1-1 まずは土地を見て回ろう

「うげぇ、相変わらずここは景観が終わってるな……」


 馬車を操る御者の独り言を耳にしながら、私は誰も共にすることなく一人で馬車に揺られていた。

 当然だ。魔王の疑いがあって、なおかつこのような辺境の危険な土地へと飛ばされるとなれば、金で雇われているだけの使用人などついてくる訳がない。


「さて、それじゃここで降りてくれ」

「…………」


 一応はまだ御者のいる手前、絶望を装い魂が抜けたかのような虚ろな表情をせねばなるまい。そうして演じている私を見た御者は、まだ七歳になったばかりの子供がなぜこのような地に一人で追い出されなければならないのかと、同情の涙を流し始める。


「くっ……気の毒ではございますが、ネロ様ならこの地でも生きていけると信じております! それでは、お達者で!!」


 涙を拭いながらも、御者は馬を走らせる。当然のことだ、同情はしても王家の命に反すれば今度は御者の命がない。そうでないとしても、現実問題目の前に広がる光景を目にすれば、この場に残ったところで死体が二つに増えるだけとしか思わないだろう。そうして仕事を終えてその場を走り去る馬車を見送り終えたところで、私はようやく本来の表情を浮べる。


「……さて、どうしたものか」


 眼前に広がるは十年前とほとんど変わらぬ焼け野原に近い光景。そして既にこの幼くも活きのいい肉体を嗅ぎつけてか、遠くからグールが湧いて出てきている。

 しかしそれでもなお、私の顔から笑みが消えることはなかった。


「貴様等のような下等な絞りカスの魂でも、今の我にくべられる贄としては上々。まずは少しでも力を取り戻すべく、その魂を頂こうか――」


 ――啜リ喰ラウ右手ソーマドリンカー。開いた右手を前に掲げれば、魔力耐性の無い惰弱な魂など肉体から簡単に剥がすことができる。


「ウォォ……ァ……」


 唸り声をあげる間もなく、グールの肉体から魂が引き剥がされる。そして浮遊する魂は全て、力の復活の犠牲となっていく。

 そのまま手を広げ続ければ次々と魂が右手を通して体内へと入り込んでゆき、復活の為の供物として我が身の糧となってゆく。


「……ふむ、ゲテモノ喰いとなってしまったが、成果は上々」


 己の体に、僅かながらに力が行き渡るのを感じる。そして先程に比べて少し、角が伸びた気もする。


「この角が伸びきった時が、私の復活の時という事か」


 この調子で少しでも力を取り戻そうと思った私は、荒れた大地を歩きながらひたすらに魂を回収してまわっていた。

 すると――


「……ん?」


 吸魂を続けたことで魂に対する探知能力も復活してきたのか、視界にはまだ映らないものの、これまでとは違う艶やかな魂を遠方から感じ取ることができる。


「……この先に生者がいるとでも?」


 何はともあれ、もしこの地に他に生きる者がいるのだとすれば、それは僥倖ぎょうこうといえるだろう。


「……少し、急ぐとしよう」


 流石に全盛期のように全身を闇に沈めての瞬間移動は不可能だが、足を闇に溶かして滑るように移動することはできそうだ。


「どうやらグールも近くにいるようだが、死んでくれるなよ……」


 下等生物に喰われてむざむざと死ぬくらいならば、我が一部となった方がまだ有用だからな――



          ◆ ◆ ◆



「――さて、どうしたものか」


 現場に到着した私の目に映ったのは、恐らくは人身売買をするために奴隷商が動かしていたであろう荷馬車が、数多のグールによって横転させられ、覆われようとしていた光景だった。

