シンデレラのお人形
佐渡 寛臣
前編
シンデレラの中は案外暗くって、私は随分困ってしまった。小さなペンライトひとつでは、どうにも視界が悪くってしょうがない。
数十年前に落下した、超高層高空居住空間、シンデレラ。今はすっかり大地に根を張り、地上の人たちが改装を重ねて立派に地上の居住空間として機能している天上の人の落し物。
落ちたときのことを知ってる人はもういない。落ちたとき、そこにあった都市は吹き飛んで、シンデレラで暮らしていた人は根こそぎシェイクされてしまったから。今、シンデレラの中に暮らすのは、所謂浮浪者、所謂移民者たちだ。
そんな私も彼らと同じ。ひとつ違うのは、私は天上の人だったという過去があるだけ。地に足を下ろした時点で、そんな経歴は無価値なのだけれど。
だから、今や、シンデレラが空に飛ぶなんてこと、信じる人などまるでいない。もうシンデレラは空を飛べない、地に根を生やした哀れな塔なのだ。
今は機能していない、通風孔を四つんばいで進んでいく。
「ほふくぜんしんはつらいですよ」
辛いの意味もわからないくせに、お人形が後ろからぼやく。もう少し、先にいけば立って歩けるくらいには広いところに出るが、そんなことは教えてやらない、どうせ歩いて移動すること、それ自体にぼやくに決まっているからだ。
しばらく進むと、パネルがあった。長い間掃除していない、ダクトパネルに私は眉を顰めてため息をつく。しわあせがにげますよ、と人形が言う。幸せだばかもの。
私はマスクをつけて、パネルの取り外しにかかった。降りかかる埃を嫌そうにぱたぱたとお人形が手で払う。仕方なく、私の帽子をかぶせてやる。
パネルをはずして、出ると広い通路……ではなく別の通風孔に出た。以前私が良く使っていた経路だ。ここからは私の庭みたいなものだ。
シンデレラの上の階層に上がるには、色々と手続きが必要になる。少なくとも、身分を証明するナニカとか、紹介状的ナニカとか、それに伴う金銭が必要になってくる。
まず天上にいた私には地上の身分証明なんて出来るわけがない。上の階層の住民に知り合いもいないので、紹介状もありはしない。それに、ただ進入するためだけに使えるような金もあるわけがない。
だから不法侵入しているわけだ。とはいえ、誰の所有物でもないはずのシンデレラに不法侵入とは言い得て妙なのだが。
後ろについてくるお人形が私の手を引っ張る。だっこして、と目が訴えてくる。お前はお前が思っているよりずっと重いのだと何度言えばわかるのだろうか。
「だっこしないとだめですよ」
あぁ、目だけではなく口でも訴えてきた。しょうがないから抱っこする。やはり重い。痩せろということも出来ないのが悔やまれる。
一時間ほど歩いたところで、お人形を下ろした。今度は上へと登らなくてはならない。
さすがに抱っこは出来ないと伝えると、お人形はむくれてそっぽを向く。
「なんじゃくな精神でなんじゃくな肉体なこと」
どこで覚えたそんな言葉。暇つぶしに与え続けた本はあまりいい影響を与えてはくれなかった気がする。
上に続く通風孔の下で、しばらく休憩を取った。座っていると、お人形はひざの上に腰掛けて、完全に私に体重を預けてくる。休みたいのだ私は。
とりあえず、疲れが取れたところで、上へと目指して進み始めた。整備用の梯子を慎重に登っていく。下から相変わらずお人形が抱っこを要求してくるが、とりあえず無視をする。
記憶を頼りに、途中の横穴に入った。
「腕がちびれた」
痺れるわけがないのに、お人形は嘘をつく。思考回路はかなり高度になっているのかもしれない。
またよつんばいで奥まで進み、突き当りのダクトパネルを静かに開いた。低い、機械の駆動音が鳴り響いていた。相変わらず人の気配はまるでない。壁ひとつ挟んだ向こうには人が生活しているというのに、向こうの人間はこちらの空間をまるで知らないのだから、可笑しく思う。
