第3話 祖父の気持ち、孫の気持ち
僕がリハビリで入院していた時、小学生ぐらいの少女に出会ったことがある。
その子は同じ病院にリハビリ入院しているお爺ちゃんのお見舞いによく来ていた。
僕は、早く復帰したいという気持ちが強く、リハビリ時間以外でも、病院内を散歩したり、読書ルームにて本を読んだりしていた。
今日もゆっくりと院内の廊下を散歩する。左手は麻痺しているが両足に関しては幸いにも無事だ。ただ、少し左足が痛む。痛み止めを使用するほどでないが、椅子から立ち上がる時、歩く時、階段を上る時などズキズキ痛みだす。
まぁ、トラックに轢かれたのだから、それぐらいで済めばいいだろう。事故当時と比べても痛みはかなり緩和している。この調子だと退院の頃には完治しているだろう。
さて、今日は中庭まで歩くことにした。そこは四方を建物に囲まれており、その中央には堂々とした巨木が立っている。さながらこの病院の患者が一日でも早く回復することを願いながら見守り続けるかのようだ。
巨木が地面に落とす影は楽しそうに踊り、木の葉の間を走り抜ける風は、ここにいる人の心を落ち着かせるささやきの歌を奏でていた。
僕は、ベンチに腰を下ろし、木漏れ日と風の舞踏会のたった一人の観客になっていた。
その舞踏会の最中、小さな観客が現れた。
僕の前を通り過ぎようとした時、その横顔が木漏れ日の中で一瞬輝いた。
おでこから鼻へ、唇から顎へと続く曲線が繊細に描かれた絵画のようで、僕の心を奪っていく。まだ小学生の高学年だろうか。その年齢ですでに完成されている横顔を持つ女の子は、そのまま舞踏会の会場を通り抜け、建物の中へと消えていった。
短い舞踏会も終わり、僕も会場を後にした。明日は何をしようか考えながら病室へと戻っていく。そうそう、あの少女は一体誰だろうか?入院している子かな?それとも・・・。まさかね。その少女について、思いあたる節を心に留めながら、病室の天井をぼんやりと見つめていた。
翌日、僕はリハビリルームにて指導を受けていた。他に数人の患者がリハビリを受けている。その人達の存在は、僕の前向きな気持ちの支えとなってくれていた。同じ目標を目指す仲間のように思えているのだろう。
だが、その思いとは裏腹に左手は物を掴もうとしても上手く力が入らない。退院の時までには握力が戻ればと、今できる精一杯の訓練を続けていた。
ふと廊下側の窓の外に目をやると、昨日中庭で見かけた少女が心配そうに部屋の中を覗いていた。少女の視線の先には一人の老人がリハビリを受けている。おそらく少女のお爺ちゃんだろう。リハビリのスタッフに支えられながら一生懸命に歩こうとしている。時折、少女の方をチラチラと視線を向けているがわかる。
この少女はお爺ちゃんの事が好きなんだろうな。と思いながら僕もリハビリを続けていた。
リハビリが終わり部屋を出ると、長椅子に腰掛けジュースを飲み始めた。お爺ちゃんを見つめている少女を僕は見つめ、「本当に綺麗な横顔だな」と、昨日の中庭での光景が僕の中に蘇ってきた。だけど、少女は悲しげだ。少女がこちらに振り向いた。思わず視線を外す。そのまま少女は僕の方に歩み寄り僕の横にちょこんと座る。
少女は僕に尋ねた。
「あの、リハビリって大変なんですか?」
僕は、彼女の真意がわからず、どう答えていいのか戸惑っていた。
「えっとね、今まで動いた所が、思うように動かなくなるので、気持ちが辛くなるんだ。動かそうとしても力が入らず、イライラしてしまう。これは僕の場合だけどね。他の人はどうだろうね」
「そうですか。お爺ちゃん、だんだん足が動かなくなったと言ってました。またちゃんと一緒に公園いってくれるかな?」
