第3話「公開照合」

[Public Check] 税様式の突合/[Diff] 端数処理の罠/[Patch] 共同監査


 午前、広場の中央に長机が据えられた。

 井戸の蓋は開け放たれ、澄んだ水面が空の色を映す。畑のほうからは土と灰の匂い。村人たちは輪になり、無言で机を見つめている。机の上には、二つの帳簿が並ぶ。

 一つは村の原本、もう一つは徴税人が持ち込む控え。


 遅れて、二騎の馬が広場に入った。

 先頭の男は鼠色の外套。痩せ長身で、目は鷹のように細い。もう一人は護衛の兵。

 男は馬から降り、革袋から封を切った書状を取り出す。


「王都財務局・地方徴税署、臨時査閲官エルネスト=バーグだ。——ここがラデル村で間違いないな?」


 ミナは一歩前に出て、淡々と頷いた。


「領主代理、ミナ=ロウ。あなたの“控え”が公式様式と異なる疑いがある。公開照合をする」


 ざわめき。

 俺は一歩下がり、胸の奥で回線に指をかけた。


〈公共ノード:“徴税様式 v2.1” 閲覧権限:開〉

〈比較対象:ラデル村 原本/徴税控え〉

〈準備:広場可視化用に簡易“投影板”設置〉


 ガロが持ってきた磨かれた黒板を、机の背後に立てる。

 その表面に、俺だけが見える光の記号を転写していく。村人にも“目で”わかるよう、文字の形を“白墨”に合わせて粗く置き換えた。


「始める」


 エルネストは薄く笑った。

 笑いに温度はない。書類の端を切り揃えるときの、無感情な刃の光だ。


「始めるとも。まずは合計額の確認からだ。滞納が多い。追徴は本日—」


「その前に、用語の確認」


 ミナの声が遮った。

 俺は黒板に、三つの単語を書き出す。


公式様式に存在しない語

・保護費

・検印費

・遅延保障料


 広場が揺れる。

 エルネストは眉一つ動かさず、肩をすくめた。


「地方特例だ。危険地帯では“保護費”の項目が付く。検印にも手数がかかる。遅延保障料は……読んで字のごとく」


「様式番号を示せ」

 ミナの声は鋭いが、平坦だ。怒気で刃を鈍らせない、現場の声。

 俺は黒板の隅に、公共ノードから写した様式番号を列記した。


公式様式:徴税 v2.1

付帯特記:辺境危険補正 v1.3(※“保護費”という語はなし/危険手当は王都負担)

検印手続き:検印官の職印が必須(※手数料は王都負担)

遅延処理:端数切り上げ禁止/延納申請様式 v0.9


 エルネストの指が一瞬止まった。

 止まっただけで、すぐに次の理由が口から出る。


「現場では王都の想定を超える事態が多発していてだな——」


「“想定外”は、仕様ではない」


 俺は静かに言った。

 彼の視線が、初めてこちらを正面から刺す。

 ミナが紹介した。


「彼はリオ。デバッガー。仕様で話す」


 エルネストは鼻で笑った。


「裏方が。——よかろう。数字で来い」


 数字なら、こちらの土俵だ。

 俺は机の上の二冊の帳簿から、同じ日の同じ取引を抜き出し、黒板に並べる。


収穫高:小麦 102 樽/大麦 76 樽

納付率:公定 3/10

公式計:小麦 30 樽+端数切り捨て/大麦 22 樽+端数切り捨て

控え計:小麦 32 樽(※保護費 2)/大麦 24 樽(※検印費 1+遅延保障料 1)


