第19話 崩壊の前夜
夜の学園は、静寂とはほど遠かった。
校舎の窓という窓から、赤と紫の妖艶な光が漏れている。学園は時空と空間が重なり合い、時空そのものが歪んで、まるでガラスの水面に投げ込まれた石のように波紋を描いていた。
――現実とVRの境界が、もう消えかけている。
悠真は校庭に立ち尽くしていた。
周囲では見慣れた学園の風景が、VRの幻想的なグラフィックと混ざり合って混沌とした景色となっている。
桜並木のはずが、光の樹が立ち並び、空には紅と黒の亀裂が走る。その隙間から、獣の咆哮や何かが蠢く音がひっきりなしに聞こえてきた。
「怜司……どこだ……!」
声を張り上げても、返事はない。
学園の生徒たちは混乱し、逃げ惑っていた。
現実世界に“召喚”されてしまった妖怪たちが、廊下や教室を這い回り、そして人の心を貪っていた。
悠真の目の前で、ひとりの女子生徒が叫び声を上げる。
その影が裂け、狐面の妖が現れた。
目が紅に光ると、周囲の空気が凍りつく。
悠真は拳を握りしめた。
体の奥に、熱が宿る。VRでの“アバター”の能力が、現実世界でも発現している――。
「……来い!」
悠真の亮手が光り、輝く弓と矢が具現化された。
狐面の妖が飛びかかる瞬間、光輝く矢がその妖かしの喉元を裂いた。
射抜かれた妖は悲鳴を上げながら黒い煙となり、空へとゆらゆらと煙のように立ち上りながら消える。
――そのとき。
「やっぱり……ここにいたのね」
背後から、聞き慣れた声がした。
紅葉だった。
白い着物の裾は破れ、左腕には血が滲んでいる。
だがその瞳には、確かな決意が宿っていた。
「紅葉! 無事だったのか!」
「……なんとかね。怜司を探してたけど、あの人……どこかに囚われたみたい」
「囚われた?」
「うん。VR側と現実側の“狭間”に。……あなたと怜司がリンクしたあの瞬間から、境界が壊れ始めたの。もしかしたら、誰かが意図的に――」
紅葉の言葉が途切れた。
地面が揺れる。
校舎の向こう側から、轟音が響いた。
巨大な妖が、体育館の屋根を突き破って姿を現したのだ。
それは“百鬼”の中心、VRでも最上級クラスの存在――「黄泉蜘蛛(よみぐも)」だった。
「嘘……あれが、現実に……?」
紅葉の声が震える。
悠真は息をのんだ。
黄泉蜘蛛の眼が二人を見下ろし、口から黒い霧を吐き出す。
触れた地面が瞬時に腐食し、コンクリートが腐敗臭と共に崩れた。
「逃げろ!」
「悠真! あなたは怜司を――」
紅葉の叫びと同時に、黒い糸が襲いかかる。
悠真は紅葉の手を掴み、間一髪でかわした。
背後で、校舎が爆ぜるように崩壊する。
もはや、学園全体が“異界”と化していた。
――そして、遠くから聞こえる声。
それは、懐かしく、痛みを孕んだ怜司の声だった。
『悠真……来るな……ここは……もう……』
声は途切れ途切れで、風に溶けて消えた。
「怜司!」
悠真は叫ぶ。だが、その声はどこにも届かない。
紅葉が涙を滲ませながら、彼の腕を掴んだ。
「連れて行ってあげる。怜司のいる“狭間”へ。あなたたち二人のリンクが世界を壊したのなら……あなたが取り戻さなきゃ」
悠真は頷いた。
金色の光が再び手のひらに宿る。
現実とVRの裂け目が、空に大きく開いていく。
その奥で、怜司の影が微かに揺れていた。
――二つの世界を繋ぐ“最後の扉”が、開こうとしていた。
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