第11話 地伊田桃黄子はご近所さんである。
私はさらにお母さんに連絡し、要点だけかいつまんで説明し、地伊田さんの家の住所を教えて貰った。
そして獅子神さんを連れ、私がいつも帰宅に使う電車に乗る。
「え……待ってマジで行くの?」
「行きます」
不安そうにする獅子神さんの手を逃がさないように掴んだまま、私はきっぱりと言った。
「ちょっとまだ心の準備が……」
「今朝、地伊田さんから貰ったお土産のクッキーをお母さんから渡されました。駅前で、獅子神さんは地伊田桃黄子さんと再会しました。私が一緒だったから、地伊田さんが私のご近所さんかもしれないってことがわかりました」
偶然が重なりすぎている。
私は運が悪い方だから、偶然いい方向に話が進んだら、そのまま乗っかる方が上手く行くと思っている。
この流れは――たぶん、いい方向。
「この世界に神様がいるなら、たぶん、今日謝るチャンスだぞって神様が言ってるんだと思います」
私は神様を信じているタイプではない。
だが信じているタイプではないからこそ、神様を都合よく利用させて貰おう。
私に散々運の悪さを叩きつけてるんだ、そのぐらい許せよ神様。
「……わかった」
獅子神さんの顔から、ほんの少しだけ、不安が取れた。
「……まあ、同じ苗字の全然関係ない人って可能性もありますが」
「ん~……それは……困るような……助かるような……」
獅子神さんが複雑そうな顔を浮かべるが、もし関係ない人だったら私は恥ずかしさで泣くぞ!
私がいつも降りる駅で電車から降り、駅で粗品を買い、そこから歩き。
いつもの帰り道を途中で逸れ、四丁目を目指す。
「……」
再び、獅子神さんの顔に不安が戻ってきている。
「……どう転んでも、今日は、我が家で夕飯食べませんか」
「え……」
もう不安を取り除く引き出しが、「無関係の話をする」しか残っていない。
「お母さんに、あんまり詳しくは話さず、色々連絡したら……獅子神さんも帰り遅くなるならいっそ夕飯食べて行く? ってさっき言われまして……あ、唐揚げ作ってるそうです。我が家の唐揚げは小麦粉を1、片栗粉を1.6の割合で混ぜた粉を使うんです。黄金比ですよ黄金比! 単純に言えば片栗粉を少し多めにすることでザクザク感の強い唐揚げになるんです! お弁当に入れるとベチャついちゃうので、すぐ食べる夕飯限定のブレンドで――あ、着いた」
話の途中で、表札に「地伊田」と書かれたお宅が現れた。
ついに、着いてしまった……。
「……ゆ、夕飯、どうします?」
「お……お邪魔しよう、かな……夕飯友達と食べてくってウチの親に連絡しとくわ」
「じゃ、じゃあ私もお母さんにそう伝えときます……」
二人でそれぞれスマホで自宅に連絡を入れ、ふぅ、とため息を一つ。
「……インターホン押そうか、兎佐田さん」
「は……はいっ!」
私は地伊田さんちのインターホンを押す。
ピンポーン、とよくある音が鳴った後、しばらくして応答が来た。
「はーい」
ミドルエイジな女性の声。
地伊田桃黄子さんのお母さんだろうか。
「あ、あの……夜分に失礼します、五丁目の兎佐田です! あの、クッキーありがとうございました!」
「あら、兎佐田さんちの娘さん? ちょっと待ってね」
インターホンが切れ、トタトタという足音が小さく聞こえてから、家のドアが開く。
「はーい、わざわざごめんなさいねえ」
いかにも「人んちのお母さん」という感じの女の人が出て来た。
「あ、あの、これ、つまらないものですが……」
私はとりあえずお礼として、駅で買っておいた粗品を渡す。
あまりよく覚えていないが、なんかのゼリーとかそういうのだったはずだ。
「まー、お返しまで? 本当にできたお子さんで……」
「あ、あのっ! それでなんですけどっ!」
私は息を深く吸い込む。
「地伊田桃黄子さんっていらっしゃいますかっ!」
がたん、と。
地伊田さんちの二階から物音が聞こえた気がした。
「あら、兎佐田さんの娘さん、桃黄子とお友達だったの? ちょっと待ってて、すぐ呼んで来るから。桃黄子ー!」
地伊田さんちのお母さんは、粗品を受け取りつつ、一旦家に戻る。
いる。
やっぱりこのお家が……地伊田桃黄子さんの家――!
