第56話
食事を終えて部屋に戻ると既に布団が敷かれてあったので、主は流れる様な動きで布団に向かうと、素早く掛け布団を被り寝る態勢に入った。それはクラウチングスタイルでスタートの合図を待つ短距離走の選手の様な真剣でだった。
『本当に静かだね……これはもう寝なさいと言っているんだよ』
誰が? と思ったがそれ以上に大切な話がある。
『明日の予定について話をさせて頂きたいのですが、よろしいでしょうか?』
『ああ、明日の話ね……それは大事だね』
そう言いながら瞼を閉じて、三秒後に寝息を立て始めたので掛布団の上にジャンプして主の鼻の下を尻尾でくすぐる。
「ハークション!」
大魔王でも現れそうな、雄々しい大きなくしゃみの音が部屋に響き渡る……もっと可愛いらしいクシャミが出ると思っていました。
『モモちゃんナニカしたでしょう!』
『何でしょう主?』
主がそう声を荒げた時には、我は既に窓際の机の上で毛繕いをしている。
『そんな所に?』
『毛繕いしていて主が毛を吸い込んだりしない様に配慮してここに居ますが?』
我が何も考えずに主に対してあの様な真似をするはずがない。
『それですね。明日の予定についてなのですが?』
我の言葉に納得出来ないという視線をむけて来るが、その程度では我は表情一つ変えませんよ……エゾモモンガの表情の変化なんて我にも分かりませんがね。
『明日は函館に行くんだよね』
『函館に行く前ですが、明日は早めに起きて、露天風呂に入ってから朝食をとり、十時頃に宿を出て函館に向かいます。そして途中の七飯町でハンバーガー屋に寄って欲しいのですが?』
『そのハンバーガー屋さんって、函館にもあるんだよね? それに時間的にも昼食には早いし時間的に中途半端な気がするんだけど?』
『そこは十七店ある店舗の中でも総本店を名乗る店舗であり、チェーン店としてのコンセプトを体現しているとも呼ばれていて、店内を見るだけでも楽しいそうですよ』
楽しいというか驚くしかないだろう。どうしてハンバーガー屋にメリーゴーランドがあるんだ? ってなるだろう。しかも二つもだ。意味分からんねぇー!
『それなら寄ってみようかな。ハンバーガーは持ち帰りにして後で食べれば良いし』
テイクアウトできるメニューは旅を終えてから食べれば良いと考えるようになった主。
しかし、その場で食べるというライブ感も旅の醍醐味である事を忘れないで頂きたい。
『それから昼食は函館駅の南の函館朝市で海鮮丼などが良いと思います』
まあ、今の冷凍技術も上がり、場所に関係なく美味しい鮮魚を食べられるが、その場で食べたという事に意義もある。こんな感覚は自分が歳を取ってから、ふと気付くものであって、他人から言われたって理解も納得もしないものだ、実際我もそうだった。だがもっと早くに気付いておきたかったという思いは拭い去れない。
ここまで言われたとしても当時の我は「へぇ~」としか思わなかったし、人間とはこういう事を何時の時代も終わることなく繰り返し続けるのだろう。
可能ならば十年後に主が「あの時、モモちゃんが言ってた事が今なら分かるよ」と言ってくれる日が訪れた時、その傍で我が「そうでしょう主。なのに言ってもへぇ~としかいわなかったんですからね」と小言を言えるまで生きていたいものだ。
『それじゃあ、いけすの中のイカを釣ってイカ素麵にして貰って食べたい』
『ああテレビとかで時々見る奴ですね、でも人気だから昼頃に行っても釣りが出来ない可能性が高いので、明後日の朝にしませんか? もしくは函館は二泊の予定なので明々後日にもチャンスはありますよ』
ちなみに我は生簀の中で生きているだけのイカを捌いて刺身にした物などに興味が無い。
我にとって最高のイカの食べ方とは沖漬だ。
前々世の親父の趣味は釣りであり、イカ釣りも良く行っては大量の釣果と共に帰ってきたものだ。
その時は醤油ベースのタレが入ったポリタンクの中一杯にイカが漬かっていた。
船の上で釣ったイカを生きたまま醤油ダレの中に沈めて締める
それをイカソーメンにして食べる……まさに至高。
そして沖漬にしたイカの肝は究極だ。
その時ばかりは親父の息子で良かったと感謝したものだ。
『そうか、それなら昼は何を食べようかな? 函館グルメって何だろう』
『函館は塩ラーメンで有名ですね』
『塩ラーメンか、さっぱりしてるよね』
『塩ラーメンですか、ネットでこんな話がありました。語り手は末っ子で、兄と姉がラーメンは醤油か味噌かで揉めていて、兄が賢しげに味噌なんてお湯で溶いただけでそこそこ美味くなるだろう。その点醤油は職人の技術があって旨くなる。だから醤油が至高だと言い出したそうです。それに対して弟は腕の良い職人が調理した味噌ラーメンの方が美味いだろうし、一番シンプルな塩で味付けした美味いラーメンこそが至高なのではないかと言って……兄に殴られたそうです』
『何それ、オチがラーメン関係なく兄が横暴としか言ってないじゃない。おかげでラーメンの気分じゃなくなった』
おう、函館ラーメンごめんよ。
『それなら、やはり函館朝市で海鮮を使った釜飯を出すお店が有るんですがどうです?』
『海鮮釜飯……想像が掻き立てられるワードだね。これは美味しい美味しくないの話ではなく、一度食べてみなければ、絶対にずっと後悔する事になっちゃうよ……卑怯だと思う』
『それでは止めておきましょう』
『食べるの! 絶対に食べるの!』
これはあれだ。想像の中で期待値がどんどんと高まり、美味しくても、あれ? と思ってしまうパターンだな。
『それから午後は、トラピスト修道院かトラピスチヌ修道院に行ってみるのはどうですか? ネットで確認しましたが良さそうな雰囲気でしたよ。それとも何か行きたい場所がありましたが?』
『クッキーが美味しいところだよね』
明治の時代から百三十年間の歴史と文化的な価値を持つ施設に対してクッキーが美味しいところ? ……まあ、そんなものか我も信心深い訳ではない上に海外の宗教に対しては興味はない。もしも配慮があるとするなら宗教ではなく、信者という立場の人間に対するものだけだからな。
『正確にはクッキーではなくバター、発酵バターがメインで、それを使ったクッキーやソフトクリームなどが美味しいそうです。そして発酵バターはシトー修道会の伝統製法により作られています』
『シトー会?』
『トラピストの名前はシトー会の中のトラップ修道院の流れを汲んだ修道院なので、ザックリと説明するとシトー会派系の修道院にトラピスト修道院があると考えて下さい。そしてトラピスチヌ修道院は修道女の修道院で、男性の修道士の修道院です』
『ソフトクリームか~、この旅が始まってまだ食べて無いよね……ずっと走り続けてて』
『ハーベスター八雲を出てすぐ右側に牧場直営店があって、ソフトクリームだけではなくジェラードも扱っているみたいでしたよ』
『モモちゃん、私はそんな事は聞いてないんですけど?』
『それは主が、疲れたから早く温泉い入って、夕食の時間まで眠りたいとおっしゃったのでスルーしました』
我に罪はない。罪は無くても主の機嫌は悪くなってしまった。
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最後のストックが消えた時、わたしも一緒に逝くのよ……現在59話執筆中
VCC TKZ @TKTKZ
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