第一章『転生前を思い出して』

第1話 『ライ•ヒュドール』

 ライは、代々近衛騎士団に所属する騎士を輩出する家系、『ヒュドール家』の長男として生まれた。


 そのため、周囲からは父と同じような、優秀な騎士になることを期待されていた。


◇◆◇


 曇り空の下、乾いた地面の上に、木剣を構え互いを見合う二人がいた。


 一人は大きな体格をした、茶髪の少年。くすんだ緑の瞳は相手を鋭く捉え、表情には自信が溢れ出ている。


 もう一人は紫色の髪を束ね、その束を前に流している少年。額には汗をかいている。


 これは、ライが七歳になったばかりの剣術大会でのこと。


「第一回戦、始め!」


 試合開始の合図とともに木剣を構え、雄叫びを上げながら相手に向かうのは、茶髪の少年。


 一方で、紫の、だが夕景色のようなグラデーションがかかった瞳は、揺れて。


 紫髪の少年は相手に切り掛かることもなく、剣の構えを崩した。

 情け無い声を絞り出し、向かってくる木剣に対し反射的に目を瞑ってしまう。


 茶髪の少年はその隙を見逃さない。

 紫髪の少年の木剣を器用に弾き飛ばし、その衝撃で紫髪の少年は尻餅をつく。


 地面に落ちた剣は乾いた音を響かせて、審判が高らかに勝者の名前を叫んだ。


「勝者——ジオラス・グラジ」


 観客からは勝者を称える歓声が沸き起こり、それに応えてジオラスは高らかに木剣を掲げる。


 こうして、紫髪の少年——ライは、鼻を抜ける雨の匂いと共に、一回戦敗退という結果に終わったのだった。

 


◇◆◇


 剣術大会、翌日。

 まだ周囲が静けさを保つ頃、ある屋敷のそばで、木を叩く音が響いていた。


 ライは剣を握り、打ち込み台に向かってひたすらに打ち込む。


 力のままに、何度も、何度も。


 目には焦りを宿し、打ち込む力はだんだんと強くなっていく。


 だから、剣は力に負けて、折れてしまった。


「——っ……」


 折れた木剣を片手に、ライは力なく崩れ落ちた。


「なんで……ッ」


 昨日の光景が、脳裏にちらつく。

 胸の奥が、冷たいのか、熱いのか、わからない。視界が滲む。


「なんで、僕だけ……ッ」


 思わず出た言葉。


 ライは、何もできなかった。


 今もこうやって、地べたに這いつくばって泣くことしかできない。


「……いやだ」


 首を横に振る。


(僕はみんなよりも頑張らなくちゃ、追いつけないんだから。こんな弱音吐いたらダメだ)


「こんなんじゃ、お父様の様にはなれない。——ならなきゃ、いけないんだ」




 そう、立とうとした時だ。




「ライ、何をしているのです!」


 甲高い怒鳴り声が耳を突き抜けた。

 その声に、心臓は悲鳴をあげる。


 慌てて起き上がったライの元に来たのは、先ほどの声の主である母だった。


「お、おかあさ――っ」


 言い終わるよりも前に、母の動きを見て反射的に目を瞑る。


 そして案の定、母はライの頬に怒りをぶつけたのだった。


 痛々しい音が、周囲に響く。


「さっさと剣を持ちなさい!」


「……ごめんなさい」


「痛みを怖がって目を瞑るから、大会でも勝てないのです。そんな人が立派な騎士になどなれるわけがないでしょう!!」


「ごめんなさい……」


 ほんのり赤く染まった頬が痛む中、できることはひたすら謝ることだけだった。


◇◆◇


「——ここは……?」


 真っ暗な空間。そこに、ライは立っていた。


 辺りを見回す。何もない、ただただ暗闇が広がっている。


 しかし、その空間にも一つ。あるものを発見する。


 剣だ。木剣が落ちている。


 もう一度周囲を見渡し、恐る恐るそれに手を伸ばす。


 そして触れた瞬間のことだった。


 周りの景色が瞬く間に変わったのだ。


 青い空、白い雲。そして、緑の屋根が特徴的な、お屋敷。


 ここは、いつも稽古をつけてもらっている場所だ。


 剣術大会で戦った、ジオラス•グラジの屋敷。そして、そのジオラスの父に、ライは稽古をつけてもらっている。


「な、なにが起こって……」


「おい」


 背後からの声に、ライの体はビクついた。


「ハッ、相変わらず怖がりな野郎だ。見ててイライラするぜ」


 背後に立っていたのは、ジオラスとその取り巻きたち。


 ライは、ジオラスの「怖がり」という呼び名に、言い返すことができなかった。


 だって、本当のことだから。


 黙って下を向くライのことを、取り巻き達が笑う。


「ほんと、コイツが騎士になれる未来が見えねぇぜ。なぁ?」


「うん、あの『ヒュドール家』の家系なのに」


 笑い声が耳に響き、思わず拳を強く握る。


「父さんから聞いてるぜ。この怖がりの親父も、いっつも弱々しい顔してんだとよ、お似合いだな!」


「——っ! お父様はっ!」


 その言葉に体が前のめりになり、足が一歩踏み出す。


「——あ?」


 だが、ジオラスの声に体が拒否反応を示し、力が入らなくなる。


「……っ、おとう、さま、は」


 頑張りすぎているだけ。疲れているだけ。

 それを、口が震えて言い出せない。


「ハッ、また俺様にボコされたいか? 初めて戦ったあの時も、お前は怖がって縮こまるしかできなかったよなぁ?」


 その言葉に、全身に悪寒が走る。


 鳥肌が止まらない。震えが止まらない。吐き気が止まらない。


「ぃや、だ。やめて。痛くしないで……ッ」


 自分を守るように腕を抱える。


 震えを抑えようと、手に、腕に力が入る。


 思い出したくないのに、思い出されるのは——六歳。初めて、ライが対人戦をした時。


 ライはジオラスに負けた。まだまだ知らないことが多い二人は、ジオラスは、寸止めなどできなかった。


 ジオラスは力一杯、ライを木剣で殴った。


 何度も、何度も何度も。審判が慌てて止めた時には、ライの体には痛々しい傷がたくさんできていて。


 震えが止まらないライの体から木剣が力なく落ちて、乾いた音を立てた。


 それは、剣術大会で聞いたのと、全く同じで。

 

 同級生は、皆最後まで勇敢に戦っていた。どれだけ怪我をしても立ち上がって、目には闘志をみなぎらせて、諦めなんてしなかった。


 でも、ライにはできなかった。周りみんなできているのに。なのに、自分にはできない。


 こんなので、父のような立派な騎士になれるのか。


(……っ)


 ――どうすればいいの?






「――――は」


 ライは光を感じて目を覚ます。


「……夢?」


 さっきのは、夢。


(昨日は確かお母様に……それから、あれ……)


 どうやって部屋に戻ってきたか覚えていないが、いつのまにか自分の部屋の床で眠っていたらしい。

 窓から暖かな日光が差し込んでいる。


「稽古しなきゃ」


 真っ先に思ったことはそれだった。


 慌てて少し痛い体を起こし、大量に吹き出てる汗も、頬に伝っている涙も、後回し。

 本棚に立てかけてある剣を取ろうとした時。


 ふと、一つの本が目に入った。


「『初心者でも扱える!魔法についての本』……?」


 一冊のそれは、魔法について書かれている本のようだった。

 たしか、父からもらった本の一つだ。


 窓からの光に照らされているその本に、呼ばれているような、不思議な気分。


 手が、その本へと伸びていく。


 そして、本を手に取る——刹那、母の怒号が脳内に響く。


 実際は小鳥のさえずりしか聞こえてこないが、ライは咄嗟に耳を塞ぎ、本を落としてしまった。


「あ……」


 拾おうと目をやる。


 そして、ある一文に目が釘付けになった。


 『剣と魔法の合わせ技』。


 剣と魔法を合わせる、というのは、世間では別に特別でもなんでもないありふれた発想であったが、ライにとってはまさに目から鱗な話であった。


 本を拾い上げる。


 そのページに目を通すと、魔法を使って身体を強化したり、剣に魔法を纏わせていろいろな効果を与えたりできるらしい。


 魔法を使うことができれば父のようになれるだろうか。


 魔法を使うことができれば、怖がりも少しはマシになるだろうか。


 ライは口をキュッと結び、その本を閉じて、机に置いた。


 本当なら今すぐ読みたいが、まずは剣術の稽古をしなくてはいけない。


 剣を手に持ち、部屋のドアを開けた。


◇◆◇


 それから、二ヶ月。


 ライは剣の稽古をした後少し夜更かしして、ろうそくの光を頼りに魔法を学んでいった。


 魔法には、火、水、風、土の、四つの属性があり、それを応用することで剣術にも使うことができるらしいこと。


 魔法の発動には呪文の詠唱が必要であり、詠唱によって目には見えない存在である、『精霊』が集まり、力を貸してくれることで魔法が使えること。


 魔法を使うには魔力というエネルギーが必要だということ。魔力がなくなると魔法が使えなくなるだけでなく、体が動かなくなること。


 などなど、様々なことを本から教わった。


 だが、魔法を使おうと詠唱をしても、発動しない。


 本には、こう書かれていた。


『魔法は、生まれ持った才能によるものが大きく、また小さいうちはまだ魔法が使えなかったり、様々なトラブルが発生することもある』、と。




 そうして日々を過ごしていると、久しぶりに父が帰って来たのだ。


「お父様、おかえりなさいっ!」


 ライは年相応の無邪気な顔で、父を迎える。


「ああ、ライ。ただいま」


 父も笑う。


 だが、ライの様子とは対照的に、一年ぶりに会う父は痩せていて、目の下に濃い隈があった。


 だからその笑顔にも、力がない。


 その姿に、表情も曇る。


「お父様。お身体、大丈夫ですか?」


「ん? ああ……仕事が少し、忙しくてな。大丈夫だからそんな顔するな」


 頭をわしゃわしゃと撫でられる。頭に置かれたその手は、以前よりも弱々しかった。


 父は騎士団長だから、忙しい日々をおくっているのだろう。実際、こうして家にいる時間は貴重だ。


「俺は寝室で休んでくる。昼食はいらない」


「かしこまりました、旦那様」


 失礼します、とメイドが礼をしたのを見て、父はゆっくりと、寝室へと動き出す。その歩みはおぼつかない。


「ゆっくり休んでくださいね」


 母が心配そうな顔でそう言うと、ああ、と返事をして、壁を支えに父は廊下の角を曲がっていった。


「さて、ライ。あなたは剣術のお稽古をはじめなさい」


「はい、お母様」


 返事をすると、母はライに背を向ける。


「次の剣術大会でまた同じような無様を晒すなら、承知致しませんからね」


「……はい」


 去っていく母の背を見送り、少し重い足を動かして、稽古のために庭に出る。


 青い空、白い雲。今日は天気がいい。

 けれどその空の青さが、ライには不気味に思えた。

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