第26話「海のうねり、同音の危機」

 むら拍を三拍柵で収めた翌夜、王都の空気に新しい匂いが混じった。

 塩。遠く離れた海から吹き込む風が、街の祠の火を湿らせる。

 太鼓の音は響く前に吸い込まれ、凧鈴は湿り気を帯びて重く揺れた。

 王鈴すらも、澄んだ音ではなく濁った「ひとつの低鳴り」となって街を覆った。


「……音が全部、同じに聞こえる」

 イリスが灯籠を翳す。炎は揺れているのに、耳に届く音は一律の低音に潰れていた。

「秤が“平均化”されています。細かな差異が記録できない……」

 レイナが剣を構える。だが斬る音も、鞘に収める音も、同じ「どん」という響きに溶けた。

「戦場で敵味方の声が区別できなくなる……これは最悪よ」

 カイルが太鼓を叩く。力を込めても、軽く叩いても、返ってくる音は同じ。

「……太鼓の意味が消える」

 ミュナの揺枝も、芽吹きを撫でる風音を失い、ただ湿った波の音だけを返した。

「芽がどれも“同じ芽”に見えてしまう……」


 セレスティアは唇を噛み、言葉を吐き出す。

「第十一天、“海”。すべてを呑み込み、同音にする存在が来ている」


 夜半。

 広場に大きな水鏡が現れ、そこから波が這い出してきた。

 人影が水面を割り、青黒い衣をまとった者が立ち上がる。

 長い髪は潮に濡れ、瞳は深海の底の色。

『第十一天の使い、潮音(ちょうおん)のマリス。

 輪を作ろうと、秤を刻もうと、迎えを置こうと、影を認めようと、群を柵に収めようと——すべて、海は呑む。

 残るのは、ひとつの同音。……それが“安寧”だ』


 街の人々が耳を押さえる。

 泣き声も笑い声も祈りも、全部が同じ「うねり」に飲まれていった。


「やめろ……それじゃ、輪が死ぬ!」

 俺は王鈴を鳴らそうとした。だが音はすぐに溶け、波と同化する。


 イリスが必死に灯籠を記録する。

「差異が消えても、“時間の順序”までは奪われていません! 過去から未来へ流れる“拍の順”が、かろうじて残っている!」

 カイルが頷く。

「なら、“順”で抗う!」

 太鼓を連打する。どの音も同じに潰れる。だが叩いた順番だけは、身体に刻まれた。


 レイナが剣を振る。音は潰れたが、動きの“順序”は残る。

「斬ったあと、鞘に戻す。戻したあと、また斬る。……拍は残る!」

 ミュナが芽吹きを撫でる。芽は声を失ったが、成長の“順番”は消えない。

「蕾のあとに花、花のあとに種。……順序が芽を守る」


 セレスティアが高く声を上げる。

「布告。“順の札”を置く! 音が同じでも、順序を刻む限り、輪は消えない!」


 俺は王鈴を逆さに構え、強く振った。

「《音は潰れても 順は潰れない!》」


 マリスが冷笑を浮かべる。

『順序すらも、波は呑む。潮の満ち引きは永遠の繰り返し。過去も未来も同じ波だ』


「違う!」

 俺は叫んだ。

「波は繰り返すが、同じ波は二度と来ない! 一度の“順”は二度と戻らない!」


 その言葉に、街の人々が立ち上がった。

 農夫が鍬を振る。「種を蒔き、芽を待ち、刈る!」

 職人が槌を打つ。「削り、組み、磨く!」

 母が子を抱く。「産み、育て、送り出す!」

 順序が輪を支え、同音の波に隙間を刻んだ。


 マリスの衣が揺れ、瞳がわずかに揺らいだ。

『……順を歌にしたか。海は呑んでも、順だけは戻せない。

 ならば、“潮の詠”を置け。呑まれたものを“戻らぬもの”として歌い続けよ』


 セレスティアが即座に告げる。

「布告。“潮詠(しおえい)”。海に呑まれた拍を記録し、二度と戻らぬ順として歌う!」


 イリスが記録を走らせ、カイルが低く連打し、レイナが剣を収める。

 ミュナが芽吹きの祠に潮の雫を落とし、影歌や迎え札とも繋げる。


 街の人々が合唱した。

「《いちど潰れて にどと戻らず それでも つぎの拍を刻む》」


 海の波がわずかに退き、音がひとつ、またひとつと輪郭を取り戻した。


 マリスは水鏡の中へ沈みながら言葉を残した。

『順を刻む街……悪くない。だが、次に来るのは“虚空”。

 音も順もない、ただ“無”の拍。お前たちの輪は、それに耐えられるか?』


 水面が閉じ、潮の匂いだけが残った。

 王都は濡れた石畳の上で深く息を吐き、新しい朝を迎えた。


――――

次回:第27話「虚空の無拍、消える輪の記憶」

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