第5話「冬支度スプリント」
[Fixpoint] 祠結線/[Sprint] 冬支度の最短経路/[Incident] 闇手の介入
朝靄の底で、祠の石肌がしっとりと冷えていた。
細い鐘の口に、昨夜の露が一滴だけ残り、落ちる寸前で張りついている。
俺は祠の台座に膝をつき、固定点の結線を始めた。
〈街道恒久パッチ v0.9 → v1.0〉
固定点:祠#A/#B/#C の三点結合
結線媒介:刻印石(位相安定化)+鐘一打(位相宣言)
誘導源:基準香“パン”/週一校正
ログ:通行時の遭遇率を共同監査へ自動送信
薄い光が石の目の間をすべり、目には見えない“縄”が三つの祠を結んで、街道の上に見えない欄干を作る。
これで反動波は祠へ吸われ、街道の“揺れ”は人間の歩幅に合わせて均されるはずだ。
「鐘を」
ミナが綱を引く。
澄んだ音が山肌を渡り、固定点が合図の音を覚える。
俺のこめかみの痛みは、針の頭ほどにもならない。
〈適用:街道恒久 v1.0/コスト:寿命 0.8 日〉
〈監視:7 日〉
「……通る音だ」
ミナが息を吐く。
彼女の視線の先、村の外れでガロが手を振る。
風道つき倉庫の増設、窯輪二号、柵の補修、見逃し口の統一——今日から三日間は、ひたすら冬支度スプリントだ。
◇
広場に戻ると、共同監査の板に新しい列が増えていた。
“冬支度インデックス”。
倉庫の湿度、塩の残量、薪の堆積量、当番の穴。
数字は、祈りより早く動く。
「デバッガー、今日はどこから叩く?」
ガロの声はもう実務のテンポだ。
俺は板の数値を一瞥して、三つを指差す。
「一、塩の塊を割る治具。吸湿を抑えるために焼き壺を置く。
二、薪の積みを井桁に替え、足を浮かせる。風道を作る。
三、路傍の祠の根元、泥だまり。流路を切る」
「よっしゃ。分隊だ」
人が動く。
子どもの手にも役割が配られ、年寄りの目が監督へ回る。
俺は倉庫に入り、塩の樽の口を開けた。
白い塊が、湿りで固くなっている。
焼き壺は、素焼きの小さな壺を低温で焼いて吸湿の口にするだけだが、倉庫全体の湿度曲線が変わる。
〈倉庫ノード:湿度 73% →(予測)68%〉
〈塩:固結→脆化(割り治具有効範囲増)〉
「割り治具は?」
「ここだ」
ガロが持ってきたのは、楔(くさび)と叩き台。
ただの楔ではなく、角度が三段に切ってある。初動は緩く、割れ目が走ったら角度がきつくなる。
俺はログのオーバーレイを見ながら楔の角度を微調整した。
「三十度→四十五度で刻む。力の逃げ道を作る」
「了解」
ガロの槌が塩の塊に響き、ぱりんと気持ちのいい音で割れる。
女たちが小袋に分け、子どもが棚の高いところへ運ぶ。
**“指の届かない高さ”**は、盗み食い防止でもあり、湿気の層を避ける実用品でもある。
次は薪。
井桁で組むと、自然と風道ができ、乾きが速い。
子どもが積むと崩れやすいが、治具で解決できる。
俺は木板に切り欠きを刻み、角用テンプレを配った。
「この切り欠きの影が四角になるように置く。影は嘘をつかない」
子どもたちは影を追い、面白がって、正しい角を遊びとして覚える。
遊びが仕様に重なると、遵守率は上がる。
〈遵守率:+12(“影テンプレ”導入)〉
祠の泥だまりは、川の小さな逆流が原因だった。
表面だけ掬っても戻る。
掘り下げ、細い水脈に逃げ道を作り、そこへ小石を敷く。
膝をついて土をいじっていると、ミナが隣で袖をまくって笑った。
「あなた、王都へ行く顔じゃないね」
「泥を触る顔?」
「そう。現場の顔」
笑い返そうとして、肺の奥に冷たい空気が入る。
朝の鐘の余韻がまだ山に残っていて、音の影が耳の奥で揺れる。
世界は今のところ、正しい動作に近い。
◇
昼過ぎ、外套の影が動いた。
祠の影から出てきたのは、昨夜見た影の一人。外套の裾を引き、顔を半分布で覆い、懐に紙束。
ミナが一歩前に出る。
ガロの手は、まだ槌を握っている。
「用件は?」
男はちらと広場の“共同監査板”を見て、鼻で笑った。
「立派な板だ。王都の字でもない、辺境の字でもない。どこの仕様だ?」
「現場の」
俺が答えると、男の目が細くなった。
懐の紙束を、ぽとりと落とす。
紙は、控え。エルネストが持ち込んでいたのと同じ体裁だが、文言が違う。
「新様式だ。王都から降りてる。“保護費”と“検印費”は徴税側負担——だったものを村負担に戻す。サインをもらいに来た」
広場の空気が、揺れた。
誰かが息を飲む。
ミナは目を細め、俺を見る。
俺は男の紙を拾い、紙の目を指で触る。
繊維の方向、墨の質、印の跡。