 村人の間から、押し殺したざわめき。

 ガロが低く唸る。


「切り捨てが、切り上げになってるじゃねえか」


 エルネストは肩を揺らし、うっすら笑みを固定した。


「端数の扱いは徴税側の裁量が……」


「ない。v2.1 は端数切り上げ禁止だ。切り捨て、または持ち越し」


 俺は黒板の端に、公共ノードから引用した条文の番号だけを書いた。

 条文そのものを長々読むのは、村人にとって拷問だ。番号と“結論”だけを示す。

 視線は、すでにこちらへと集まっていた。


「さらに、“保護費”は王都の危険地帯基金から支出される。徴税人が村から取るものではない。検印費も同様。遅延保障料は制度に存在しない。——端数切り上げと合わせると、徴税側は毎回 2〜4 樽を余計に持ち去っている」


 黒板に、月次の差分グラフを描く。

 棒が伸び、月を追うごとに差が増える。

 空気が固くなった。


「証拠は?」


 エルネストの声は乾いている。

 俺は机の引き出しから一枚の紙を出した。

 昨夜、ミナの古い箱から見つけた領内通達だ。

 地方官の署名と封蝋。数年前のものだが、“危険地帯基金”と“検印費の王都負担”が明記されている。

 紙の角は擦り切れ、封蝋は半分欠けている。

 けれど、十分だ。

 ミナがそれを高く掲げ、村人たちに見せた。


「通達は、生きている。——仕様は、ここにある」


 エルネストの笑みが消えた。

 彼は少しだけ顎を上げ、護衛に目で合図した。

 護衛が一歩前に出かけ——ミナの視線と、ガロの肩の盛り上がりに、足を止める。


「暴力は早い。だが、今日は公開だ」


 俺は黒板の下部に、最後の項目を書き加えた。


【提案】


本日の納付は公式様式で実施。端数は持ち越し。


余計に徴収された分の帳尻合わせは、来月以降で減額相殺。


今後の徴税時は、村の写しと公式様式との同時照合を必須化。


照合人員として「共同監査役」を選出(村から 2、徴税側から 1)。


今日、この場で署名する。


 広場に、低い唸りのような歓声が走った。

 エルネストはしばらく黙り込んだ。

 沈黙を埋めるように、井戸の水音が、静かに響いた。


「王都に照会する権利が、こちらにはある」


「照会すればいい。——その間、臨時運用はこの提案で回す。共同監査の署名を拒むなら、拒否の署名を残していけ。王都に両方送る」


 ミナの声は落ち着いている。

 村人たちはすでに、名を書ける者は炭筆を握り、書けない者には印を押す準備を始めていた。

 現場は、決断を待っていない。


 エルネストは薄く舌打ちをして、椅子を引いた。

 革手袋を外し、黒板を一瞥。

 その眼差しは、すでに次の一手を探している。


「……共同監査、ね。いいだろう。暫定として」


 彼は机に近づき、乱暴にペンを取って署名した。

 ミナが隣に並び、同じ紙に署名する。

 俺はその下に、監査補助として名前を書いた。


 次々に、名前と印が並ぶ。

 広場の空気が、硬さから弾力へと変わっていくのを感じた。

 “自分たちで見て、決めた”という空気だ。


〈パッチ適用:徴税プロトコル“共同監査 v0.1”〉

〈効果:公開照合/端数処理の明文化/通達参照の必須化〉

〈コスト:寿命 0 日(運用パッチ/手続き変更)〉

〈副作用:徴税側反発/報復リスク(高)〉


 ログが冷静に告げる。

 報復。

 視界の端に、別のノードが微かに点った。

 街道の遭遇率。

 ——昨日、俺たちが風向をいじった区画の反動波が、昼過ぎに来る予測。


〈街道ノード:反動波ピーク 14:10 予測〉

〈遭遇率:120%(上振れ)〉

〈推奨:公共実験 “安全導線可視化” の実施〉


 俺はミナに目で合図した。

 ミナはうなずき、広場に向き直る。


「照合は終わり。次、公共実験だ。商隊が午後に再度通る。昨日の救出で、反動が来る。安全な道筋を“目で”見せる」


