第23話
十一月の札幌は紅葉も一部を除けば終わり、街中の落葉樹は寂しい姿を見せている。
思い出すな。中学生の頃に生徒会の仕事で、十一月に行われる行事の告知ポスターを作れと言われて、その中で季節感を出すために、その中で「晩秋」を使ったら。
全員から北海道の十一月は冬だと叱られた。我は十一月の上旬はまだ雪も降らないし秋であり、こっちは少し気を使って晩秋を使ってるんだから文句を言うなと反論したが、再び全員に否定されて「冬」に書き直された……三百年以上の時を超えて尚、我は未だに納得はしてない。
『寒いね』
バイクに乗って新札幌の青少年科学館に向かうが、バイクが日陰に入るとやはり寒いのは仕方がないの当然だろう。
もう一月経つか経たない内に初雪が降り、十二月も中旬に入ればすぐに根雪となる事も多い。
『我は雪虫がぁ~! このこのこの!! 助けて主ぃぃぃ! ポケットの中だと【風防】も【風繭】も使えないんで、奴等が入り放題ですぅ~!』
丁度、橋を渡り切ったところで、バイクは雪虫の群れに突入したために、息苦しくならない様にと半分開けてあった胸ポケットのファスナーからどんどん侵入してくる。
そして【風防】も【風繭】も我の身体の周囲に障壁を張り巡らせるので、主のライディングジャケットの胸ポケットを押し広げて、中からポケットを破ってしまう可能性が高く使えない。
我にとっては寒さ以上に、この雪虫がうざったくて堪らない。
前々世では身体にくっついた雪虫を払い落そうとすると直ぐに潰れて上着を汚すが、今は我の毛皮を直接汚すので、人間だった頃よりもずっと嫌いだ。
特に顔に着くと怒りの余りにドラゴンブレスで、群れごと焼き払いたくなる。しかしそれよりも酷いのは我のクリっとした丸くて大きな目に入った時だ。その嫌悪感は札幌全土を焼き尽くしてでも雪虫を滅ぼす事を検討したくなる程だ。
『確かに雪虫はメットの中にまで入って来るから困るね』
主のヘルメットはシールドはあるがフルフェイスタイプではないので、雪虫を完全に防ぐことは出来ない。
かと言って年頃の女性である主は薄化粧と言うかナチュラルメイクと呼べば良いのかは分からないが、化粧をしているのでフルフェイスは厳しいのだろう。
まあ、フルフェイスタイプでも顎をカバーする部分が上に跳ね上げられるモデルを次のメットを買う際にはお勧めしよう。
青少年科学館の北側の駐輪場(原付可)にバイクを停めてエントランスに向かう。
駐輪場から最短コースで向かうと一度階段を降りてまた昇る事になる窪んだ場所がある。こんな無駄なデザインをしたのは何処のどいつだ! と言いたくなる謎構造。
本当に謎だ。何故かそこだけ無駄に窪んでいる。それがデザイン的に効果のあるいうのなら許せるが、我の美的感覚はそんなもんねえと言っている。
調べてみると移動天文車「オリオン二世号」の配置場所というらしいが、前々世では二か月に一度は通っていて、エゾモモンガになっても何度も忍び込んでいるが、一度も何かが置かれているのを見たことがないという事実がさらに謎を深める。
それ以上に窪んで階段で囲われた場所に置く事で、出し入れの際に凄く不便を強いられるスタッフの苦労を勝手に想像して同情してしまう。
おっと、今世でも主が大学に行って家を空けている間に、プラネタリウムに何度も忍び込んでいる事は内緒だ。
入口近くで前を歩く親子がいて、五歳くらいの男の子が母親に話しかける。
「ママ、今日はモモちゃん居ないの?」
「居ないみたいね。モモちゃんは森林公園でお寝坊しているのかもね」
ちょっと何でこのタイミングでそんな話をしてるんだよ!
