第2話
学者たちにはへこへこしていた門番が、私の差し出した身分印をみて表情をなくし、無言で投げて返す。奴隷騎士とは、私のような戦闘用奴隷を王族、貴族の方々が動かしたいが身分ゆえに城へ上がれないとなったときに作り出された地位だ。書類上一般市民より上の立場だが、その実態は奴隷の時と変わらない。誰からも遠巻きにされ、馬鹿にされ、足蹴にされる。奴隷身分からは解放されているから、住む場所を自分で選べるし、給金も直接貰えるとか細かい違いがあるが、その分手間が増えて面倒だ。最初は奴隷から抜け出せるとあって必死に上り詰めた地位だけど、そんなものだ。
「ちょっと見せてくれよ」
「まだ外だから静かにしてて。騒がれる」
レヴェロを包んだ布がガサガサ動く。咄嗟に押えて周りを見るが、学者たちが前後を囲んでくれたおかげで周りには見えていないようだ。門番にみとがめられなくてよかった。学者たちも焦っているのか動きがぎこちない。小さくなったレヴェロを布でくるみ、小脇に抱えて歩くのは肝が冷える。普通の生き物のように布で息が詰まることはないようだが、レヴェロはふとした拍子に喋り出す。建前上討伐の証にドラゴンの一部を持ってきたと話を通しているようだが、生きていない想定だろう。急に動き出したら驚いた門番や兵士に私ごとぶった切られてしまうかもしれない。全く、1人だけ浮かれていて、こちらの気持ちも考えて欲しい。
布の上からギュッと角を握り黙らせる。今や私の指より細いのに、それは確かな硬さがある。私の力じゃ折れそうにない。
「折らないでくれよ……」
静かになったバスケットから控えめな声がして、さすがに罰が悪く握る手を弛めた。
「おや、汚らしい奴隷風情が、王城に何の用ですかねぇ」
見なくてもわかる。この誰が聞いても厭味ったらしい声は、城勤めで奴隷騎士制度に最後まで反対していた貴族、カートス伯爵だ。奴隷騎士は自ら城に赴くことはできない。呼び出しがあって初めて入ることができる。王城に奴隷騎士がいるということは、用事があるときに他ならないのだ。しかしこのカートス伯爵はわざわざ奴隷騎士を呼びとめ嫌味を聞かせる。発言を許されるまで口を開くことを許されていないから、ただ言いたいだけ言われて、彼が満足したら解放される。どうせ返事は求められていないのだから、こいつの話は聞き流すに限る。
「コラバインを300年悩ませたドラゴンを討伐したとか。小賢しい奴隷のことだから、そこら辺のミニドラゴンを討伐して嘘をつこうとしているのではないのか?そんな小さな包みがドラゴンの一部なんて、誰も信じないぞ」
そこまで知っているのであれば、私を呼び出したのが王であるとわかっているはずなのに、わざわざ足止めさせる。奴隷と貴族は血の色が違うと信じているから、虫を追い払うくらいの気持ちなのだろう。奴隷だって貴族だって、動物だって切れば血は赤いのに。
いっそ見せてやろうかと包みに手をかけたら、領地から連れてきたのであろう兵士2人がガチャガチャと剣を抜き私へ向ける。
「貴様、カートス様の前で生臭物を取り出すつもりか」
「控えよ奴隷、負け犬の子風情が」
装飾の施された剣は重いのだろう。切っ先が震えている。ちらりと顔を見ると、何だ、見栄えで選ばれたような細い美男子が2人、顔をゆがませてこちらを見ている。平民にはない整った顔立ちと言葉遣い。宝石や金で装飾された武具防具を傷も気にせず動いているところを見ると、カートス伯爵が己の権力を見せびらかすために連れて歩いている、どこかの貴族の次男だか三男だかだろう。この程度の腕で剣を向けられたとしても怖くはない。ちゃんと息の根を止めることができる。しかし城内で剣を抜くなんてご法度、誰かに見られでもしたらどうするのだろうか。
「こんなところにいたのか。王がお待ちだ」
