第15話 授業参観とカメラの壁
~ カメラのレンズは、子どもと教師を映すだけではない。信頼も不安も、すべてを切り取ってしまう ~
四月の後半。
連休前に予定されている授業参観が、職員室の議題に上がった。初任者の僕にとっては初めての公開授業。胸の奥がざわつく中、学年主任の彩花が会議資料を配った。
「今年から授業参観のビデオ撮影は禁止にしましょう、という提案が出ています」
ざわっ、と空気が揺れた。
「え、禁止?」「去年はOKだったよな」――ベテランの先生たちが顔を見合わせる。
教頭が説明を始める。
「SNSで無断に動画をアップする例が全国的に増えています。子どもの肖像権やプライバシーを守る観点から、本校でも原則禁止にしたいと考えています」
「でも、記念に撮りたいという声もありますよね」小谷が口を挟む。
「そこが悩ましいところです。全面禁止か、一部許可か……」
僕は黙ったまま資料を見つめた。
自分がもし保護者なら、わが子の成長を記録したい気持ちはわかる。
でも、勝手にネットに上げられることの危うさも理解できる。
――どちらも正しい。でも、その“間”をどう埋めるのか。
昼休み。
職員室で彩花が僕に声をかけた。
「どうですか、佐久間先生。授業参観、緊張してます?」
「はい……それもですけど、撮影禁止の件、難しいですね」
「そうなんです。去年も“撮りたい派”と“守りたい派”で意見が割れました。たぶん今年も揉めます」
「うちのクラスの保護者はどう思うんでしょう」
「大翔くんのお母さんは安全重視派、水野くんのお母さんは記念派、だったはず」
彩花はメモを見ながら苦笑した。
「どっちも大事なんですよね」
僕は黙って頷いた。
昨日のメールを思い出す。保護者は子どもを守りたい気持ちと、子どもの成長を残したい気持ちの両方を持っている。
教師はその真ん中に立つしかないのか。
放課後。
小谷が自分の机でプリントをまとめながら、ぽつりと話しかけてきた。
「佐久間、お前はどう思う?」
「僕は……子どもの安全を守りたい。でも、親御さんの気持ちも理解できます」
「そうだな。俺は“原則禁止・希望者には学校管理の下で撮影可”が一番バランスがいいと思ってる」
「学校管理の下?」
「参観の最後に“写真タイム”を設けるんだ。動画はその場だけ、SNS禁止を念押し。全部禁止よりはマシだし、無秩序よりは安全」
なるほどと思うが、同時に疑問も湧いた。
「それでもネットに上げちゃう人は出ませんか」
「出るかもな。でも“ルールを示したかどうか”は大きい。やれることをやった上で守らせるんだ」
小谷の言葉は経験の重みがあった。
夜。
アパートの机で、授業参観の指導案を書きながら頭を悩ませた。
保護者にとって、撮影は思い出を残す大切な行為。
一方で、岡崎のように繊細な子どもにとっては、カメラが向けられるだけで大きなストレスになるかもしれない。
自分のクラスは、ようやく“安心”を形にし始めたところだ。カメラがそれを壊す可能性を考えると怖くなる。
ノートに書いた。
・子どもが安心して学べることを最優先に。
・ただし、保護者が記録したい思いを尊重する。
・どこまでが“安心を壊さない記録”かを可視化する。
広告時代にクライアントとユーザーの板挟みになったときの感覚を思い出す。
あのとき僕は、“両方の声を翻訳する役”だった。
――教師も同じかもしれない。
子どもと保護者、両方の“安心”をどう翻訳するか。
翌日、彩花に相談した。
「小谷先生のアイデアを参考に、参観の最後に“写真タイム”を設けるのはどうでしょうか」
彩花は目を見開き、少し笑った。
「いいですね。それなら安心感も保てそう」
「ただ、ネットに上げない約束をどう守らせるかが……」
「そこは学校全体のルールとして打ち出すしかないですね。教頭先生に提案してみましょう」
昼の会議で提案すると、教頭がうなずいた。
「確かに全面禁止より現実的ですね。学校として“授業中の撮影は禁止、最後の5分のみ写真タイム”に統一しましょうか」
ベテラン数名が「それなら納得できる」と賛同した。
一部の先生はまだ渋い顔をしていたが、全面対立にはならなかった。
放課後、僕は自分のクラス向けの案内文を書いた。
【授業参観のお知らせ】
四月二十七日の授業参観では、子どもたちが安心して学べる環境を大切にしたいと考えています。
そのため、授業中のビデオ・写真撮影はご遠慮ください。
ただし、授業の最後5分間を“記念撮影タイム”として設けます。
ご家庭での記録はぜひその時間をご活用ください。
また、撮影した写真・動画のSNS等での公開はご遠慮いただけますと幸いです。
文面を何度も見直す。禁止だけでなく、記録する機会を残す。それが、尊重のバランスだと信じたい。
家に帰ってからも、どこか落ち着かない夜だった。
“禁止”と書いた紙を配るだけで、どこかに反発は生まれるだろう。
けれど、子どもの安心を守ると同時に保護者を敵にしない道を、少なくとも一歩は探せた気がした。
机のノートに、今日のまとめを書いた。
・教師の役目=子どもと保護者の安心を翻訳すること
・禁止の理由は“守りたいから”と伝える
・禁止だけでなく“代わりの場”を提示する
書き終えてペンを置くと、スマホに彩花からメッセージが届いた。
【明日の参観リハ、付き合います。資料も見ますね】
胸が少し温かくなる。
まだ怖い。でも、孤独ではない。
参観日前夜。
僕は教室に立ち、机の配置をもう一度確認した。黒板の横には、あの「教室の約束」の模造紙。
――この空気を守りたい。
カメラの有無ではなく、子どもが安心して学べる空間を。
だが当日、参観が始まると一人の保護者がルールを破り、教室に緊張が走る――佐久間の胸に再び試練が突き刺さることになる。
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