第九層の制御区画であった。狭い通路に並べられた機械類に、空間を維持するための一体のアンドロイドがまだ空にいた頃のシンデレラの命令に従って動いていた。
お仲間だぞ、とお人形に言ってやると、「ぶさいくですが、働き者です。しょうらいはいいお嫁さんをもらうといいです」と意味わからない感想を述べた。そもそも量産型の彼に器量の良し悪しがあるのだろうか。
私は、制御コンピュータに触れた。落下の衝撃で人間は壊れたが、コンピュータは無事だった。量産型アンドロイドは設定通りの数生産され、破損した制御コンピュータも、同様に並列処理されていた別の制御コンピュータにより復元された。シンデレラで直せなかったのは中に暮らしていた人間だけだった。
お人形を呼んで、制御コンピュータにアクセスさせる。
「心配性ですが思いやりのある兄貴分ですね、こいつは」と制御コンピュータの性格を分析する。適当に言ってるだけのような気がしないでもない。
一通り、設定を書き換えてもらい、私はお人形を抱っこして制御室に備え付けられたリフトに乗り込んだ。大好きな乗り物に乗れて、お人形は随分ご機嫌になっていた。
リフトを降りたところで、私たちはまた休憩を取った。時計を見るともう夜の時間帯に入っている。外と隔絶している空間にいたため、時間の感覚が狂っていた。そういえば随分と眠い。そう告げると、お人形はわざとらしくあくびをしてみせて、眠いと言い出した。私はお人形を抱きかかえたまま眠る羽目になった。
翌日、第十六層に入って、私はまた通風孔に入った。しばらく進んだ先にある、出口から外……ではないか、中を覗き込んだ。
建物の中、らしい。まだ下層だが、そろそろ中層部の連中が目を光らせてくるあたりに近づいている。これから先をほんの少し楽なピクニックにするには、内部に設置されたコンピュータに接続しておきたい。
携帯端末を取り出して、十六層の地図を出す。過去のシンデレラ内部地図と照合して、大体の位置を出してみる。
六年前のデータでは、ここはホテルであるらしい。お人形が強引に私の腕の中に潜り込んでくる。狭い通路に二人密着する形になり、息苦しくなる。
「おそとはどんなくうきですか。きたないですか」
しらんがな。お人形に、さきほど制御室でアクセスしたデータを携帯端末に流してもらうことにした。
「――おそとのコンぷうタとは回線が別ですが、無線の電波きろくは収得してました。アクセスけんはありませんが、イチはわかりますよ」
そう言いながらお人形は私の携帯端末の内部デザインをファンシーな絵柄にしつつ、地図にコンピュータの位置を記した。小さな兎が、ここだよ、と指差してくれる。
中の様子を伺って、私はダクトのパネルを外して中に進入した。まずはトイレに駆け込んで、用を足す。お人形は不思議そうにトイレの鏡を触っていた。
宿泊客やホテルマンと何度かすれ違ったか、怪しまれた様子はなかった。汚い身なりだが、この階層ならば、まだ不自然ではないらしい。同じように汚い身なりの宿泊客がうろうろとしていたからだ。
だがこれ以上、上の階層に向かうとなると服も調達しなくてはならない。お人形の分の服も、となると金が必要になってくる。金か服か、どちらかを盗むか。
地図を見ながら、ホテルの外に出て大衆向けに設置された簡易コンピュータを発見した。コンピュータの画面の上には電子ビジョンが望みもしないのに情報を流してくれる。
中層の管理人、ウィンレンターが上層の企業と契約を結んだらしく、近く中層に新しい技術がもたらされるらしい。管理人は随分と嬉しそうに語っているが、恐らくは上層で使い古された中古品を売りつけられたのだろう。そして同じように中層で使い古した技術を、下層に高値で売りつける。シンデレラの内部はそうやって下へ下へとゴミを押し付けていくのだ。決して上へ上がってこないように、一定の技術力以上に向上しないように、野心のあるものは消すか受け入れるか、今の中層の管理人は一生上には上がれないタイプの人間だろう。上層の思うままに行動する人間は使い勝手はいいが、上層の仲間入りは出来ない。
