第17話  先生ェの夜

森を抜けた先、街道は荒れ果てていた。

雑草が石畳の隙間から突き出し、雨で抉れた溝に水が黒く溜まっている。

その道を塞ぐように、焚き火の赤がちらちらと揺れていた。


粗末な鎧をまとった山賊たちが、焚き火の周りに腰を下ろしている。

錆びた剣を磨く者、串に刺した獣肉をかじる者、そしてこちらに気づき、にやりと笑う者。


「おやぁ……嬢ちゃんに坊主じゃねぇか」

「こりゃ運がいい。通行料ってやつを払ってもらおうか」


燈子は足を止め、剣の柄に手をかけた。

「……また、人を斬らなきゃいけないの?」

その小さな声は、夜風にかき消えそうだった。


「はっ、嬢ちゃんが剣を抜くのか? 見ものだぜ!」

一人の賊が下卑た笑いとともに突っ込んでくる。


燈子は反射的に剣を抜き、必死に受け止めた。

火花が散り、腕が痺れる。剣先が震え、今にも崩れそうになる。


次の瞬間、横から飛んだ刃をカルディスが一閃して弾き返した。

淡々とした一撃。その冷たさが、燈子の迷いを際立たせる。


カルディスは冷ややかな眼差しで賊たちを見渡し、低く言った。

「……ただの野盗にしては、無駄に統率が取れているな。背後に“指し手”がいる」


山賊の一人が声を張り上げた。

「おい、先生ェ! こいつら、ただの旅人じゃねぇ! 出番でさぁ!」


ざわ、と空気が揺れる。

焚き火の奥から、杖を突く大柄な影が姿を現した。


焚き火の奥から現れたのは、包帯で右腕を固め、片手に杖を突いた大柄な男だった。

月明かりが彼の顔を照らす。

伸びた髭に隠れてはいるが、鋭い眼光はまだ消えてはいない。


燈子がぽかんと口を開く。

「なんか……杖ついたおっちゃんが偉そうに出てきた……」


カルディスはその姿を見据え、目を細めた。

「……かつて“赤腕”と呼ばれた傭兵。だが今は山賊の用心棒か。不憫なものだな」


ガロウの眉がぴくりと動いた。

「……てめぇ、何者だ」


「自分でもまだ探している最中なんだろう?」

カルディスの声は冷たく、しかし揺るぎない。


「怪我を治す方法でもいい。魔法と……何かを組み合わせて戦う方法でもいい。

 新しい答えを見つけたいんじゃないのか?」


「……ッ!」

ガロウの胸が大きく波打つ。

「なんで……わかるんだ……」


燈子は二人のやり取りを見て、頭を傾げた。

「あれ? カルディスって……もしかして…すごい人?」

——けれど彼女の思考はそこで止まった。脳筋なので、深くは考えない。


山賊たちが一斉に立ち上がり、剣や槍を構えて円を描くように二人を取り囲んだ。

焚き火の火が影を伸ばし、夜気に鉄の匂いが漂う。


「嬢ちゃん、血を見るのは嫌だろ? 剣を置いていけ」

「坊主、お前もだ。抵抗すりゃ痛い目を見るぜ」


燈子は唇を噛み、剣を抜いた。

「……嫌でも、やるしかない!」


山賊が飛びかかる。

刃が閃き、燈子は必死に受け止めた。

震える腕をカルディスがさりげなく支え、鋼の衝撃を弾き返す。


「足を開け、重心を落とせ」

「わ、わかってるってば!」


ぎこちないやり取りの中にも、二人の動きは噛み合い始めていた。

だが数の差は歴然。

押し寄せる賊たちに、じりじりと後退を強いられる。


その後方で、ガロウは杖を突き立てたまま立ち尽くしていた。

右腕は動かない。

左手に宿せるのは、小さな火花だけ。


「……俺に……何ができる」


かつて「赤腕」と呼ばれた力は、もはや過去の残響にすぎない。

剣を取ろうとすれば痛みが走り、火花を散らせば子供の遊び。

今の自分が立っても、せいぜい笑われるだけだ。


「先生ェ! 何してやがる!」

「早く助けてくださいよ!」


山賊たちが焦りの声を上げた。

そのたびに、ガロウの胸の奥が焼けるように痛んだ。


燈子の剣が弾かれ、火花が散る。

カルディスが即座に前に出て、刃を払いのけた。

二人の息遣いは荒く、包囲は狭まっていく。


ガロウは、ただその光景を見つめるしかなかった。



山賊の輪がさらに狭まり、燈子とカルディスは背中合わせに立たざるを得なくなった。

四方から突き出される刃が、じりじりと二人を押し潰そうとしていた。


「くっ……!」

燈子の腕が痺れる。受け止めた衝撃が骨を軋ませ、剣先が震えていた。


カルディスの呼吸も荒い。

観察するだけの存在だった彼にとって、剣を振るい続けることは想像以上に苛烈だった。

額に汗が流れ落ち、膝が揺らぐ。


「ははっ、もう限界だろ!」

「嬢ちゃんの腕、震えてるぜ!」


山賊たちが嗤い、刃を突き出す。

火花が散り、鉄の臭いが夜気に広がった。


燈子の脇腹を狙った槍を、カルディスが弾いた。

だが次の瞬間、背後から別の刃が迫る。

反応が一瞬遅れ、冷たい鉄が彼女の頬をかすめた。


「っ……!」

熱い血が一筋、夜風に散る。


燈子の視界が揺らぎ、喉からかすれた声が漏れた。

「もう……立てない……」


その瞬間、ガロウの胸が強く締め付けられた。


「先生ェ! 何やってんだ!」

「早く出てくれ! こいつらもう持たねぇ!」


山賊たちが叫ぶ。

だがガロウは動けない。

杖を突き、唇を噛みしめ、ただ立ち尽くす。


(俺は……もう、赤腕じゃねぇ。俺にできるのは……火花だけ……)


燈子の剣が弾かれ、膝が沈む。

賊の刃が彼女の首筋に迫った、その瞬間。


カルディスの剣が横薙ぎに閃き、鋼が火花を散らす。

刃を弾き飛ばしながら、低く吐き捨てる。


「立て。……まだ死んでない」


山賊たちが叫ぶ。

「先生ェ!! 早くしろ!!」


——その呼び声に、ガロウの瞳が赤く揺らいだ。



カルディスの低い声が、夜のざわめきを裂いた。


「……まだ終わってないよな?」


その言葉に、山賊たちが一斉に振り返る。

「先生ェ!! 早くしろ! 俺たちがやられちまう!」


焚き火が揺れ、影が踊る。

ガロウは杖を突いたまま立ち尽くしていた。

動かない右腕、痺れる指先。

胸の奥で、燈子の荒い息と、カルディスの声が重なる。


(終わってねぇ……まだ……)


唇を噛み切り、血が口に広がった。


「……今行くッ!」


ガロウは杖を投げ捨て、左手に火花を散らす。

ぱちり、と小さな閃光。

その光が、夜の輪郭を赤く染めた。


右腕は痛みに震え、痙攣する。

だが、それでも鞘に伸ばした指は剣を掴んでいた。


「う……おおおおおッ!!」


叫びと共に、赤腕の剣が月明かりに閃いた。

振り下ろされた一撃は、押し寄せていた山賊の刃を弾き飛ばし、火花が夜に散った。


「な……赤腕……!」

「う、動いた……!」


山賊たちの顔に、嘲笑はもうなかった。

そこにあるのは、恐怖と驚愕。


左手に火花、右に剣。

燃え尽きたはずの傭兵は、なおも立ち上がっていた。


燈子が息を呑み、カルディスが静かに目を細める。


——赤腕の剣が、再び夜を裂いた。


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