第六話 黒の異生物
今、第四区はちょっとした全国ニュースの的になっている。動物園に輸送中の肉食獣が市街地へ逃げ出し人を襲っている、というのが、大々的に報道されている内容だ。
掲示板やニュースサイト上では組織のダミーアカウントが目撃談をオカルトカテゴリに誘導するため、真実の投稿に混ざって、ズレた投稿を行なっている。
異生物の痕跡に関しては、特異生物対策局の別の班が即回収、抹消を行なったそう。
区の外縁——封鎖指定ラインでは、空中に静止した数機の監視ドローンが、青白いスリット状の眼を点滅させている。境界を超える人間を逐一照合し、今回の事件に関連のありそうな要注意組織の人間が、区外へ出ることを監視しているのだ。
心なしか、荷物を運びながら巡回しているドローンの数も増えている気がする。
「それで、彼女はどうして私たちの後をついて来るのかな?」
と、ここまでこの区が置かれている状況は、隣を歩く栗崎先輩から教えていただいたことだ。
先日の同時多発事件から、異生物たちは不自然な程にそのなりを潜めている。特異生物対策局としては仕事が減って助かるけど、手持ち無沙汰な職員を休ませてくれるほど組織は余裕に満ちていない。
そんなわけで今は放課後。栗崎先輩の仕事を手伝いに行くところだ。
「なんか暇してるみたいで、勝手について来たんですよ」
あ、そうそう。後ろにはぼくたちを尾行するように黒紀ミレイが一定の距離を空けてついて来ている。「せっかく先輩と2人きりになれると思ったのに、着いて来ないでもらえますかねえ」みたいな事を言いたかったけど、言ったら少し可哀想だと思ってやめた。っていうか言えるわけないよね、あの黒紀ミレイに対して。
「ねえねー! 黒紀ちゃーん! あなたも一緒に仕事するー?」
さすがは優しい栗崎先輩。
先程からがっつり眼を飛ばして来ている黒紀ミレイに対しても、その慈愛でもって暖かく迎えようというのか。
一瞬眼を見開いたミレイは、スタスタと歩いてくると一言。
「後ろで警戒してるわ」
そして戻っていった。どうやらミレイはぼくたちを守ってくれていただけらしい。後ろでぼくたちを監視するミレイの目は、番犬というよりかは猟犬のそれだったけど。
「そっか。ありがとー!」
栗崎先輩は、ぼくたち特異生物対策局とは別の協定調整局に所属している。
異生物の中には知能が高い、というのが正しい表現かはわからないけど、人間と、ある程度の親和性がある者たちが存在している。中には人間の言語を喋れる者もいるそう。そんな彼らと人間との無用な衝突を防ぐことが、調整局の仕事だ。
「それで栗崎先輩。今日お手伝いする内容というのは?」
目的地である住宅街に向かって、ぼくたちは坂を登る。
「うん。取り決めで決まってる境界線を越えて、民家の庭に侵入した子がいるみたいなんだよね。その民家自体は空き家なんだけど、住宅地にあるから近隣住民が困ってるみたいで」
こうした細々とした問題の解決も、先輩の仕事の一つ。
「それは、どういった理由で?」
「コロポっていう、伝承では木の精霊として伝えられてる異生物が原因なんだけど。彼らとは指定された神社や山の中から出ないでねっていう協定を結んでいるの。でもたまに、散歩か何か知らないけど、こうやって人間の居住地域に出てきて……」
先程から眩しかった日差しが急になくなったと思ったら、住宅街に突然現れた影にぼくらは飲み込まれていた。
目の前には、庭から突き出すように異様な大木が生えていた。幹は膨れ上がり、あちこちがメキメキと裂けて内側の繊維がむき出しになっている。枝先の葉は変色し、腐ったような、なんだか甘い臭気が漂っていた。
