008 ドワーフ師弟と、エンカウント

 焼きたてのパンを頬張った瞬間、俺の魂は天に舞った。あれはもう奇跡だった。


 奇跡のふわふわ──食パンって、こんなにも美味しかったっけ?


 ふわもちなのに噛みごたえがあって、香りが鼻腔いっぱいに広がり、耳まで柔らかくて――いやダメだ、思い出すだけで、また喉の奥が熱くなってくる。


 俺はまだ、焼きたて食パンの余韻に包まれていた。口の奥にはまだ甘い香りが残り、その温かさが胸いっぱいに広がっていた。


「……はっ! ちょっと待って!? あれ、パン代って!? 俺、財布ないぞ!?この世界のお金って、円なの? Gゴールドなの? ルピー?……どうしよう!?」


 異世界転生あるある、まさかの通貨問題だ。前世の知識が一切役に立たない。


 てか、俺って無一文じゃん! と焦ってあたりを見回すと、パン屋のティナがケラケラと笑っている。


「なーに慌ててるのさ~。ここじゃモノは、物々交換が基本だよ! もちろんパンもね」


「えっ、ほんとに? じゃあ何か渡さないと……えっと、何があるかな……」


 ガランが、うんうんと腕を組んでうなずいた。


「うむ、毛並みの良さは価値がある。撫で放題……いや、ふわみ税として、相応の対価を払ったとみなそう」


「ふわみ税って何?……納得したくない!!」


「村の外からたまにやって来る行商人と商売するときは、貨幣でやり取りするんじゃがね。普段はあまりお金は使わんのう」


 けれど、実際──この村では、誰も金銭のことを気にしていないようだった。


(貨幣経済どっぷりの前世とは違うとはいえ、対価としてずっと撫でられるだけ、というのはなんだかモヤモヤする。本当にそれでいいのか……?)


 そんなふうに考えていたとき。


「ティナ、パンの受け取りに来たぞ」


「えっ? いつも取りに来るのはフィルくんだけなのに、珍しいねっ!」


「……まあな」


 裏口から現れたのは、低身長ながらも分厚い胸板と肩幅を持つドワーフの男性だった。


 顔は厳ついが、深い眼光の奥には職人らしい真摯な光が宿っているように見えた。


 その厳めしい表情とは裏腹に、手入れの行き届いた黒の口ひげが、職人の誇りを物語っているかのようだ。


 その隣には、同じく小柄だが、丸みを帯びた筋肉質な体つきのドワーフの少年が、ぴょこぴょこと跳ねるように動いている。


 二人とも身長は150cmあるかないかぐらいかな?


 少年は俺を見つけると、大きな目をぱっと見開き、輝かせた。


「わっ……本物の、猫さん!? ほんとにいたっす!」


「えっ……こんにちは……?」


「うわぁ、ふわふわだぁ……触っても、いいっすか?」


「え、あ、まあ……」


「やったっす!」


 許可した瞬間、少年がぴょんと駆け寄ってきて、俺の背中をさわさわと撫で始めた。


 その躊躇のなさには、思わず呆れてしまう。


「うおぉ……この毛並み……すっげえっす! お師匠ー、ちょっと触ってみてくださいっす! これ……すごいっすよ!」


「……ふん」


 無骨そうなドワーフのおじさん(たぶんお師匠)が、無言でしゃがみこみ、俺の頭を一撫でした。


 ごつごつした手のひら。でも、その撫で方は、意外とやさしかった。


 頭を撫でられた毛並みがふわりと落ち着き、心地よい温かさが伝わる。


 ほんの一瞬だけ、口の端が緩んだように見えた気がする。


(……なんだこの人……めちゃくちゃ渋くて……かわいらしい。ギャップ萌えってやつ?)


 そしてその背後で、ガランが静かに囁いた。


「極柔毛用……猫の繊細な毛を整える……くっ、家にあったかどうか……。ベルンよ、猫用ブラシを一本……内緒で頼めるか?」


「……ああ、あとでな」


「よし、極秘案件として頼む……」


(……何そのやり取り。何がだよ……。全部聞こえてますけど?)


「そうだっ、猫さん! オイラ、鍛冶師見習いやってるんすけど、実は鍛冶仕事よりも服飾とか裁縫が得意なんすよ!」


 フィルは少し照れたように肩をすくめ、はにかむ。


「もし装備とか困ったら相談してほしいっす!」


「装備……?」


「いやほら、この辺りは、魔物とか出るし? 防具とか服とか、あった方が安心じゃないっすか!」


(……魔物か。そういえばブレッドバットを倒したときは…)


 防御に関するステータスを確認する。『VIT:11』


(確かレベル1の平均が10だよな……ちょっと心許ないよね……)


「たしか…に…。俺、何も持ってないしな」


(よくよく考えると、真っ裸だよね、俺……。でも、猫獣人として毛皮があるせいか、服の必要性をほとんど感じなくなっている自分がいる……。違和感がないのは、猫に馴染みつつあるってことかな……? まあいいや)


 ティナが、うんうんとうなずいた。


「森の外れには魔物もいるし、気をつけてね。魔物は倒すとパン素材が入手できるんだけどねっ!」


(パン素材……? ああ確か……ブレッドバットから発酵草がドロップしてたよな)


 わからないことが多すぎる。でも、今は――


「ありがとう。みんな、優しいな……」


 そう思わず口にすると、みんなは顔を見合わせて、すぐにグリグリと撫でられる。俺はそっとしっぽを揺らしながら、改めて村の空気を味わっていた。


 ガランやミーナも、ティナも、ベルンも、フィルも。みんな個性があって、いい人たちだ、と思う。


 またもや、脳内でピコンと通知音が鳴った。




経験値獲得!

・ベルンとの出会い 30EXP

・フィルとの出会い 30EXP


レベルアップ!

・LV6→7(40/220)




(順調に村人たちと交流できているな…出会いで経験値もらえるのも助かる!)


 すると、外の通りから、ゆったりと歩いてくる二人の姿が見えた。

 

 一人は、凛と背筋の伸びた白髪混じりの男。もう一人は、柔らかな笑みをたたえた女性。


「あっ」


 ティナが顔を輝かせた。


「村長さんたちだ!」


(……村長さん!? どっちが?)



 ──この村のトップとの出会いが、すぐそこまで来ていた。

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