『残響の灯火』

詩守 ルイ

第1話:「戦術士、語りと精霊に包まれる」

月光が差し込む書庫の窓辺。

ユグ・サリオンは、硬い椅子に身を預けながら、古びた詩集をめくっていた。

その表紙には、古代語で『六星の残火』と刻まれている。

戦術書ではない。けれど、彼にとっては戦術そのものだった。


語りとは、命に届く火。

それが届けば、剣を抜かずに勝てる。

それが届かなければ、戦は泥に沈む。


ページをめくるたび、空気が微かに震えた。

棚の隙間から、淡い光が揺れる。

精霊だった。名もなき風の精霊が、ユグの語りに引き寄せられていた。


「……また、詩集?」


背後から声がした。

セリナ・ノクティア。精霊術師として紅蓮王国に仕える巫女。

彼女の声は柔らかく、けれどどこかくすぐるような響きを持っていた。


「詩は語りの骨格だ。戦術は語りの炎だ。だから、これは火の設計図だよ」


ユグは本から目を離さず、ページをめくる手を止めなかった。

その横顔は真剣そのものだが、耳がほんのり赤い。


セリナは彼の隣に腰を下ろす。

椅子の硬さに小さく眉をひそめながら、彼の周囲に漂う精霊たちを見つめた。


「……また集まってるわね。あなた、本当に精霊に好かれてる」


「好かれてるというより、語りに反応してるだけだと思う。

精霊は、言葉に宿る感情に敏感だから」


「でも、普通はこんなに寄ってこない。あなたの語り、精霊にとっては居心地がいいのよ」


ユグは少しだけ目を伏せた。

「……それが、戦術に使えるなら、ありがたい。けど、時々妄想が加速する」


「副作用ね。精霊の加護は、優しさと混乱を同時にくれるもの」


セリナはそっと手を伸ばし、ユグの肩に触れた。

その瞬間、周囲の精霊がふわりと舞い上がった。


「ねえ、ユグ。あなた、本当に“殺さずに勝つ”って信じてるの?」


「信じてるよ。語りが届けば、命は残る。精霊が寄ってくるなら、それは届いてる証拠だ」


「でも、届かない相手が現れたら?」


ユグはしばらく黙っていた。

そして、静かに答えた。


「そのときは、語りを火に変える。……まだ、そうならないことを願ってるけど」


セリナは微笑んだ。

その笑顔は、精霊よりも柔らかく、けれど予測不能だった。


「あなたの語り、好きよ。精霊が集まるのも、わかる気がする」


ユグは驚いたように目を見開いたが、すぐに視線を逸らした。

月光が彼の耳を、さらに赤く染めていた。


「……君は、時々、爆撃より破壊力がある」


「それ、褒めてるの? 皮肉ってるの?」


「どちらでもない。ただの観察結果だ」


そのとき、書庫の扉が静かに開いた。

黒衣の影術士――リュミナ・ヴァルティアが、無言で二人を見つめていた。


「……戦術会議の時間です、ユグ様。セリナ殿も、そろそろ精霊儀式の準備を」


彼女の声は冷たくはないが、感情の起伏を感じさせない。

月光に照らされた瞳は、どこか寂しげだった。


ユグが立ち上がると、セリナもゆっくりと立ち上がった。

その瞬間、リュミナの視線がセリナに向けられる。


「……あなたの笑顔は、確かに予測不能ですね」


「え? それ、褒めてるの? 皮肉ってるの?」


「どちらでもありません。ただの観察結果です」


ユグが思わず吹き出した。

「流行ってるのか、その言い回し」


「ええ、あなたの影響です。戦術士の癖は、部下に伝染しますから」


セリナは笑いながら、ユグの袖を引いた。

「じゃあ、行きましょう。予測不能な笑顔と、精霊に好かれる戦術士と、沈黙で支える影術士で」


「……戦術的には最悪の組み合わせだ」


「でも、物語的には最高よ」


ユグは小さく笑った。

その笑顔は、戦場では決して見せない、静かな安らぎの色をしていた。


| 語りは、命に届く火。

| 精霊は、その火に集まり、まだ誰も知らない未来を見ていた。

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