第27話
俺たちは、鉄槌の里で一夜を過ごすことになった。
岩をくり抜いて作られたドワーフの宿屋は、飾り気はないが頑丈な作りである。
部屋は少しばかり狭かったが、暖炉の火がぱちぱちと音を立てて燃えていた。
そのオレンジ色の温かい光が、俺たちの疲れた体を優しく包み込んでくれる。
俺とリックは、同じ部屋を割り当てられた。
「なあアッシュ、天空の祭壇ってどんな場所なんだろうな」
ベッドに腰掛けたリックが、期待に満ちた目で俺に尋ねてくる。
その瞳は、まるで遠足を楽しみにする子供のようにキラキラと輝いていた。
「さあな、俺も実際に見たことはないから詳しくは知らない」
俺は、そう言ってわざと話をはぐらかした。
本当は、原作ゲームの知識でどんな場所か鮮明に思い描くことができる。
そこは雲の上に浮かぶようにして存在する、白い石でできた古代の神殿だ。
内部には、強力な守護者とたくさんの試練が待ち構えている。
アダマンタイトは、その祭壇の最も神聖な場所に奉られているのだ。
だがそんな詳しい情報を、今ここで話す必要はないだろう。
仲間たちの純粋な楽しみを、ネタバレで台無しにするのは良くない。
「まあ、行ってみれば分かるさ。きっと、俺たちの想像を超えるすごい景色が見られるぜ」
「だよな、なんだかワクワクしてきたぞ。明日に備えて、剣の手入れも完璧にしておかないとな」
リックはそう言うと、新しくなった自分の剣を布で丁寧に磨き始めた。
彼の裏表のない好奇心を見ていると、俺もなんだか楽しい気持ちになってくる。
この冒険は、ヒロインを救うためだけのものではないのだ。
俺自身が、この世界を仲間と共に旅するためのものでもある。
そう思うと、胸の奥が少しだけ温かくなるのを感じた。
翌日の早朝、俺たちは里の長老やドワーフたちに見送られながら出発した。
東の空が、ようやく白み始めた頃合いである。
冷たく澄んだ空気が、ぴりりと肌を刺すようだった。
「皆さん、くれぐれも気をつけてください。ここから先は、魔の領域ですわ」
セレスティアが、引き締まった声で皆に注意を促した。
その表情は、いつになく真剣そのものである。
俺たちは、黙って力強くうなずき返した。
いよいよ、巨人の背骨山脈への本格的な登山が始まったのだ。
最初のうちは、まだ緩やかな獣道が続いていた。
周りには、背の高い針葉樹の森がどこまでも広がっている。
時々、リスやウサギのような小動物が俺たちの前を素早く横切っていった。
「なんだか、普通のハイキングみたいだな。これなら、楽にクリアできそうだぜ」
リックが、少しだけ拍子抜けしたような声を上げた。
「油断するな、この先から道はだんだん険しくなる。それに、危険な魔物も出てくるぞ」
俺がそう言うと、セレスティアも静かに同意した。
「アッシュの言う通りですわ、山を甘く見てはいけません。本当の試練は、ここから始まります」
彼女の言葉通り、しばらく進むと道は急な上り坂に変わった。
足元には、ごつごつとした岩がそこら中に転がっている。
一歩一歩、慎重に足場を選んで進まなければならなかった。
鬱蒼とした森を抜けると、視界が一気に開けた。
だがそこから先は、木々がほとんど生えていない岩肌ばかりの道だった。
標高が、かなり高くなってきたのだろう。
空気も、心なしか薄くなってきたような気がする。
「はあ、はあ……。なんだか、息が苦しくなってきたぞ」
リックが、少しだけつらそうな声を漏らした。
普段の訓練で体力に自信がある彼でも、高地の特殊な環境には慣れていないようだった。
「ゆっくりと、深呼吸をするのです。すぐに、体も慣れてきますわ」
セレスティアが、彼に優しくアドバイスを送る。
俺はアイテムボックスから、特別な薬草を取り出した。
高山病に、とても効果のある薬だ。
これも、ドワーフの里で念のために手に入れておいた物資の一つだった。
俺は、それを仲間全員に配ってやる。
薬草を噛むと、すっとした清涼感のある香りが口の中に広がった。
不思議なことに、息苦しさが少しだけ楽になった気がする。
俺たちは、黙々と険しい山道を登り続けた。
太陽が、空高く昇る頃には俺たちは雲と同じくらいの高さまで来ていた。
下を見下ろすと、さっきまでいたドワーフの里がまるで豆粒のように小さく見える。
「すげえ、俺たちこんなに高いところまで登ってきたのか」
リックが、眼下に広がる絶景に感心したように声を上げた。
その時だった、空から白いものがひらひらと舞い落ちてきたのだ。
「雪だ」
リナが、空を見上げて小さくつぶやく。
最初は、ほんの少しだった雪がだんだんとその勢いを増していった。
気温も、急激に下がっていくのを感じる。
