第三話 夢と嘘と旅立ちの重さ

アレクは、これから始まる冒険への期待から、足取りも軽く領主の屋敷の厩を訪れた。


そして、ロペス爺さんに執事から領地を出る許可をもらい、夢を叶える旅に出られることになったと、早口で事の成り行きを報告した。

「しょうがないのぉ。まぁ、決まったことは決まったことじゃあ」

ロペス爺さんは深いため息をついた。


旅に出る。それもただの旅ではない、冒険の旅である。そもそもこの時代、ただの旅でも大変なことである。

ロペス爺さんはアレクを伴い、屋敷内のモリスの部屋を訪ねた。

伯爵家の上級使用人である御者のモリスは、伯爵に気に入られていることから個室を与えられていた。

モリスはすでにアレクが冒険の旅に出るという話を執事から聞いており、その突然の決意に静かに息を吐いた。


「いきなりだが、まあ、決まったことなら仕方ないな」


その反応は、先程のロペス爺さんとまったく同じで、諦念が滲んでいた。

今更ながら、二人の反応をみて、アレクは

旅立つ重さを悟った。

​モリスはすぐに本題に入った。

「で……お前さんは具体的に、どうする気なんだ」


「どうするって? だから冒険の旅に出ます」

「具体的に、どういう冒険の旅に出るのか?それを聞いてる。前から言ってたが、『サントゥス』に行く気か?」

アレクは瞳を輝かせた。

「はい! 『サントゥス』の冒険者ギルドに向かいます。そこで武者修行を積んで……それで、あの赤髪の双剣使いを探します!」

それを聞いたモリスは、思わず額を押さえて天を仰いだ。


しかし、口を開いてアレクの夢を否定することはしなかった。

​「(──信じたままか……)」


冒険者ギルドも、赤髪の双剣使いの情報も、すべては嘘である。


それは数年前、シオス村にやって来て一夜の宿を求めた、自称・勇者の冒険者が、幼いアレクを騙すために語ったでまかせだ。


しかし、アレクはその話を今なお純粋に信じている。その真っ直ぐな純粋さに呆れながらも、モリスはその純粋さこそがアレクにとって、失ってはならないものだと感じていた。


いつか大人になれば、それが嘘だと自分で気づくはずだ。それまでは、その夢を信じる無垢な子供のままで良いのではないか。

その考えは、ロペス爺さんも同じだった。彼は真実を知っていながら、アレクには教えなかった。

「『サントゥスか』……」

モリスはもう一度天井を仰ぎ、観念したように深く息を吐いた。

横から、ロペス爺さんが口を挟む。

「『サントゥス』に行くなら…まぁ『西のアルカディ王国』から入るのが一番無難じゃろう。『東のローゼリアン王国』はその前の戦争の影響で、今だに治安があまり良くないからな」


​アレクは素直に頷いた。

「あ…そうですね。だったら西から入るほうが安全でいいですね」

それを聞いたモリスは、無言でロペス爺さんの膝を横から小突いた。

しかしロペス爺さんは、その無言の圧力に涼しい顔で応じ、さらに口を開く。

「それとアレク。野宿は行かんぞ!」

「え!どうしてですか?」


アレクにとって、冒険と言えば焚き火を囲んでの野営だった。彼はそうするつもりでいたのだ。

「昼間は良いが、夜間20時以降の外出は今、国から禁止されておる。規則を破れば罰金刑じゃあ!」

聞いていたモリスは、御者という仕事柄、街道の状況はある程度知っているが、その理由に危うく吹き出しそうになったが、なんとかこらえた。


だが、アレクはロペス爺さんの言葉に何の疑いも持たなかった。


「わかりました!気をつけます!」

「それと、やはり馬車を使え!歩いても良いことはひとつもないぞ。街道はお前が想像しておるよりずっと汚い。馬糞もそうだが、汚物が巻き散らかされておるからな。踏んだら地獄じゃぞ」