 どうやら危険を承知でこの地を通っての近道を試みたのであろう。結果はご覧のありさまであるが。


「御者の姿は……あれか」


 既に馬を操っていた御者らしき者はグールの仲間となっている様で、本来であれば商品となるはずであろう荷馬車の中身に対し、性欲ではなく食欲をぶつけようとしている様子。


「ひとまず掃除をするか」


 右手を掲げて魂を吸い取れば、それまで荷馬車に取り付いてうごめいていたグールが、まるで羽虫が息絶えるかのようにしてぽとぽとと剥がれ落ちていく。

 そうして安全確保を終えた私だったが、中にいる者が無事であろうがなかろうが、既に大きな期待などしていなかった。


「困ったものだ。この程度の人間が増えたところで、この先土地の開拓など難しい」


 男女オスメスつがいにしたとしても、労働力として使えるようになるには年単位の時を必要とする。今ある我が肉体もまた人間の身、百年と経たないうちに朽ち果てるであろう。

 ならば当初の目的通り魂を全て回収し、糧としてあてがった方がいいだろう。そう思って横転した荷馬車の扉をこじ開けると、中には予想通り、男女混合で六名程度の奴隷と思わしき姿の人間が怯えた様子で身を寄せ合っている。


「きゃああっ!!」

「ななな、なんだ!? 何なんだ!?」


 どうやら外のグールがこじ開けてきたと思っていたようで、私のこの姿を見ても、角に怯えるというより人の形そのものに怯えているように感じられた。


「ぐっ、グールじゃ……ない?」

「子供……?」


 男二人の女四人。まあ、産む方が多いのは良いことだが、如何せん元々の数が少ない。


「奴隷というからにはお前達を取引にかけることで何かしらの利益があるのだろうが……生憎、人身売買について私は一切の興味が湧かない。故に皆、一様に死んでもらう」

「し、死んでって――」


 有無を言わせることなく、私は右手を前に突き出して吸魂を仕掛けようとした。

 しかしその瞬間、伸ばした腕を物陰から掴む者が一人。


「っ! ……もう一人いたのか」


 褐色肌の細腕。そして人間とは違う尖った耳。私はこの種族を知っている――


「――ダークエルフか」


 褐色肌に相反する、白く長い髪。そして金にも例えられるような、輝く瞳。それらを携えた少女が、まるで助けを求めているかのように私の腕を掴んでいる。

 確かに彼女を奴隷として売り飛ばせば高額になるだろう。普通のエルフからも迫害されるダークエルフの一族は、めったに人前に姿を現さない。それこそ山の奥地か、あるいは洞窟の奥底など人の手が決して届かない地にしか住まいを構えない種族なのだから、まず発見されることはない。

 いざという時の何らかの取引材料程度にはなるだろうと、私はダークエルフの少女を残すことを決めて残りの始末に取り掛かる。


「……いいだろう。お前だけは生かしておいてやる」


 そうして私は無理やり手を振りほどき、予定通り六人の方の始末にとりかかる。


「きゃっ――」


 絶命の声を挙げる間もなく、その六人のことごとくが文字通り亡き骸となっていく。そうして私は唯一残った艶やかな魂の持ち主であるダークエルフの手を取り、荷馬車を後にしようと外へと顔を出した。

 その瞬間だった。


「……これは一体、どういうことだ?」


 少し前に、玉座の間において私は四方八方から槍を構えられていた。そしてこの日は、中にいた少女と同じ種族、ダークエルフの一団に弓矢を構えられている。


「襲撃予定地点にいつまでたっても馬車が来ないから、何かが起きていると思っていたが……っ!? もしや、貴方は!?」


 どうやら相手の一人は明らかに私のことを知っているのか、この姿を明確にするなり驚いた様子でいる。

 それならば都合がいいと、私はネロ=ファルベとしての振る舞いを見せ、この場を切り抜けることを画策した。


「あっ、あの! 勘違いしないでください! 僕は、この地に追放されてしまって――」

「その角はあのお方と同じ! 魔王セフィード様と同じもの!!」


 ――その言葉を聞いた瞬間、私は偽っていた子供らしい顔つきを一瞬にして消し去り、冷たい声でそのエルフの女に問いかけた。


「……先に詳しく聞かせて貰おうか」


 ――貴様等が何者なのかを。

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