……いや本当にこんな偶然あるんだな……。
獅子神さんは――やっぱり少し緊張と不安の残った顔をしている。
「……大丈夫。大丈夫だから」
私に見つめられて、獅子神さんは作り笑いで返してくれた。
その時、地伊田さんちの家のドアが、再び開く。
「……リコ……」
半開きの扉の向こうに、夕方駅で会った、地伊田さんがいた。
一分間ほど、地伊田さんと獅子神さんは黙って見つめ合ったままだった。
地伊田さんのお母さんが「何やってるの早く上がって貰いなさいよ。あんたの部屋でいいでしょ」と、半ば強引に私たちを家の中に迎え入れてくれ、二階の地伊田さんの部屋へ案内された。
「あ、どうしましょ。もう夕飯時だと、おやつ出すのってよくない?」
「は、はい! ちょっと用事済ませたらすぐ家に帰って夕飯なので! 飲み物とかも大丈夫ですおかまいなく!」
地伊田さんのお母さんをなんとか遠ざけ、私たちは地伊田さんの部屋に入った。
「……来客用の座布団とかないから適当に座って」
「は、はーい……」
地伊田さんはベッドに腰掛け、私と獅子神さんは床に座った。
「……それで……何?」
地伊田さんが、目を合わさないまま獅子神さんに聞く。
私がでしゃばるのは、たぶんここまで。
ここから先は、獅子神さんに任せた方が――いや、獅子神さんがやらなくちゃいけないこと……だと思う。
「……謝りに来た。中学の時の事」
「……」
「桃黄子が嫌がってるのに……ウチ、ずっと桃黄子の匂い嗅いでた。桃黄子なら何しても許してくれるって甘えてた。嫌がっても明日には笑って会話できるって思ってた。ウチが全部、全部悪い」
獅子神さんの言葉を、地伊田さんは黙って聞いていた。
目を合わせてはいないし、顔を俯かせているから表情は見えない。
でも、きっと聞いていてくれてる。
「自分でも今更だと思う。でも、絶対言わなきゃってずっと思ってた。あの時は、ごめんなさい」
獅子神さんが頭を下げる。
少しだけ……地伊田さんが、こっちを見た気がした。
「許してくれなくてもいい……ただ……ちゃんと……謝っ……」
ここまで流暢に喋れていた獅子神さんが、少しずつ顔を俯けながら、言葉を詰まらせる。
ぽたり、と、床に涙がこぼれた。
「……ごめん」
涙を流しながら、獅子神さんは再び顔を上げ、地伊田さんを見つめる。
「やっぱ……許して欲しい……桃黄子とまた……中学の頃みたいな友達に戻りたい……」
泣いて声が震えるのを必死に堪えながら、獅子神さんは、ついに地伊田さんに伝えたい事を全部伝えた。
そして、そのまま、またボロボロ泣き出した。
ここで私が、獅子神さんは本当に反省してるんですとか、私からもお願いします、だなんて言うのは……きっと無粋だ。
地伊田さんに届ける全ての言葉は、獅子神さんの口から出たものであるべきなんだ。
だから私は黙っていた。
黙って、地伊田さんの反応を待った。
地伊田さんは――。
「……アタシも」
俯いていた地伊田さんが、顔を上げる。
「アタシも……ずっとリコと……仲直りしたかった……」
地伊田さんの言葉に、獅子神さんは――喜びと、驚きと、安心と……色んな感情を集めて、ぎゅっとさせて……ずっと心の中にあった黒いわだかまりを弾け飛ばしたような、そんな顔を見せた。
地伊田さんも、どこか照れ臭そうな、でも嬉しそうな、そんな顔だった。
「……リコに……また匂い嗅いで欲しかった……」
「……ん?」
ここまで黙って見ていたが、思わず声を出して反応してしまった。
おい。
ちょっと待て。
「アタシ……中学の時……リコの事拒絶しちゃったけど……あれからずっとリコに匂い嗅いで貰えなくて……なんかモヤモヤしてたっていうか……その……」
おいおいおいおいおい。
まさか……。
「……『匂われフェチ』に……目覚めたっぽくて……」
地伊田さんもフェチ持ちかいッ!!
私の周り本当にフェチ持ちしかおらんのかいッ!!
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