学者の一人が死角から声をかけてくれた。カートス伯爵は舌打ちをして、私を蔑んだ目で一瞥すると去っていった。護衛二人も慌てて剣を剣に収めて後をついていく。本当に言いがかりをつけたいがためだったのだろう。お暇そうでうらやましい。
「遅れてすまないな」
「いいえ。いつもありがとうございます」
彼は私がカートス伯爵やそのほかの貴族に絡まれているとき、さりげなく声をかけてくれる。いいや彼だけではない、学者たちはなかなか私を助けてくれることが多い。貴族どもは嫌いだが、優しくしてくれる彼らのことは好きだ。
「カートス伯爵も懲りればいいものを」
「私はもともと奴隷だったのだから、反発を持つのは仕方ないと思う」
「どうせ死ねば同じなのにね」
この学者は確かえらい家の三男だったはずだ。建国時に王家に助力をして、公爵位を賜っている。歴史が長い家だし、彼の声にはだいたいの貴族が従わざるを得ない。カートス伯爵もご多分に彼より漏れず身分が低いから、声を聴いたとたん退散したのだ。
「王がお待ちなのは本当だ。さぁ、しゃべるドラゴンで度肝を抜いてやろうぜ」
謁見の間はいつ来ても全身が痺れるような緊張感がある。煌びやかで目が眩む装飾、足が沈むふかふかの赤い絨毯。そして人々から立ち上る煙たいほどの香の匂い。その人々から向けられるこちらを品定めする視線と、王や部屋の周りをかためる騎士たちから放たれる圧のある視線。手練の彼らを前にすると、自分が勝てる未来が見えず鳥肌がたってしまう。
「おもてをあげよ」
重い王の一言で、やっと視線をあげることが出来た。貴族の一人から渡された大きな盆に元の大きさに戻したレヴェロの生首を載せて、頭の上にもちあげていたから、腕が疲れて震えてしまう。
「奴隷騎士レルシャよ。貴様の働きにより我が国コラバインの安全を長きにわたって脅かしてきた悪しき300年ドラゴンを討伐できたそうだな。その包みの中身を我らに掲げ、討伐を宣言するがよい」
「発言を許可する」
王の側近が高らかに宣言する。これで私は話せるし動けるようになった。ゆっくりと包みを開け、レヴェロの生首が現れた。包みが明らかになると、人々どよめきが波のようにあちこちから押し寄せる。
レヴェロは目をつぶっていた。彼の紫色のうろこは、降り注ぐ光の中七色に反射している。しなやかな鬣と無骨なつのの利用価値を考えてよだれを垂らす商家もいるだろう。しかし彼は生首だけでも凛としていた。ここが自分をお披露目する会場とわかっているかのような佇まいだ。
「人間の王よ」
人々のささやきがぴたりと止まる。不敬な物言いながら、低く響く魅力的な声の持ち主は誰かとあたりを見回す。
「此度の助力、感謝する。人にかけられた呪いを解くのは、やはり人の手しかないということだな」
「ひっ」
「このドラゴン、生きてるぞ!」
悲鳴が上がり、誰かが倒れる音がする。会場が騒然となり、数人の兵士が駆け込んでくる。一瞬私のせいにされ切り捨てられる可能性が脳裏をよぎったが、見向きもされなかった。彼らはうろたえる貴族たちの中へ分け入ると、ふわりと広がるドレスに身を包んだ女性が数名抱えて出ていった。死体の一つも似たことが無い貴婦人というやつには刺激が強かったのだろう。今日はドラゴンの生首お披露目会だとお知らせに書いていなかったのだろうか。
人間の騒ぎなど気にせず、レヴェロはふわりと浮きながら謁見の間の素晴らしい芸術品を眺めている。私にはきらきらしていてすごいということしかわからないが、長く生きているとその価値がわかるようになるのだろうか。
「古きドラゴン、レヴェロ・フーフィー・ネグセスティオよ。貴様の話は事前に学者から伝え聞いておる。先の時代の人間による呪いで暴虐の限りを尽くしていたと。貴様の暴虐により家族や大切な物を失った国民は多く、本意でなかったとはいえ、貴様に反感を持つ者は少なくない」
