第1話
西暦2050年1月17日
あれから3年の月日が経過した。
俺とえりなは長野県から東京都の文京区に引っ越し、同じ中学に進学し、高校も同じ学校に通うことになった。俺らは高校2年生になっていた。
平和で少しばかり退屈な日常が過ぎていった。
俺は冷蔵庫の牛乳を並々に注ぎ、一気に飲み干した。ニュース番組のアナウンサーの声がテレビから聞こえてくる。
「本日は今年一番の寒波がやってきます。
本日から明日にかけて関東一帯は大雪に見舞われる予報です」
俺は淡々と階段を上がり、自分の部屋に入ると、ゲーミングPCの電源をつけ、モニターの前にあぐらをかいて座った。
「くそ!!おい!!味方仕事しろよ!!!」
とFPSをしながら、汚い口調で叫んだ。
《ゲーム終了。結果を発表します》
《どうだ!!!勝ったか!!!!》
《Lose》と画面に赤い文字が表示された。
「ああああああ!!味方ゴミかよ!!!」
と苛立ちをぶつけるかのように、コントローラーを壁に投げつけた。
すると、ガチャとドアが開き、妹の優香が勢いよく俺の部屋に入ってきた。
「ちょっと!お兄ちゃん!」
「なんだよ」
「うるさいんだけど!!たかがゲームで叫ぶなんて恥ずかしくないの?」
「ちっ。うるせえな」
「はあ……もう……」
と優香は呆れた顔をした。
「今日お母さんのお見舞い、一緒に行くんだよ。
わかった???」
「ああ、わかったからさっさと部屋から出ろ」
と言うと、優香はしぶしぶ部屋から出た。
窓の外を眺めると、雪が降り始めていた。
「そういえば今日えりなに呼ばれてたんだった」
公園に着くと、すでにえりながベンチに座っていた。雪が舞い落ちる中、肩や髪に白い粒が積もっている。
「なんだよ、話って」
「……隣に、座って……」
俺はポケットに突っ込んだ手を出すのが面倒くさくて、肩をすくめながら腰を下ろした。
「ふふっ。なんだか眠そうだね」
「最近…眠れないんだ…」
「変な夢を見るからだ」
「どんな悪夢なの?」
「うーん…」
(…ってか、なんで悪夢ってわかったんだよ)
と心の中で呟いた。
「人類が殺される夢」
俺は鼻で笑いながら視線を逸らした。口にするのも馬鹿らしかったからだ。
えりなはふふと微笑んだ。
「悠紀って、ときどき中二病みたいになるよね。昔から変わらないね」
「はあ……!?用事がないんだったら帰るぞ」
そう言いかけた瞬間、えりなの顔つきが変わった。
哀しそうな顔をしている。
「あの日の約束、覚えてる?」
俺は思わずえりなを見つめた。
風が吹き、猫のように柔らかい黒髪がふわりと舞い上がった。
「……ああ」
忘れるわけがない。
あの日のことを俺は生涯忘れることはないだろう。
僕にとって最も悲しく、最も美しい日。
「あの日から……明日でちょうど3年だね……」
「ああ。あいつが死んでから」
「悠紀が元気になってよかった…本当によかった…」
えりなの微笑みはどこか苦しげだったので、俺は思わず目線を逸らしてしまった。
「……私の役目は終わったみたいだね……」
えりなは目線を下げ、震えるように小さい声で呟いた。
俺は役目という言葉に違和感を覚え、「役目ってなんだよ」と純粋な疑問を投げかけたが、えりなはその答えを言わなかった。
「……ちょうど3年なんだ」
「なにがちょうど3年なんだよ」
えりなの話の論点が理解できずに、次第にイライラし始め、雪をつま先で蹴った。
ふと、横を見てみると、えりなが長い袖をぎゅっと握りしめている。
「明日…新しい世界が始まるの」
俺は首を傾けて、半ば呆れ顔で言った。
「はあ?」
(何を言ってんだよこいつ。つか、超寒いな…
早く帰ってゲームしてえな…)
と俺の頭の中ではゲームのことを考え始めていた。
「用事がないんだったら帰るぞ」
と俺はえりなのほうを見て立ち上がった瞬間、えりなの表情が変わった。