そして、匂い。
「偽造。紙の目が逆。王都の紙は繊維の流れがこの向き。インクは辺境の炭墨。印は写し。押し直しの圧がない」
男の口角がわずかに上がり、次の手が懐から出た。
小瓶。
透明で、底に黒い粉。
ガロの腕が動くより早く、俺は一歩踏み出して、男の手首を掴んだ。
小瓶がはぜる。
粉が空気に散り、匂いが広がる——穀倉で嗅いだ、あの嫌な苦味。
「下がれ!」
俺とミナの声が重なり、ガロが風箱用の板で粉をはたき落とし、子どもが抱き上げられて後ろへ運ばれる。
俺は胸の奥に指をかけ、倉庫ノードの衛生プロトコルにアクセスした。
〈緊急処理:“黒粉”拡散阻止〉
手順:水膜→落下→灰で固定
効果:空気中の浮遊濃度を 1/10 へ
コスト:寿命 0.6 日/味覚ノイズ 追加
井戸の水を薄く撒き、灰で蓋をする。
粉は灰に吸われ、地面に捕まる。
男が逃げようとして、ガロに足首を取られた。
外套が引き裂かれ、布の下の顔が露わになる。
見覚えのある、徴税の小役人だ。
昨日の公開照合で、エルネストの影に隠れていた男。
「お前の上は誰だ」
ミナの声は平坦だ。
男は吐き捨てるように笑った。
「王都は腹が減ってる。仕様じゃ腹は膨れねえ。腹が鳴る方へ流れは行く」
返事になっていない。
けれど、正直ではあった。
俺は男の持ってきた紙束を黒板に貼り、公共ノードと突き合わせる。
〈照合:新様式“徴税 v2.2(偽)” vs 公共 v2.1〉
〈差分:用語置換/端数処理の再“切上げ”/検印費村負担化〉
〈結論:正式更新なし/偽造〉
「偽だ」
黒板に太い線で書く。
男は唇を噛み、血の味を確かめるみたいに舌でなぞった。
ミナが静かに言う。
「共同監査に記録。あなたは王都で訊かれる」
男は抵抗しなかった。
抵抗しないのは、覚悟があるからではない。
ただ、計算が早いだけだ。
彼は己が“切り捨て可能な駒”であることを、もう知っている。
◇
日が傾き、スプリントの残りのタスクを詰める。
窯輪二号に火が入り、風道に初期のすすがつき、子どもが布でそれを拭う。
倉庫の焼き壺は白く乾き、塩は割れやすくなり、棚の上段に線が引かれて「ここから上に置く」と書かれる。
祠の泥だまりは細い水音を立て、石の下を抜ける。
夕餉の匂いが広場に落ち、今日のテンプレが黒板に書き加えられる。
《冬支度スプリント:Day1 完了ログ》
・街道恒久 v1.0 適用/監視開始
・塩倉:焼き壺導入/割り治具配布
・薪:井桁積み/影テンプレ配布
・祠:泥だまり排水
・事件:偽様式/黒粉 介入→封じ込め/当該者拘束
・士気:+9/遵守率:+15
ミナが黒板の横に立ち、いつもの落ち着いた声で言う。
「今日の“仕様”は、みんなの手で守られた。明日の“仕様”も、同じように守る。
——王都から正式な監査が来る。仕様で来る相手だ。仕様で答える。
そのために、ログを残す。当番表を守る。鐘で合図をする」
人々が頷く。
頷きは、ゆっくりだが、深い。
俺は胸の奥で、今日のセッションを閉じる準備をした。
そのとき、紅茶の匂いがした。
錯覚のように、薄く、しかし輪郭だけははっきりした香り。
振り向くと、掲示板の陰に、古びた旅籠のカップが置かれていた。
中は空。
取っ手の付け根に、小さな刻印。
**“記録者”**のものだ。
喉が、乾いた。
世界の奥で、古い仕様が目を覚ました音がする。
「どうした?」
ミナが小声で問う。
俺は首を振り、カップの刻印を指でなぞる。
「古い関与が、始まる」
ミナは目の色を変えなかった。
ただ、静かに頷いた。
「来るなら、見える場で」
「公開で」
夜が降りる。
広場の窯は熱を胸に秘め、祠の鐘は沈黙の中で“合図”を待ち、共同監査の板は月明かりを受けて白く浮かぶ。
俺は胸の奥でログを閉じた。
〈セッション終了:冬支度 Day1/街道恒久 v1.0/偽様式 介入→封じ込め〉
〈次回タスク:冬支度 Day2/王都監査“正式一行”対応/“記録者”の刻印 調査〉
――――
後書き(次回予告)
“現場の仕様”は手と目で守る。今日は〈街道恒久 v1.0〉と〈冬支度スプリント Day1〉、そして〈偽様式〉の介入を弾きました。次回は王都の正式監査一行が到着。記録者の刻印が示す“古い仕様”にも触れます。
面白かったらブクマ・★評価・感想で“次の修正の燃料”をください! 次回は〈監査の影〉本格化&〈記録者〉の手がかりです。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます