第10話 狐面の主
深層の奈落にそびえる巨大な狐面の主は、一歩も動かぬまま二人を見下ろしていた。
その沈黙は、咆哮よりも重く恐ろしく、世界そのものを圧し潰すような威圧を帯びている。
《契約の血……二つの魂……》
女とも男ともつかぬ声が、直接脳を揺さぶった。
《甘美な縛りは、やがて魂を喰らい合う。互いを愛するほどに、互いを殺す》
悠真の胸に、ずしりと痛みが走った。
心臓が強く脈打つたび、血が逆流するような苦しみ。
「……また、これか……」
契約の代償。悠真の体は確実に蝕まれていた。
怜司がすぐに肩を支え、悠真を抱き寄せた。
「大丈夫だ。俺がいる」
その瞳は強く揺るがず、ただ悠真を見据えていた。
狐面の主が手をかざすと、周囲に吊られていた無数の狐面が一斉に飛び、黒い刃と化して襲いかかってくる。
怜司が剣で受け、悠真が矢で迎え撃つ。
しかし数が多すぎた。
斬っても、撃っても、すぐにまた別の面が生まれる。
「このままじゃ埒が明かない……!」
悠真が歯を食いしばる。
「なら――繋がれ」
怜司が短く告げた。
「昨夜の契約を、さらに深める。血ではなく、魂を」
「魂……?」
悠真は息を呑む。
それはつまり、互いの奥底を完全に重ねること。
心の一番脆い部分を晒し合うこと。
怖い、だが――それ以上に望んでいた。
「俺を信じろ、悠真」
怜司の声は低く優しく、震える心を包み込んだ。
悠真は小さく頷き、胸元に弓を抱きしめる。
怜司が剣を突き立て、二人は互いの手を重ね合わせた。
その瞬間、二人の血が再び共鳴し、今度は赤い光ではなく白と蒼の光が溢れ出した。
魂と魂が触れ合い、互いの心が裸のまま流れ込んでくる。
――孤独。恐怖。誰にも触れられない寂しさ。
――守りたい。手を離したくない。お前がいなければ生きていけない。
二人の心が混じり合い、光の奔流となって狐面の刃を焼き払った。
参道を埋め尽くしていた仮面が次々と砕け散り、虚空へ消える。
狐面の主が初めて仮面を傾けた。
その一つ目が、わずかに揺らいでいる。
《……愚かなる者よ。魂を交わすは、死を共にすること》
その声には怒りと同時に、どこか揺らぎが混じっていた。
悠真は息を切らしながらも、怜司と並んで叫んだ。
「死ぬなら一緒だ! 俺は……怜司を失うくらいなら、それでいい!」
怜司が力強く頷く。
「だからこそ、生き延びてやる。この絆を呪いなんかにさせない!」
二人の声が重なった瞬間、弓と剣が一つの光に融合した。
それは矢でも刃でもなく――まるで翼のような純白の光だった。
その光が狐面の主へ突き刺さり、深層の闇を震わせた。
轟音とともに、奈落そのものが崩れ始める。
狐面の主は倒れてはいなかったが、その巨体はひとまず後退し、闇の奥へと姿を消した。
《……繋がれた魂よ。次は……代償を……》
残響が消えると同時に、悠真の体は崩れ落ちた。
怜司がすぐに抱きとめる。
「悠真!」
その顔は青ざめていたが、微かに笑みを浮かべていた。
「……俺、やっと……お前に言えた……。一緒にいたいって……」
怜司は震える手で頬を撫で、額を重ねる。
「言うな……今は休め。お前を必ず守る」
深層の崩壊とともに、二人は再び現実の校舎へと引き戻されていた。
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