第2話 聖なるパン職人の誕生

 村の広場に、見知らぬ騎士たちが馬を連ねていた。

 鎧は埃にまみれ、盾は欠け、疲弊の色が濃い。けれど、その眼差しは必死さに燃えている。


「――パン屋はどこだ!」


 先頭の若い騎士が叫んだ。声は枯れている。

 オズが顎で私を示すと、彼らは一斉に視線を向けてきた。


「あなたが……レオン殿か?」


「レオンだが、殿はやめてくれ。俺はただのパン屋だ」


 騎士は深く頭を下げた。額に汗がぽたぽたと土を濡らす。

「どうか……どうか我らに、そのパンを分けていただきたい! 王都は今、傷病兵で溢れている。回復薬も祈祷師も足りない。だが……あなたのパンに癒しの力があると、噂が届いたのです!」


 背後から呻き声。馬に乗せられたままぐったりしている兵士たちの姿が見える。

 彼らの鎧の継ぎ目から、血が滲み、苦痛の汗が流れ落ちている。


 私は頷いた。

「いいだろう。ただし、条件がある」


「な、何なりと!」


「代金は後払いでいい。その代わり、村を守ってくれ。この村を戦の炎から遠ざけてほしい」


 騎士の瞳に迷いはなかった。

「誓います! 剣にかけて!」


      ◆


 私は窯に火を入れ、パンを焼き始めた。

 小麦と塩、水。そこに少しだけ蜂蜜を混ぜ、風の精霊ミルの加護を呼ぶ。

 捏ねるたび、ふわりと生地が光を宿す。子どもたちが目を丸くして見守る。


「ミル、頼む」


『うん。わたしが香りを運ぶ。癒しの風を混ぜ込むね』


 窯口から立ちのぼる蒸気は、ただのパンの香りではなかった。甘やかで、澄んだ風が広場全体に広がり、兵士たちの表情を和らげていく。

 やがて焼き上がり。黄金色の丸パンを取り出すと、歓声が沸き起こった。


「さあ、食べてみろ」


 騎士たちは我先にとパンを手に取り、頬張った。

 次の瞬間――裂けた皮膚が閉じ、荒い息が落ち着いていく。

 絶望の色が混じっていた瞳に、希望の光が戻った。


「……すごい、本当に……癒えた!」


「神の奇跡だ!」


「いや、奇跡じゃない。これはパンの力だ」

 私はきっぱりと言った。「剣ではなく、パンで人を救えると証明されたんだ」


 その言葉に、兵士たちは涙を流しながら膝をついた。

「あなたこそ――聖なるパン職人だ!」


      ◆


 夜。村の広場では焚き火を囲んで、兵士と村人がパンを分け合っていた。

 笑い声と涙が入り交じる。

 かつて勇者パーティーにいた頃、戦の後に交わす宴には虚しさしかなかった。

 けれど今、ここには確かな温かさがあった。


 風の精霊ミルが肩にとまる。

『ねえレオン。あなたはもう勇者じゃない。でも……勇者よりずっと、大きなものを持っているよ』


「大きなもの?」


『そう。“人の心を起こす香り”。剣は倒すだけ。でもパンは、立ち上がらせる』


 私は火の粉を見上げ、静かに呟いた。

「……なら、このパンで、もう一度立ち上がってみせるさ」


 そのとき、遠くで地鳴りが響いた。

 魔王軍の進軍――それは確実に、こちらへ近づいていた。

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