帰っていて、夕食の支度をしていた。


「お帰り!保育園どうだった……!?」


 夕月は自分も復帰1日目で疲れているだろうに、大急ぎで手を洗い、飛び付くように壮良を覗き込んだ。

 壮良を夕月の腕に渡すと、さっそくお互いぐりぐりと頭を擦り付けて感動の再会をしている。


「おう、頑張ってたってさ。でも、迎えに行った時は泣いてた。」

「出掛ける時も泣いてたから、心配でね……。置いてったって嫌われちゃったらどうしようと思ったー。」

「そりゃねーよ。」


 翔吾はどう考えてもありえない夕月の発言を笑い飛ばした。


「これから毎日行くんだから、そんな心配してたら神経持たないぜ?」


 自分が泣くほど感慨を感じた事は棚に上げて揶揄うと、夕月は僅かに頬を膨らませた。


「だって……、壮良がいなくて寂しかったんだもん。」

「……ゆ、ママが?」

「うん。ずっと一緒にいたから。」


 ずっと側にいた相手と長時間離れる。理屈でわかっていても辛いのは大人も一緒らしい。

 そんな繋がりが妻と息子の間にある事に僅かに羨ましさを感じた。


「……じゃあ、俺も寂しかった。こいつ夕月が出かけた時は泣いたのに、俺と別れる時は泣かなかったし。」

「やだ、なにそれ。」


 吹き出した夕月を壮良ごと抱きしめると、邪魔するなと言わんばかりに壮良が押しのけてくる。


「ほら、見ろよ。嫌われんなら絶対俺の方だぜ。」

「そんな事ないって。パパだって大好きだもんねー?」


 大人の会話を理解しているのかいないのか、壮良は翔吾を一目見て、夕月の胸に顔を埋めた。


「こいっつ……!言っとくけど、そこ俺の場所だからな!」

「ちょっとなにムキになってんの……。」


 壮良を引き剥がそうとしたら、夕月に手をはたかれてしまった。


「壮良には貸してやるだけだし……。」

「はいはい。」


 痛くもない手をさすって見せると夕月が呆れたように笑う。


「ご飯出来てるけど、壮良とお風呂先入る?」

「……壮良だけずりー。俺も夕月が良い。」

「馬鹿。」

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