第17.5話_冥府鉄道駅について

管理人室の空気は、いつになく穏やかだった。

燈はソファに腰をかけ、小さな白いうさぎ――コウを膝の上にのせ、柔らかい毛を指でゆっくり撫でている。

コウは心地よさそうに目を細め、小さく鼻をひくつかせながら喉を鳴らした。


管理人はその隣で湯呑を両手に包み込むように持ち、静かに香りを楽しんでいた。

湯気がゆらゆらと漂い、ほんのりと温かい香ばしさが部屋に満ちる。


今日のつきのみや駅は珍しく静かで、送られてきた魂も少なかったため、ゆったりとした時間をようやく味わえていた。


そんな空気を破るように、燈が管理人の方へ身を乗り出す。


「ねぇつきちゃん」


その瞬間、管理人の肩がびくりと跳ね、湯呑が小さくカタリと音を立てた。

「な、なんだ……」


声は平静を装っていたが、耳の先がほんのり赤い。

まだその呼び名に慣れていない様子だ。


「この前、他の駅について説明するって言ってたよね?今聞きたいなー……って思って」


燈が目を輝かせると、管理人は少し考える素振りを見せ、やがて立ち上がった。

「あぁ、今日は仕事も片付いたし、ちょうどいい機会だな。少し待ってろ」




部屋の照明をぱちりと落とし、モニターに何やら資料を映し出し始めた。

暗闇の中、青白い光だけがほのかに浮かぶ。


「よし、見えるな?」


「はい、お願いしまーす!!」

今のは燈の声ではない。


「あ?お前、誰だ?」


懐中電灯を手に取り、素早く暗闇へ向けて照らす。


光の円の中に浮かんだのは――

ちょこんと立つ長い耳。


それは、イナバだった。


「なんだ、イナバか……」

管理人は心底がっかりした声でつぶやく。


「なんでちょっと残念そうなの!?もっと驚いてよ!折角こっそり侵入したのに!!」


「では魂の選別ルート……いわゆる『冥府鉄道』の路線紹介を始めるぞ」

管理人は完全に無視し、資料をスライドさせながら説明を始める。


「ちょっとぉ!無視しないでーー」


その瞬間――

ヒュッ、と鋭い音がして、管理人が投げた懐中電灯が一直線に飛び、


ゴシャァッ。


「はぁれぇっ!」

イナバの額に見事命中した。

そのまま白目をむき、後ろにぱたりと倒れ込む。


「黙れクソウサギ」


管理人が帽子を押し下げてため息をつく横で、燈は引きつった笑みを浮かべる。

(今のは、うん。イナバちゃんが悪いよ……)


咳払いの後、平然と話を続ける。

「一番最初に魂が送られてくるのは、ここ『つきのみや』だ」


棒で画面を指しながら、淡々と続ける。


「そこから『あまがたき』『ひつか』『はいじま』『とこわ』『やみ』『かたす』『きさらぎ』……という順で送られる」


燈は慎重にうなずき、頭の中で駅名を反芻する。

「条件に合ったらそこで受け入れ、合わなければ次の駅へ送る……ですよね?」


「基本的にはそうだ。唯一、『とこわ』だけは少し特殊な駅となっている」


管理人は短く答え、手元の資料をめくる。


「で、各駅のざっくりとした紹介については……口で説明するのはめんどくさいから以下参照してくれ」



~~~~~

■冥府鉄道駅一覧

▽つきのみや(始発駅)

・受け入れ条件:自らの死を選べなかった魂(事故死・自殺等)

・駅の特徴  :近未来的で広大、青白い光と真っ白なタイルが連なる


▽あまがたき

・受け入れ条件:他者を思いやり続けた魂

・駅の特徴  :昭和レトロな街並みに囲まれた一般的な駅


▽ひつか

・受け入れ条件:考えることをやめなかった魂

・駅の特徴  :純白の神殿のような駅


▽はいじま

・受け入れ条件:歩みを止めた魂

・駅の特徴  :常に雪が降り積もり、夜のような薄暗さと静寂を纏う駅


▽とこわ

・受け入れ条件:転生を拒む魂

・駅の特徴  :スチームパンクの古い工場のような重苦しい駅


▽やみ

・受け入れ条件:小さき罪を背負った魂

・駅の特徴  :崩れかけた狭いホーム、馬の嘶きが遠くで響く


▽かたす

・受け入れ条件:暴力的な業を抱えた魂

・駅の特徴  :荒れた広いホーム、鉄扉の連なる重苦しい雰囲気


▽きさらぎ(終着駅)

・受け入れ条件:他者の生を踏みにじった魂(殺人等)

・駅の特徴  :濃霧に包まれた異様な静寂を纏う荒廃した木造駅

~~~~~



燈が資料の一行を指でなぞりながらつぶやく。

「なるほど……『とこわ』は転生しない魂を受け入れているんですね」


管理人は腕を組み、背もたれに体重を預けながらわずかに顎を上げる。

「あぁ、人として転生するのを拒む奴も少なくないからな。限度はあるが、そこで受け入れている」


燈は首をかしげながら問いかける。

「転生しない場合って、何をするんですか?」


「あそこはデカい工場が大量にある。作業員として働き、冥府の各駅や施設で使う設備や部品を作っているらしい」


(どんなところなんだろう……ちょっと、見てみたいかも)

燈の胸にほんの少し興味が灯る。


次の項目に目を移した。

「あと、『やみ』『かたす』『きさらぎ』……この3駅は、いわゆるーー」


管理人が食い気味に答えた。

「地獄だ」


「……あそこが何をしているかは想像に任せる。私の口からは……あまり語りたくない」


燈は背筋をぞくりとさせ、小さくうなずく。

「わ、わかりました……」


「えっと……じゃあ最後に『ひつか』についてですが……『考えることをやめなかった魂』って何ですか?」


管理人は目線だけをスライドに向け、何気ない調子で答える。

「生涯を勉学や研究に費やした魂のことだ。学者、研究者……職種は関係ない。『考え続けた』という一点だけが基準になる」


「どうして、そんな魂を集めているんでしょうか?」


「それはわからん。そこの管理人が決めた基準だからな」

少しだけ肩をすくめる姿から、それ以上踏み込まれるのを避けたい空気が伝わった。


燈はうなずきながら問いかける。

「そうですか……えっと、じゃあここの受け入れ条件もつきちゃんがーー」


その瞬間。

「つきちゃ~~ん、覚悟してね~~!!」

燈が反射的に振り向くより早く、影が管理人めがけて跳び上がった。


イナバだった。

いつものように全力、そして異常な跳躍力。


管理人は驚きすら見せない。

ただ、ほんのわずかに目線を動かし、呆れたようにため息をつく。

「なんだ、生きて……いたのか」


「いや死んでるんだけどねっ!」

イナバが空中でくるりと体勢を整え、見事なドロップキックを繰り出す。


だが。

管理人は半歩だけ横にずれた。


最小限の動き。

その一歩だけで軌道は外れ、

「うさぎのくせにノロいキックだな」

次の瞬間、管理人の手がイナバの顔面を鷲掴みにした。


そして――

ドゴォッ!


「さぶれぇっ!?」


イナバは床にめり込む形で倒れ、その場でピクピクと痙攣する。


燈は若干引きつりつつも、納得する。

(今回も……イナバちゃんが悪いよ……)


管理人は何事もなかったかのように説明を続ける。

「さっきの質問の答えだが……つきのみや駅に選ばれる魂は、生前思い通りにいかなかった奴らが多い」


燈は目を丸くする。


「だからこそ、せめて死後くらいは好きに、やりたいことをして生きてほしい。それが理由だ」


「そうだったんですね……」


燈の胸に、じんわりと熱い感情が広がる。


「私……つきちゃんのためにも、もっと頑張ります!」


管理人はわずかに笑うような息を吐き、軽くうなずく。

「あぁ。頼むぞ」


一方、倒れているイナバはというと――


(あれ……今回の僕の存在意義って……なんだろ……)


顔面に懐中電灯の跡を残したまま、虚ろな瞳で天井を見つめていた。

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