悲しさの中に切なさと儚さを孕んだような、今にでもどこかに消えてしまうのではないかと、そう錯覚させるような表情だった。
「私のこと、忘れないでね」
「忘れるわけないだろ!」と喉まで出かかった言葉を俺は思わず飲み込んだ。
(……泣いてるのか……)
そして、えりなは思い出したように微笑んだ。
その笑顔があの日と重なった。
3年前のあの人。
そして、俺の瞳をじっと見つめた。
「ずっと待ってるからね」
俺は意味が分からなかった。待っているって、いつも側にいるじゃないか。まるでどこか遠くで俺のことを待っているみたいじゃないか。
翌日、凍える寒さの中、俺はマフラーを首に巻き直しながら学校へ向かった。
「よお!狐森!」
と背中から声をかけてきたのは朝比奈春翔(あさひなはると)だった。
束感のあるミルクティー色の髪を無造作に分け、耳くらいの長さまで伸ばしている。
春翔の顔は一見すると中性的な美しさを持っているのだが、春翔のヤンチャでうるさい性格を知っている俺には、どうも厳つい系にしか見えなくなってくる。そして、今日はやけに赤い瞳を輝かせている。
「春翔……朝っぱらから声でけえな」
「狐森!ったく、相変わらずしけた顔してんな!」
ドン!と背中を思い切り叩いてきた。
「痛えよ。こんな寒い日に騒いでるのは、東京中を探してもお前くらいだ」
「そりゃ元気にもなるだろ!雪降ってんだぜ、この東京によ!」
「雪ごときでテンション高くなれるなんて羨ましい限りだ」
「ハッハッハ!確かに狐森は長野の田舎で育ったんだっけな。雪くらい珍しくねえよな」
「そうだよ。雪なんて飽きるほど見たお前、東京育ちってだけでマウント取れるとか、幸せな脳みそしてんな」
「は?何だよその言い方!」
と春翔はむきになって顔を真っ赤にした。
「褒めてんだよ。お前はきっと幸せに生きられる」
「それ褒めてねえだろ!」
俺らはいつものように言い合いながら校門をくぐった。そのとき、春翔が急に足を止めて指を差した。
「おいおいおい!あれ見ろよ!」
190cmは越えると思われる身長に、一般人の2倍はあるであろう肩幅、そして金髪が特徴的な3年生の獅童が、俺たちと同じクラスの黒髪の美少女である一ノ瀬紬に迫っていた。
取り巻きと見られる男らは、獅童の後ろで一ノ瀬に睨みをきかせていた。
一ノ瀬は困ったように視線を逸らし、鞄を胸に抱きしめて後ずさっていた。
俺は横目で様子を観察した。
「あれは確か同じクラスの一ノ瀬か」
獅童は校門脇の街路樹に背を預け、余裕の笑みを浮かべていた。
「いいじゃねえかよ。デートするくらい」
「えっ……あ、でも……」
一ノ瀬は視線を泳がせ、鞄を胸に抱きしめた。
春翔は焦った様子で俺のほうを向いた。
「俺、止めてくる」
「放っておけ。俺らには関係ない」
「はあ!?困ってんだぞ、一ノ瀬さんが!」
「別に俺らに助けを求めたわけじゃないだろ」
「お前……冷たすぎんだろ!」
「冷たい?獅童ってやつ、有名な不良だろ?関わるだけ損しかないだろ」
とぶっきらぼうに言うと、春翔は怒鳴ったように、
「はあ!?お前なぁ、そんな屁理屈で女子一人見捨てんのかよ!!」
と怒鳴ってきた。
「見捨てるも何も、元から関係ないだろ」
と俺は返した。
「……くそっ、いいよ。お前はそこで見てろ」
春翔は拳を握りしめ、雪を踏みしめて駆け出した。
俺は鼻で笑い、校舎に向かった。
(正義感ほど無駄なもんはねえ)
横から春翔の響き渡るような大声が聞こえてきた。
「やめろよ!!嫌がってるだろ!」
すると、取り巻きが睨みつけて叫び返した。
「はあ!?誰だテメェ!」
「2年か!!先輩に口出しすんじゃねえ!!」
取り巻きの言葉の直後、春翔の腹に獅童の膝蹴りが入った。
「ぐっ……!」
と春翔は雪が積もった地面に膝をついた。
俺は横目でその光景を見ていた。
(……!?バカが……あんな体格のやつに勝てるわけねえだろ!!しかも取り巻きが六人もいる!!死ぬ気か!!!)