少女の言葉は聞いているだけで悲しくなってしまう。どういう経緯でお爺ちゃんの足が悪くなったのか分からない。でも少女が以前までお爺ちゃんと一緒に楽しく公園で遊んでいた時間が、今は失われてしまっているのは確かだ。
そして彼女のその言葉からは、この孫がお爺ちゃんを心配する気持ちが伝わってくる。
僕の両親は結婚後、遠くの街に移り住みそこで僕が生れた。僕がお爺ちゃんの家に行くのも数年に1度くらいだ。しかも、僕が小学生の頃、父母両方のお爺ちゃん亡くなってしまっているから、僕にはお爺ちゃんがいない。今までお爺ちゃんに会ったのは片手で数えられるくらいしかないので、お爺ちゃんへの気持ちがわからない。ほとんど隣人や他人に近い存在なんだ。
そんな事を思い返していると、彼女が尋ねてきた。
「お兄さんは、どうして怪我したの?」
「僕はね、横断歩道でトラックに少し当たって怪我したんだよ」
恐怖を与えないよう出来るだけ柔らかい内容にして伝えた。
だが、彼女の表情は一瞬驚いたような表情を見せ、何かを探るような質問をしてきた。
「そうなんですか。他の人は大丈夫だったのですか?」
「ひとり擦り傷を作った子がいたけど、大きなけがは僕だけかな」
そう答えると、少女は僕から視線を逸らした。
まさか、この少女はあの時の・・・。いやいや、そんなはずない。もしこの病院に来ているならば、両親と一緒に来るはずだ。でも・・・。何か心に引っかかるが。でも、気にしてもしょうがない。
少女は軽く頭を下げ、再び窓際からリハビリしているお爺ちゃんの姿を見つめていた。
翌日、リハビリを受ける為、訓練室内の椅子で待っていた。隣には昨日のお爺ちゃんがいる。僕は勇気を出して声をかけてみた。
「こんにちは、今日もリハビリですか?」
お爺ちゃんは優しい笑顔で答えた。
「えぇ、今からです。年を取ると足が動かなくなってしまうんですよね。去年までは杖を使えば、公園まで散歩できたのですが、今年に入ったら急に関節が痛み出して。立ち上がるのも辛いぐらいです」
お爺ちゃんのさやしい笑顔に癒されながら、これがお爺ちゃんという存在の感覚なのだろうか。そう思いながら、僕は話しを続けた。
「そうなんですね。あまりご無理をされずにリハビリ頑張ってください。昨日もお孫さん、心配そうにお爺ちゃんを見ていましたよ」
孫の事を話したせいか、さらに嬉しそうな笑顔で答えてくれた。
「そうなんだよ、うちの孫はこのジイジの事を凄く心配してくれる優しい子なんだよ。去年までは一緒に公園で遊んでいたけど、今は一緒に遊べなくて、少し寂しそうな顔を見せてくるんだ。でもね、可愛い孫にそんな顔をさせちゃ駄目だろう。だから今、リハビリをしっかり頑張ってまた一緒に公園行けるようになりたいんだよ」
僕にはお爺ちゃんの存在はほぼ無いに等しいので少女の気持ちはあまり理解できていない。それはきっと僕の表情にも表れていたのであろう。お爺さんは続けていった。
「お兄さんは、まだ若いからピンとこないかもしれないけどね。でもわしにとって、あの子は大切な家族であり可愛い孫なんだよ」
僕が親を思う気持ちはわかる。実際に身近な存在だから。
逆に親が子を思う気持ちもわかる気がする。いつも親から口うるさく言われているけど、間違ってたことは言っていない。それは子供を心配してくれているからだ。
となると、お爺ちゃんが孫に対して思う気持ちも同じようなものだろうか。それは実際に僕がお爺ちゃんにならないと分からないかもしれない。
ただ、孫がお爺ちゃんを思う気持ちはどうだろう。僕が親を思う気持ちと似ているのだろうか。もし小さい頃からお爺ちゃんが常にそばにいてくれたなら理解できたのかもしれない。
でも今の僕には、よくわからない。お爺ちゃんというのは、いったいどんな存在なのだろう。
その日のリハビリを終え廊下で少女に視線を向けると、お爺ちゃんを悲しそうな目で見つめていた。僕は少女に思わず話しかけてしまった。
