第6話「石盗りの残響」
翌朝、村の広場には妙な沈黙が漂っていた。祠を狙った石盗りを撃退した夜から一晩、村人たちは安堵しながらも、まだ胸の奥に棘のような不安を抱えていた。代官の名を背にした連中を追い返したことが、本当に終わりなのか――それとも、嵐の前の静けさなのか。
掲示板の前に立ち、俺は白墨で昨日の戦果を記した。
守:祠防衛一、霧退け一。
子どもたちがそれを指でなぞり、嬉しそうに跳ねる。けれど、大人たちの顔は渋かった。
「代官が黙っちゃいないだろうな」
老人が杖を鳴らす。
「だが、ここまでやったんだ。いまさら怯えても仕方ない」
別の男が応える。けれど声は強がりに聞こえた。
その時、見張り笛が短く鳴った。西の畑から。二度、三度。敵襲ではない、来訪者の合図だ。
現れたのは旅装の商隊だった。荷馬車二台、護衛を数人。昨日の市で顔を出した商人が、にやりと笑って馬車を止める。
「噂は早えな。代官様の使いを追い払ったと聞いちゃ、寄らずにゃいられねえ。……で、どうする? 取引きは続けるか?」
広場がざわつく。代官の名を恐れて顔を曇らせる者もいる。俺は一歩出た。
「市は開く。代官の印はまだだが、帳はここにある」
写し板を掲げると、商人は細い目をさらに細めた。
「なるほどな……面白ぇ。だが、代官がこのまま黙っちゃいない。あんた、本当に腹くくってるのか?」
「くくってる」
「なら、手を貸すぜ。代官の目は王都に繋がってる。だが商人の路は王都だけじゃねえ。港にも、山の鉱山にも。路を広げりゃ、代官一人の首輪じゃ縛れねえ」
商人の言葉に、村人の表情が少し明るくなる。俺は深く頷いた。
「なら、“写し板”を一枚渡そう。市の帳を共有できる」
「ほう! これは……高ぇ贈り物だぜ」
商人は笑い、荷馬車から塩と布を降ろした。「市はここで開く。俺たちの方が路を増やしてやる」
夜。焚き火を囲む輪の中で、勇者隊の四人が座っていた。ソラナは目を閉じ祈り、エイベルは粉の袋を撫で、ダリオは火に小石を投げ込む。レグルスは黙って俺を見ていた。
「エルン」
「なんだ」
「……俺たちは、お前にざまぁされた」
率直すぎる言葉に、焚き火の火が揺れる。村人たちが笑いをこらえ、フィリスが口元を隠した。
「だが、同時に救われた。俺たちは路を見なかった。お前が路を見ていた。それだけだ」
「ざまぁは、見せるためにあるんだ」
「見せる?」
「自分が間違ってたって、分かるように。奪うより、見えることが一番効く」
レグルスはしばらく黙り、やがて拳を握った。
「なら、俺たちも導かれよう。導かれて、学ぶ」
「いい。けど忘れるな。俺はもう戻らない。ここで、のんびり強くなる」
「……ああ」
レグルスは短く笑った。どこか肩の荷を下ろした顔だった。
その夜、祠の祭壇が淡く光り、声が降りてきた。
――余白の試練、第三。路を越えよ。己の村を越え、己の人を越え、広き道を渡れ。
掌の輪が熱を帯びる。広場の掲示板の“路”が、俺の目にさらに遠くまで伸びて見えた。王都へ、港へ、そして山脈の鉱山へ。
「路を越えろ……」
俺は小さく呟いた。
のんびり暮らすはずだった。けれど、余白はまた新しい道を示す。
焚き火の向こうで、フィリスが剣を磨きながら笑った。
「また忙しくなるわね」
「ああ。だが、嫌じゃない」
胸の輪が、星と同じリズムで脈打っていた。
(第6話 了)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます