天才美少女魔法使いの青春と残響

@Rin_Isshiki

プロローグ

 世界から「本物」が消えて、もう三ヶ月が経つ。

 スマートフォンの画面に映し出された『勇者チャンネル』のトップページには、ただ黒い背景に白抜きで、「Thank you for watching.」という無機質なメッセージが固定されているだけ。二度と更新されることのないその場所を、俺は飽きもせず毎日訪れては、ため息と共にブラウザを閉じる。そんな意味のない行動が、すっかり日常の儀式になってしまっていた。


 『勇者チャンネル』。

 それは、ある日突然始まった、正体不明のネット配信だった。

 勇者を名乗る金髪の青年アッシュ・ブライト。寡黙ながらも頼れる大男の戦士ライル・グレイ。冷静沈着な頭脳派の僧侶クレメンス・ヴェール。そして――パーティの紅一点であり、圧倒的な火力で敵を殲滅する、天才魔法使いの少女ミヅキ。


 彼らが配信していたのは、まぎれもない「本物」の戦いだった。


 異形の怪物、おぞましい魔術、そして世界を脅かす魔王の軍勢。そんなファンタジー小説から抜け出したような脅威と、彼らはリアルタイムで戦っていた。最初こそ、誰もが精巧なCGを使ったフェイクドキュメンタリーだと思っていた。しかし、彼らの戦いで破壊された海外の街並みが、翌日のニュースで本物の映像として報じられるに至って、世界は認めざるを得なくなった。

 

 ――これは、本物だ、と。

 俺が彼らの存在を知ったのは、中学三年の冬。退屈な受験勉強に嫌気が差し、現実逃避のようにネットの海を漂っていた時だった。偶然流れ着いたそのチャンネルで、俺は「彼女」の魔法を見た。


 『星屑の奔流(アステロイド・フロー)』


 魔法使いミヅキが凛とした声でそう唱えると、彼女の掲げた杖の先から無数の光の弾丸が生まれ、夜闇を切り裂く流星群のように敵陣へと降り注ぐ。一つ一つの光は小さくとも、その圧倒的な物量は、おぞましい怪物たちの進軍を許さない。


 敵の反撃には、冷静沈着な僧侶クレメンスが、的確な戦況判断の末に放つ絶対浄化の法術を放つ。


 『天律執行(ジャッジメント・レイ)』


 その戦いぶりは、まるで精密に計算され尽くした芸術作品のようだった。


 そして、戦局を決める戦士ライルの技。

 

 『地砕戦斧(ガイア・ブレイク)』


 地をも切り裂くその破壊力は魔王と魔王軍を崩壊寸前までのダメージを与える。そしてトドメは勇者の会心の一撃。勇者アッシュが聖剣を天に掲げ、魔を滅する黄金の光を放つ


 『終焉を告げる暁光(デイブレイク・フィナーレ)』


 あらゆる不浄を浄化し、魔王軍の幹部すら一撃で消滅させた。その神々しいまでの光景に、俺は息をすることも忘れ、ただ画面に見入っていた。

 

 特に魔法使いの美少女ミヅキに魅了された。美しいのに、どこまでも苛烈。可憐なのに、誰よりも強い。

 黒髪をなびかせ、月光を背負って戦う彼女の姿は、退屈な灰色の日々を送っていた俺にとって、あまりにも鮮烈な「光」だった。

 

 俺は狂ったように『勇者チャンネル』にのめり込んだ。過去の配信を何十回と見返し、敵の行動パターン、仲間の連携、そして彼女が魔法を放つコンマ数秒の隙や予備動作まで、全てを網膜に焼き付けた。友人たちがスマホゲームの攻略に夢中になるように、俺は彼女たちの戦いを分析し、研究し、考察することが、何よりも楽しかった。

彼らは俺にとって、単なる配信者じゃない。手の届かないアイドルでもない。

 本物の「英雄」であり、退屈な現実を鮮やかに塗り替えてくれる、唯一無二の希望だった。

 

 その戦いが、三ヶ月前に終わった。

 魔王は打ち倒され、世界は救われた。チャンネルの最後で、リーダーのアッシュが笑顔で言った。「俺たちの戦いは終わった。今まで応援してくれて、本当にありがとう」。

 

 コメント欄は感謝と祝福の言葉で埋め尽くされ、世界中が歓喜に沸いた。もちろん、俺も嬉しかった。彼らが、彼女が、もう命を懸けて戦わなくて済むのだから。

だが、同時に、とてつもない喪失感が胸に広がっていた。

まるで、自分の身体の一部を、魂の半分を、ごっそりと抉り取られてしまったような、空虚な感覚。

 

