第17話🐒「心地よい時間」

「柳楽さーん。バイトおつかれ。あ、この人今日一緒に行く渡移さん」


 待ち合わせ場所はコンビニ前。真壁の傍には妙に派手な男がいた。白髪に、黒に、茶色の混ざった珍しい髪。両目は金と青のオッドアイ。バンドマンか配信業とかだろうか。地元ではついぞ見たことがなかったが、都会に出てからは派手な容姿の人が街に溢れている。


 こんな人がこのマンションに住んでいたのか。というか、真壁さんはこの人とも友達なのか。顔広いな。

 色々な思いが頭をめぐる。と同時に、柳楽の中の「本能」が目の前の派手な男に対して警鐘を鳴らしてきた。

 彼の頭には肉眼では見えない耳が、背後には見えない尻尾が、には見えている。


「……狐? いや……猫……?」


 口からつい漏れてしまった言葉に自分でもハッとする。

 真壁は何のことかというように首を傾げた。


 白髪の男は一瞬目をかっと開く。瞳孔もそれに従い真ん丸になるが、すぐにニイッと笑うと柳楽の身体をくんくんと嗅いできた。


「きみは……猿? いやいやぁ、その身体ならゴリラかにゃー?」

(俺の本性がこの人には解るのか)

 背筋を冷たい汗がつうと辿る。


 しかし、柳楽の警戒など何処吹く風と言ったようで、派手な男は目を糸のように細めると、手を出した。柳楽の大きな手を掴むと、ぶんぶん無遠慮に腕を振る。


渡移わたらい 真緒まおでーす。よろしくねー。狐よりは猫が好きかなぁ。俺もよく似てるって言われるんだー」

「……あ、柳楽凌っていいます。……猿は嫌いです」

「そーなんだー。あっタメ口でいいよ! でもなぎらん身体おっきいねー。なんかのぼりたくなっちゃうねー。よろしくなぎらーん!」


 真壁は二人の間に交わされた、牽制にも似た挨拶に気づいたのか気づかないのか、空気を変えるように、

「それじゃコンビニで飲み物買ってから行こうか。材料の方は橘さんと春待さんで用意してくれてるみたいだから、あとで割り勘ね。当然だけどアルコールはなしで」

 そう明るく言って店内に入っていった。


   +++


 渡移がチャイムを鳴らし、しばしの沈黙。

 ふわふわとした茶色い長い髪の、少しつり目がちな女性、橘知里佳がドアを開けた。


「あっ」


 ぱっと目が合うと、頬が紅潮した、気がした。

(俺の顔を見て、喜んでる?)

 柳楽は心にそんな風に浮かんだ思いを、勘違いだ自惚れるなと、なかったことにする。


 真壁が、一緒に連れてきた不審な男たちについて説明をする。

「同じマンションの渡移さんと、それから柳楽さん。二人とも、面識はあるって聞いたけど」

「あ……は、はい……。その、コンビニとか、で」

 店のレジにいる時にはもっとハキハキしている印象なのに、随分ともじもじとしているんだな。そう思った。


「えーっ!? 猫にゴリラなんて、いい男が友くんしかいないじゃないですかっ」

 部屋の奥からバタバタとけたたましい音がたち、小柄なポニーテールの女が出てきた。

 春待青は、柳楽が都会に出てからはじめて出会う化け物、いわゆる「ご同輩」だ。と言っても、柳楽はまだ己が化け物であると認めてはいないのだが。うるせぇ、ゴリラって言うな。


 真壁の腕をがっしりと掴むと春待はぐいぐいと中に入っていく。玄関に一歩入ると、雌の匂いがぐっと強くなる。猿の鼻にだけ感じられる、雌の匂い。

 以前夜道で追いかけるように同じ道を歩いた時のことを思い出す。あのときの、人間としての理性を丸ごと溶かし、そのまま攫ってしまおうかという、強い自分の中の猿の本能。欲望を。


 そのときのことを思い出して恥ずかしさと、自分への嫌悪感がむくむくと湧き上がってくる。


 このまま何か適当な理由をつけて帰ってしまおうか、そう思ったが、真壁に釘を刺され、渡移に後ろから思いきり背中を押されて、逃げ場がなくなる。


(大丈夫、三人も他にいるんだし。俺なら大丈夫)


 そう心にしっかり楔を打ち付け、靴を脱ぎ室内に入った。


   +++


 実家にいた頃、母のぼたんは急に思い立ってアクティビティをすることは多かったが、たこ焼きパーティーもその一つだ。

 友人が複数人遊びに来た時など、いきなり「たこ焼きやりましょ!」そう言って大きめのホットプレート型のたこ焼き器で大量に作ったものだった。母子家庭で、たった二人だけの家族。それはそれで幸福な家庭だったとは思っているが、大勢でたこ焼きをした日は、温かい思い出として心の大事なところに仕舞われている。たこ焼きは賑やかな良い思い出と結びついている。


