番外編 会社員ごっこ※


 それはまだ、2人が「新婚さん」だったころ。


 『仕事中 開けないで』

 そう張り紙がされた寝室から出てきた翔吾を見て、夕月はちょっとガッカリした。


「ねぇ、何それ。」

「何って?」


 今日の翔吾はスーツだった。

 夕月が選んだ、就活以来ずっと仕舞われていたものが、新人職員の為のリモート研修会で久々に日の目を見た。

 上半身だけ。


「なんでパジャマなの……。」


 翔吾が下半身に身に付けているのはスラックスではなく、昨夜寝たままのスエットだった。

 ワイシャツの裾は出たまま、ネクタイも結び目だけはできているが、大剣の方が短い。


「リモートだから、顔しか映んないし。……夕月、そういうのフェチって言うんだぜ。」

「ち、違うから…!だらしないってこと!」


 やれやれとドアの張り紙を剥がし、また寝室に戻って行く。


「ほらよ、これでいーんだろ。」

「仕事終わったんじゃないの……!?」

「終わったけど。」


 ちょっと遊ぼうと思って、と笑う翔吾は、何故かスラックスにベルトまできっちり着込んで現れた。


「ちょっとこっち向かないで……!」

「おい、……それが期待に応えた夫に言う事かよ?」


 顔を覆う夕月に構わず距離を詰めてくる。薄っすら遊ばれている自覚があった。


「そんな好き?スーツ。」

「別に……。」


 悔しい事に好きだった。


「嘘つけ。……こういうの好きならコスプレとかしてやろうか。」

「コスプレって警察とか?」

「…………警察は嫌。制服系?医者とか?」


 元不良の血が騒いだのか、夕月の言葉に翔吾はちょっと眉を顰める。

 確か捕まった事はないと聞いていたが、追われたことでもあるのだろうか。


「白衣なら仕事で毎日見てるよ。」

「それもそうか。」

「翔吾も先生じゃん。」

「俺の制服『動きやすい格好』だけど。ジャージでいい?」

「それも毎日見てる……。」

「じゃあさ、コスプレはいいや。夕月もスーツ着てよ。」

「え、何で?」

「『会社員ごっこ』しよ。」

 



 普段は格好付けているくせに、意外に翔吾はこういう遊びが好きだ。

 前にも思った事があったが、「こういうの」は、着替える時が恥ずかしい。


 ──だって、なんだか、期待してるみたいじゃない…?


 遊びとは言っても、この場合行き着く先は決まっている。

 仕事着のスクラブでお医者さんごっこしたいとか言われないだけ良かった。

 とは言え。

 本当に嫌なら突っぱねれば良いだけのこと。

「別に」嫌いじゃないのだから、結局はお互いさまだった。

 


「……着替えたよ。」

「顔真っ赤じゃん。OLなんだから、もっとスンとしてないと。」

「うるさいなぁ……。」

「俺部長。夕月が篠原さんね。」


 だからそんな、わくわくした顔をしないでほしい。


「なぁ、サラリーマンって何すんの?」

「うーん、勤めたことないからわかんないよ。」


 翔吾も夕月も月給取りではあるが、スーツで働くような一般企業にはあいにく触れた事がなかった。


「夕月ドラマとか見てるじゃん。どんな感じ?」

「えー、上司のコーヒーに、ボンド入れたりとか…。」

「いや、怖い怖い!何見てんの……!?」

「翔吾は何かないの?」

「……外回りして、飯食ったりとか?それにしても腹が減ったーって。」


 そういえば翔吾が挙げた有名ドラマの主演俳優も背が高かった。


「あの人サラリーマンじゃないんだよ。」

「え、そうなの?」

「個人事業主だから、ほぼ社長。」

「社長!?飯食ってるだけじゃん!」

「そういうドラマだから…。失礼だよ…。」

 

 会社員といっても所詮ごっこ遊びだから、実のところ詳細はなんでも良かった。

 スーツに関係なく、思ったより話が弾んで楽しい。


「お茶淹れよっか。」

「え、ボンド入り…?」

「ううん。ボンド勿体無いから、雑巾。……翔吾がパワハラ部長だったらね。」

「しないしない!」


 大袈裟に悲鳴を上げた翔吾がキッチンまでぴったりくっついて来る。


「どうしたの?」

「篠原さんが飲み物に変な事しないか見張ってんの。」

「しないって。」


 笑いながらヤカンを取った夕月の手を翔吾が抑えた。


「……冷たいのがいい。」

「そう?」

「熱いと危ないから。」

「……セクハラですけど。」

「判定厳しいな。」


 希望通り冷蔵庫のペットボトルからマグにお茶を注ぐと、翔吾が笑いながらいつものキッチンを見回した。


「ここって給湯室?」

「給湯室まで来る部長っていないんじゃない?」

「じゃあそれはやめ。……これ飲みながら残業しよ。ぎょーむ命令な。」


 上着の背中のスリットから不埒な手が忍び込む。

 薄いブラウス越しにその体温を感じた夕月は、肩口に垂れてきたネクタイを引いた。

 ネイビーで織り柄の入った、これも夕月が選んだ奴。


「やっぱりパワハラじゃん。」

「優しくするって。」

「ストッキング破かないでね。」

「……努力する。」




「ねぇ、やっぱり伝線した。」

「まじ?俺?」


 くしゃくしゃになってしまったスカートを直していた夕月が足を示すと翔吾が怯んだ。


「翔吾っていうか多分引っ掛けた。」

「なんだ、また怒られるかと思ったー。」


 幾度も釘を刺されてきた為か、あからさまに安堵した声を上げる。


「……翔吾!部長?残業代は?」


 ふと思いついて揶揄うと、翔吾は緩んだネクタイに手をかけてにやりとした。


「また今度、身体で払ってやるよ。今すぐでもいーぜ?」


 夕月も微笑み返した。


「……じゃあ、次の日曜日、お米買いに行こ。」

「えちょっと待って」

「晴れたらマットレス干したいから手伝ってね。それから、エアコンのお掃除と、シーリングライトに虫が入ってるから取ってほしいし、それから……」


 自分だって楽しんでたくせに、という翔吾の呟きは黙殺した。

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