第21話「山脈の呻き、岩の律」

◇北への旅路


 海の器が鎮まった翌朝、俺たちは港町タルマイルを後にした。

 灯台の白は遠ざかり、潮の香りはやがて土と草の匂いに変わる。

 道は北へ続き、地平線には黒々とした山脈が横たわっていた。


「……あれが大陸脊(せき)の山脈か」

 アリアが目を細める。尾が無意識に膨らんでいた。

「海より怖そう」


「空気が重い」

 ミラは手を口元に当て、咳をこらえた。

「肺に石が入るみたい……薬草でどうにかなるかな」


 セレナは石板を掲げ、震える符線を記録する。

「山の拍は“圧”。海は溢れたけど、ここは逆。すべてを押しつぶす」


 胸の祠が軋む。

 滞り、渇き、溢れ、忘却……すべてを祀ってきたはずなのに、山の律はそれらをまとめて圧し潰そうとしていた。


◇鉱夫の村


 山脈の裾野に、小さな鉱夫の村があった。

 家々の壁には亀裂が走り、井戸は泥で塞がり、地面は絶えず震えている。


 老人が杖をつき、俺たちを迎えた。

「等流師か……ようやく来てくれたか。山が呻いておる。鉱脈が潰され、谷が塞がれ、川が逆流して村を飲み込む。わしらは、山の心臓を怒らせてしまった」


 祠に眠る拍が共鳴する。

 ――確かに山の奥で、低く重い律が唸っていた。


◇石の碑文


 村の広場には、割れかけた石碑が立っていた。

 表面には「岩の律」と呼ばれる古代文字が刻まれている。


 セレナが指でなぞり、解読する。

「“岩は受け皿にあらず。器にしてはならぬ。器にせば、大陸は沈む”……」


「つまり、山を“閉じ込める器”にしてはいけないってこと?」

 ミラが首を傾げる。


「そう。山の律は“支えること”。だが人は鉱を掘り、山を器に変えようとした」

 俺は胸に手を当てた。「だから呻いている」


◇山腹の崩落


 話をしている最中、突然の轟音。

 山腹が崩れ、岩と土砂が村へ雪崩れ込む。


「来るぞ!」

 アリアが矢を射、崩落の先端を裂いた。

 ミラが薬草を燃やし、煙で人々を誘導する。

 セレナが符を走らせ、石の壁を作って土砂を止めた。


 俺は胸の祠を開き、山の律を受け止める。

 だが重い。

 滞りや渇き、溢れや忘却と違い、“圧”は祠を沈めようとする。


「このままじゃ……押し潰される!」


◇岩の心臓


 老人が叫ぶ。

「山の心臓は“鳴岩(なりいわ)の洞”にある! そこへ行け!」


 俺たちは崩落を避けながら山道を駆け上がる。

 洞の入口はすでに半ば塞がれ、岩の奥からは低い唸りが響いていた。


 中に入ると、中央に巨大な岩塊があり、その表面が脈打っていた。

 岩が心臓のように鼓動している――これが岩の律の核。


『人の手は要らぬ。支えるは我。圧するは我。――去れ』


 低い声が頭に響く。

 次の瞬間、岩の律が祠に押し寄せ、俺の全身を重圧で締め付けた。


◇四人の拍


「レオン!」

 アリアが祠に矢の律を注ぐ。

 「立て! 支えるのはあなただけじゃない!」


 ミラが薬草の香を吹き込み、優しい拍を響かせる。

 「崩れないで……! 圧に潰されても、命を繋ぐ拍がここにある!」


 セレナが符を胸に刻み、自らの血を祠に注いだ。

 「岩の圧は冷たい。なら、冷たさごと巡らせろ!」


 マエラが貝笛を吹き、海の唄を重ねた。

 「海も、山も、同じ器に戻れるはず!」


 四人の拍が祠を押し広げ、岩の圧が少しずつ巡りに変わっていく。


◇支える拍


 俺は息を絞り出した。

「岩は……器じゃない。だが、支える“土台”だ。――祀らせてくれ!」


 祠に新しい置き場が生まれ、岩の律が鎮まった。

 重圧が和らぎ、心臓の鼓動は安らかな拍に変わる。


 山の呻きが止まり、外の崩落も収まっていった。


◇村の再生


 洞を出ると、村人たちが涙を流して迎えた。

 「山が……静かになった……!」


 胸の祠は静かに温かい。

 滞り、渇き、溢れ、忘却に続き――今、岩の“支える拍”を祀った。


 だが女神の声はまだ沈黙している。

 次に呼ぶのはどの律なのか。

 俺は仲間たちを見回し、小さく息を整えた。


「旅はまだ続く。――次は、大陸そのものの“天”かもしれない」


 空には嵐のような雲が集まり、稲光が遠くで走っていた。


(つづく)

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