 くるくるとたこ焼きを丸め、はふはふと舌鼓を打ちながらたわいない会話をしていると、己の中の化け物猿が薄れていく気がする。


「なぎらんジャスミンティー好きだねえ。おれ入浴剤みたいな臭いがするから好きじゃなーい」

「人の好みにケチ付けるんじゃない」

「あ、私は結構好きですよ。爽やかですよね」

「俺はどっちかって言ったらコーヒーかな」

「おれはミルクが好きー」

「青はココアが一番です。アイスココアに勝るものなしです」

「えっと、ミルクティー、好きです」

「みんなバラバラだ。喫茶店行ったら店員が困るやつだね」


 美味い飯、他愛もない会話。

 お互いの出身地や食べ物の好みの話で盛り上がる。

 初対面、顔見知り、他人、という距離感がお互いのことを知る度に少しずつ「友人」に近づいていく。


 柳楽は、元々社交的で誰かと過ごす時間を楽しく思う人間だ。

 「猿の化物」が自分の中で大きくなるに連れ、「柳楽凌」を失っていく恐怖を感じていた。

 しかし、今日は久々に「柳楽凌」を取り戻していく感じがする。


(真壁さんや橘さんに感謝しないとな。渡移や春待にも少しはしてもいい)

 そう思いながらくるくるとたこ焼きを丸め続けた。心地よい時間だ。それでも、己の中の後ろめたさが強くて、橘知里佳とまともに目を合わせることだけはできなかった。




 たこ焼きをひと通り焼き終わり、柳楽の持ってきた中華惣菜も空っぽだ。それでもまだ小腹に余裕があるな、そう思っていたら知里佳がホットケーキミックスで作った生地を焼こうと提案してくれた。


 柳楽は幼い頃から調理は母と分担しあってきたから料理は得意だが、お菓子作りは未知の領域だ。キャラメルソースを作れると言った知里佳に思わず感嘆の声を上げてしまった。「ちょっと失礼しますね」知里佳はそう言いキッチンにパタパタと向かった。少しだけ、ほっとしてジャスミンティーをぐっと飲む。


「ゴリ猿。肉まんのことをどう思うのですか?」

 春待青が急にずいっと身を乗り出して訊いてきた。

「は? どうって、美味いし好きだよ。冬はよく食うし作るのも好き」

「食べ物ではありません。この家の家主の女のことですよ。あんなにでっかい肉まんは中々お目にかからないのですよ。あれを見て好意とか攫いたいとかそんな風に思わないのですか?」


 春待はガラス玉のような瞳を輝かせながら、柳楽にそう尋ねる。それはどこにでもあるような若い男女グループの恋話、に見せかけた化け物同士の『獲物』に関しての情報共有だ。


 柳楽は平穏を装い、努めてにこやかに言葉を返す。

「橘さん? いや、礼儀正しくていい子だよね。普通に友達になりたいと思ってるよ。それを言うなら、君とも真壁さんとも渡移さんとも」

「えぇ〜俺はすっかり友達のつもりだにゃーん」

 渡移はスリスリと顎を後頭部に押し付けてくる。酒も飲んでいないというに、人懐っこい猫だなとされるがままにしておく。

「俺も。今日楽しかったし、またこういう会しようね」

「浪人生だから誘う方としても遠慮するかもしれないけど、そうしてくれたら嬉しい」


 春待は頬を膨らませる。

「青はそんな青春友情ストーリーが見たいのではないのですよ! もっとドロドロ甘々のハーレクインロマンスをお前達に期待しているのです! だって」

「春待さん!」


――『お前は化け物なんですから』


 きっとそう言おうとしている言葉を、柳楽は睨みつけて制する。

「……俺、浪人中だし、あんまり、恋愛ごととか得意じゃないし。そうやって手近な人同士くっつけて、恋愛リアリティショーごっこして遊ぼうとするのやめよう?」

「そうそーう! 恋愛リアリティショーごっこするなら二対三で男余っちゃうにゃよー。俺青ちゃんもちりちゃんもどっちもウェルカムだけど〜。でも友やんの膝もなぎらんの背中も好き!」

 にょほほと渡移がそう言うから、何となくびしりと固まったその場の空気が和む。


「春待さん、大きな声出してごめんね。俺トイレ行くから」

 柳楽はそう言って立ち上がる。

「あぁ、ホットケーキ焼いとくね。柳楽さんのたくさん積んどくから」

 真壁がそう言いにこやかに笑う。

「ありがと、ここまで上達した丸めテクを思う存分発揮してくれ」

 そう言い軽くハイタッチをし、柳楽は部屋を出た。


 三人から離れると、肺の底から深いため息を着く。落ち着け落ち着け、と心に言い聞かせ、深呼吸をする。


(俺はそんなに橘さんに対して分かりやすい態度とってたのか? そんな、まさか)

 顔が火照って暑い気がする。きっとたこ焼き器の熱でやられたからだ。そうに決まっている。


 だってこの感情は。


 そう思い顔を上げると、知里佳と目が合った。

 手の中にビニール袋を持っている。中に入っているのはアイスだろうか。何故こんな、二人きりになる状況を作ってしまったのだろうかと己の迂闊さに後悔した。

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