レヴェロの名前を聞いて、数名の貴族が色めき立って自分の侍従を混乱の中開いた扉から脱出させる。利用価値を見出したのだろう。
「わかっている。かといって、一方的に悪者にされるのも気分が悪い。人の王よ、沙汰を聞かせてもらおうか」
人間ならすぐにとらえられ、裁判を待たず切り捨てられているだろう。しかし王のまなざしは穏やかなものだ。レヴェロも獣の外見をしているものの、知性を感じさせる瞳は人のようだ。
「本来ならば我が国で保護するつもりだったのだが……そこの奴隷騎士と契約が結ばれたと聞いた。不本意だと思うが、それを解消する手立ては今のところ見つかっていない」
王が私を見た。体が硬直し、汗が噴き出る。威厳なのか?その一言では片付けられない何か強大なものに押しつぶされそうだ。王や貴族は普段私のような者に目線を合わせることが無い。だいたいが目の前に現れても無視するか嫌な顔をしていて、侍従を通じて自身は一言も交わすことなくやるべきことを伝えてくる。カートス伯爵みたいなのは珍しいのだ。王がこちらを見るというのは、おそらく大変な名誉なのだろう。私にとってはただただ大きな敵に見つかった感覚しかなくて、目をそらすべきなのか、それが不敬に当たるのかの判断も難しかった。
「そこでだ。奴隷騎士よ、貴様に一代爵位と自由交通の権を褒美として与えよう。追って通達があるだろう」
会場が再びどよめき立つ。奴隷騎士に貴族の身分を与えるなんて聞いたことが無い。たくさん成果を上げている大先輩の奴隷騎士たちですらそんな話はなかったはずだ。
「貴様はこれから国を出て、レヴェロ・フーフィー・ネグセスティオの体を探す旅に出るのだ」
しかし、爵位の話より自由交通の権が魅力的過ぎて、色々な不安を押しのけ期待が私の脳内を占拠する。私は物心ついた時から奴隷だったから、この国……いや王都以外の場所なんて仕事でしか行ったことが無い。奴隷騎士は国の所有物だから、逃亡防止のため国外へ出ることは基本的に許可されていないのだ。学者や他国出身の奴隷の話を聞いて、いつか自由になりたいと思いながら、そんな夢物語はないと思っていた。そんな私が旅に出るなんて。周りのどよめきなんか耳に入らなくなってしまった。
「おい、何とか言え」
「は、拝命致します」
後ろに控えていた学者にせっつかれ、私が唯一許されている言葉を発する。王はそれを聞くと頷き、もう私の方を見ることは無かった。
謁見の間から出ても、心臓は大暴れのままだった。全身から汗が吹き出して、今にも膝から崩れ落ちそうだった。歩き回って緊張をごまかす。しばらく歩けば落ち着いてくるはずだ。王の気迫は、あんなにも違うのか。自信、誇り、気品……ひとつの言葉では言い表せない迫力で、私は自分が生きて立っていることが不思議に感じた。王と直接言葉を交わすまでは、ただ出自が違うだけで同じ人間だと思っていた。あれは違う。自分より明らかに格上だと分かるのだ。
「ワシのせいですまないな」
「いいよ。国から出るなんて叶うと思っていなかったから」
レヴェロは王になにも感じていないのか、口では謝りつつも機嫌良く浮いているように見える。ドラゴンというのはこんなに能天気なのか。それとも彼がおかしいのか。
使用人通路は、城のほとんどの通路より装飾が少なく質素だとされているが、それでも廊下は広く明るく、絨毯は柔らかい。使用人といっても、もとは貴族の出で私よりもちろん地位は高く、彼らのほとんどは私をいないものか、汚いものとしてみている。いつもは使用人たちの邪魔にならないようにと、速足で歩いてくる彼らを一生懸命よけていた。ぶつかりなどしたら大変だ。一度、主人に連れてこられたであろう奴隷が使用人とぶつかり、そのまま引っ立てられていった。あとで、彼と同じ背格好の死体が王城の外へ運ばれていくのを見た。まぁ、そういうものなのだ。しかし今日は浮いているレヴェロを見て、勝手に皆が避けていき道ができていく。皆がこちらをみてあんぐりと口を開けている。最後に悠々と道が歩けてなんだか気持ちがよかった。
