第8話「聖医のメスと、動き出す黒い影」
国王の手術は、王立病院の講堂を改造した特設手術室で行われた。俺は前世で趣味でかじった建築知識を応用し、徹底した衛生管理が可能な空間を設計させた。無菌の手術室という概念そのものが、この世界では画期的だった。
手術当日。ガラス張りの見学室には、国の重鎮たちが固唾をのんで集まっている。
患者は、一国の王。失敗は許されない。かつてないプレッシャーが、俺の肩にのしかかる。だが、俺の心は不思議なほど穏やかだった。目の前にいるのは、王である前に、一人の苦しむ患者だ。ならば、俺のやることは一つしかない。
「メス」
静かな声で告げると、助手役のエリアナが、煮沸消毒されたメスを俺の手に渡した。
ゆっくりと、国王の胸にメスを入れる。開胸し、肋骨を広げ、心臓を露出させる。それは弱々しく、不規則に拍動していた。
今回の手術は、心臓の機能を補助するための、いわばバイパス手術だ。損傷した血管を避け、新しい血の通り道を作る。前世では何度も執刀した経験があるが、設備の整わないこの世界での難易度は桁違いだった。
俺は創薬魔法で生成した、人工血管の代わりになる特殊なチューブを慎重に繋いでいく。一瞬の気の緩みも許されない、ミリ単位の作業。俺の額から、玉のような汗が流れ落ちた。
長い、長い時間が過ぎていく。見学室の誰もが、祈るように手術の終わりを待っていた。
そして、ついに最後の縫合が終わる。
「……終了だ」
俺が告げると、手術室は張り詰めた緊張から解放され、安堵のため息に包まれた。手術は成功した。あとは、国王自身の回復力にかかっている。
術後の経過は、驚くほど良好だった。数日後には意識を取り戻し、一週間後にはベッドの上で体を起こせるまでに回復した。大司教による解呪も順調に進み、胸の黒い痣は日に日に薄れていった。
国王オルティウスが完全に回復したという知らせは、国中に広まった。国民は歓喜し、俺を「王国の英雄」「生ける伝説の聖医」と称賛した。
しかし、光が強ければ、影もまた濃くなる。
宰相のダリウス。彼は、国王が病に倒れて以来、国政を牛耳ってきた野心家だった。国王が回復し、再び政治の表舞台に戻ることを、彼は最も恐れていた。そして、その原因を作った俺の存在を、激しく憎んでいた。
「あの小僧……いずれ、我が野望の邪魔になる」
ダリウスは、俺を社会的に抹殺するための陰謀を企て始める。彼は、かつて俺に敗れた錬金術師ゲルハルトや、権威を失墜させられた元王立病院院長のマティウスといった、俺を恨む者たちを密かに集めていた。
彼らは、俺が「王を害するために呪いをかけた張本人であり、それを隠すために治療するふりをしている」という、根も葉もない噂を流し始めた。最初は誰もが笑い飛ばしていたが、宰相という立場を利用した巧みな情報操作によって、その黒い噂は、少しずつ民衆の間に浸透していった。
俺自身は、そんな不穏な動きに全く気づいていなかった。ただひたすら、王都に新設された中央病院で、押し寄せる患者たちの治療に明け暮れていた。
平和な日常が、すぐそこまで迫っている黒い影によって、静かに蝕まれていることを知らずに。
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