「お爺ちゃん、君とまた公園で遊べるようになる為に一生懸命、頑張っているんだって。だから笑顔でお爺ちゃん見て応援していた方が良いと思うよ。きっとお爺ちゃんにとっても君の笑顔が一番の薬になると思うから!」
少女は僕の言葉にハッとして、しばらく考え込んだのち笑顔でお爺ちゃんを見つめ、手を振った。それに応えるかのようにお爺ちゃんも孫に満面の笑顔で手を振り返していた。
僕は、彼女に尋ねてみた。
「お爺ちゃんの事、好きなんだね。どんなところが好きなの?」
少女は笑顔のまま振り向いた。その瞬間、胸の奥でざわめきが広がり、愛らしい笑顔に僕の中の時が奪われた。
「だって、お爺ちゃん優しいんだもん!」
少女の答えは単純だった。お爺ちゃんが好きだから。孫が可愛いから。それだけの事なんだろう。その理由があれば他は何もいらない。僕は複雑に考えすぎていたのだろう。最初は単純だったことが色々と経験をすることで無駄に複雑に物事を見てしまう。
今更ながら、こんな単純な事を少女に教わった。
お爺ちゃんがリハビリ室から出て少女は笑顔でお爺ちゃんに話しかけている。お爺ちゃんも嬉しそうな笑顔で孫に応えている。そのような優しい光に包まれた二人を後にして僕は一人、病室へと戻り始めた。
その後時々、少女を見かけることがあった。以前と違い、いつも笑顔でお爺ちゃんを見つめていた。お爺ちゃんも孫の笑顔という薬が効き始めたのか、少しずつ回復し、杖を使えばある程度まで歩けるようになっていた。孫の笑顔の力ってどんな薬やリハビリよりも効果があるんだなと二人を見て強く感じていた。
やがて僕は病院を退院した。結局左腕の握力と左目の視力は戻らなかった。でもなぜだか全くの不安はない。二人が見せてくれたあの姿を見たら誰もが不安なんて持たないだろう。今後の希望のある生活に、きっと役に立つ日がくるのはずだ。・・・そう僕は信じていた。
退院してから一年もたたない頃、僕は職場を退職していた。夕日が沈みかけ空が暗くなり始める道をひとり歩きながら、自分の身に起きた事に悲観していた。
あれほど未来に不安が無かったはずだが、現実は酷すぎる。もう笑顔や感情なんて通用しない世界でないのか。そう思ってしまうほどだ。
すると、目の前に制服姿の女子中学生があらわれ、僕に声をかけてきた。
「こんにちは、覚えておられますか?私、病院でお爺ちゃんのリハビリをいつも見に来ていました」
だが、顔に見覚えが無い。あの時の少女は確か小学生だったはず。この中学生は別の誰かなのだろう。
記憶の中で探していた時、彼女は笑顔を僕に向けた。
その瞬間、息を飲んだ。
胸の奥でざわめきが広がり、愛らしい笑顔に僕の中の時が再度奪われた。
僕の心がその笑顔を覚えていたのだ。
「あの時のお孫さんか!」
彼女は答えた。
「はい、あの時は小学生でしたが、今年の春に中学生になりました。どうですか?少しお姉さんに見えます?」
その冗談めいた言い方に、僕は思わず微笑んだ。
「えぇ、あまりのお姉さんぶりに、全く気が付きませんでした。」
その後、お爺ちゃんの近況を話してくれた。元気に楽しく過ごしているという報告で僕も少し前向きになれたかなと思い始めた。
そして、その少女と別れた。それ以降、再び会う事はなかった。
あの時、お爺ちゃんが孫に向けていた気持ちが、ようやくわかった気がした。
いつか、もし僕に孫ができる日が来るのなら、笑顔が素敵な孫と一緒に遊べたらいいな。その時、笑顔のかわいい孫はお爺ちゃんの事どう思ってくれるのだろうか?
空に輝く一番星を、僕はじっと見つめていた。
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