「国を出ると言っても、人間には準備が必要であろう。貴様の住処に行こうではないか」
「準備なんて……もしかして私の身分知らない?」
「それなりの地位にありそうな力を持っていそうだが、なんだか蔑ろにされていたな。他国から逃げてきて成り上がりってところか?」
「学者たちからほんとに何も聞いていないの」
学者たちはおしゃべりに夢中で誰も私の話をしなかったらしい。あまり分け隔てなく人間を見ている彼らにそれを求めるのは逆に難しいのだろうか。
「私は奴隷。それも敗戦国の血筋。父親は戦死したし、国が負けて奴隷になった母は早々に死んだ。どうにか戦ってここまで上り詰めたってわけ」
「ほう、幼いながらも頑張ったのだな」
「母の加護があったからかな。レヴェロに消し飛ばされたけど」
「いやぁそれは本当にすまないと思っているって。わしの加護もなかなか捨てたもんじゃないぞ?」
「痛いのは本当に嫌なんだよ。みんながおかしいくらいに怪我とか怖がっている理由がわかったよ」
怪我をしていた右手を見る。今は傷一つない。でも、あの痛みは鮮明に思い出すことができて、うっすら汗がにじむ気がする。今まで怪我をしたことのない体の場所なんてないって程してきたけれど、ほとんど覚えていない。戦略的に失敗したと思えばちゃんと後で考えるようにしていたけれど、それは次をもっと楽にするためだし、ただの失敗としか思っていなかった。痛みは記憶に刻み付けられる恐怖だ。私はこれからこれに付き合いながら戦いをしていくしかない。
「あーあ。みんなどうやって痛みを耐えているんだろう。出発前に聞いておかなきゃな」
入り組んだ王城も、おしゃべりドラゴンがいればあっという間だった。使用人入り口を開けると、ごうと風が吹き込んでくる。
「さっさとドア閉めてくれよ!」
後ろから大荷物を運んでいた男が呼びかけてくる。このすべてが終わって王城出ていく瞬間が一番好きだ。上は限りなく青空が広がっていて、ぎりぎり覗ける高さの塀から覗けば活気のある城下町が見下ろせる。最初にここに来たときは、こんなにいい暮らしをしている人がこんなにいるのかと恨めしく思ったが、今ではこの景色が好ましく見える。
「レルシャ!また王様に呼ばれたのか」
「ちょっと寄っていきな。古い野菜分けてあげられるよ」
「ありがとう、今行きます」
城下町には、貴族の店もあれば平民の店もある。平民の人たちは、私を憐れんでくれているのか食べ物や着るものを恵んでくれる人がいる。
「私、この町を出るんです」
いろいろな店であまりものや不良品、古くなったものをもらい受けながら、挨拶をして回る。たいていの人は寂しがったり、応援してくれたり。レヴェロは気を使ったのか、どこかに飛んで行ってしまった。
「でも、王様のおかげで乞食はいなくなって皆奴隷として管理してもらっているのでしょう。仲間にも奴隷からレルシャちゃんみたいな優しい奴隷騎士になれるように励んでって言っておいてね」
「わかりました。ありがとうございます」
両手に荷物を抱え、家へ向かおうと城門へ向かう。人気が無くなると、どこからともなくレヴェロも戻ってきた。
「なかなか可愛がられているじゃないか」
「まぁね。ここら辺の人は奴隷騎士に友好的なことが多いよ。こんなにものまでくれてありがたいよ」
国に何かあれば真っ先に駆け付けることになっている奴隷騎士は、余裕のある平民からはよくしてもらうことも多い。でも、もともと奴隷ということもあって、優しくされてもそれを突っぱねる奴隷騎士も多いみたいだ。私も見たことがある。素直に受け取れない気持ちもわからないではないが、こういう善意はありがたく受け取ったほうがすべて丸く収まるものだ。私が国を出たとして、仲間に分けられるほどの施しを受け取れる奴隷騎士がいるだろうか。