「これのせいで洗濯物が乾かないんだってさ」
「確かに、これは凶悪ですね」
「安心してね。この木を切るのは私たちの仕事じゃないから。私たちの仕事はあくまで、コロポに元の場所に戻ってもらうこと。そのために……」
先輩は制服の後ろに背負ったカバンの中から手鈴を取り出した。
シャンシャンと心地よい音が響く。
「じゃじゃーん! これを使って彼らを捕まえます!」
「お、おぉ……」
シャンシャンシャンと鈴鳴らす栗崎先輩が眩しいよ。
「それじゃ、ツカサくんには携帯型照射装置を使って、コロポを探して貰おうかな?」
「わかりました」
「意外と大変な作業だよ。探し漏れのないようにね。あ、あと、あんまりライトを当てすぎると一般の人にも見えちゃうから、薄めでね。掴めるくらいでいいから」
大木の根本にあるせいか、庭は夜なんじゃないかと思うほどに濃い影に覆われていた。
門扉の軋む音を立てて中に入ると、かつて手入れの行き届いていたであろう庭が静かに広がっている。雑草が敷石の隙間を埋め尽くし、元は小道だった場所も輪郭を失って、風に揺れる草の間からサビの浮いたシャベルの柄がひょっこりと顔を出していた。
ぼくはポケットの中から携帯型照射装置を取り出すと、ガチャっとひねって起動させ、それを使って薄暗い辺りを探索してみる。携帯型照射装置なんて名前が付いてるけど、ただの懐中電灯を想像してもらって構わない。フラッシャーと同じ原理で、レンズの部分から異生物を現実化させる光を照射しているのだ。
光を草木の中に当てると、もぞもぞと何かが動いているのが見えた。うすぼやけていて輪郭が掴みづらいけど、間違いない、異生物だ。
「先輩、一匹みつけました」
「もう見つけちゃった?」
栗崎先輩は近づいてくると、膝を抱えてしゃがみこんだ。
「やっぱりコロポだね。間違いないよ。ほらみて、白色のお面をしてるでしょ」
小人ほどの大きさをしたコロポは、栗崎先輩が言う通り、その小さな身体を包んでしまうほど大きなお面をしていた。そのお面からちょこんと手足が伸びている。
どうやらぼくたちに見られているとは思っていないらしく、なんの警戒心もなしに植物の葉や小枝を使ってなにかを作っている。
当てる光の量を増やすと、お面の模様がくっきりと浮き上がってきた。赤色の線で、人間が泣いているような模様が描かれている。
「この模様って……」
「……」
栗崎先輩はその模様を目にすると、わずかに目を見開いた。
けれど次の瞬間には、何事もなかったように、落ち着いた表情を取り戻していた。
「……残りの子たちも探そっか」
栗崎先輩が持っていた鈴は、暇そうにしているミレイに預けた。彼女は捕まえたコロポに鈴の音を聞かせている。鈴の音を聞いている間は、コロポはその音に魅せられてぽわぽわーって感じで動けなくなってしまうらしい。
脚を抱えてしゃがみ込み、シャンシャンと鈴を振る黒紀ミレイの姿は、普段のイメージとはかけ離れていてなんだかシュールだった。
「そういえばツカサくん。少し聞いてもいいかな?」
他にも三匹ほど捕まえた頃だろうか、近くによってきた栗崎先輩が訊いてきた。
「なんですか。急に改まって」
「ここに来る前に話してくれたことの続きだよ。友達にバレちゃったんだって? 組織の人間だってことが」
ぼくは無言でその言葉を肯定した。
栗崎先輩は喋りやすいから、ぼくはついポロッとこの前の話をしてしまっていたのだ。
あの件以降、ムツキとは会っていない。救援部隊を呼んでおいたから母親の命に別状はないはずだけど、もう彼の記憶は修正されてしまったのだろうか。
「ここだけの話、情報局は記憶を捌き切れていないみたい。深夜帯とはいえ目撃者が多すぎたからね。たぶんリミットでもある一週間を過ぎちゃうんじゃないかな」
組織は記憶修正をすることができる。
が、それも万能じゃない。修正することができるのは、最大でも一週間以内の出来事に限定されている。
「そしたらどうするんですか? もうすぐ一週間経ちますよね」
「まあ、定石通りに行くなら示談かな。もしそれもだめなら、社会のために……ってやつじゃない?」
少数よりも多数を優先するのが社会というもので、組織はその一部だ。そのためなら、多少手荒な真似をしていてもおかしくないだろう。
鬱蒼と生えきった草木をかきわけると、地面をライトで照らす。蟻の大群が列をなして、まっすぐ一方向へと進んでいた。その行き先は、低草が邪魔で見ることができない。
「ムツキはもう……覚えてないのでしょうか……」
「そうだとしたら? 私達にとっては、そっちのほうが都合がいいよね」
ムツキの記憶が修正されているとして、ぼくはまた学校で当たり前のように挨拶ができるだろうか。今まで通り、どうでもいい話で笑い合うことができるだろうか。
ぼくはどうするべきだった? どうするべきなんだろう……。
「流石に私も、お友達がどうなったのかまでは知らないけど——」
栗崎先輩がライトで照らす先には、小さな青色の帽子が落ちていた。
「私には、今のツカサ君はなにかを怖がってるように見える。だけどいつだって、答えは自分の中にしかないよ。もっと自分の中に目を向けて、心がどっちを向いてるのか感じて。そうすれば、何をすべきなのかわかるんじゃないかな? 自分と向き合うのってすごく怖いけど、そうしないと見えないものってあると思う」
栗崎先輩は、まるでぼくの迷いごとなどすべてを見通していたかのように、やさしくそう言ってくれた。
「やっぱり。やけに木の成長が早いと思った」
大木の根本には空洞があり、そのなかにはたくさんのコロポたちが集まって円を描いていた。
中心には綺麗過ぎる子供の靴が揃えて置いてあり、まるでそれを崇めるかのようにコロポたちは踊っている。
ぼくの脳裏を残酷な答えが横切った。この大木の養分となっているものが何なのか。
怒りとも悲しみとも違う、表現のしようのない感情が湧き上がってくる。でも、諦観するしかなかった。過去を変えることは、誰にもできないのだから。
「この子たちを回収したら終わりかな。後のことは担当の人に任せよ」
◇
回収用ボックスにコロポたちを入れ、鈴の音を鳴らす栗崎先輩の後を、ミレイとぼくはボックスを持って歩いた。
応急的な処置として、コロポたちには一番近い神社に住み着いてもらうことにしたらしい。住宅街から少し歩いた先にある森に、神主が常駐していない神社があった。
ここなら人も滅多に来ないから、戻る場所が見つかるまではコロポたちにここで待機してもらうそうだ。
ボックスからコロポたちを外に放つと、神社の奥までトコトコ歩いていくのを見送った。
「今日は2人ともお疲れさま。はいこれ」
夏が近づいてきたせいか夕方になっても日が沈むことはなく、額から汗が垂れた。そんなぼくたちを気遣ってか、栗崎先輩は自分の分と、ぼくとミレイの分のジュースを買ってくれた。
「ありがとうございます」
ぼくは軽く一礼。
「どうも」
ミレイはつまらなさそうに、オレンジの果肉が写った缶を見つめている。
「感謝するのはこっちのほうだよ。2人はいつもこの街を守るために頑張ってるからね。私にはもう、そんなことできないし」
ぼくたち3人は、自販機の近くにあったベンチに腰掛ける。
栗崎先輩、ぼく、ちょっとはなれて黒紀ミレイって感じで。
栗崎先輩は昔、ぼくやミレイと同じ異生物対策局でこの街を飛び回っていた。でもどうしてか今は配属先が変わって、戦闘とは無縁の生活を送っている。
先輩の口ぶりから察するに、組織の事情ではなく、先輩の事情で異動したことが伺えた。気にならないといえば嘘になるけど、わざわざ思い出させてまで相手のパーソナルな部分に突っ込みたいとは思わなかっし、その勇気もなかった。
「先輩の仕事だって、大事な仕事ですよ」
ぼくがそう言うと、隣に座る栗崎先輩が缶ジュースを口元に運びながら、少しだけこちらを見た。
「そうかな?」
「はい。絶対そうです」
その言葉に、先輩はふっと笑って、小さく頷いた。
「……ありがと」
細い指先で缶を持ったまま、視線をほんの一瞬だけ地面に落とす。その仕草が妙に可愛くて、ぼくは思わずまばたきを忘れた。
夕暮れの光が、先輩のポニーテールを淡く染めていた。さらりとした髪が頬にかかり、風にそよいではすぐ戻る。輪郭のやわらかさと、どこか子どもっぽさを残す表情が、落ち着いたオレンジの光の中にとけている。
缶の開け口から、かすかに炭酸の抜けた音がした。「甘いの、ちょっと苦手なんだけどね」と言いつつ、もう一口。
その横顔はどこか照れていて、でも気を許してくれているようにも見えた。
◇
栗崎先輩とは別れて、ぼくとミレイは暗くなった街で散歩と言う名のパトロールを行っていた。
この街は新大陸の超技術によって、あらゆる災害を想定して設計されている。中でも都市部は、極端なまでの区画整理が施されていた。通りはすべて直線的で、沿道には無機質な集光ステーションが等間隔で並び、建物の外壁も規格通りの色で統一されている。揺らめいている真っ赤な国旗は、新大国スフィアの栄光の象徴。文化のまったく違う他の区の中でさえも、同じような光景を見ることができるだろう。
主要ブロックの境界には、地面に走るかすかな継ぎ目。あの下に自動遮断壁が埋まっているということは訓練で教わった。非常事態となれば、都市全体がまるで生物のように動き、数分でブロック単位に封鎖されるという。
道行く人達がなぜかぼくらを振り返ってくる気がするが、それは装備のせいではなく黒紀ミレイの見た目のせいだ。部長が言っていた通り、表情は乏しいのに妙に印象に残るのは、その輪郭の整い方が規格外だからだと思う。
「ミレイはさ、先輩の前だと借りてきた猫みたいになるんだね」
あのときの、無口な無感情キャラみたいになったミレイを見ているのはちょっとだけ面白かった。顔が整っているせいで、喋らないと本当にお人形さんみたいに見えてしまうのだ。
黒紀ミレイを持ってしても、先輩の魅力には敵わないということなのだろう。リングの上に上がらないのも、それはそれで戦略的判断と言える。
なんて、少し失礼な事を考えていると。
「私、あの人なーんか苦手なのよね」
これは驚いた。ミレイにも苦手なものがあったなんて。しかもそれが栗崎先輩とは。
「どうして? 先輩は優しい人だけど」
思わずぼくは反論気味に聞き返してしまう。
「それは私もわかってる。でも……なんていうか……心ここにあらずっていうのかしら。彼女はずっと遠くを見てる気がする。だからちょっと近寄りがたいというか、危ういというか」
そんなこと一度も考えたことがなかった。ぼくはまさか先輩の表面的な部分しか捉えられていなかったのか……?
いやまさか、そんなはずはない。黒紀ミレイの考え過ぎだ。
「ミレイの方が近寄りがたくて、危ないと思うけどねぼくは」
咄嗟に反論しようとして、言うべきでないことを言ってしまったような気がする。
「え? どうしてそうなるのよ」
「だって、いつも目が合うときにぼくのこと睨んでるじゃないか」
思い返してみれば、あの転校生挨拶のときからずっとそうだ。彼女は見かけたと思ったら、いつもぼくのことを睨んでいる。
「そ、それは……べつに睨んでるわけじゃなくて——」
ミレイの声を遮るように、ぼくたちの端末が同時に鳴き出した。無感情のままにぼくは端末をスライドさせ、ミレイは開いて起動した。
組織からの連絡だ。どうやら短い休暇はもう終わりらしい。
『ツカサさん。聞こえますか?』
オペレーターからの声が神経ハブから聞こえてくる。ぼくはその声に集中し、ミレイは端末に送られてきた通知文に目を落としていた。
『ツカサさんがいる場所の付近で、民間人が異生物に連れ去られました。追跡用ドローンが後を追っているので、至急現場に急行してください』
「連れ去られた人の特徴は?」
ぼくとミレイの2人は路地裏に走り、人目がないことを確認してから空中へと移動ルートを移行した。脊髄にツンと熱が走る。
『下校中の小等部の学生です。制服を着たままなので、すぐにわかるかと』
黒紀ミレイが先行する飛行ルートの後を追って、ビルの合間を縫って飛ぶ。
『最優先事項は民間人の救出です。異生物の処理は後回しにしてもらっても構いません』
「了解」
ビル街を抜けると空が開ける。ミレイが先導する先には、ドローンが三機、赤色の光を点滅させながら円を描いていた。
「あの場所みたいね」
旋回するドローンがくり抜く円柱空間の真下は、他の場所に比べて光源がぼつぼつと極端に少ない。
居住地域ではなさそうなので、一安心していると。
「あれ、光が一つ消えた」
赤く点滅していたドローンの光が一つ消え、その後を追うようにして、残りの二機のドローンの光が闇に消えた。
目的地の場所は既に把握しているからいなくなってもらっても問題はない。でも本来なら職員が現場に到着するまで、その場で空中待機しているはず。
『信号が急に途切れました。ビーコンドローンが撃墜されたようです』
ビーコンドローンが撃墜……そんなの今まで一度もないケースだ。
「ツカサ。警戒したほうがいいわ。嫌な予感がする」
隣を飛ぶミレイの顔は、いつもより一段と引き締まっていた。
「そんなにビビらせないでよ。いつも通り行こう」
「そう……ね。でもお願いだから、馬鹿な真似はしないで」
◇
貨物駅は、街の喧騒から少し外れた区画に広がっていた。 重たい鉄の匂いと油のにおいが入り混じる空気のなか、無数の貨物コンテナがまるでブロックのように積み上げられている。青や赤、くすんだ緑のコンテナが無造作に並ぶ様は、整然としているようでどこか乱雑だった。
圧。そんな貨物コンテナがいま、宙を舞ってぼくめがけて飛んできている。
「危ない——ッ!!」
何かにドスッと身体を押された。揺れた頭で振り返れば、自分がいた場所に血溜まりができている。
「え」
酸素が肺に押し込まれて、状況をようやく理解した。飛んできたコンテナがまるで、切り落とされた大木が斜面を転がるようにして人を轢いたのだ。とてつもない質量による圧縮。職員の下半身はグシャグシャに潰れ、血のついた爪に裂かれたような跡が地面に走っている。
ぼくはフラフラとした足取りで、その人のそばに近寄った。
「なんで……どうして再生しないんだ……」
必死になってその職員に自分の自己複製スティムを打ち込む。それでも職員の下半身から流れる血は止まらない。
同じ動作を繰り返していると、襟元をぐっと掴まれて、自分の身体が数メートルその場から飛躍する。
「なにやってるのよツカサ! あの人はもう死んでるのよ!?」
(そうか、死んだ人間は……騙す脳が働いてないから……スティムも効果を発揮しない)
「戻ってきてツカサ!! 戦闘に集中して!!」
意識がはっきりとし始めると、目の前にはぼくの肩を揺らす黒紀ミレイの顔があった。
思い出した。
ぼくたちは今、未確認の異生物と戦闘をしていた。
現場に到着したぼくたちはすぐに、追跡用ドローンの残骸を見つけた。オペレーターから『未確認の異生物です!!』という、警告があった後に、いきなり戦闘になって……。
そうだ。ぼくたちじゃ手に負えそうにないから、正規職員を増援に呼んでもらったんだ。
それで、乱戦状態になって……。
「ぼくはもう大丈夫。ごめん。ぼーっとしてた……」
「しっかりして。じゃなきゃあの子を助けられないわよ」
コンテナの影からぼくとミレイは敵を覗いた。数名の職員の死体の向こう側に、黒い人型の影が見える。体長は三メートルほど。あれが未確認異生物だ。
それはヒトの形をしていながら、決して人間には見えなかった。艶のない黒い外殻が全身を覆い、骨格は歪み、肉体のあらゆるラインは異常なほどに滑らかでかつ鋭かった。頭部は仮面のように丸く、目も口も存在しない。ただ一面の無機質な外皮だ。
胸部にはわずかに赤く光る裂け目があり、まるで心臓の代わりに何かが脈動しているように見える。内部の何かが漏れ出しているような不気味さを感じた。
「駄目だ。殺られる」
ぼくがぽつりと呟いて、1人死んだ。
他の職員が叫びながら2人体制で斬り掛かるも、異様に発達した右腕の鉤爪によって意図も簡単に叩き落された。肉の束と管が絡まり合ったような奇怪な構造の触手が背中から伸びて、コンテナを持ち上げる。
「ひどい……」
ミレイが呟いたその瞬間、コンテナが地面に這いつくばる職員めがけて叩き落とされた。それは虫を潰すような、無感情の一撃。 鈍い音とともに肉が弾け、血と臓器がコンテナの隙間から溢れ出す。
黒い異生物が動くたびに、ぬめりとした音が響いた。
「このままじゃジリ貧だわ」
黒い異生物の胸の部分に、さらわれたと思われる子どもが触手に巻き付かれてぐったりとしていた。ぼくたちはあの子を救助しなければいけない。
でも……。
「あれだけ触手を伸ばされたら近づくこともできない」
身体中から伸びている大小無数の触手が、高速で蠢いていた。それはムチのようにしなやかさを持ちながら、鋼鉄のように固い。その証拠に、ゆっくりと歩いてこちらに近づいてくる異生物の下にある線路が、触手に撫でられただけでバキンッと歪んだ。
ふいに、向こう側のコンテナに隠れている職員と目が合う。
『生き残っている職員は四名です。ごめんなさい』
オペレーターの声には、悔しさが滲んでいた。誰よりも悔しいのは彼女だろう。自分が派遣した職員が殺されるのを、彼女はただ見守ることしかできない。
「なにか考えはある? ツカサ」
ミレイに訊かれ、ぼくは先ほどまでぼーっとしていた頭の片隅で考えていたことを思い出した。
「考えは……ある。でも、誰かが犠牲にならないといけない……」
オペレーターがオープンチャンネルにしてくれているのか、向こう側にいる職員のため息にも似た息遣いが聞こえてきた。
ぼくが作戦を言い淀んでいると、職員の1人が手を上げる。名前も顔も知らない職員だ。
『俺が犠牲になる。訓練生を先に死なせたんじゃ、死んでいったあいつらに笑われるしな』
ぼくとミレイはほっと安堵するわけでもなく、ただ何も言えなかった。
しばらく重い沈黙が続いた。それを破ったのは、異生物が投げ込んだコンテナが地面に叩きつけられる音だった。
金属が悲鳴を上げるような衝撃音が響き渡り、空気が一瞬、硬く震えた。
「作戦を、伝えます」
◇
ぼくたちは四手に別れた。コンテナの影に隠れて移動し、所定の位置につく。
チャンスは一度きりだ。犠牲になると言ってくれた彼の命を無駄にするわけにはいかない。
『合図を出すぞ』
男がカウントダウンを始めると、ぼくたちは息を呑んでそのときを待った。
『——1,ゴー!!』
合図と同時、コンテナの上から職員の男が飛び出した。 殺意をブレードに乗せて、黒い異生物へと突撃する。
標的を見失っていた異生物は、反射的に無数の触手を彼に向けて伸ばした。だが男も伊達に生き残ってはいない。触手を正確に見切り、迷いなく間合いを詰めていく。
戦い慣れている——そうとしか言えない動きだった。
(ぼくが一番近いか……)
黒の異生物はそれ以上近づかせまいとしたのか、触手の一本をコンテナに突き刺した。金属を易々と貫通させると、そのまま男に向けて持ち上げる。狙いは投擲だ。
コンテナに一番近かったぼくは、しがみつくようにしてそれに張り付いた。持ち上げられるコンテナに合わせて、ぼくも空中を飛ぶ。
異生物の至近まで接近できる唯一の死角——それがこの投げられるコンテナだ。それを盾にして距離を詰め、最接近した瞬間に首を落とす。そしたら残った2人が子どもを助ける、という作戦だ。
即興で穴がある作戦だけど、綿密な作戦を立てる時間も余裕も残されていなかった。
(いける!!)
視界の端では男性職員の胴体が触手に貫かれ、血を撒き散らしていた。でも今、それを気にしている余裕はない。
ぼくは張り付いていたコンテナから飛び出しブレードを抜く。グッと伸びた刃が、異生物の首筋めがけて鋭く線を引く。
刃先が確かに触れた——その
(なんで……ッ!?)
ガキィン、と乾いた音が鳴った。ブレードが、異生物の首筋に弾かれた。
想定外の感触だった。あの異生物はまるでぼくが狙う部分がわかっていたかのように、黒い肉の管で何重にも自分の首を覆い、一瞬にして硬化させたのだ。
「ツカサ——ッ!!!!」
「あ」
ミレイの叫びが、ハブ越しに頭の中で響いた。でも次の瞬間、自分の身体に鈍い衝撃が走る。
声が途切れた。
あれ、何も聞こえない。
身体が、内側から焼けるように熱い。
音が消えた世界の中で、視界だけがじわじわと狭まっていく。
「——ッ!! ——ッ!!」
『——!!』
だめだ……何がどうして、こうなった?
頭が、思考がうまく繋がらない。
意識がどんどん霞んで、現実との境界線が向こう側に伸びていく。
何か……大事なことをやり忘れていた気がする。
とても、大事なことだったはずなのに……。
ほこりっぽい空気に、かすかにカビた紙の匂いがしてきた。古い時間が染みついたようなにおいで安心する。
——ツカサ。また寝てるの? ボクの話はそんなにつまらないかなぁ?
そうじゃない。
ムツキの話がつまらないんじゃなくて、昨日の任務で疲れてただけで。
——まあいいけどさ。起きたらちゃんと、君の話を聞かせろよ。
昔の記憶……走馬灯ってやつかな。部室の匂いがして、ムツキがいて、部長もきっと積まれた本の後ろに隠れてる。
ぼくはここが好きだった。
何者でもなかったぼくが、この場所でなら、ただの一般高校生朝霞野ツカサとして生きていいって、そう思えたから。
——もっと自分の中に目を向けて、心がどっちを向いてるのか感じて。そうすれば、何をすべきなのかわかるんじゃないかな?
やっとわかったよ、栗崎先輩。
ぼくはムツキに謝りたかったんだ。たとえそれで友達でなくなってしまうとしても、面と向かって謝罪したかった。
それなのに。こんなところで。
「——ツカサッ!! どうしてまたこんなことに……返事してよツカサッ!!」
『——ツカサさん!! ツカサさん、応答してください!!』
遠のく意識の奥で、ミレイとオペレーターの動揺した声が辛うじて鼓膜をかすめた。じわじわと痛みに覆われて抜け出せない。
(ああ……まだごめんって、ちゃんと謝れてないのに……)
口の中は血で満たされ、言葉はどこにも届かず沈む。吐き出すこともできず、ただ熱と痛みに意識が剥がされていく。
冷たい風が一瞬、皮膚の内側を通り抜けた。
命がゆっくりと、ぼくの内側から剥落していく……。
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