内部コンピュータにアクセスして、シンデレラ内部の現状を調べる。
所謂上層と呼ばれる区画が私が暮らしていた頃に比べて広がっていたこと、中層と下層の間に、上への進入を阻む排除層が加わったこと。中層の価値が下層の価値とさほど変わらなくなったことなどがわかった。
上層との格差が広がった、というより中層にいた上層との中間にいた者達を迎え入れ、中層を完全に下層と同様に捉え、分離したらしい。
さて、どうしたものか。排除層なるものが増えた以上、上層に入るのは少し面倒になったかもしれない。とはいえ、大した障害でないことは変わりない。
「さて、どうしましょう?」
お人形がコンピュータを覗き込んで言う。
「アクセスの履歴を消しつつ、内部コンピュータの情報変換、制御コンピュータと同期して、アクセス権を頂こう」
ごうよくなこと、とお人形は笑う。ついでに、架空口座にいくらかの金を入れておこうか。服をどうしようかと思っていたが、やはり泥棒はよくない。
書き換えを終えたお人形をつれて、私は服屋を目指した。途中、いくつかの店舗を覗き込んだうち、一番、無駄に桁数の多い店を選んで中に入った。
適当にお人形に私の服を選ばせてみた。自分で選ぶのはどうも苦手だったからだ。相変わらずファンシーな服を私に着せようとしてきたが、巧みにかわして、私は自分のセンスと店の店員のセンスに合い、かつお人形が妥協する洋服を買った。お人形は自分の好きなままの洋服を買ってやった。店員のお人形みたいですね、という言葉が妙に笑えた。
さて、制御コンピュータも内部コンピュータもお人形の統治下に置いた。今はまだ何の変化もないから、上層の人間も気付いていないだろう。お人形は相変わらず抱っこを所望するから、しょうがなく、無人タクシーを止めて、乗ることにした。お人形は嬉しそうに流れる街並みを見つめている。
「センタータワーはなんのために使われてるのでしょうね」
お人形が言う。
「空にいた頃は、ちゅうすう制御に使っていたのに、今は利用してないみたい。にんげんのせき髄みたいなものなのに、ふべーんじゃないのかしら」
使い方を知らなくては、不便かどうかなんてわからないさ。所詮彼らは地上の民なのだから。
タクシーを止めて、私はお人形を抱っこして、第十六層を出ることにした。セントラルステーションに足を向けると、数人の兵隊……ではなく、恐らく管理人のボディーガードたちが私たちの前に立った。
「パーソナルデータの開示を」
言われて私は、お人形にウィンクをする。やれやれ、といった様子で、お人形は私の携帯端末を介してアクセスを開始する。
私は手のひらをボディーガードたちに見せてやった。ボディチェックなんかするなよ、と胸の奥で呟いた。
「失礼しました、どうぞ」
男たちは左右に分かれて、そっと手をセントラルステーション入り口に向けた。データを管理する人間が、データに管理されるようになったら終わりだな、と私はお人形に教えた。お人形は納得したように頷き、おろかなのは人間か、人間だからおろかなのか、と哲学めいたことを言ってみせた。教育に悪いのは私のせいかもしれないな、と思った。
セントラルステーションから、第四十層まで、三日かけてエレベータを乗り継いで向かう。中層の最上階に当たる、四十三層で私たちはホテルに宿泊することにした。久しぶりにシャワーを浴びた私は、お人形のメンテナンスと清掃をしてから、眠りについた。
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