「そこの奴隷騎士、止まれ」
城門の前で、えらそうな声に呼び止められた。いやな予感がする。でも、振り返らないわけにはいかないからしぶしぶ後ろを向いた。予想通り、上等な服を着て偉そうな立ち方をした男が嫌そうにこちらを見ている。見たことない顔だが、王城勤めの貴族なのだろう。なぜか兵士を数名つれている。
「貴様の旅路に見届け人をつけることとした」
兵士が左右に分かれ、間から誰かが進み出てくる。私と同じくらいの年の男の子だ。質素な見た目に見えるが、明らかに素材がいい服を着ている。城下町でお忍びで遊びに来る貴族の子息のようだ。くすんだ灰色の髪は大人みたいに整髪料で整えられているが、左右にはねているひどいくせっ毛だ。薄桃の目はここらでは見ない色で、たとえぼろを着せたとしても、見る人が見れば尊い血ということがわかるだろう。なんだか嫌な予感がしてきた。こんなきれいな物しか見たことのないガキの面倒を見ろというわけではあるまいな。
「この方はグレイシャー公爵家のご子息、リンド・グレイシャー様。貴様の一生で一度もお目通りが叶わないほどの高貴な方だ。しかし奇特にも貴様の旅路に同行したいと申されておる」
嫌な予感が当たってしまった。吐き出しそうになった溜息を飲み込み冷静を装う。なよっちい貴族の子を抱えて旅をするなんて、無理に決まっている。町はずれの森を1つ抜ける前に身ぐるみはがされて死ぬのがおちだ。それをわかっていっているのか。当の本人はというと、何を考えているのかわからないぼんやりとした顔をしている。旅の同行は、本当にこのガキの意志なのだろうか。
「厳しい旅になることは重々承知されている。明朝城門前で待っておられるから、2人で出発することだ」
疑わしい気持ちを見透かされたのか、憎々しげにそれだけ告げると偉そうな貴族らしい男は兵士とそのガキを引き連れ去っていった。公爵家は確か貴族で一番身分が高いはずだ。そんないい家の子供なのに、危険な橋を自ら渡るとは思えない。
「厄介払いか、どうせ断れないのだろう?彼は死ぬのが望まれているようだから、君は気にすることないよ」
「それを理由に、君との契約が満了したとたん私が罪に問われて死にそうになったらどうするの」
「その時はわしが完全体ドラゴンパワーで助けてやるさ」
人ごとだと思ってけらけら笑うレヴェロをひっぱたく。人の命をなんだと思っているのだ。まったく腹の立つドラゴンだ。
家に着くころには日がほとんど傾いて、もう薄暗くなっていた。奴隷騎士は住居が与えられるが、それは指定された場所から選ぶだけで、自分の好きな場所に住めるわけではない。私は自分の育った区画から出なかった。両親のいない幼い私を育ててくれた人たちに恩を返したかった。今では私がこの地区一の稼ぎ頭で、みんな私の帰宅を心待ちにしてくれている。
「レルシャ、おかえり!」
家に入ると、デリアが出迎えてくれた。温かいスープの香りがする。私の大好物だ。デリアは私の母に仕えていたそうで、母を亡くした私のことを親代わりとして大切に育ててくれた。私が持ち帰ったお土産屋褒美は、まずデリアに渡している。今では地区のご意見番になっている、賢く優しい彼女に文句をつける人間はいないのだ。
「ねえデリア、私この国を出ることになったんだ」
渡したお土産を真剣に吟味するデリアにそう告げると、あっけにとられた顔でこちらを見た。
「どこかのお貴族様の恨みでも買ったのかい?それともまた危ない遠征に連れていかれるのかい?」
お土産を置き、デリアが私の両手をつかむ。私が危ないことをしようとすると、いつも温かい両手で包んでくれるのだ。
