第2話「森での出会い」

 女神の姿は、光とともに消えていった。

 残されたのは、夜気を切り裂く静けさと、俺の胸に残る温かな感触だけ。


 ――俺のスキル【村人】は、万能の力だ。

 その言葉が、頭の中で何度も反芻される。


 ただの凡人。

 誰からも不要とされた役立たず。

 そんな俺が「選ばれし者」だなんて、信じられるわけがなかった。


 けれど、胸の奥で何かが脈打っていた。

 女神の光が宿ったのか、熱い鼓動が体中を駆け巡っている。

 これは……気のせいじゃない。


 街道を外れ、森に足を踏み入れる。

 焚き火を起こす余裕もない。草を分け、ただ歩き続けた。

 心はまだ揺れていた。

 女神の言葉は夢だったのか、それとも現実だったのか。


 だが――現実はすぐに牙を剥いた。


 ガサリ、と草むらが揺れた。

 獣の唸り声。黄の瞳が闇の中で光る。


「……狼か」


 灰色の毛並みを逆立て、低く唸る魔狼(フェンリス・ウルフ)。

 冒険者なら初級の討伐依頼で遭遇する魔物だ。だが武器を持たない今の俺には脅威でしかない。


 奴は一歩、二歩と地面を踏みしめ、低い姿勢で飛びかかる気配を見せる。

 喉が渇いた。手が震える。


(俺には……何もない。いや、違う。女神が言った。万能の力が眠っている、と)


 心の中で必死に叫んだ。

 ――応えてくれ。俺のスキル、【村人】!


 その瞬間だった。

 周囲の草木がざわめき、土の匂いが鮮明に迫る。

 次の瞬間、地面から太い根が伸び上がり、狼の足を絡め取った。


「な……!」


 俺自身も驚いた。

 狼は呻き声を上げ、必死に逃れようともがく。しかし根は鉄のように強く、容易に解けるものではない。


 俺の掌に、温かな力の奔流が宿っていた。

 ――これが、村人の力?


 ただ耕し、ただ育て、ただ生きる。

 その営みが、命を繋ぐ万能の術となって現れたのだ。


「っ、はあああああッ!」


 手にした木の枝を握りしめ、全力で狼の頭を叩きつける。

 何度も、何度も。

 やがて魔物の体は動かなくなり、静寂が森を支配した。


 肩で息をする。心臓が破裂しそうなほどに打ち鳴らされている。

 それでも、俺は立っていた。

 俺の力で、魔物を退けたのだ。


 これまで、俺は何もできないと笑われてきた。

 だが今、この手は確かに敵を打ち倒した。


「……ありがとう、女神」


 誰にともなく呟いた。

 その瞬間だった。


「大丈夫ですかっ!」


 声が響いた。慌てて振り向くと、そこには――一人の少女がいた。


 月明かりに照らされた姿。

 長い金髪に、尖った耳。額には獣のような小さな飾り角。

 その瞳は琥珀色に輝き、背には尾を揺らしている。


 獣人族――人と獣の血を併せ持つ種族だ。


「あなた……今の魔物を一人で?」

「え、ああ……なんとか」


 少女は目を見開き、やがて微笑んだ。

「すごい……普通の人間には無理です。助かりました」


 その声は澄んでいて、森の夜気の中で清らかに響いた。


「助かったのは俺の方だよ。君が来てくれたから」

「……ふふっ」


 少女は頬を染め、恥ずかしそうに笑った。


「私はアリア。獣人族の里の姫です」

「姫……!?」


 思わず声が裏返った。

 ただの冒険者、いや追放された俺の前に現れたのが、よりによって姫とは。


「里へ戻る途中で、森に魔物が増えているのを見つけて……。だから見回りをしていたのです」

「なるほど……それで、俺を?」

「はい。気配がしたので慌てて。ですが……あなたの力、すごかった」


 アリアの瞳がまっすぐ俺を射抜く。

 その視線は、今まで誰からも向けられなかったものだった。


「俺は……レオン。村人スキルしか持たない、役立たずなんだけどな」

「役立たず、ですって?」


 アリアの眉がきゅっと寄った。


「あなたの力で私は救われました。あの魔物を倒せたのも、村人だからこそではないのですか?」

「え……」


 言葉を失った。

 これまで何度も「村人=無能」と罵られてきた俺にとって、その言葉は眩しすぎた。


「レオンさん。よければ……私と共に来ませんか? 里にはあなたの力を必要とする人がきっといます」


 差し伸べられた手。

 女神と同じように、真っ直ぐな手だった。


 俺は、その手を掴んでしまった。

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