第13話 管理者と狐火の狭間で

 教室に満ちていた黒い影が、ふっと引いた。


 闇の中から、金色の光がひとすじ走る。


 怜司と悠真は、息を呑んだままその光を見つめた。


 ──それは、狐だった。


 炎のように揺らめく尾を三本持ち、白銀の毛並みがほのかに発光している。


 その瞳は琥珀色に輝き、まるで全てを見透かすようだった。


「……また出たな、“狐”」


 怜司の声は静かだった。


 彼は、この狐──“紅葉(くれは)”と名乗る妖の存在を、前にも見たことがあった。以前は美しい少女の姿であったが。


 最初にゲームのバグに巻き込まれた夜、現実の学園の中で、紅葉は“案内人”として姿を現した。


 悠真が怯えた声で問う。


「紅葉……お前は何者なんだ? 俺たちを助けてくれてるのか、それとも……」


 紅葉はふっと笑う。


「助ける、か。お前たちの言葉で言えば、私は“観測者”の一部……いや、“管理者”に作られた影、と言った方が正しいかもしれぬ」


「管理者……!」


 怜司の表情が硬くなる。


 紅葉はその金の尾をゆらりと揺らし、教室を照らした。


 影が後退し、天井や壁に刻まれた奇妙な文様が浮かび上がる。それはまるでコードと呪符が融合したような、不気味な幾何学模様だった。


「この世界は、現実の“学園”と、お前たちが遊んでいた“ゲーム”の境界が混ざり合った場所。そしてその境界を壊したのが──“管理者”だ」


「……壊した?」


 悠真が震える声で聞く。


 紅葉の瞳が細くなる。


「かつてこの学園で、ひとりの生徒が“神の視点”を求め、禁じられたコードに触れた。感情をデータ化し、恐怖と恋慕を支配できると思ったのだ。だが、それは呪いとなった。今では“管理者”としてこの世界を統べている」


 怜司の胸がざわめいた。


 まるで、誰かが遠い記憶を掘り返すように。


「……その生徒、もしかして──」


「名は……“怜司”と呼ばれていたそうだ」


 紅葉の声は静かに響いた。


 教室の空気が凍りつく。


 悠真が怜司の手を握る。


「嘘だよな、怜司……そんなの……」


「わからない。でも、俺の中の何かが、それを否定できない」


 焔の金色の瞳が怜司の奥を覗くように見つめた。


「お前の中には“管理者”の記憶が眠っている。だからこそ、この世界が崩壊しかけているのだ。お前の感情──特に、悠真への想いが、システムの枷を壊している」


「……俺の想い?」


 怜司は自分の胸に手を当てた。


 心臓の鼓動が、異様に早い。


 悠真が怯えながらも、怜司の肩に手を置いた。


「怜司。俺……怖いよ。でも、お前が誰でもいい。管理者でも、妖でも、何でも。俺は……お前が好きだ」


 その瞬間、焔の尾がふわりと燃え上がった。


 教室の壁に走る呪符が赤く光り、無数の文字列が浮かび上がる。


 ──感情データ、過負荷。


 ──システム干渉、進行率92%。


 金属音のような声が空間に響いた。


 紅葉が怜司と悠真を庇うように前へ出る。


「……来るぞ。“管理者”がこの層に干渉を始めた」


 黒い霧が天井から降り注ぎ、形を取り始める。


 それは人とも獣ともつかぬ影で、コードのような触手を無数に伸ばしていた。


 “管理者”──かつて人間であった存在。怜司の中の“もう一つの記憶”。


 紅葉が低く唸る。


「怜司。お前の心の奥にある“真の鍵”を解放せよ。それを使えば、この世界の支配を断ち切れる」


「でも……どうすれば──!」


 怜司の叫びに、紅葉は微笑んだ。


「簡単だ。“恐怖”ではなく、“愛”で選べ。管理者が支配できぬ唯一のコード、それが“恋”だ」


 悠真が怜司の顔を見つめる。


「怜司……俺たち信じ合えば壊せるんだ」


 怜司は頷いた。


 その瞬間、紅葉の尾が弧を描き、金色の火花が二人を包む。


 黒い影が悲鳴のような電子音を上げ、教室の天井が崩れた。


 世界が、光と闇に裂けていく。


 ──管理者の声が響く。


 《興味深い。愛を選んだか……だが、愛ほど脆いデータはない》


 紅葉が振り返り、怜司に囁く。


「怜司、覚悟せよ。次の層では、お前自身が敵になる」


 怜司は悠真の手を握り返し、微笑んだ。


「それでもいい。たとえ俺が“管理者”の残滓でも……俺は俺だ。悠真を守る」


 紅葉の目がわずかに柔らぐ。


「ならば──次の扉を、開け」


 狐火が爆ぜ、二人の視界が白に染まった。


 そして、再び“鏡の裏側”の世界が口を開く。

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