すると、一ノ瀬が「朝比奈くん!」と震える声で言い、春翔に駆け寄り、介抱を始めた。
獅童がその様子を睨みつけるように見た後、冷たい声で命じた。
「もういい。行くぞ」
取り巻きたちは従順に歩き出した。そのとき、春翔はよろけながら立ち上がった。
「待てよ……金髪ゴリラ」
獅童が振り返る。
「あ??今の誰に言った?」
獅童が明らかに怒っているのを遠目からでも感じ取ることができた。
一ノ瀬は慌てた様子で、「やめて!朝比奈くん!」
叫んだが、春翔は止まらなかった。
「お前以外に誰がいんだよ、この金髪ゴリラ」
「はは……喧嘩売られたみたいだな。買ってやるよ!!」
獅童の怒号が響き渡り、周囲の生徒がざわめき始めた。
「やべえぞ、獅童が本気だ」
「先生呼んだほうが……」
俺は俯きながら拳を握った。
(くそ……俺は面倒ごとが一番嫌いなんだよ……)
俺は舌打ちして走り出し、二人の間に割って入った。
「……あの、獅童先輩。俺の連れが無礼をして、本当にすみません」
俺はお辞儀をしながら心の中で吐き捨てた。
(クソ……!惨めだ!何してんだ俺……
らしくねえな……)
すると、春翔が目を見開き俺を見た。
「狐森!来てくれたのか」
俺は振り返り、冷たく吐き捨てた。
「余計なこと言うな。黙ってろ」
しかし、獅童の怒りは収まるどころか、むしろ増大しているように、俺の目の前で怒号を上げた。
「どけよ!!お前も殴られてえのか!!!」
俺は目を合わせられず、横目のまま口を開いた。
「あの……もし俺を殴った場合……その……
傷害罪が適用されますけど……
それでもいいんすか……?」
俺の屁理屈を遮るように獅童が叫んだ。
「はああ!!!???
殴られねえとわかんねえみたいだな!!!」
獅童の迫りくる獅子のような顔に、思わず目を見開いてしまった。恐怖を肌で感じるのがわかった。
しかし、獅童が叫んだ瞬間、理解ができないようなことが俺の身に起きた。
全身が燃えるように熱くなり、全ての血管が生き物のように激しく流動する感覚に襲われた。
(この感覚……前にもどこかで……)
俺が呆然としていると、
「おい! 聞いてんのかよ!!」
と獅童の怒号が聞こえてきたが、目の前で叫んでいるのにまるで遠くにいるかのように感じられた。
次の瞬間、獅童の右ストレートが飛んでくる。
(なんだこれ……見える……遅い……
まるでスローモーションだ……)
首を傾けただけで、獅童の拳は空を切った。
獅童は「なにっ!?」と驚き、続けざまに左フックを打ってきたが、一歩下がっただけで簡単に避けられた。
「どうなってんだ!!!」
と怒鳴りながら連打してきた。
(全部見える……そして体が軽い!!!)
俺は後ろにステップしながら、体を左右に振り、軽快にかわしていく。
「くそっ……なんで当たらねえ!」
と獅童の顔に焦りが浮かび始めた。
この異常すぎる光景に、一ノ瀬は青ざめて口を押さえ、春翔は目を見開いて驚いていた。
取り巻きは口をあけたまま固まり、野次馬の生徒はざわざわと何かを話していた。
「おい!お前らもいけ!!!」
と獅童が命ずると、六人の取り巻きが一斉に突っ込んできた。順々に殴りかかってきたが、一人の腕をつかんで背負い投げをし、別の一人は足払いで転がし、残りの4人には、連続して腹部に拳を入れた。
「な、なんだコイツ……!!」
と取り巻きの顔には恐怖が浮かんでいた。
すると、獅童が再び前に出てきて、歯を食いしばり、顔を歪めながら大きく振りかぶって右ストレートを打ってきた。
「くそが!!!」
獅童の渾身のストレートが俺の顔面に向かって動いている。これもスローモーションのようにゆっくりに見えたが、それでも重いパンチであることは直感的にわかった。
(いいパンチだが隙だらけだな)
俺は体を半歩だけ左にずらし、首を傾けて拳をかわし、拳が頬の横を風のように通り抜けた瞬間、踏み込んだ左足の反動を使い、体をひねる。
その勢いをそのまま右拳に乗せ、獅童の腹へカウンターを叩き込んだ。
「ぐはっ!!」
獅童が雪の上に崩れ落ち、手をついて血を吐いた。
「……くそっ……」
獅童は取り巻きを連れて、よろよろと退いていった。辺りを見渡すと、数十人の生徒が囲むように俺のことを凝視しているが、誰も言葉を発することができず、辺りは静寂で包まれていた。
俺は自分の手のひらを見つめて、心の中で疑問が漏れるように浮かんできた。
(……なんなんだよ、この力……!?)
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