第2話 ある少年とない少年

 太陽が真上まで登り、気温もだいぶ高くなった頃。


「そろそろ水分補給しなきゃ……」


 庭で稽古をしていたライは、門の人影に気づく。


「あれは、騎士団の人?」


 騎士団の制服を着た人物が一人、館を訪ねてきていた。おそらく父に用があるのだろう。


 メイドに何かを伝えると、メイドはとても慌てた様子で館に入っていった。


 一連の様子を遠目に見ながら水袋の水を飲み、稽古を再開する。

 しかし、視界に入ってくる騎士は腕を組みながら同じところを行ったり来たりしている。


(集中できない……)


 落ち着きがない人を見ていると、こっちまで落ち着かない。


 何とかできないかと、騎士を見る。


「——!」


 すると汗を滝のようにかいているのがわかった。


 太陽の光が照り照りとしている今日は、こまめな水分補給が欠かせないのだが。


(少し、心配だな)


 とりあえず水分をとってもらおうと、水袋を手に持つ。そしてライは辿々しく、騎士に話しかけた。


「あ、あの。これ、どうぞ」


 騎士に水袋を渡して水を飲むよう促す。


 騎士は驚いてライを見たが、水袋を受け取ると一口、二口と水を飲む。


「ありがとうございます、坊ちゃん。少し喉が渇いていまして」


「いえ、その、すごく汗をかいていたので、心配で」


「ああ、緊急の事態で慌てていたせいかも知れません。坊ちゃんのおかげで、落ち着きました」


 騎士団員はライに水袋を返し、にっこりと微笑む。

 

「よかった、です。ところで、何があったんですか?」


 このままどこか行くのもなんか気まずい。そう思い、騎士にそう問うたとき。


 騎士から微笑みが消える。


「実は」と続けて話し始めたこと。


「街中に魔物が現れたんです」


「――っ!? 街中に、ですか?」


 魔物――それは魔素を栄養とし生きる生物である。


 魔素は空気中に含まれており肉眼では見ることができない物質で、魔力の素である。


 そして、人間にはない、特殊な力を持つ魔物もいる。


 魔物は魔素が濃い場所を好むという特性を持っていて、魔物は基本空気中の魔素が濃い場所に群れで住処を作って暮らしている。


 人間も魔素を持っているため、魔物に襲われることがあるのだ。


 また、なぜか光が苦手のようで昼は森から出て来ず、夜は動きが活発になる。


 『夜闇に光を、光を絶やすな』。これはこの世界の常識である。


 いや、今日この時まで


「夜ならまだしも、こんな昼間に? そんなことあり得るんですか?」


「はい。だから騎士団長である、坊ちゃんのお父様のお力が必要なのです。魔物は非常に強力で、我々では民を守るので精一杯。街に出る魔物の数は増えていくばかりで……」


「……っ」


 不安が押し出された顔。どれだけ酷いことになっているか想像できた。


 ライの心が揺れる。


「そんな……そんな場所に、あんな状態のお父様を向かわせるのですか……?」


 父が強いのはよく知っている。だがあんなにボロボロになって、フラフラと歩く父を、魔物と戦わせるなんて。


「――せっかく、久しぶりに会えたのに」


 父への心配と、父とまた離れる寂しさで、つい涙が溢れ出てしまう。手で拭うが、次々と出てくる涙には敵わず、止めることができなかった。


「……面目ない」


 泣き続けるライを見て、目の前の騎士はそう呟いた。


 そこへ父がやってくる。慌てて用意したのだろう。服も髪も、乱れていた。


 そんな父はライが泣いているのを見ると、駆け寄る。


 だが今起きている事態を思い出し、ライの頭に手を置くと、


「ごめんな、帰ったら話を聞くからな」


 そう言い残し、先ほどまでライと話していた騎士と共に、馬車へ乗り込む。


「待って、お父様」


 父に伸ばしたその手は空を切り、馬車の扉が閉められる。

 ガラス越しに見える父の表情はとても申し訳なさそうで、心が痛い。


 そうして馬車が見えなくなるまで、ライは泣くことしかできなかった。


◇◆◇


 馬車が見えなくなって、どれだけ時間が経っただろう。涙が乾き、目も痛い。


 体を包みようにしゃがみこむ。


 父は騎士団長。民を守るのが仕事である。そんなことはわかっている。


 わかっているつもりだけれど。


「寂しいよ……」


 そう思うのは、いけないことだろうか。


「……稽古しなきゃ」


 力なく立ち上がり、花壇に立てかけておいた剣を手に取ろうとした時。


「だ、だれかぁ!騎士様っ!いらっしゃいませんかぁ!」


 一人の少女がそう叫びながら、道を駆けていくのが門越しに見える。


 何かあったのかと門の隙間から覗くと、おそらく巡回中であった二人の騎士が少女の話を聞いていた。


「お父さんとお母さんがっ、私を逃がすために魔物に……っ! 助けてください!!」


 少女は泣きながら騎士に訴える。

 聞き取れたのはそこまでだった。


 その後事態を察したのか、騎士たちは二手に分かれ、一人は貧民街の方へ。もう一人は少女を抱えて騎士団の本部の方へと向かっていった。


(魔物、そこにお父様も? だけど馬車が向かったのは反対方向のはず……)


