お詫び:「ヘンリー六世第一部」から「二人の貴公子」までのシェイクスピアは、一切無かったことにしてください
エゴサに堕ちたシェイクスピア
「で、お父さんの名前は?」
「ウィリアム・シェイクスピアです」
「仕事は何をしてるの?」
「陛下にお仕えする、劇作家です」
「どこから来たの? 市町村どこ?」
「イングランドの臣民です」
官憲たちは顔を見合わせた。
これは重症だ。
※※※
「私が間に合って良かったですよ。さもなくば貴方は病院に押し込められて、大変なことになってましたからね」
「なぜ俺が病院なんかに……」
おっさんは不満そうにおちょぼ口を尖らせる。
おっさんが官憲から解放されたのは、すっかり夕方になってからだった。
メルポメネーはどうやら今は背中の翼を隠してるようだ。
この世界の服を着た彼女は、おっさんが官憲たちから与えられた、ジャージとかいうものよりももっとおしゃれだ。
このありえないほどの人混みは伝え聞く、いにしえのローマですら上回るものであろう。
「この時代はそういうことになっています」
「どうして、この場所の言葉が通じるんです? 文字も読めるし」
「それはいわゆる『チート』というやつです。お話の都合上必要なので。貴方が気にすることはありません」
おっさんはますます訝しがったが、もう諦めるしかなかった。
「俺はこれからどうすれば良いんです? ここに放り出されて困ってるし、どうしたらストラトフォードと家族の元へ帰れるんですか」
「貴方は貴方の時代では既に死んだって言ったでしょう? 私が女神であろうともその事実は覆すことはできません」
「そんなあ……」
おっさんのうんざりした表情を見て見ぬ振りで、メルポメネーは話を進めた。
「かといって、私にも責任はありますから、ここでの貴方の暮らしを『ある程度まで』はサポートさせていただきます。ベーコンと間違えてしまったのは、詫びても詫びられるものではありませんしね」
ベーコンの名を聞いて、再びおっさんはあの帽子の男を思い出した。たしか彼は噂によれば陛下の前で失態を晒したと聞いていたし、良いイメージはなかった。
「さて、ここでの貴方の住居の手続きをするにあたって時間も手間もかかるため、無用な騒ぎを起こさぬよう、宿泊と食事を兼ねた安価な施設でしばらく待っていて貰います」
と、メルポメネーは言い、おっさんに紫色のインクで熟年女性が印刷された紙切れを一枚渡した。
「これは紙幣というものです。これで施設を一晩利用できます。明朝、迎えに来るので時間を潰しているように」
と告げて、人混みの中に消えていった。
「……えぇ」
彼は問題無用で、ごちゃごちゃと人の多い場所へと取り残されてしまった。
見回すと、彼女の言っていた施設が目に入る。どうやらここらしい。
建物の壁面、シンプルな看板に"ネットカフェ"と大書されている。これが女神の言う、一晩を過ごせる場所らしい。
おっさんは物珍しそうにきょろきょろと見回すと、くだんの店へと踏み入った。
「いらっしゃいませ」
落ち着いた雰囲気の店内には、大きな棚が存在し絵の描かれた無数の板が並べてある。
「あのここに宿泊したいのですが……」
おっさんはおずおずと尋ねた。
「宿泊プランですね。この時間からだと4680円になります、先払いでお願いします」
女性の絵の紙切れを渡し、支払いを済ませる。
この壁面に並べられた絵は、どうやら様々な芝居の様子を収めたものらしい。これが料金内のサービスであると知ったおっさんは、試しにモノクロの船の図像を選び店員に渡した。
鍵のかかった個室へと足を踏み入れると、彼は壁に備え付けられた平たい画面、その横にある黒くて四角い箱に、先ほど選んだ船の絵の中身、光り輝く円盤を差し込んでみた。
画面が動き出し、モノクロの映像が目に飛び込んでくる。
兵士たちは階段の群衆に向かって一斉に銃を撃つ。人々が血を流しながら倒れ、その中に残された乳母車が、止まることなく階段を転げ落ちていく。
これは演劇などではない。まったき真実なのか?
