第2話 獅子神リコは匂いフェチである。
あなたは自分の体臭を気にしたことがあるだろうか。
私、兎佐田桃香は、まあ女子として最低限のエチケットとして、入浴時に体を綺麗に洗い、髪も丁寧に洗っていたという自覚はある。
ただ、それはやって当然の範囲のことであり、特別体臭を気にしていたということはなかった。
ついさっきまでは。
「ッスゥ――……はぁあああ……」
誰も使っていない空き教室。
適当な席に獅子神さんが座り、その膝の上に私が背を向けて座っている。
そして私の肩に手を置き、後頭部からうなじにかけての部分を、獅子神さんは思いっきり嗅いでいた。
「やっば……兎佐田さんの匂いめっちゃイイ……♡」
「そ、そうですか……それは……どうも……?」
これは……何が起きているんだろう……?
何故、私は今日出会ったばかりの金髪ギャルに自分の匂いを嗅がせているんだろう……?
「すん、すん……ッ……はぁ……っ♡」
獅子神さんの呼吸音。
背中に伝わる温かい吐息。
他人に自分の匂いを嗅がれるというのは、想像以上に恥ずかしい。
羞恥心に煽られ、今まで特別体臭を気にしていなかった私も、本当に自分の体臭が臭くないかと気になって仕方がない状態に陥ってしまった。
その上、獅子神さんの呼吸音と吐息のせいで、とても不健全な行為をしているように錯覚する。
いや、たぶん健全な行為ではないのは確かなのだが。
「ふぅう……♡」
ひゃあああ獅子神さんの吐息が襟から服の中に入ってくるッ!
こそばゆい! あとなんかえっちな気がする!
心臓痛い! ドキドキしすぎて心臓が痛い!
「はあっ、はあっ」
「ふーっ……♡ ふーっ……♡」
ドキドキしすぎて呼吸が荒くなる私と、匂いを堪能すべく深い呼吸をする獅子神さん。
誰かに見られたら間違いなく誤解されるシーンが、空き教室の中で繰り広げられている!
「し、獅子神さん? まだ嗅ぎますか?」
「へ? あ、ごめん! やっぱ嫌だった?」
「嫌っていうか……結構恥ずかしくなってきたというか……」
「あああああごめんごめんごめん! もう大丈夫!」
ようやく肩から手を離してくれたので、私はそっと獅子神さんの膝から降り……近くの席に座った。
「……ホントごめん、引いた……よね?」
「い、いやそういうんじゃないので……」
というより、引いてる暇がなかった。
ドキドキしててそれどころじゃなかった。
「……兎佐田さん、優しいね」
髪を指先でいじりながら、視線を床に落とし、獅子神さんは呟く。
金髪ギャルもそんな表情するんだな……。
それから、一分ほどの沈黙。
「あー……なんていうか……そんなに私の匂い良かったですか?」
気まずい沈黙に耐え切れなくなった私は、ついそう聞いてしまった。
「うん……兎佐田さんの匂いはさ……桃の香りに近いんだけど汗や皮脂から出るあの匂いと上手い事合致してめっちゃ丁度いい塩梅になってるの。少しアプリコットっぽい匂いもしたけどたぶんウチの匂いが混ざっちゃったんだわ。でもそれがまた良くてさ……桃とアプリコットの甘くて優しい香りが混ざんのがホントイイ……この匂いでただの炭酸水が三杯は行けそう……フルーツソーダできちゃう……なんか依存性も感じるんだよね。定期的にキメたい……」
聞いたことを後悔した。
フルーツソーダできちゃう……じゃないんだよ。
ギャルの皮被ったやべーやつっぽいな獅子神さん……そのやべーやつな本性を完全に隠せてた擬態力は見習いたい……。
「……中学の頃さ」
あ、急に獅子神さん自分語りし出した。
「同じように好きな匂いの友達がいて、ちょいちょい嗅がせて貰ってたんだけどさ……その子とは割と腹割って話せる仲だったっていうか……ちょっとふざけてやらかしても許されるぐらいの仲だったんだよね。それで、油断したというか、甘えちゃったっていうか……相手が嫌がるぐらい……いや嫌がっても嗅いでたんだよね」
ちょっと待て重い話か?
なんで初対面にそんな話するの?
私そんな信頼得た? この短時間で?