「違うよ。デリア、何見ても驚かないでね」
真剣な顔で頷くデリアの前で、レヴェロの入ったバスケットの布を少し持ち上げる。デリアは目を見開いて、私とレヴェロを交互に見た。
「レルシャ、あなたなんてものを……まさかこのドラゴンと契約を?」
「デリアはドラゴンの契約のこと知っているの?実はそうなんだ。こいつの体を探さなくちゃいけなくなっちゃって、いろんな国を回る必要があるんだ」
「なんてこと……」
デリアの目に涙が浮かんだ。さすがのレヴェロも口をはさめず、困ったように私を見ている。こんなにつらそうなデリアは見たことが無い。私の手を握る力がどんどん強くなる。
「デリア、痛いよ」
はっと手を放し、ついに顔を覆って泣き始めてしまった。
「ドラゴンとの契約なんて、デリアの力ですら痛いだなんて、お母様の加護が切れてしまっているじゃないですか。こんなのあんまりです。どうしてこの年寄りではなくてこんな子供と……」
「す、すまない。わしとて不可抗力だったのだ」
慌てて言い訳するレヴェロだが、そんなことでデリアは泣き止まない。時折顔を上げてはレヴェロをにらみ、何か言いかけてまた泣き出し顔を覆ってしまう。私だってどうしたらよいかわからず、ただデリアを見つめていた。
「長老、レルシャ、大丈夫かい?」
私たちがいつまでたっても家から出てこないから、お土産を期待していたほかの奴隷たちが外から声をかけてきた。レヴェロが慌ててバスケットの中へ引っ込む。デリアが外に出ようとするが、泣き顔をみんなに見せることははばかられる。とりあえずデリアを手で制し私が外へ出た。外には近所に住むカズラとレンの兄弟が来ていた。おおかたおなかが空いて我慢できなかったのだろう。王の所有物とはいえ所詮は奴隷、配られる食料品は最低限で、皆私が持ち帰ってくる食べ物や物資を心待ちにしているのだ。
「ごめん、私明日この地区から出ることになって……それでデリアとちょっと話しているの。明日の朝には配ってもらうから」
「レルシャ、出ていくの?」
「やだ、どうして?僕たちのこと嫌になっちゃったの?」
なんだか二人も泣き出しそうになってしまった。
「違う、王命だよ。何泣きそうになってるの、君らも奴隷騎士になるんでしょう。絶対いつか戻ってくるからそれまでに君らがこの地区を支えるんだよ」
涙ぐみながらも、2人は何とか納得して帰っていった。まだ労働だけ、人を殺したことが無い幼い二人は血に汚れた私を本当の家族のように慕ってくれている。守れないかもしれないことを約束してしまったな。少し心が痛む。
「デリア、ドラゴンの呪いのこと教えてくれる?」
落ち着いたデリアは、バスケットの中のレヴェロをまじまじと見つめている。レヴェロはその場でくるりと回ってみたり、デリアのいぶかしげな目線を浴びながらも臆することはない。私のいない間になんだか関係が深まっているような気がする。
「祖国ラディアでは魔法は身近な存在でした。魔法生物も沢山いたのですよ。だからドラゴンもたまに現れていました。もう人間と親しい関係では無かったけれど、時折ドラゴンの加護を授かる人間がいました」
デリアは、寝物語を語るような、昔を懐かしむような穏やかな声で話し始めた。目は赤かったけれど、涙はもう乾いていた。
「ドラゴンとの契約は、力を使いこなせず破滅するか、願いを叶えられず代償を被るかのどちらか。でも、大昔はドラゴンの願いを叶え、幸せな一生を送る人もいたようです。今はなきラディアにはたくさんの言い伝えがありました」
「ドラゴンの願いが叶えられないと代償があるの?」
「えぇ、ドラゴンの願いを叶える前に死んでしまったら地獄に落ちるとか、ドラゴンに生まれ変わってしまうとか」
地獄に落ちたらお母さんに会えない。そんなことになったら困ってしまう。のんきにあくびをするレヴェロじっとり見つめてやったら、慌てて弁解し始めた。
