PayPay、使えません。熊、来ます。

クソプライベート

Not PayPay Yes Donguri

​「研修、よろしくお願いしゃす!」

僕の威勢のいい挨拶に、店長は気の抜けた顔で「うっす」とだけ答え、レジ裏の巨漢を指差した。「先輩の、金太郎くんね」。

コンビニ『ヤマザキストア足柄峠店』の初日。僕の度肝は、開始三分で抜かれた。

赤い腹掛けの上に無理やり制服を着込んだその男は、身長二メートルはあろうかという筋肉の塊だった。そして極め付けに、彼の足元には刃渡り50センチはありそうな、鈍く光るまさかりが立てかけてある。

「…あれは?」

「ああ、彼の私物。気にしないで」

店長の目は本気だった。郷に入っては郷に従えという。まさかりが私物のコンビニ店員がいたって、ここはそういう場所なのだろう。僕は無理やり納得した。

​金太郎さんは、見た目に反して仕事は丁寧だった。怪力でドリンクの補充は一瞬だし、床を拭かせれば塵一つ残らない。問題は、レジ打ちの時だけ起こる。

「ピッ。お客様、780円になります」

「じゃあ、ペイペイで」

大学生らしき客がスマホを差し出す。金太郎さんは、その黒い板を獣でも見るような目で睨みつけ、動かなくなった。長い沈黙。客が訝しげな顔つきになった時、僕は慌てて隣のレジから身を乗り出した。

「申し訳ありません!こちらのレジで!」

客が移動していくのを、金太郎さんは不思議そうに見ている。僕は小声で彼に尋ねた。

「金太郎さん、ペイペイ、苦手ですか?」

「ぺいぺい…」彼は唸るように言った。「あれは、山の理(ことわり)に反する」

山の理。それが彼の口癖だった。

​緊張が走ったのは、夕暮れ時だった。一人の母親と、五歳くらいの女の子がレジに来た。カゴの中には、チョコレートが一つ。

「ピッ。108円です」

金太郎さんの言葉に、女の子はぱっと目を輝かせ、カウンターに何かを広げた。

ころん、と乾いた音を立てて転がったのは、十数個の、つやつやしたどんぐりだった。

「こら!ダメでしょ!」

母親が真っ青になって娘を叱る。僕も慌てて「大丈夫ですよ、お母さん」とフォローに入ろうとした。だが、金太郎さんは僕を手で制した。

彼の目は、これまで見たことがないほど真剣だった。

どんぐりを一つ一つ指でつまみ、吟味している。

「…うむ。見事なコナラだ。粒もいい」

彼は満足げに頷くと、どんぐりのうち五つをレジのキャッシュトレイに滑り込ませた。そして、自分の懐から、さらに小さなクヌギのどんぐりを三つ取り出し、女の子の手に握らせた。

「お釣りだ。取っておきな」

ぽかんとする母子。僕はもう、思考を放棄した。

​その日のバイト終わり、僕は店長に全てを話した。まさかりのこと、山の理、そして、どんぐり決済。

店長は「ああ、やっぱりか」と笑うと、店の裏口を指差した。そこには、大量の麻袋が積まれており、中には様々な種類のどんぐりがぎっしり詰まっていた。

「彼はね、本物なんだよ。足柄山の金太郎。山で友達の動物たちと暮らしてたんだけど、麓のこの店に興味を持ってね。社会勉強だって言って、働き始めたんだ」

店長は、こともなげに言う。

「彼にとって、あのどんぐりは山で最も価値のある通貨なんだ。綺麗で、栄養があって、新しい命を育む。これ以上に価値のあるものはない、ってのが彼の持論でね」

僕は唖然としながら、事務所の窓から売り場を眺めた。金太郎さんが、楽しそうにまさかりを磨いている。その横顔は、コンビニ店員というより、何かを待つ狩人のようだった。

​「なんでまた、コンビニで働こうなんて思ったんですかね?」

僕の素朴な疑問に、店長は少しだけ声を潜めた。

​「この辺りの山、再開発で業者が買い占めてるだろ。彼は、それを買い戻すつもりなんだ」

「え、でもお金は…」

「ああ」と店長は麻袋を一つ叩いた。

「どんぐりで、な」

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