第28話「天空の和音、全てを包む空」

 虚空の夜を越えた翌朝、王都の空はどこまでも澄み切っていた。

 雲は一片もなく、青が深く広がり、輪郭を失うほど遠い。

 太鼓を叩けば返響がなく、凧鈴を揺らせば風は見えぬ高さで散り、王鈴は地を離れて溶けていく。


「……音が“上”に吸われている」

 イリスが灯籠を掲げた。炎の揺れは確かに記録されるが、秤は天へ針を振り切ったまま。

「地ではなく、空に刻まれている。……測れない」


 レイナは剣を振り上げ、鋼の軌跡を青に伸ばした。

「斬った感覚はある。けど……空が広すぎて、当たらない」


 カイルが太鼓を全力で叩く。音は一瞬だけ鳴る。だがすぐに吸われ、天へ登っていった。

「……消えたんじゃない。“積もってる”」


 ミュナが揺枝を掲げる。芽吹きは光ったが、光は上空で散り、降りてこない。

「芽が“空で咲いてる”……戻ってこない」


 セレスティアが目を細め、息を吐いた。

「第十三天、“天空”。輪の最後の試練が来ている」


 昼。

 空に巨大な和音が鳴った。音ではなく、青が震えて“和”を描いた。

 やがて、空から声が降りる。


『第十三天の使い、蒼和(そうわ)のエルシオン。

 整律官よ。お前の街は輪を築き、秤を持ち、迎えを置き、影を認め、群を収め、海を越え、虚空を耐えた。

 だが全ては“部分”だ。

 天空は“全て”を包む。部分は空に溶け、同じ和音となる。……それに抗えるか?』


 青空が鳴動し、街の拍が上へ吸い上げられる。

 太鼓の連打も、祠の火も、芽吹きも、人々の声も。

 全てがひとつの和音に飲まれていく。


「……このままじゃ、王都が空に消える」

 イリスの声が震える。「差異も順序も痕跡も、全部“全体”に溶ける」


 カイルは太鼓を胸に抱きしめた。

「俺の拍も、お前の拍も、同じ一音になる……」


 レイナは剣を下ろし、息を吐いた。

「戦う前に、戦場そのものが“空”に吸われる……」


 ミュナは芽を抱き、涙をこぼした。

「芽が全部、同じ花になる……そんなの、息できない」


 セレスティアは俺の手を掴み、強く見つめた。

「整律官。……あなたはどうする? 街ごと空に包まれても、輪を守れる?」


 胸の刻印が灼けるように熱を帯びた。

 ルミナの声が遠い蒼から届く。

『天空は“調和”を求める。だが調和は“均一”ではない。

 ——異なる音が揃って初めて和音となる。

 均一に溶ければ、それは和音ではなく無響。

 ……整律官よ、“異音を和に編め”。』


 俺は息を吸い、叫んだ。

「天空に抗うんじゃない! ——編むんだ!」


 カイルが即座に応じ、太鼓を三つの音で打ち分けた。

「低・中・高! 異なる音を残す!」


 レイナは剣を三度振り、斬撃の軌跡を異なる角度で空に描いた。

「斜め・水平・垂直! 異なる軌跡を残す!」


 イリスは灯籠に三種の記録を刻んだ。

「時間・場所・名! 三方向から残す!」


 ミュナは芽吹きを三種に育てた。

「蕾・花・種! 異なる芽を残す!」


 セレスティアは布告を放った。

「布告。“三異和(さんいわ)”。

 街の拍は必ず三つに分けて奏で、差異を保ち、それを和に編み込む!」


 人々が立ち上がり、異なる動作を選んだ。

 誰かは足を踏み、誰かは手を叩き、誰かは歌い、誰かは黙した。

 違いが輪となり、輪が和となり、街の全体が“異音の合奏”を奏でた。


 エルシオンの声が空に轟いた。

『異なるものを揃えて和とするか。

 それは調和であり、混沌でもある。

 ……お前たちの和音は、美しい』


 青空の和音が揺れ、街の音が再び降りてきた。

 太鼓も、剣も、芽も、灯籠も、鈴も。

 それぞれの差異を保ちながら、共に鳴り響いた。


 エルシオンの姿は青に溶け、最後の言葉だけが残った。

『整律官よ。お前の街は全ての試練を超えた。

 輪は揺れ、和となった。

 これより——王都は“調律の都”と呼ばれる。』


 静かな午後。

 街の子どもたちが手を取り合い、三つの拍で遊んでいた。

「とん、とん、とん」

「ふみ、ふみ、ふみ」

「はな、はな、はな」

 三つの異なる音が重なり、笑い声が和になった。


 セレスティアが隣で微笑んだ。

「これが、あなたの輪ね」

 俺は頷いた。

「揺れても、戻る。異なっても、和になる。……それが街の調律だ」


 胸の刻印が静かに輝き、消えていった。

 もう声はしない。

 だが街そのものが、次の拍を奏でていた。


――――

【完】

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