 村人たちは、黒板から視線を外し、今度は地面に描かれた簡易の街道図へと集まった。

 石灰で描いた線、川の印、小さな丸が村、四角が柵。

 俺は地図の上に、透明の“遭遇率ヒート”を重ね、色を棒で指し示す。

 赤は危険、青は比較的安全。

 子どもでもわかる。


「護衛は青筋に沿って先行、荷は黄筋で間隔を広く。囮を一つ、森側へ。合図は鐘、合図後に一斉移動。——見せる」


 俺は胸の奥に小さく触れ、風の匂いをほんの少しいじった。

 昨日ほどの強引さはない。誘導だけ。

 寿命のコストは、ほとんどゼロに等しい。


〈一時補正:“匂いの撓み” 施行〉

〈持続:5 分〉

〈コスト:寿命 0.1 日〉


 地図の上の“赤”が、わずかに森側へ撓む。

 ヒートは目安でしかないが、恐怖に意味を与えるには十分だ。

 ミナは槍を掲げ、短く叫んだ。


「実装!」


 鐘が鳴る。

 護衛が走り、荷車が動き、囮が森へ駆け、矢が二本だけ“外側”へ撃たれる。

 広場の端から、子どもの歓声と、大人の低い祈りが同時に漂う。

 街道の向こうで、危険が、回避へと形を変える。


〈救通成功率:初期 61% → 実施後 81%〉


 俺は初めて、ほんの少しだけ拳を握った。


     ◇


 午後、商隊は無事に通り抜け、広場に塩と針と布を置いていった。

 塩は倉庫の新しい風道の上に運ばれ、針は子どもが触らない高さに掛けられ、布は教会の端で重さを測られた。

 ミナは手短に礼を述べ、共同監査の紙を布の下の乾いた箱に入れ、鍵をかける。


「通達の写しも入れておく。次に“仕様”を捻る者が来たら、また出そう」


「来る」


 俺ははっきり言った。

 ミナは頷き、少し笑う。


「そうだね。来る」


 エルネストは、広場の端で馬具を整えながらこちらを見ていた。

 視線に憎悪はない。採算の計算だけだ。

 出立の直前、彼は俺の横に馬を寄せ、低く囁く。


「王都は、結果を見る。君のやり方が、王都にどれだけ利益をもたらすか。……君は、敵を増やすね、デバッガー」


「バグは、直されるためにある」


 エルネストは笑わなかった。

 そのまま手綱を引き、埃を立てて去った。


 背中を見送りながら、胸の奥で微かなノイズが走る。

 紅茶の香り。

 ——やはり、遠い。

 けれど、その代わりに、パンの香りが風に混じった。

 ガロがどこからか古い窯を引き出してきて、子どもたちと泥を捏ねている。

 窯の治具を作るのだ。


「明日、街道の恒久に着手する。遭遇率の季節揺らぎを、路傍の祠と繋ぐ。パン窯はその後」


「いや、窯は今日からやる」


 ガロが汗を拭いもせず、にやりと笑った。


「腹が減ってると、人は仕様を守らねえ」


 ミナが吹き出し、頷いた。


「正論」


 俺は笑った。

 そして、笑いながら、空を薄く見上げた。

 広場の端、古い掲示板に、一枚の紙が新しく貼られているのが目に入る。

 そこには拙い筆致でこう書かれていた。


“明日、王都監査官 来村”


 黒い墨の一点が、太陽の光でわずかに光った。

 風が紙の隅を揺らす。

 次の相手は、最初から“仕様”で殴ってくるだろう。


〈セッション終了:公開照合/共同監査 v0.1 適用/公共実験 成功〉

〈次回タスク:街道恒久パッチ/王都監査官 対応〉


――――


後書き(次回予告)

“仕様は現場のためにある”。今日は公開照合で一勝。次回は〈街道の恒久パッチ〉と、王都からの監査官への初手対応。最初から“仕様”で来る相手に、仕様で返します。


面白かったらブクマ・★評価・感想で“次の修正の燃料”をください! 次回は〈王都監査官〉参戦&〈街道恒久パッチ〉です。

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