「それは迷信だと思うぞ。死後の魂に干渉できる者は少ないからな」
「ドラゴンの願いを叶えられなかったらどうなるの?」
「どうもならない。ただ死ぬだけだ。契約はドラゴンか人間どちらかが死ねば破棄されるらしいからな」
「レルシャ、旅先で嫌になったらこの生首水に沈めて帰ってきちゃいなさい」
「水に沈めたくらいじゃわしは死なないもんね」
デリアはレヴェロを睨みつけている。ドラゴンを犬かなにかと同じかと思っているようだ。
「今の話、学者たちに話したらとっても喜びそうだね」
「嫌ですよ、この国のためになる事なんてひとつもしたくありません」
そっぽを向くデリアについ苦笑いしてしまう。デリアはラディアを滅ぼしたコラバインが大嫌いだ。同じくコラバインに滅ぼされた国からやってきた奴隷たちは同じような気持ちのようで、よく態度に出して罰を受け、早死している。誇りは死に繋がっているのだ。
「コラバインのために旅に出る私の事、嫌い?」
「なんてことを言うのですか。私がレルシャを嫌いになるはずないでしょう」
私が無痛の加護をかわれて初めて戦闘奴隷として駆り出された時、デリアは泣いて私の手を離さなかった。国を滅ぼされて、その敵国を守るために命をかけさせられるなんてと一晩中泣かれた。でも戦闘奴隷は見返りが大きいし、奴隷騎士への道が開けるとも聞いていた。この地区はコラバイン出身の奴隷がいる地区よりも明らかに手を抜いた管理をされている。それはここが戦争で敗れた国の民が集められた地区だからだろう。奴隷の中でも最下層として扱われているのだ。他の地区が配られる服がどうとかで文句を言い合う間に、食べる物がなくて力のない年寄りや自分より小さい子が死んでいくのを見るのはもう嫌だった。だから反対するデリアを振り切って戦場にでた。結果、私は死なずに出世して、この地区はもう餓死の不安を抱えずに済んでいる。デリアは何度戦いに赴いても、そのたびに泣いて縋ってくる。しかし帰ってくる私のことは笑顔で迎えくれるのだ。
「あなたの選択は、私にとってつらいからいつも反対するけれど、元気でいてくれるなら良いのです。本当は、楽しいことと美しいものだけに囲まれて、幸せに暮らしてほしかったのですがね……」
いつもの口癖だ。ラディアはもうないし、私はその土を踏んだこともないけれど、今は無き故郷を思うデリアの瞳に、美しい風景とそこで遊ぶ無邪気な子供の姿を見る気がするのだ。
「ちゃんと生きて帰ってくるから」
「大丈夫、わしが保証しよう」
「私の大切なレルシャにできるだけ痛い思いも怖い思いもさせないでくださいよ。首だけで何ができるかわからないけれど、あなたは仮にもドラゴンなのですから、か弱いレルシャを守ってやってくださいね」
か弱いって。私がどんな功績をあげて帰ってきても、デリアにとってはいつまでたっても可愛い子供なのだ。
「今日はデリアと一緒に寝てもいい?」
「もちろん」
ちょっと恥ずかしかったけど、デリアに甘えてみたら、目を丸くした後に目じりがとろけるほどの満面の笑みになって両手を広げてくれた。幼いころのようにデリアの胸に飛び込んだ。いつの間にかデリアの身長は私より低くなっていて、腰をかがめなければそれはかなわなかった。でも、あの頃と同じやさしい安心する香りと、柔らかな体に包まれて、緊張で張りつめていた心がほぐれていく。
遠征はたびたびあったけれど、だいたいひと月もたたずに帰ることが多かった。今回は終わりが見えないから、いつ帰ってこれるかも、生きて帰ってこれるかもわからない。恥じらいなんか捨てて、デリアと一緒の布団に寝かせてもらった。
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