​「あ…そうなんですね。わかりました」


徒歩も野宿も駄目だとなると、宿代や馬車代で相当な金額を用意しないといけない。足りない分は旅先で何か仕事を探して、資金を調達しなければいけないかもしれない、とアレクは旅の厳しさを思い知らされた気がした。


​アレクが部屋を出ていってから、モリスは呆れ果てたようにロペス爺さんに言った。

「爺さんよくもまぁあんなに嘘八百並べて喋ったな!」

ロペス爺さんは涼しい顔をして、平然と答えた。


「何がじゃあ」

​モリスはソファにドカリと座り込んだ。


「野営はしない、馬車に乗る。…随分と過保護な冒険者だな!」

ロペス爺さんは静かに目を細めた。


「野営はしないに限る。今でも野党がウヨウヨしとるからの。パーティを組んでるならともかく、一人ではどうもこうもならんて。それにだ…アレクは人を斬ったことがあるまい」

モリスは俯いたまま、力なく言った。


「まぁそうだな……確かにこの四年間であいつの腕は上がってる。なまくらなそこら辺のボン貴族の若造よりは腕は立つだろう。だが、それはあくまでも練習での木剣であって、実戦じゃない」

「人を斬らにゃあいけん時はある。あるがの、人を斬るというのは相当な覚悟がいる。……儂は、アレクが自分の欲や名誉のために人を斬る人間になって欲しくないんじゃよ。それはお前さんも同じ気持ちだと思うがの?違うかモリス。だからこそアレクに真剣を使わせず、何年も木剣での稽古をつけたのじゃろう?」


モリスは腕を組み、ロペス爺さんを見上げた。

「……ああ」

わずかな沈黙の後、モリスは静かに肯定し、話を続けた。

「ところで、爺さん……アレクがあれほど憧れている『赤髪の双剣使い』に会うなら、『東のローゼリアン』に行かせるのが最短の道だと思うが……何故『西のアルカディ』を勧めた?それじゃあ遠回りだろ?」


「今のヴォルフが、果たしてアレクの夢としての憧れの人物になれば良いがの…そうだろ?ヴォルフの甥っ子よ」


「まぁ今の叔父さんはただの商人だからな…双剣使いでもないし。それが現実だから…夢は壊れるかもしれないが」


「だから尚更、すぐにヴォルフに会わせるわけにはいかんのぉ。もう少しあの夢見る少年の部分が削り落とされてからじゃ…どっちみち『サントゥス』で現実に突き落とされるじゃろうからの」


『サントゥス』には冒険者ギルド等存在しない。

否応なく、アレクはあの冒険者が言った嘘に気づくだろう?

その時…アレクは…それを思うと、モリスは

胸が痛んだ。



グレイ伯爵の帰宅で身分証明書をもらえることになり、いよいよ出発の日が迫る。

アレクはこの期に及んでも、まだ母に旅立ちの決意を告げていなかった。

ようやく決心がつき、伯爵が帰宅なさる日の夜、母が隣の寝台に入った後だった。アレクは、イザベルの件で領地を出る許しを得て、かねてからの夢であった冒険の旅に出たいと、淡々と母に伝えた。

母は何も言わなかった。アレクの旅立ちが母にとってどれほどの衝撃であるか、その時の彼はまだ理解していなかった。

翌朝、母は食卓に皿を並べながら、いつものように静かに言った。

「いつ出発するんだい?」

アレクが「今日の夕方、執事のレッド様から身分証明書をもらうことになっているから、明日の朝には出発しようと思う」と答えると、母は少し俯き、寂しさを必死に堪えた微笑みを浮かべた。