 気になったライは貧民街の方へと向かった騎士を追いかけることに決め、門扉を開けた。その手には剣を携えて。


◇◆◇


 しばらく走って街を守る城壁が近づいてきたころ、異変は現れる。


 先ほどから人の悲鳴が止まることを知らず、どんどんと大きくなってくるのだ。


 その声に恐怖を覚えつつも走り続け、気づけば城門が目の前に見える。


(――っ! 魔物!)



 するとそこでは少女の話に出てきた、熊のような姿をした魔物が暴れていたのだ。


 ――街へ、魔物の侵入を許してしまっている。


 先ほど話に聞いていたとはいえ、実際に見てみるとそのあり得ない光景に体の震えが止まらない。

 ライは咄嗟に壁の後ろへ隠れて様子を見る。


 熊のような魔物――ベーアは、ライの身長の3倍は大きく、爪も牙も鋭く光っている。


 魔物にはライが追っていた騎士と城門の警備にあたっていたであろう騎士数人で立ち向かっている。だが攻撃を受け止めることがやっとのようで、防戦一方だ。


 一部建物は倒壊してしまっていて、爪の跡がくっきりと瓦礫に見えた。


 住民の避難もまだのようで危険だが、まだ街の人に被害はないみたいだった。


 もしこのまま被害が広がってしまえば……というのは考えないようにした。


(問題は……)


 貧民街。今まさに目の前にある城壁の、すぐ向こうにある、貧しい人々が暮らす場所。

 そう、魔物の被害を最初に受けるのは貧民街である。


(貧民街の人たちは無事だろうか)


「応援はまだかっ!」


「今呼びにいっている!なんとか持ち堪えろ!」


 そんな声で、ふと気づく。


(――やっぱり、お父様がいない)


 どういうことだろう。確かに父は街に侵入した魔物の討伐に向かった。それもずっと前に。ならもう到着していてもおかしくない。


 ならなぜ、父はいないのか。


 浮き上がった一つの可能性。


(もしかして、別の場所でも魔物が……!?)


 父が報告を受けるまでと、報告を受けてから現場へ向かった時間を合わせると、相当時間がかかったであろう。

 しかし、今ライがいる場所の被害はまだ小さく、魔物が入ってきてからさほど時間は経っていないであろうことがわかる。


 そして父の馬車は多分、こことは反対方向へと向かっていった。


 そのことから考えると、他の場所でも魔物が侵入してきていて、父はその対処をしている可能性が高い。


「ぐあぁ!」


 ハッとして声の方を見ると、騎士の一人が倒れていた。体にはベーアの爪の傷が。


「助けなきゃ!」


 と、考えることをやめ、剣を握りしめて動こうとする。


(……っ!!)


 ――だが、足は震えたまま動かなかった。


「なんで……どうして。こんな時にくらい動いてくれたっていいじゃないか、なぁ」


 剣術大会でのことが脳裏によぎる。


 その間にも、ベーアは倒れもがいている騎士に、トドメを刺そうとしている。ベーアは複数いるため、他の騎士もそっちで手一杯。


 だから、まだ息のある彼を助けられる可能性があるのは、ライだけなのだ。


「動いて、動いてよ……ッ!動けよ!!」


 必死に叫ぶが、足は動かないし魔物も止まらない。叫ぶだけで何かが変わるわけもない。


「あ……あぁ……!」


 声にならない声が漏れ出る。呼吸がだんだんと乱れ、先ほど枯れたはずの涙がまた流れはじめた。


 そしてついにベーアが騎士に向かって腕を振りかぶる時。

 ライは歯を食いしばりながらその光景から目を背けた。

 胸には、多くの痛みを抱えて。




 目を閉じた真っ暗な世界で、騎士の叫びが響く。








 ――ということを覚悟したが、それはいつまで経っても来なかった。


 代わりに軽いような、硬いようなものが転がるような音がして、恐る恐る目を開け、壁から覗き見る。


 そこには先ほどと変わらない様子の騎士と魔物。




 そして城門の向こうには、金色の髪が美しい少年が立っていた。

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