「それでめっちゃ嫌われてさ……そこから中学卒業まで一言も口きかなくてさ……いや、きけなくて、かな……? そんでそのまま」
重いなぁ。
私ほのぼの百合漫画オタクで重い話の回苦手でそこだけザッと読み飛ばしちゃうぐらい重い話の耐性ないんだよぉ……後でやっぱ気になって読み直すけど。
「高校生になったらもう二度とそんなことしないようにって思ってたのにさ……まさか入学初日で初対面の人にこんなことしちゃうとか……最悪だよねウチ……」
問いかけるような視線をこちらに向けるなよぉ……。
答えろってことじゃんそれぇ……。
「あー……その……」
どうする?
これどう回答するのが正解なんだ?
通信講座では絶対に見ない問題だ……。
どうにか……獅子神さんが罪悪感を覚えない方向に……となると何か別の何かに罪を押し付けるか……。
別の何か……この場に私しかおらんぞ……?
……。
じゃあ私でいいんじゃないか?
天啓を得た。
「これ……私の匂いが悪くないですか?」
「……え?」
「少なくとも今回に関しては私の匂いが獅子神さんのフェチにドンピシャだったのが原因じゃないですか?」
「いやそれはどうかな!?」
流石に獅子神さんのツッコミを受けた。
だがそれでいい。
さっきの重い空気に比べたらこのバカみたいな会話の方がまだ喋りやすいから!
「私聞いたことあるんですが、匂いに惹かれるって遺伝子的な相性が理由だとかいう説があるらしいんです。それはもはや避けようがなくないですか? 遺伝子レベルですよ?」
聞きかじった適当な浅い知識! いいんだよ高校生なんだから! 浅くて!
「逆に嫌な臭いがしたら遠ざかるのは当然ですよね?」
「う……うん……」
「じゃあ良い匂いがしたら近づくのも当然ですよ?」
「そうかなぁ……?」
「帰り道どこかでカレーの匂いがしたらそっち振り向きませんか!?」
「あー……振り向く。それは振り向く」
よし乗って来たぞ!
意外とチョロいな獅子神さん!
「じゃあ獅子神さんは……少なくとも今回に関しては悪くない! だって私の匂いが良過ぎたのが原因だから!」
うーん……今のはなんかナルシスト感あってちょっと嫌だな……?
言葉選びミスったかな?
「……」
獅子神さんもちょっと困った顔してるぞー?
今更恥ずかしくなってきちゃったぞー?
どうしよう、顔赤くなってないかな……。
「ッ……フ……ホントすっごい優しいじゃん、兎佐田さん」
笑みを零した獅子神さんは、顔を伏せ、目元を軽く指で拭った後、顔を上げた。
「ありがと。なんか元気出た」
満面の笑み。
その目元の化粧が、若干崩れていたのは……もしかしてちょっぴり泣いたのだろうか。
私、すごい適当なことを勢いで言っただけなんだけど……。
適当なこと言って感動させたとしたらなんかすげぇ申し訳ないな……。
ごめんなさい、獅子神さん……。
「そろそろ、帰ろうか」
「あ、そ、そうですね」
獅子神さんの提案に、私はいそいそと鞄を抱える。
同じく鞄を持った獅子神さんが、申し訳なさそうな顔を私に近づけた。
「あの……ウチ、もしかしたらまた兎佐田さんの匂い嗅ぎたくなるかもしれないんだけど……その時はまたお願いしてもいい?」
すごいこと頼まれちゃったけど……さっきの励ましの後だとこれ断れないだろ……。
「まあ……私の匂いが良い匂いなのが悪いので? そこは責任を取ろう、かな……?」
「甘えちゃってごめんね……ウチもできるだけ我慢するから」
それから一週間。
「はぁぁあああ♡♡♡ 兎佐田さんの匂いぃぃいいい♡♡♡♡♡」
そこにはすっかり私の匂いを嗅ぐのが毎日の日課になった獅子神さんがいたのです。
登校直後、休み時間、昼休み、放課後。
空き教室、階段の陰、中庭の樹の後ろ、体育館裏。
時間や場所は日によって異なるものの、必ず毎日最低一回は私の匂いの吸引タイムが設けられる。
一応、他の人に見られて変な噂が立つのもアレなので、できるだけ人のいない場所と時間を考えてはいる。
ちなみに今日はお昼休みに屋上に行き、お弁当を食べ終えた後、そのまま屋上で抱きしめられながら首の横辺りを嗅がれている。
「獅子神さん……? できるだけ我慢するんじゃなかったですか……?」
「無理ぃ♡ 兎佐田さんこんな良い匂いしてるのに我慢とか無理ぃ♡」
そういえば、依存性を感じるとか言ってたっけ……?
……私の匂い、変な成分含まれてないよね……?
念のため病院に行った方がいいだろうか……何科の受診になるのだろうか……。
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