 色を失った世界で、俺、篠宮晶斗(しのみや あきと)の退屈な日常が、再び始まった。

 高校の教室の窓から見える空は、どこまでも青く澄み渡っている。隣の席では、親友の高木健太(たかぎ けんた)が、昨日の深夜アニメについて熱弁している。聞き慣れた教師の声、チョークが黒板を叩く音、クラスメイトたちの笑い声。

 全てが平和で、平凡で、そしてひどく退屈だった。

 

 「本物」を知ってしまった目には、このありふれた日常の風景は、あまりにも色褪せて見えた。まるで、最高品質のフルカラー映像を見た後に、ざらついたモノクロのフィルムを見せられているような気分だった。

 

 英雄たちは今、どこで何をしているのだろう。

 勇者アッシュは、そのカリスマ性で国際的な有名人になったと聞いた。僧侶クレメンスは、本国で政治家に転身したらしい。戦士ライルは……寡黙な彼のことだ、きっとどこかで静かに暮らしているのだろう。

では、彼女は?

 

 あの月光の魔法使いは、今、どこで、どんな風に過ごしているのだろうか。

 普通の女の子のように、笑えているのだろうか。

 そんな、答えの出るはずもない問いが、不意に頭をよぎる。

 もう二度と、あの美しい魔法を見ることはない。あの凛とした声を聞くことも、彼女が仲間たちと笑い合う姿を見ることもないのだ。

 

 「……はぁ」

 

 誰にも聞こえないくらい小さなため息をつき、俺は机に突っ伏した。

世界は救われた。けど、俺の世界は終わってしまった。

 明日も、明後日も、きっと今日と何も変わらない、退屈な一日が続くだけだ。

 

 どんな映画やゲームよりも熱狂的で、命懸けの戦い。その「観測者」という名の特等席を失ってしまった晶斗に残されたのは、ただの高校二年生としての、何の変哲もない日常だった。

 「なぁ、晶斗。昼休み、購買の新作コロッケパン、もう売り切れてたぞ」

 健太が、がっくりと肩を落として席に戻ってくる。その至って平和で、どこにでもある光景。

 「そっか。まあ、仕方ないだろ。あそこのパン屋、どういうわけか仕入れる数が少ないからな」

 晶斗はそう言って、手に持った文庫本のページをめくった。内容は、何の変哲もない古典ミステリー。

 (――俺は、知っている。この世界が、どれほど簡単に“普通”の仮面を剥がされ、どれほど恐ろしい混沌に塗り替えられ得るかを)

 『勇者チャンネル』の全配信を何十周したのか、魔法使いミヅキの戦闘シーンだけはそれこそ千回と繰り返し観てきた。戦士ライルの戦斧の軌道、僧侶クレメンスの緻密な戦略、勇者アッシュの圧倒的な存在感、そして、魔王の残党が持つ異質な魔力。それらを**観測(ウォッチ)**し続けた晶斗の眼は、もはや単なる高校生のそれではない。

 だが、今はもう何も起こらない。誰も戦わない。

 平凡な教室、平凡な会話、平凡な日常。世界は救われてしまったのだ。

 「もう一度、あの光の魔法を見れたらな」

 誰にも聞こえないように、晶斗は小さく呟いた。それは、ファンとしての憧憬と、失われた熱狂への渇望が混ざった、独り言だった。

 

 次の瞬間、彼の視界の片隅に、教室の扉が開くのが見えた。担任の安藤千尋先生が、いつもの生真面目な顔で、しかしどこか緊張した面持ちで、その扉の前に立っていた。

 そして、その先生の後ろに控えるように、一人の女子生徒が立っている。


 「みんな、静かに。今日は転校生を紹介するわ」

 晶斗は、ぼんやりと顔を上げた。

 そこには、まるで絵画から抜け出してきたような、完璧な美少女が立っていた。艶やかな黒髪は光を反射し、透き通るような肌は微かに紅潮している。そして何よりも、その瞳。射干玉(ぬばたま)のように黒く、深い夜の海のような、見覚えのある瞳。


 (まさか……いや、ありえない。世界を救った英雄が、こんな普通の高校に、いるはずが――)

 心臓が一瞬、止まった。

 転校生は、少しはにかんだように、そしてどこか居心地の悪そうな表情で、皆に会釈をした。

 「早乙女美月です。よろしくお願いします」

 その声を聞いた瞬間、晶斗の脳内で何かが弾けた。

 美月。早乙女美月。

 その名前は、三ヶ月前まで、世界中の熱狂の渦の中心にあった、天才美少女魔法使いミヅキの名前を連想させるものだった。

 そして、晶斗の「退屈な日常」は、何の前触れもなく、そこで唐突に終わりを告げた。

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