ピリオド2 ・ 1983年 プラス20 〜 始まりから二十年後・2

ピリオド2 ・ 1983年 プラス20 〜 始まりから二十年後・2



2 消え失せた智子 



「だから違うんです。本当に暗くて、周りなんて、よく見えなかったし……すごく寒かったから、もう家に帰ったのかなって……」

「そりゃおかしいじゃないか? お前さんは霧島智子を尾けてたんだろ? なのに、家に帰ったと思ったって? おかしいねえ……辺りが急に暗くなって、霧島智子も消えちまってだ……一緒だった男の方は死んじまう。それで犯人は自分じゃない? だったらさ、別に犯人がいるってことだよな? でだ、そうならよ、そいつはどこに消えたんだって、ハナシになるよな?」

 そんなことを言いつつも、きっとこいつが犯人だ……そんな視線を向けながら、老年の刑事はシワだらけの顔を近付けてくる。

「あの大男を殺したそいつは、お前さんの頭をカチ割ろうとしてから、幼なじみと一緒に消えちまったか……うむ、確かにな、そうだって可能性はゼロじゃない。しかしなあ、こうも考えられないか? お前さんの頭はさ、仏さんとやり合った時にできたもので、幼なじみの行方を知っているのは……ねえ、児玉稔くん、実は君、なんじゃないかね〜」

 刑事はそう声にして、椅子に深々と座り直してニヤッと笑った。

 ところがそんな笑顔もいっときで、いきなり険しい顔付きだ。

「なあ、ナイフをどこに捨てたんだ!? 明日にはあの辺り一帯の捜索が始まる。そうなればだ……どうせすぐに見つかるし、指紋だってバッチリだ! そうなっちまう前によ、正直に言っちまえって!」

 刑事は突然声を荒げて、ありもしない話を白状しろと言ってくる。

 稔とて、どこだと言ってやりたかった。しかし何から何まで分からないってのは本当だから、「知らない」「やってない」を繰り返す以外に道はない。ただただ釈放だけを願っていたが、それでもまだこの頃は、夕方くらいには帰れるだろうと思っていたのだ。

 しかし稔が考えている以上に、彼の立場は危うい状況に追い込まれている。

 智子を探し歩いたあの日、しばらく気を失っていたことに稔は気付いていなかった。彼が再び立ち上がった時には一時間近くが過ぎ去っていて、すでに殺人事件は起きてしまった後だった……。

 

――あれ?

 彼が再び立ち上がり、茂みの中を進み始めてからすぐだった。立ち塞がる草木のずっと先、遠くの方で何かがいきなり光を放ち、ほんの数秒で消え失せた。

 さしたる根拠もなかったが、そんな光に稔はしっかり思うのだ。

 ――あっちだ! あっちに絶対、智子がいる!!

それから光った方をひたすら目指し、絡みつく雑草をかき分け進んでいった。

 そうして辿り着いたのが広場のような空間だ。家二軒分くらいの広さがあって、なぜかそこだけ雑草一本生えてない。さらにそんな場所を守ろうとするかのように、その周りを草木がびっしり取り囲んでいる。

 どう考えたって自然にできたって感じじゃなかった。

 ならば誰が? どんな理由でこんな空間を作ったか? そんなことをほんのいっとき思ったが、大事なことはそこじゃない。

 ――智子……。

慌てて辺りを見回して、そこで数メートル先に何かがあるのに気が付いた。

 まさか! 智子か!? ドキドキしながら二、三歩足を踏み出すが、いくらなんでも智子にしては大き過ぎた。そこからゆっくり近付くと、こっちを向いて横たわっているのはなんとも大きい男性らしい。左の肩を地面に付けて、まるで布団に包まるように手足を小さく折り曲げている。

――まさか……さっきの大男? 

内心相当ビビっていたが、それでも必死に語気を強めて声にした。

「ちょっとアンタ! そんなところで何してるんですか!?」

 それからふた呼吸ほど反応を待つが、返事どころか男は身動きひとつしないまま。だから横たわる男のそばに立ち、恐る恐る人差し指で男の肩を突っついたのだ。

すると身体がゆっくり動き、そのままゴロンと上向きになる。そうなって初めて、暗いながらもやっとしっかり見えたのだった。

顔が醜く腫れ上がり、口元辺りは固まってしまった血液らしきで覆われている。

地面がぬかるんで見えるのは、きっと腹から吹き出している体液のせいだ。右脇腹に刺されたような傷口があり、そこから黒っぽい体液が滲み出ているのがはっきり分かった。

――さっきの男がコイツだったら? 智子はどこに行ったんだ?