やばいと思った瞬間、主の手がポケットの上から我をガッチリと握り締めてきた。
『モモちゃんて、モモちゃんの事だよね? ねえモモちゃん……』
怖い。主が怖い。
「この辺りってモモンガが居るんですか?」
主が母親に尋ねる。
「えっ? ああ、そうね毎日って訳じゃないけど、週に一、二回は見かけるわね。でも何故か平日だけなので……不思議よね」
「こんな街中に出て来るって珍しいですね」
「そうね今年の七月くらいから見かけるようになったのかな? 野幌森林公園には前からモモンガがいたから、こっちに引っ越してきたのかも?」
ああ、我の秘密が主に駄々洩れだよ。
「モモちゃん? 僕大好きだよ!」
「子供達に気を許しているみたいで、少しくらいなら触る事も許してくれるから、家の子に限らず、この近所の子供達のアイドルみたいなの」
「そうなんですか、野生のエゾモモンガが子供とはいえ触らせてくれるくらい人に慣れるなんて珍しいですね」
まあ、我は主に飼われているので野生ではないんだけどね。
主は親子に礼を述べて別れ、受付で当日券を購入してプラネタリウムの入場ゲートに並ぶ。
今日は平日の最終なので、それほど観客は多くなく入場十分前に並べば座りたい席には座れた。
基本的にプラネタリウムで座るべきは後方の席である。一番良いのは後方の中央の席だが、ここのプラネタリウムはシートを深く倒せるので、スタッフ的には中段前よりの投影機近くの席で見ると、映像の歪みが少なくてお勧めらしい。
しかし我は敢て最後列の端の席がお勧めだ。
何故かというと元気なお子様を連れた家族客の多くが、スタッフお勧めの投影機近くの席に行くので、静かにプラネタリウムが楽しめるからだ。
まあ、ここ最近はトートバッグのように上が開いたバッグを持ったの荷物の中にまぎれて侵入するので席はバラバラだけど……全く問題なし! 結局何処でも良いわ。
『ああ、今回も素晴らしい解説で何時までも観ていたいと思いませんか主?』
『モモちゃんは、私からのお説教が嫌だから、そう思うんだよ』
もう何も言えねえ……
暗いドーム状の部屋をいち早く出てエントランスへと足早に進む主。
『主……オコですか?』
緊張感に堪えられず、堪らず可愛く尋ねるが、主の表情は1㎜も動くことはなかった。
『モモちゃんは知らないかもしれないけど、オコには烏滸がましいの烏滸で馬鹿っていう意味もあるからね』
主は未だ嘗てない程お怒りだった。これはもう可愛さだけではこの状況を乗り越えるのは不可能だった。
状況を打開するには先ずは主が何故お怒りになられているのかを突き止める必要がある。
はっきり言って主は、自分が大学で勉強している間に我がプラネタリウムを満喫していただけで怒る様な器の小さい事は言わない。むしろ帰宅すると一人でお留守番させちゃってごめんねと言ってくれる。
すると怒っている原因は、我が料金も払わずにプラネタリウムに入るという不法行為を行ったからか?
しかし、人間ではない我に不法行為と言われても困る。法に守られない者は法に縛られない。
つまり我は人間の法の外側にいるアウトロー。法の外にいる者……勿論人権はないけれど法に従う義務もない……そういえば鳥獣保護法とか動物保護関連の法律があったな。
『モモちゃん? 子供達にのアイドルで楽しかった?』
これは、主は我が自分の知らぬ間に他人にちやほやされていた事にお怒りなのだ。
『我は、プラネタリウムの最終を観に行くお母さんと子供を探して、連れて行って貰う代わりに子供を楽しませているだけですが?』
『ギブ&テイクでとってもビジネスライク?』
『それとは別に子供達を楽しませて上げようという気持ちもありましたよ』
『……まあ、今回は許して上げるよ』
渋々ながら主からお許しが下された。
しかし、完全に許された訳ではないので、ここは一気に畳みかけてご機嫌になっていただかなければ落ち着けないんだよ。
『向かいのサンピアザに寄って、美味しい蒲鉾を買って帰りませんか?』
『蒲鉾?』
『はい。小樽の老舗の蒲鉾屋がサンピアザにも出店していて、中でもきくらげ入りのきくらげ天という蒲鉾がありまして、美味しいけれど食感が単調になりがちな蒲鉾の弱点を補う様に、大量のきくらげが面白い食感を生み出しているとネットの評判で見ました!』
『蒲鉾の食感と言っても、一口大に切って食べるものだし、食感が気になるってちょっと意味が分からないよ』
『違うんです主。ビールを飲みながら、湯通しして表面の油を墜としただけの蒲鉾に齧りつくのです』
『切らずにそのまま齧りつくの?』
『想像してみて下さい。齧りついた瞬間に肉厚でしっかり噛み応えのある蒲鉾を、そして次の瞬間に細長く切られたブリンブリンきくらげに歯が当たりプチプチっと切れていく感覚を、そして食感を堪能した後ビールで流し込み、リセットされた状況から、再び蒲鉾に齧りつく』
ああ、自分の記憶をたどる様に勢いだけの説明をしていると自分でも堪らなくなってくる。
『……それは想像しただけで美味しそうだよね』
そう口にした時、主の足は既にサンピアザに向かっていた。
『主、地下一階ですよ。今降りているスロープの先にある入り口は地下一階に見せかけて地上一階ですからね』
嘗て自分が人間だった頃の間違いを繰り返さない様に、しっかりとナビゲーションも怠らない。
家に帰り、洗面台に向かって主と共に顔を洗う。流れ落ちる水の中に雪虫の死骸を見つけてイラっとする。
主も化粧を落としてすっぴんになると、台所でお湯を沸かして買ってきた蒲鉾を、湯通しして油を流すと、まな板の上で大振りにカットして、皿に盛りつけるとビールを冷蔵庫から取っ出してダイニングテーブルに置いて椅子に座る。我はテーブルの上に座る。
『確かにこのきくらげの食感は堪らなし、蒲鉾自体の肉厚でしっかりした噛み応えも良いし、味も最高だよ。モモちゃん大正解!』
狙い通りご機嫌である。主の精神状態を整えるのも我の重要な使命である。
『他のも美味しいのかな?』
『このパンロールは一番人気とも言われていますね。こちらは油とビールの正面対決となりますが──』
『──美味しくならない理由が無い』
『その通りです』
そして主はパンロールとビールの相性の前に屈するのであった。
『ちなみに主。小樽にある工場直営店だけのパンドームという商品がありまして、パンロール以上という評価も──』
悪魔の、いや元魔王の誘惑にも屈した主は、週末に小樽へとバイクを走らせるのであった。
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