さっきまでの穏やかな天気が、まるで嘘のようだった。
「まずいわね、天気が崩れてきたようですわ。長老の話は、本当でしたのね」
セレスティアが、険しい顔で空をにらんだ。
「ああ、山の天気は変わりやすいらしいな。急いで、先へ進むぞ」
俺たちは、ドワーフの里で買った毛皮のコートを羽織った。
さすがは、ドワーフが作った品物だ。
分厚くて少し重いが、とても暖かくて冷たい風をまったく通さない。
雪は、さらに強くなり吹雪のようになってきた。
視界は、あっという間に真っ白に染まってしまう。
数メートル先さえ、見ることができないほどの猛吹雪だ。
「みんな、絶対に離れないように気をつけてくれ!」
俺は、腹の底から大声で叫んだ。
このままでは、仲間とはぐれて遭nanしてしまう危険性があった。
俺たちは、ロープでお互いの体を結びつけることにした。
万が一、誰かが足を滑らせても落下するのを防ぐことができる。
そして、一列になって慎重に進んだ。
だが、吹雪は俺たちの体力を容赦なく奪っていく。
前に進もうにも、強い風に押し戻されてしまうのだ。
特に、後衛で体力の少ないミリアの消耗が激しいようだった。
彼女の顔は、青白くて唇が紫色に変わっている。
「ミリア、大丈夫か。無理はしないほうがいいぞ」
俺が声をかけると、彼女は弱々しくうなずいた。
「は、はい……。まだ、歩けます。みんなの、足を引っ張りたくありませんから」
気丈に振る舞っているが、その足取りは明らかにふらついていた。
このまま進むのは、危険すぎると俺は判断した。
「どこか、風をしのげる場所を探すぞ。この吹雪の中を進み続けるのは無謀だ」
俺は、周りの地形を注意深く観察する。
だが、どこを見ても白い雪と黒い岩肌しか見えなかった。
リックたちが、不安そうな顔で俺を見つめる。
「アッシュ、本当にそんな場所があるのか」
「ある、必ず見つかるはずだ」
俺は、力強く言い切った。
原作の知識によれば、この辺りに安全な洞窟があるはずだったのだ。
吹雪で遭難したプレイヤーのための、救済措置として用意された場所だ。
俺は、記憶を頼りに岩壁に沿って歩いていく。
そして、雪に半分埋もれた小さな洞窟の入り口をついに見つけ出した。
「あったぞ、ここだ。みんな、早く中に入れ」
俺たちは、雪をかき分けて洞窟の中へと避難した。
洞窟の中は、外の吹雪が嘘のように静まり返っていた。
壁に守られて、冷たい風もまったく入ってこない。
俺たちは、ようやく一息つくことができた。
ミリアは、その場にへたり込んでしまう。
「ごめんなさい、わたくしのせいで、皆さんに迷惑をかけてしまいました……」
彼女が、申し訳なさそうにつぶやいた。
「気にするな、誰だってこうなるさ。お前は、本当によく頑張った」
俺は、彼女の頭を優しくなでてやった。
そしてアイテムボックスから、焚き火の道具と薪を取り出す。
すぐに、洞窟の中にぱちぱちと音を立てて温かい炎が燃え上がった。
オレンジ色の光が、俺たちの冷え切った体をじんわりと照らし出す。
俺は、さらに鍋を取り出して温かいスープも用意してやる。
干し肉と、保存野菜を煮込んだだけの簡単なスープだ。
だが、今の俺たちにとってはどんな豪華な料理よりもごちそうに感じられた。
温かいスープを飲むと、ミリアの顔にも少しだけ血の気が戻ってきたようだ。
リックとリナも、ほっとした表情を浮かべている。
「助かったぜ、アッシュ。お前がいなかったら、俺たち今頃凍え死んでいたかもな」
リックが、心から感謝するように言った。
「アッシュは、いつも準備が万全ですわね。まるで、こうなることが分かっておられたかのようですわ」
セレスティアが、不思議そうな目で俺を見る。
そのルビーのような美しい瞳は、何かを見透かしているかのようだった。
俺は、そんな彼女の視線を適当にはぐらかした。
「用心深いだけですよ、俺は臆病者ですからね」
俺がそう言うと、リナがくすくすと笑った。
「師匠が、臆病者なわけないよ。だって、いつも一番先に危険な場所に飛び込んでいくもん」
「それは、お前たちが頼りないからだろうが」
俺たちの間に、和やかな笑いが起こった。
外では、猛烈な吹雪がゴウゴウと吹き荒れている音が聞こえる。
どうやら、今夜はこの洞窟で一夜を明かすことになりそうだった。
俺が焚き火の火加減を調整していると、洞窟の奥からかすかな物音が聞こえてきたのだ。
ゴトリ、という岩が動くような低い音だ。
「ん、今の音はなんだ?」
リックが、警戒して剣の柄に手をかけた。
俺も立ち上がり、音のした方角をじっと見つめる。
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