大変なことが起きている……そんな恐怖を痛烈に感じ、稔は再び声を掛けようとした。

ところがその寸前、男がいきなり絞り出すように咳き込んだのだ。稔は慌てて男の傍にしゃがみ込み、彼の耳元で大声を上げた。

「何があったんですか!? 智子は? 霧島智子と一緒でしたよね? 彼女はどこに行ったんですか!?」

 そんな声に覚醒し、男はきっと何かを言いかけたのだ。右瞼がヒクヒクと動き、その口元が半開きになった。しかし口からの息は声とはならず、ドロッとした血の塊を吐き出させただけ。そこから辛そうに咳をして、そこでようやくうっすらとだが目を開けた。

見れば唇が微かに動き、口元についた血の塊が吐き出す息に震えて見える。

 ――何か言ってる!?

 そう思うや否や、稔は慌てて男の口元に耳を寄せ、一字一句聞き逃すまいと呼吸を止めて目を閉じた。すると男は不可解な言葉を繰り返し、最後の最後だけ妙にしっかり声にした。

「頼む、約束……したぞ……」

 それが男の最後の言葉で、その後は何を言っても息遣いしか返ってこない。そうなってやっと、彼は警察に連絡しようと思うのだった。

 知らぬ間に雨は止んでいたが、突き刺すような寒さは変わらない。こんな中、あんな格好でずっと外になんか居られないし、だからきっと智子は無事で、今頃とっくに家に帰っているはずだ。そんな想像を必死に思い、林から一番近い一軒家に彼は慌てて飛び込んだ。やがてパトカーがサイレンを響かせながら現れて、稔は警察官二人を従えあの広場まで舞い戻る。その夜、彼が解放されるのは二時間近くが経ってから。さらに次の日、日曜日の朝っぱらから地元の警察署に呼び出しを食らう。

最初はあくまで、第一発見者として話を聞きたいということだった。

それが段々おかしくなって、昼も過ぎた頃には刑事の態度も大きく変わった。

「霧島智子をどうしたんだ? ずっと尾けていたんだろう?」

 いくら記憶通りに説明しようと、相手はぜんぜん納得しない。それでもおんなじことを言い続ければ、老刑事の口調はキツくなる一方なのだ。

 結局、大男を刺し殺したナイフは見つからず、二日目の夜を迎えても智子は行方不明のままだった。なんの進展もなく三日目を迎え、両親との面会さえ許されない。誰もが長引きそうだと思い始めた頃、それはあまりに突然で、予想外の展開だった。

 匿名で、警察に一枚の写真が送られてきた。紛れもなくあの現場で撮られたもので、しっかり犯人らしき姿が映り込んでいた。横たわる大男目がけて、やはり長身の男がナイフを振り下ろそうとする瞬間だ。

 智子と一緒だった男は一メートル九十センチくらいはあったろう。さらに写真に写るもう一人の方も、背景から同じくらいの大男だと判明する。加えてヒョロッとした痩せ形というところまで、写真の二人は酷似していた。

 それからすぐに写真鑑定が行われ、ありがたいことに加工の痕跡は一切出ない。となれば写真が示す通りに第三の男が大男を殺し、さらに智子をどこかへ連れ去った……そう考えれば辻褄は合うが、それでも多くの疑問は残されたまま。

 そもそもこの写真は、誰がなんの為に送り付けてきたのか? さらに警察がどう調べても、あの大男がどこの誰だか分からない。写真に写っていたもう一人についても、目撃情報さえ出てこなかった。

 昭和三十八年の日本なのだ。二メートル近い大男なんて滅多にいない。だからもし見かければ、普通は記憶にだって残るだろう。なのに目撃者は見つからず、まるで降って湧いたように現れて、さらにもう一人の男は忽然とどこかへ消え失せていた。

 

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