おっさんは、音を失った雄弁と、血も肉もない光と影の再演に、息を飲むほどの戦慄を覚える。
※※※
しばらくすると、おっさんは画面の中の小窓のような枠の中に、文字を入力するとその物事について、目の前の画面に内容が表示されることに気がつく。
彼はつい好奇心でやってしまう。それが全てのはじまりとなることも知らずに。
「特に面白い話など出てこないだろうが――」
W-I-L-L-I-A-M S-H-A-K-E-S-P-E-A-R-E
と、小窓に入力し、右側の大きめのボタン、Enterと書いてあるボタンを押すと、目の前が切り替わった。
「!? っ、これは……」
見た事のあるハゲとおちょぼ口。
そう自分の見慣れた顔面と、様々な言説が入り乱れている。
そこにはシェイクスピアの名の下に、おっさんの生涯、作品、エピソードが事細かに記されている。生年月日、亡くなった年、家族の名前――すべてが正しい。
だが、それだけではない。戯曲の分析、批評、果ては『シェイクスピアは本当に実在したのか?』という馬鹿げた議論まで。
「どういう……こと、ですの?」
おっさんは震える指でマウスを弄り、画面を下にスクロールさせた。すると、動画らしきものが並んでいる。
試しに一つを押してみる。
画面が切り替わり、若い美男子の動く絵が映し出された。
『皆さん、こんにちは! ヘンリー
おっさんは最初、感心して聞いていた。だが、次第に違和感が募る。美男子は続ける。
『シェイクスピアは理想的な文豪像そのもの。俗な欲求など超越した、永遠の芸術家です。彼の作品にフェティシズムや下品な要素なんてないんですよ! すべてが崇高で……』
「なんだって……?」
おっさんの眉がピクピクと動き始めた。美男子の配信はさらに熱を帯びる。
『現代の二次創作で彼と彼の作品を俗物的に描くのは大間違い! シェイクスピアはそんな人じゃない。純粋で高潔な魂の持ち主。皆さんも、彼の理想像を守るべきです、無知が故意の場合は犯罪ですよ!』
画面の下にはコメントが流れている。
――シェイクスピア様、かっこいい!
――永遠の憧れ
――俗な解釈は許せない!
――マジで萌える
――ヘンリー、可愛いよヘンリー
おっさんは耐えきれず、画面を叩き割りそうになった。
理想の高貴な像? そんなものが一番許せない! 俺の作品は、単なるフェチの発露。
だいたい俺が書いていて一番力を入れているのは、男女問わず同性愛、主従関係、性別逆転、異性装、人外あたりなんだよ! ふざけんなよ、クソが!
二次創作? 俺のことを勝手に高貴に仕立て上げるのが、一番の冒涜だぞ!
「くそっ、この野郎、俺のことを何もわかっちゃいねえ! 俺はそんなノーマルな作家じゃねえんだよ! 変態だよ! HENTAI!!」
※※※
翌朝ネットカフェに迎えに来たメルポメネーが見たのは、睡眠不足と怒りのあまりに血圧が上がりっぱなしになり、慣れない環境で疲れきったおっさんの姿だった。
「さあ、行きましょう。貴方の住処を用意しましたよ」
二人は巨大な駅から、レールを走る鉄の箱に乗り込んだ。おっさんは窓の外を眺め、怒りを抑えきれずぶつぶつ呟く。
「……高貴な像だと? 俺は単なるウォリックシャーの田舎者で、嫁と娘たちに囲まれ、芝居で食いつないでいただけだぞ。フェチな要素? そりゃあ、あんだろ。にんげんだもの! ウィリアム」
女神はそれを黙って聞いていたが、ようやく目的地に着いた。古びたアパートの前だ。
築30年はゆうに超えているだろう。外壁は色あせ、階段はきしむ。
「ここです。敷金礼金ゼロ、六畳一間。台所、バス、トイレ付き。平成一桁ガチ物件」
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