人間らしさの証明
2148年4月16日 18時20分
冴木市 白桜大学 冴木キャンパス 大サークル棟 旧文化研究会 部室
研究会の部室で、宮本梨花は分厚い資料ファイルを読み込んでいた。
そこには市民意識に関する調査結果がまとめられており、
行間からは言葉にしがたい不安が滲み出していた。――我々は、まだ人間なのだろうか。
異能が社会に定着して1世紀ほど。子供は小学校に入りまず「責任」という言葉を学び、
力の行使は常に倫理と結びつけられる。
監視網は都市を覆い、人々は「透明であること」に安心を覚える。
だがその秩序の奥には、
「人間性の連続性が断たれたのではないか」という漠然とした疑念が横たわっていた。
市民が旧文化を欲するのは、単なる懐古趣味ではない。
桜を模した祭典、アーカイブ映画の上映、駄菓子屋台の復元。
――それらは過去への郷愁を超えて、
「我々はいまだ人間的共同体である」と証明する儀式だった。
異能が行動や人格を変容させる存在である以上、
文化の再構築は「人間らしさを保つ努力」の形を取らざるを得なかった。
宮本はページを閉じ、深く息をついた。彼女が惹かれる理由も、そこにあるのかもしれない。
揺れる黄色の曖昧な甘さを「本物」と証明できることは、
人間性の断絶を越える証となるのではないか。
そのとき、篠森悠真が飄々とした声で言った。
「プリンにこだわるのも、結局は“人間らしさの証明”を求めてるからだろうな」
宮本は驚いて顔を上げた。彼は器用に匙を回しながら続ける。
「異能を宿した俺たちは、もはや21世紀初頭までの人類とは別の存在かもしれない。
でも“プリン”って名前を口にして、みんなで同じ味を思い描けたら……
まだ人間でいられる気がしないか?」
胸に響く言葉だった。宮本の頭には、寮の机で書き留めた言葉がよぎる。
〈全員が納得するプリン〉。それは単なる挑戦ではなく、共同体の証明に他ならない。
窓の外では春の夕暮れが迫り、橙色の光が部室を照らしていた。
香坂璃音は冷静に「香りは記録できても、感情は記録できない」と呟き、
水無瀬湊は「でも、みんなで食べれば笑顔は残る」と柔らかく微笑んだ。
人間性とは何か。異能に改変された私たちを、果たして人類と呼べるのか。答えは出ない。
だが宮本は思う。だからこそ人は食卓を囲み、旧文化を復元しようとするのではないか。
曖昧な味の中に、「まだ私たちは人間だ」と確かめる証拠を探しているのではないか。
プリンを完成させる挑戦は、彼女自身の夢を超えて、社会全体の切実さと重なっていた。
宮本は静かにノートを開き、新しい言葉を書き加えた。
「人間らしさの証明」
その文字は、春の光を受けて柔らかく揺れていた。
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