君とそらを翔ぶ
『命名
マンションには神棚も床の間も鴨居もないので、とりあえずリビングの壁に養生テープで命名紙を貼り付けて、そらは壮良になった。
「何でそらだったの?」
退院したばかりの夕月がリビングの壁を見て何気なく聞いた。
「だって、夕月が月で、妹の
「翔吾は?」
「俺は……」
翔吾は口籠もった。
夕月の疑問は最もだし、全く考えていない訳ではなかったが、自分で口にするのは気恥ずかしい。
「俺は……翔ぶ。」
「ああ、なるほど、」
夕月は一つ頷いて、微笑んだ。
「それ、良いね。」
「夕月は、何で壮良にしたんだよ。」
「翔吾みたいに、強くて優しい人に育ちますようにって。」
「俺みたいに育っちゃ困るだろ……。」
夕月の腕の中の壮良はすやすやと眠っている。
到底真っ直ぐ育ったとは思っていないし、今だってそこまで「いい人」になったつもりもない。
出来るだけ自分のような思いはさせたくなかった。
「すっごいモテるようになるかもよ?」
「あのさ……ちゃんと反省してっから、イジんないでくれる?」
顔を上げてじと、と夕月を見ると、なぜか真面目な顔をしていた。
「良いんだよ。翔吾が普通の人だったら、結婚しなかったんだから。」
「まぁ、確かにそうかもな……。」
夕月に会わなかったら、どうなっていたか。それはあまり考えたくなかった。
「これが壮良かぁ!俺が本当のパパだぞー。」
「圭介、それベタすぎ。」
「つーか、ぶっ飛ばすぞ。」
「翔吾、そんな事言っちゃ駄目でしょ。」
「…………。」
「どっちが子どもだよ。」
「あ〜、赤ちゃんの匂いがするぅ…!」
集まった大人たちが大騒ぎする中で、壮良は泣きもせず目を瞬かせている。
久々に集まった友人達の中で、翔吾は元来の口の悪さを咎められていた。
十八番の舌打ちも禁じられて、アイデンティティはゼロだ。
理由は単純で、息子の情操教育に悪いから、である。
「リカ、高山くんは?」
「マキと一緒に置いてきた。」
夫婦揃って公務員の高山とリカは、入籍こそ自分達より一歩遅かったが、子どもが出来るのは早かった。
壮良を抱いたきり離さないリカは既に一歳時の母であった。
「なぁ、4年生って何であんなに言う事聞かないの?」
「持ったことないから知らね。」
「普通に反抗期じゃね。翔吾の方が俺たちより詳しいだろ。」
「誰が万年反抗期だよ。」
圭介とシンヤもなんだかんだできちんと教師になって働いている。
「何で俺低学年しか持たせて貰えないんだろな。1、2、1、2って運動会じゃねーんだぞ。」
「圭介、仲間だと思われてんだよ。職員室の椅子でぐるぐる回ってんだろ?」
「そんな訳ねーだろ。」
男3人が仕事の話をしている間、母になった女性陣はまだ首の座らない壮良にめろめろしていた。
「反射が、残ってる……!」
「リ、リカ、壮良で遊ばないで。」
「私ももう1人産もうかなぁ。」
「今育休でしょ?仕事どうするの?」
「
夕月たちの話の雲行きが怪しくなって来たぞ、と翔吾が危惧していると、不意に壮良が声を上げた。できた息子である。
「あら、壮良くんお腹すいたのかな?」
「……ちょっと早い。」
「あんまり時間気にしなくて良いんじゃない?欲しいだけあげれば?」
「そうかな……?」
じゃあ、と夕月が立ち上がる。
「ミルクにするなら俺やるよ、座ってれば?」
腰を上げた翔吾に、すかさず冷やかしが飛んだ。
「すっかりパパになっちゃって。」
「うるっせ、っ……さい、なぁ…!このオジサンたち…!」
「おい、今日の翔吾ちょっと面白いぞ。」
「リカちゃんと夕月ちゃんにもオバサンって言って見ろよ。」
「あんまり揶揄うと倉庫裏で根性焼きされんぞ。」
「いつのヤンキーだよ。煙草なんかとっくに止めたわ。」
漏れそうになった舌打ちも我慢。
いつかの狂犬もすっかり牙は抜かれ尽くして、今は息子とお揃いである。歯茎しかない。
偉ーい!とリカが声を上げた。
「悟理、煙草止めないんだけど。アイコスだからーって。」
「あいつカッコつけの癖に、本当中身はいい加減だよなぁ。」
「そうでしょ、翔吾はやればできる子なの。」
夕月もふざけて頷いている。
若干馬鹿にされているが、彼女の明るい笑顔が何よりだ。
「なに?喫煙者じゃないと彼女って出来ないの?」
「タスポだけ作って首から下げとけば?」
「タスポなんかもう無いじゃん……。」
うなだれるオジサンたちを尻目に、息子は哺乳瓶を吸っている。
「禁煙するまで高山は出禁だな。」
「マキちゃんとお見合いさせようと思ったのに。ねぇリカ?」
「ねー?壮良くんイケメンに育つだろうし。」
「それは俺の子だから間違いない。……でもあいつと親族になるのはまじ無理。リカちゃん恐いし。」
「言ったな……?」
自分に許婚が出来そうになっている事などつゆ知らず、壮良は哺乳瓶を咥えたままスヤスヤ眠りに落ちていた。
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