夕方、アレクはロペス爺さんや厩の仲間達に別れの挨拶をした。


「ロペス爺さん、モリスさんが何処にいるか、知らない?部屋を訪ねたんだけど、鍵がかかってて…」


執事のレッドから身分証明書を受け取った足で、すぐにアレクはモリスの部屋を訪ねたのだが、あいにく留守のようだった。

御者の仕事がない時は、ほとんど部屋で待機しているはずなのだが。


「モリスか…それは…」

ロペス爺さんは何故だか言葉を濁したその時、モリスがひょっこり厩に顔を出した。

「アレク、明日は、ローエンまで俺が馬車で送る」


「えっ!いえ、そんな」


「お前がこの地から離れたか、それを見届ける役目も兼ねてる。だから遠慮するな。これは仕事だからな。明日は何時に出発だ?それと馬車はお前の家の前でいいのか?」


「明け方には出発しょうと思います。それと家の前は…村の入り口付近で待っていてください。そこでお願いします」


家の前に、馬車が来れば、好奇心旺盛な村人達で人垣ができてしまう。それは避けたかった。


「わかった、遅れるなよ」


アレクと入れ替わるように、イザベラが厩にやって来た。付き添いのマリの制止を振り切って「アレク!アレク!」と叫んでいる。

「アレクがここを出ていくっていうのは本当なの。それも冒険の旅に出るなんて!なんてバカな事!!何故みんな止めないの!」

皆は、アレクが旅に出る原因はイザベル自身にあるとは言えなかった。アレクへの熱を上げるイザベルの振る舞いが見過ごせなくなり、アレクをこの地から厄介払いしたのだ。

「もういいわ!私が、アレクを説得します」

今にもアレクの家に行きそうなイザベルの腕をモリスは掴んだ。

「おいおい嬢ちゃん、いい加減にしろよ! 俺は忠告したはずだ。アレクに色目を使うのはやめろってな」

イザベルは腕を振り払い、モリスを睨んだ。

「色目ですって! 色目を使っているのは誰よ! 私が知らないとでも思ってたの!?この情夫が!」

罵詈雑言に、厩の連中が目を丸くする中、平然としているのはロペス爺さんとモリスだけだった。アレクは知らなかったが、モリスが奥様の情夫であるのは事実である。

「可哀想ね…」モリスは口元を歪めて嗤った。

「言っとくが嬢ちゃん。俺は御婦人を無理やりどうこうした事は一度もない。あんた達、貴族は愛なんて二の次だからな。お互いに愛人がいようがどうっていうことない。そういうものだって教わらなかったか?」

悔しさのあまりイザベルは口を真一文字に結んだ。

「モリスもうそれ位にしねえか!…お嬢様、アレクにはアレクの道があるんだ。邪魔をするもんじゃない!だいたい部屋から一歩もでちゃあいけないって言いつけられてなかったかね?」

イザベルは黙り込み、屋敷へと帰っていった。


その様子を見ながら、モリスはため息をついた。

「ロペス爺さん、俺はアレクに剣しか教えなかったが女も教えとくべきだったな。イザベルも強烈だが、あれよりすごいのが外の世界には蠢いてる。ひょっこのアレクじゃあ食われ放題だ」


「儂に言わせりゃあ、来るもの拒まずでいるお前さんも、まだまだひよっこじゃがの」

ロペス爺さんは、モリスの顔を見てニヤリと笑った。


明け方、夜明け前の薄い光が空をぼんやりと照らす頃、モリスは約束通り馬車で迎えに来た


出発の準備を整えたアレクと母が立っていた。モリスは、母に「ローエンまで同乗したらどうだ?」と尋ねたが「私はここで」と震える声で答えた。


「それじゃあ、行ってくるよ」

アレクは最後の別れを惜しむように、母はをしっかり抱きしめた。


「気をつけてね…」

母の絞り出すような声が耳に残る。


アレクが馬車に乗り込むとモリスは静かに手綱を握り、馬車はゆっくり走り出した。

ガタゴトと揺れる馬車の中から、アレクは振り返り、見えなくなるまで母に手を振り続けた。


やがて母の姿が豆粒のように小さくなり、そしてとうとう見えなくなった。アレクは胸にこみ上げるものを感じながら、真っすぐ前を向いた。


(次話『出会いは剣より鋭い』へ)

アレクの旅の相棒

最もな重要人物との出会いです。

早く登場させる為に書き直した

(よかったのか悪かったのか、いまだにわからん)






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